5-3 頬が伝えた親友の温もり
「じゃ、俺たち、ここで降りるから」
「あらー、咲美ちゃんを家まで送らなくていいの?」
「いや、咲美っちは了解済みだ」
「へぇ」
顔を真っ赤にしている咲美ちゃん。
終点のターミナル駅のひとつ手前の小さな駅で、江上くんとあっくんは電車を降りた。
降りる寸前、奏の目をじっと見て、「じゃ」とだけ言ったあっくん。
もっと親し気に、「さよなら」とか「ありがとう」とか言えばいいのに。
窓の外、あっくんと江上くんが手を挙げている。
陽が落ちて真っ暗になった空。
なんだか、プラットホームの蛍光灯が、スポットライトのようにあっくんだけをポツンと照らしているように見えた。
「あっくん、ばいばい」
そのあたしの言葉は、まるで独り言。
カタンと音がして、窓の外がゆっくりと動き出す。
遠ざかるあっくん。
あたしは思い切り笑顔を作って、それから小さく手を振った。
奏は手を振らずに、じっとあっくんを見ている。
向かい合ったあたしと奏の間で、背伸びをして手を振っていた咲美ちゃんが、ホクホク顔をして奏の横の席に戻った。
奏は変わらず、窓の外へ目をやっている。
時折、踏切警報機の赤い光が矢のように飛び去る真っ暗な窓。
その窓に映った、奏の綺麗な顔に思わず息を飲んだ。
奏が小さく口を開く。
「私、決めたわ」
一瞬目を伏せた奏は、そう言ってゆっくりとあたしへと瞳を向けた。
分かってる。
大丈夫。あたし、ちゃんと分かってるから。
あたしはちょっと背筋を伸ばして、しっかりとその視線を受け止めた。
「何を?」
「歩くんのこと……。私が歩くんに対して、これからどうするべきかということ」
やっぱり。
いいよ。ちゃんと聞いてあげる。
でも、本当はね、ちょっと聞きたくない自分も居るの。
だから、もし泣いてしまったら許してね?
「あっくんのこと? ちゃんと告白する気になった?」
「栞……、私、やっと分かったの。歩くんに対する……、本当の気持ち」
「本当の気持ち?」
ゆっくりと瞳を伏せた奏。
すぐ横で、咲美ちゃんがポカンとしてその顔を見上げている。
「咲美は覚えている? 私が江上くんと口論になったときに、止めに入った歩くんが江上くんに言った言葉」
「えっ? えっと、アタシには少し難しかったのです」
「そう? 彼はこう言ったわ。『歩み寄りを放棄してはいけない。お互いにお互いを「違うもの」と認め合って、それで初めて、みんなが一緒により良いものを作ろうと同じ方向を向くことができる』って」
あっくんがふたりを仲裁した話は知っている。でも、そんなことを言ったなんて、初めて聞いた。
とっても、あっくんらしい。
「私、まだ幼かったときに、私がとても大切に想っている人から、これとまったく同じことを言われたことがあるの。その人のおかげで、いまの私がある」
「それって……」
「そう。私の……、父」
奏が再び窓の外を見た。
過ぎ去る街路灯の下に、真っ白に描き出された粉雪が舞っている。
「私の母は、父とは正反対の、価値観の違う者は容赦なく切り捨てる人間。大恋愛だったふたりは、結局その人生の航跡を分かつことになった。そして私は、この世で最も心が醜いと感じていた母と一緒に暮らすことになった」
「奏……」
「その母に……、私はよく似ている。でも歩くんは、そんな私の中に眠っていた、父から教えてもらった『切り捨てない自分』を見つけ出して、そして笑顔で居られる毎日をくれた」
膝に置いた両手をぎゅっと握った奏。
「だから、私が歩くんに見出していたものは……、私が彼を好きだと思っていた、この気持ちは――」
思わず目が泳ぐ。
どうしたの?
何を言おうとしているの?
あたしが聞きたかったのは……、聞きたくないけど聞こうと頑張っていたのは、そんなことじゃない。
「――この気持ちは……、たぶん、父への憧れ」
違う。
そうじゃない。
「たぶん私は、ずっと彼の中に父の面影を感じていたんだと思う。今日、咲美の話を聞いてやっと分かったわ。ずっと感じていた、歩くんに対する気持ちの中にあった、小さな小さな違和感の正体……。これが、私の気持ちの本当の姿」
「ち、違うと思う。あたしは……、あたしは違うと思う! 奏はちゃんと、女の子としてあっくんのこと好きだって思う」
「そうね。女の子として彼を好きだと思う気持ちも嘘ではないわ。でも、その『好き』の大部分が、咲美が話してくれた、あの憧れとしての、実体のない『好き』だったんだって、そう分かったの」
言葉が出ない。
奏は柔らかく微笑んでいる。
違う。
違うの。
そうじゃなくて……。
「私を救ってくれた歩くん。私はその中に父の姿を見て、そしてその優しさにすがりたくて、彼に憧れていたんだと思う。だから、私の気持ちはきっと、本物じゃない」
「か、奏……、あのね?」
「だから、彼のそばにはあなたが居て。ね? 栞」
ゆらりとした、奏の瞳。
そして、ゆっくりとその手が伸びてあたしの頬に触れようとしたとき、突然、終点への到着を知らせる車内アナウンスが響いた。
鉄が擦れあう鈍い音。
その音が足元を揺らすと、電車は何事もなかったかのようにプラットホームへと滑り込んだ。
「着いたわね。行きましょう」
立ち上がった奏。
まだ立ち上がれずにいる咲美ちゃんの前をさっと横切って、奏がドアのほうへ歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って! 奏っ!」
バタバタとバッグをたぐり寄せて奏を追って駆け出すと、咲美ちゃんも慌てて席を立った。
改札へ渡る連絡通路。
その空間に落ちる蛍光灯の淡い光が、静かに揺れる奏の長い髪をふわりと照らしている。
壁の鏡の前を通り過ぎて、階段を駆けるように下りてゆく奏。
その後ろ姿が改札に吸い込まれた直後、あたしは地に着かない足でコンクリートを蹴って、その肩に手をかけた。
「奏っ、ちょっと! いまの話だけどっ……」
そう声を上げて奏の前へ回り込む。
立ち止まった奏。
しかし奏は立ち塞がったあたしに瞳を向けることなく、その見開いた目をあたしの後ろのどこかへ向けて、ただただ立ち尽くした。
奏の向こうでは、咲美ちゃんが改札を越えて走ってきている。
あたしは、奏の唇が小さく震えていることに気がついて、それからゆっくりと後ろを向いた。
改札の正面、大きな柱の前。
冷たい空気に埋め尽くされたそこで、凍るような視線をこちらへ向けていたのは……。
「お母さん……」
奏が持っていたバッグをギュッと抱きしめた。
あたしは、とっさに笑顔を作って、少し大袈裟に頭を下げた。
「こっ、こんばんはっ。ご無沙汰してますっ!」
「栞さん? あなたにもあとで聞きたいことがあるわ。奏、今日はどこへ行っていたの?」
「あ、あの、今日はあたしが誘って――」
「あなたは黙ってて!」
改札前に響いた怒号。
咲美ちゃんが駆け寄ってきてあたしの手をぎゅっと握ると、同時に奏があたしと咲美ちゃんを庇うように片腕を上げながら、ゆっくりと一歩前へ出た。
「お母さん、どうしてここに居るの?」
「それはこちらが聞きたいわね。どこへ行っていたのかしら?」
「大学受験の合格祈願に行っていたのよ」
「へぇ、わざわざ隣の県まで?」
あたしが踏み出そうとすると、奏の腕がそっと押し返した。
咲美ちゃんはガタガタと震えている。
「ママね? どうもあなたの様子が変だったから、栞さんのお母さんに電話したのよ? そしたら、ビックリしてらしたわ。奏さんはなんにも話してないのかってね」
「そうね。敢えてなにも話していないもの」
「いつからそんな不良になったのかしら。やはり友だちを選び損ねたわね。まぁ、あんな能天気な親の娘だもの。奏が染まってしまうのも当然ね」
「そんな言い方やめて」
「目的地も電車の着く時間もぜんぶケラケラ笑って教えてくれたわ。帰りは少し暗くなるけど、男の子がふたり一緒だから大丈夫ですって。ちょっと信じられない。で? どこに居るのかしら。その男の子ふたりとやらは」
一瞬、言葉に詰まった奏。
もう一度身を乗り出したあたしを制して、奏の腕がさらに上がる。
「彼らは用件ができて、ひとつ前の駅で降りたわ」
「は? 真冬の夕方よ? こんなに暗い中を帰らなければならないのに。それをほったらかして先に帰ったというの? ずいぶん頼り甲斐のある男たちね」
「私の友だちをそんなふうに言うのはやめて」
奏のお母さんがゆっくりと近づく。
あたしを捉えた鋭い瞳。
そしてその口が開いて、白い息がすっと流れる。
「今日のこと、言い出したのは栞さんですってね。私ね? 前から思っていたの。あなたはちょっと軽率過ぎるわ。同じ女性として、あなたの将来に憂いしか感じない。その尻の軽さは誰に似たのかしら。お母さま?」
一瞬、耳を疑った。
生まれて初めて投げつけられた、あたしと母親とを一度に否定されたひと言。
奏がさらに一歩踏み出す。
「私の友だちをそんなふうに言うのはやめて」
そして、目の前まで近づいた奏のお母さんが、あたしたちを庇っている奏の腕を片手でゆっくりと押し下げながら、じわりとあたしの顔を覗き込んだ。
「まぁ、友だちであると公言することを奏が許してあげているみたいだから放っておいたけど、やっぱりあなたは奏と時間を共にするには人格が足りていないわ。申し訳ないけど金輪際、奏に近寄らないでね?」
氷のような瞳を、サッとあたしから奏へ向けたお母さん。
押し下げていた手がぎゅっと奏の手首を掴む。
「さ、奏? 帰るわよ」
奏は動かない。
「奏? 何をしているの? ママと一緒に帰るの」
「……まれ」
「さ、早く」
「……まれっ、黙れっ、黙れっ! 黙れぇぇっ!」
改札前の通路に響いた、奏の叫び。
同時に鳴ったドンッという鈍い音。
「きゃっ」
奏のバッグが弾け飛び、中の文庫本や天満宮で買ったお守りの袋がバラバラと宙に舞う。
転げるお母さん。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
そして次に目に映ったのは、化粧タイルに倒れたお母さんの前で、いからせた肩を震わせている奏の後ろ姿。
「私の親友になんてひどいことを言うのっ? お母さんは自分がどれほどの者のつもりなのっ?」
「ちょっとっ! こんな野蛮なことするようになるなんてっ、信じられないっ! 栞さんっ、あなたのせいよっ!」
「栞は関係ないっ! ぜんぶお母さんのせいだわっ!」
「私のせいですってっ?」
通路を行く何人かが立ち止まった。
「ぜんぶっ、ぜんぶお母さんのせいよっ! 私から温かい家庭を奪って、大好きだったお父さんとの時間を奪って、そして今度は大切な親友までも奪おうというのっ?」
「はぁ? あなたにどんな友人が相応しいか、一番分かっているのはママなのっ! あなたは私の言うとおりにしていればいいのよっ!」
震える小さな肩。
あたしはどうしていいか分からず、ただそこに立ち尽くした。
「私っ……、私っ……」
凍える空気の中、一瞬見えた、奏の頬を伝う美しい雫。
思わず駆け寄ろうとした瞬間、真っ直ぐに下ろした拳がぎゅっと握られて、雷鳴のようにその声が通路に響き渡った。
「私っ、お父さんのところへ行くっ!」
駆け出した奏。
通路に反響した声がふわりと途切れると、倒れたお母さんが半身を起こしながら身をよじって手を伸ばした。
「待ちなさいっ!」
その手は奏を捕まえられない。
驚いて道を開けた人垣の向こうに、広がる白い息と遠ざかる奏の後ろ姿が見えた。
お母さんの見開いた目が、その姿を追っている。
「お父さんっ? お父さんですってっ? まさか、奏があの人と……」
ハッと我に返ると、人垣の向こうに警察官が走って来るのが見えた。
後ろで咲美ちゃんが泣いている。
足元には、化粧タイルに放り出された文庫本とお守りの袋。
あたしは思わずその袋をひったくって、奏を追って駆け出した。
あたしのせい。
ぜんぶあたしのせいだ。
「奏ぇーっ!」
駅前のロータリーを駆け抜けながら、あたしはその名を叫んだ。
ふわりと舞う小さな雪を、街灯の真っ白な光が音もなく描き出している。
もう奏の姿は見えない。
でも、あたしには分かる。
奏はきっとそこだ。
あの日の、あの場所。
あたしを友だちだと言ってくれた、そう言ってあたしを抱きしめてくれた、あの場所。
日本に来てから、ずっとひとりで居ることを選んでいた奏。
その奏が、あたしを友だちにしてくれた。
ふたりで居ることが、そしてみんなと居ることが楽しいと感じてくれて、いつの間にか、あたしたちの隣で笑ってくれるようになった。
奏はもうひとりじゃない。
だから、必ず待っているはず。
あの、夕日が綺麗だった、思い出の場所で。
息が切れる。
十二月の凍える空気が肺をいまにも凍らせそう。
あたしを追い越していく、疎らな人影の路面電車。
たくさんの車が行き交っているのに、あたしには歩道を蹴る自分の足音しか聞こえない。
破れそうな心臓。
奏はもう決心しているかもしれない。
でも、あたしの決心も聞かせたい。
あたしの大好きなあっくん。
あたしの大好きな奏。
ふたりが少しでも近くに居られるように、あたしが決めた、あたしの未来。
ずいぶん長く走った。
そしてたどり着いたのは、行幸坂を下りきった橋のたもと、市民会館から市役所へと延びるお城のお堀沿い、あの長塀通りの遊歩道。
誰も居ない石畳。
お堀に並んだ真っ白な街路灯が、粉雪をまといながらその石畳をふわりと浮かび上がらせている。
あたしはそこで立ち止まり、そして大きく息を吸った。
ゆっくりと遊歩道へと進む。
夏の夕暮れ、ふたり抱き合ったままなかなか離れられなかった、この遊歩道。
そして、あのときと同じ、あの場所に……。
見つけた……、あたしの親友。
お堀の川面ににじむ街路灯の光が湧き上がって、彼女の後ろ姿をまるで天使のように輝かせている。
川面を見下ろすように、お堀の柵に手をかけて佇んでいる彼女。
「奏……、忘れ物だよ?」
そう言ってあたしは奏の後ろからそっと両手を回して、その冷たくなった体をぎゅっと抱きしめた。
手には、今日、天満宮で買ったお守りの袋。
吐いた真っ白な息が奏の顔の横を通り過ぎて、お堀の上でふわりと消える。
「栞……、ごめんなさい。お母さんがあんなこと言うなんて」
「大丈夫。気にしてない。あたしのほうこそごめんなさい。あたしが県外までお参りに行こうなんて言わなければ、こんなことにはならなかったのに」
「そんなことないわ。遅かれ早かれ、お母さんとはこうなるはずだったから……。私ね? 栞に嘘をついてた」
「嘘?」
奏の肩がきゅっと上がって、回したあたしの手にその手がゆっくりと重なった。
「うん。地元の国立を受けるっていうのは、実は……嘘。本当はね? お父さんのところへ行って、そこから通える大学を受験しようと思ってて」
「えっ? お父さんのところって……、どこ? 遠いの?」
「うん……、東京。だから、お母さんとはいずれこうなっていたわ」
東京?
そんな……、そんな遠くへ行ってしまうつもりなの?
「お父さんとは、夏に英会話教室の先生を紹介してもらったころからずっと連絡を取り合ってたの。お父さん、高校を卒業したら東京へ来ないかって、一緒に暮らさないかって……そう言ってくれてて。今日の太宰府行きのお金も、お父さんが支援してくれたの」
奏がたったひとりの文芸部展示で、ずっと待っていたお父さん。
『切り捨てる自分』をどうにかしたくて、もう一度、その優しさに触れたいとずっと願っていた、お父さんとの暮らし。
「実はね、とても迷っていたの。でも、今日、自分自身の歩くんへの気持ちの真実に気がついて、決心がついたわ。だから……、歩くんのそばには、栞、あなたが居て」
「そんなのおかしい。あっくんの気持ちはどうなるの? 奏のこと大好きな、あっくんの気持ち……」
「私はまだ何も聞いていないもの」
「奏……、もしかしてあたしのため? そうだとしたら、あたし怒るかも」
「怒っていいわ。それも少しあるから」
重ねた手に伝わる、奏の体温。
奏はやっぱり優しい。
その優しさは、なかなか人に理解されないけど。
「いや、あたし、やっぱり怒れない。あたしも……、嘘ついてたから」
「私と歩くんと同じ大学を受けるっていう……、嘘ね? 栞の考えていることはお見通し」
「あはは。バレてた? 隣の県の吹奏楽部が有名な私立に行こうと思って。それで地元にあっくんと奏が残れば、ふたりがずっと一緒に居られるよねって」
「おあいこね」
「うん。おあいこ」
思わず、回した腕に力を込めた。
見上げると、さっきまでかすかに舞っていた粉雪はもう見えなくなっている。
「でもね? 栞。たぶん、歩くんの本当の気持ちも私と同じだと思うわ。彼が好意を持ってくれている『野元奏』は、あの『光風の伝言』を書いた詩人であって、いまの私じゃない」
「そうかな。あっくんは詩人の奏以上に、いまの奏のことが好きなんだと思うけど」
「それは、充分に離れてみれば、きっと彼にも分かるわ。たぶん、私たちはお互いに理想の偶像を追いかけていただけの……、偽物の両想いだと思う」
「あたしは、それは違うって信じたい。でもそれって、いまのあたしたちには絶対に分からないと思う。もっと、時が経って、大人になって……、あ……」
そのとき浮かんだのは、奏の『光風の伝言』への答辞としてあっくんが書いた、『旅人を想うあなたへ』の一節。
時が流れて 大人になって
見知らぬ街角 あなたを見つけたら
信じる心 夢見る気持ち
忘れずにいたと 微笑みなげるよ
「もしかしたら、あの詩を書いたあっくんはもう分かっているのかも。そうだと分かっているのに、それでも奏を追いかけようとしているんだと思う。『信じる心と夢見る気持ちは忘れないで』って、奏が『光風の伝言』に書いたから」
「そうね。それだったら本当に嬉しいわ……。あの言葉は、お父さんが私にくれた言葉。家を出て行くお父さんが、最後に私を抱きしめて言ってくれた魔法の言葉」
「魔法の言葉? 素敵ね」
「うん。どんなにひとりぼっちでも、どんなに苦しくて悲しくても、私を勇気づけてくれた魔法の言葉。中学の卒業アルバムにも書いたの。個人写真のひと言メッセージに」
「あたし、それ見たよ? 奏と同じ中学の子に見せてもらったの。あーあ、そのころに奏と出会いたかったなぁ……。そしたら高校三年間、もっともっと、思い切り奏と遊べたのに……」
「ほんと……、ほんとに、そうね」
もっともっと、一緒にいろんな話をしたかったのに。
もっともっと、一緒にいろんな所へ行きたかったのに。
泣いたり、笑ったり、奏と一緒の思い出が、もっともっと、もっとたくさん欲しかったのに。
ふわりと白い息が広がって、それから私の手の甲に温かい雫が落ちた。
「栞……、歩くんのこと、お願いね?」
「それは……、いま決めなきゃだめ? あっくん、奏に想いを伝える歌を作ってるみたいだよ? その歌を聴いたら、きっと奏の気持ちは変わると思う」
「そうね。でも……、その歌、私はもう聴けないわ」
そう言って奏は、回していたあたしの腕をそっと解いて、それからゆっくりとあたしに向き直った。
向かい合った、揺れる瞳。
その雫がきらきらとしている頬がそっとあたしの頬に触れると、広げられた両手がしっかりとあたしの体を包み込んだ。
「栞……、大好き」
「あたしも」
そう言って、あたしも息ができないくらいに奏を抱きしめた。
どれくらい、そうしていただろう。
建物の向こうの大通りは行き交う車の音がこだましているはずなのに、なぜかこの長塀の通りだけがしんと静まり返っていた。
遊歩道にスポットライトを落とす、お堀沿いの街路灯。
それが作り出す静かな明暗が、まるでこの世界にはあたしたちふたりだけしか居ないような、そんな気にさせた。
そしてあたしは……、あたしたちは、お互いにしっかりと確かめ合っていた。
もしかしたらもう二度と会えないかもしれない、かけがえのない親友の温もりを。




