表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光風の伝言  作者: 聖いつき
第五章
15/19

5-1  マフラーに伏せた決意

「歩ーっ、電話よー!」

 階段下から聞こえた母さんの声で、僕は受験勉強の真似事から我に返った。

 見ると、時計は二十二時を回っている。

 誰だろう、こんな遅くに。

「はーい」

 ちょっと高い声で返事をして、僕は慌ただしく階段を下りた。

 一日中、陽が当たらない階段はひんやりとしていて、ギシギシという板を踏む音と十一月の空気がそれを一層寒々とさせていた。

 靴箱の前で、母さんが受話器を差し出す。

「はい。エガミ……さんだって」

「え? ありがと」

 江上くん? どうしたんだろう。

 それに、僕は江上くんに電話番号を教えたことはなかったと思うけど。

「もしもし?」

『宮本か? 夜遅くすまんな。俺、読んだぞ』

「え? 読んだって、何を?」

『詩集だよ。お前と野元の詩集』

 ちょっとだけ上ずった、江上くんの声。

 僕はすぐに、それがあの『文芸部特設コーナー』に置いていた二冊の詩集のことだと分かった。

 読んでくれたのか。

 それをわざわざ伝えるために電話してきたってこと?

「それはどうも。僕のはともかく、奏さんの詩を読んでくれたのは嬉しいよ」

『うん。野元の詩、いいと思った。あ、いや、ちょっとだけだがな?』

「そうか、ありがとう」

 そう言ったあと、まるで奏さんの身内にでもなったような言い方だなって思って赤面した。でも江上くんはなんとも思っていない様子。

『お前の詩もよかったぞ。いいセンスだ。なぁ宮本、お前、俺の曲に詩を書かないか?』

「え? 僕が?」

『ああ。あの、「光風の伝言」と「旅人を想うあなたへ」をモチーフにして歌を作ろうってんだ。お前の野元への想いをめいっぱい詰め込んで。お前、野元が好きなんだろ?』

「い? えっと、まぁ……。でも、時間がないんじゃない? ビデオ制作もあるし、それが終わったらもう受験――」

『いいんだよ! 息抜きがないとやってらんないだろ? そしてこれは俺の卒業記念だ! 放送部の取材に協力するんだから、お前も俺に協力しろ!』

 卒業記念……。

 そうか、僕らはもう来年の三月で卒業するんだ。

 どんなに望んでも、僕らはずっとこのままでは居られないんだ。

『とにかく、明日の放課後、その話で放送室に行くからな。ついでに俺の取材も明日しろ』

「取材がついでなのか」

『そうだっ! とにかく明日だ。夜遅くすまなかったな。じゃあなっ!』

「え? あの……」

 突然そこでプッツリと切れた通話。最後のほうは、なんだか照れ隠しみたいな畳みかけ。

 受話器を置きながら、思わず笑みが出た。

 自分から放送室に来るのか。奏さんとケンカにならなければいいけど。



「えっと、なんなのっ?」

「だから、ちゃんと文芸部の活動を再開しろ。そして、図書室に残されている歴代の文芸部の作品集に、あの『光風の伝言』を加えるんだ」

 放課後になって、さて江上くんは何時ころ来るのかななんて思いながら放送室の前までやって来ると、なぜかスタジオの中から言い争っているような声が響いた。

 この声は……、江上くんと奏さんだ。

 まずい! 

 また収拾がつかない応酬合戦になってしまう!

「江上くんっ! 奏さんっ! ちょっと待って――」

 僕はそう声を張り上げながらスタジオへと飛び込んだ。

 みんなが一斉に僕を見る。

 スタジオの真ん中くらいに、当事者である江上くんと奏さんが向かい合って立っている。

 一番奥の長机には、お菓子の箱を手に持った栞とワッピがニコニコしながら腰掛けていた。

「あっくん、遅かったねぇ」

「おおう、歩先輩、今日はいっぱいお菓子を持ってきたのであります。食べます?」

 なんだか様子がおかしい。

「えっと、お菓子はいいんだけど、あの、ふたりを止めないと……」

 そう言ってふたりを見ると、江上くんは僕を見ながら「お前も手伝え」といった感じで顎をしゃくり、奏さんは両手を胸に当ててのけ反りながら「歩くん、助けて」といった感じで眉根を寄せて僕に視線を送っていた。

「あの、これは……どういう……」

 僕がそう言って放心すると、奏さんがさらに一歩さがって体をよじった。長い黒髪がふわりと揺れる。

「あ……あの、歩くん、何か知ってるの? 江上くんが突然やってきて、私に文芸部の活動を再開しろって……」

 え?

 なるほど、そうか。江上くん、あの詩集に感動して……。

「宮本、お前から言って聞かせるんだ。あの詩集はちゃんと図書室に残さないとだめだ。そのためには今年の活動実績を作っておかないと……」

 よほど、あの奏さんの詩が気に入ったんだな。

「そんなの、もういいわ。実際、活動なんてやってないんだし……、いまさら、私……、その」

「いいんだよ! 文化祭の詩集制作も、放送部のビデオ制作への協力も、ぜんぶ文芸部としてやったことにして活動報告を生徒会に――」

「そっ、そんなの嘘っぽいじゃない」

「そんなことないぞ? いまから遡って予算をとるのは難しいかもしれんが、生徒会には予備費がある。それから補助を出すように現生徒会長に俺が頼んでやるから、ちゃんと活動していたことにして作品集を図書室に残せ」

「はぁ……、強引ね。あなたって」

 ものすごく困った顔をした奏さん。でも、その頬はほんのり紅い。

 それから江上くんは、図書室の文芸部作品集を作るための『合理的な』話を奏さんに向かってつらつらと語っていた。

 受験態勢を視野に入れたタイムスケジュールの話から、予算の件だとか、印刷の件だとか……、みんなが苦笑いしているのはそういうところだよ? 江上くん?

 取材は……、彼がもう少し落ち着いてからやるかな……。



「以上で、『センテニアル高校姉妹校締結式』を終了します」

 物理室のパソコンの前で行われた、とても簡素な我が校側の姉妹校締結式典。

 カナダのセンテニアル高校と我が校とをパソコン通信で結んで、互いに姉妹校締結のメッセージを送り合った。

 カナダ側の締結式典は、センテニアル高校で生徒たちを前にして行われたらしい。時差があるので、その式典が行われたころは、僕らはまだ夢の中。

 そして、先に翌日を迎えた僕らが目を覚まし、まだ昨日の夕方であるセンテニアル高校の人たちとパソコン通信のメッセージを交わすために、こんな朝早くから物理室に集合させられたというわけだ。

 夏の親善訪問のときはカナダ側からこちらへわざわざ来てもらったので、今回の式典にはこちらから代表団が出向いて行っているとのこと。引率の先生と生徒会長以下執行部の数名らしい。

 一番の立役者であった江上くんには、代表のお声はかからなかったようだ。

「江上くんが行けばよかったのにね」

「いや、俺は飛行機は苦手なんだ。カナダまであんなものになん時間も乗らなきゃいけないなんて、そりゃ拷問だ」

「あはは、そうか。とりあえず、これで画撮りはぜんぶ終わり。あとは、これと先週撮った江上くんのインタビューを挿入したら完成だ。今日はお休みだし、僕はこのまま放送室で仕上げにかかるよ。たぶん、お昼前にはワッピたちも来ると思う。江上くんは? 帰って勉強だよね」

「え? あー、それなんだが……」

 物理室を出たところで、もう帰るものとばかり思っていた江上くんが、帰るとも帰らないとも言わずに収まりが悪そうにしている。

 しかも、なぜか大きく膨れたセイラーバッグ持参だ。

「どうしたの? それに、そのバッグ――」

「お前の詩、まーっすぐだよな。真っ直ぐで、まっしぐらで……」

「僕の詩?」

 背後で、生徒会執行部顧問の富永先生が「えがみぃ、おつかれさーん」と声をかけてくれたが、江上くんは俯いたまま。

 僕らの横を通り過ぎていく、生徒会執行部の居残り組と物理化学部の面々。

 僕は代わりに富永先生に大きく手を振って、それからそっと江上くんの顔を覗き見上げた。

「江上くん……、具合悪い?」

「宮本ぉ!」

「ひっ!」

 急に顔を上げた江上くん。思わず一歩さがって身構える。 

「ちょっと、どうしたのさ」

「お前、野元に告白したか?」

「ええっ?」

 急に何を言い出すかと思ったら、なんなんだ。

「告白なんてしないよ。これからいよいよ受験本番だっていうのに。それに、江上くんが僕の想いを卒業記念の曲にしてくれるって言ったじゃない。だから、卒業のときにその曲で気持ちを伝えられたらいいなって思ってる」

「なんでお前はそんなに控えめなんだ」

 どうも様子がおかしい。

 先週、放送室でインタビューしたときはこんな感じじゃなかったのに。

 あのときは、奏さんに文芸部の活動を正式に再開しろって迫って、さらに奏さんの『光風の伝言』を図書室の文芸部作品集に加えろって言って――。

「宮本ぉぉ!」

「うわっ! 近い近い!」

「放送部はぁ、休みだが今日も活動をやるんだよなぁ」

「えっと……、うん」 

「昼前にはちびっこ咲美ちゃんも来るんだよなぁ」

「え? あー……」

 そういうことか。

 なんだ。そういうことならハッキリ言えばいいのに。

「そうだ、江上くん。最後にもうちょっと江上くんの声を録音しなきゃいけないのを思い出した。この後、午前中いっぱいくらい放送室で手伝ってもらえる?」

「え? ええ? いいのか? 俺、放送部に行っていいのか?」

「いや、僕が頼んでるんだよ? 構わないなら一緒にいいかな」

「いいい、いいとも!」

 僕の詩が『真っ直ぐ』だって言ってもらえて嬉しいけど、江上くんのほうが僕よりずっと『真っ直ぐ』だと思うけどな。

 きっとそのセーラーバッグの中身は……。



「うわぁ! こんなにいっぱいっ! いいのですかっ?」

「あったりめーよ」

 やっぱり。

 江上くんのセーラーバッグの中身は、ワッピが大好きなお菓子でいっぱい。

 ホクホク顔のワッピはすぐにスタジオの奥の長机に陣取って、盛大にセーラーバッグをひっくり返してお菓子を物色している。

「もう、あんまり甘やかさないで欲しいわ。咲美、一日にふたつまでよ?」

「えー? そんなぁ」

 苦笑いの奏さん。そして、これでもかと頬を膨らますワッピ。

「いいじゃねぇか、野元。お前も一緒に食え。また買ってくるから」

「太ったらどうしてくれるの?」

 奏さんと江上くんは、あれからまったく揉める様子はない。それどころか、以前からこれが普通であったかのような感じで冗談を言い合っている。

「宮本、俺の曲はビデオで使わないのか?」

「曲? インストロメンタルがあるならテープを貸してよ。候補に入れるから」

「いや、俺の曲は歌詞がないと。お前や野元の詩のように、それだけで訴えかける力はないからな。ほんと、お前らの詩はすげぇと思う」

「それは褒めすぎ――」

 ふと見ると、長机の前の奏さんがこちらへ背を向けたまま固まっている。ポテトチップの袋の口を両手で引っ張ったまま、なぜかじっと下を向いていた。

 長い髪の向こうにのぞく頬がほんのり紅い。

「いつか野元にも俺の曲に詞を書いてもらうからな。しかし、その前にお前だ。宮本! まずはお前に俺の曲の詞を書かせる!」

「いや、もう受験だって」

「いいじゃねぇか。と、いうことで、このスタジオに俺のシンセのセットを持ってくるぞ?」

「はぁ?」

 同じように、「はぁ?」という顔でこちらを振り返った奏さん。

 ワッピは、ぽっぺにお菓子の粉をいっぱい付けたまま、ポカンと口を開けている。

「家に置いてたって、どうせ勉強で触れねぇし。ここなら天下御免で作曲できるからな。それに……」

 一瞬、動きを止めた江上くん。

 すーっと息を吸って、それからゆっくりと僕と奏さんに目を向けた。

「……それに、お前たちと一緒なら、俺も真っ直ぐな想いを曲にできそうな気がするんだ」

 そう独りごちるように言った彼が、すっとその視線をワッピに向ける。

 きょとんとするワッピ。

「な……、なんでありますか?」

 そういうことか。

 しょうがない。受験に差し支えがない程度なら許してあげよう。

「そうか。分かったよ」

 そう言いながらチラリと奏さんに目をやると、彼女も僕に目を向けていた。

 お互い、ゆっくりと口角が上がる。

「ね、奏さん」

「そうね。でも、ここに入り浸って勉強に支障がなければいいけど」

 僕と奏さんに交互に目をやったワッピは、よく分かっていない様子。

「で? シンセのセットはいつ持ってくるの?」

「え? あ、ちょうど今日、兄貴がバイト休みなんで、昼から兄貴の運転で持ってくる。みんな夕方まで居るだろ?」

「うん。できれば今日、映像の繋ぎを終わっときたいし。奏さんは?」

 僕の問いに、少し考えた奏さんは、ワッピをチラリと見たあと眉をハの字にして肩をすくめた。

「昼から咲美も連れて栞と本屋へ行く予定だったけど……、そうね、栞にここへ来るように言いましょうか。私もあの強引な文化祭のテーマソングを作った機械を見てみたいわ」

 江上くんが苦笑いをしている。

 ワッピだけがよく分かっていないみたいだけど、まぁ、それでいい。

 卒業までに、江上くんとふたりで作る歌。

 僕が書く詞は奏さんのため、そして彼が書く曲はワッピのためだ。

 このビデオが完成したら、僕は放送部引退。

 そして、常連部外者の奏さんと栞もここへ来る理由はなくなるはずだったのに、まさかいまごろ新たな常連部外者が増えるなんて。

 でも、ちょっとだけ嬉しい。

 最後の最後まで、奏さんの笑顔をこのスタジオで見ることができそうだから。




     高校三年生  十二月


「あああ、これはダメなのですっ!」

「いいじゃない、ちょっとだけ読ませてよ」

 鉛色の空。

 その空と渡り廊下が同じ色に見えるほどに彩りが乏しくなって、枝だけになった中庭の木を背景に吐く息の白さがいよいよ際立っている。

 例の『センテニアルとの絆』は、最後の最後で江上くんがいろいろとアイデアを出してくれて、とてもいい仕上がりになった。もう今ごろはカナダの空の下に届いているはずだ。

 三年生はもう完全に受験態勢。

 そして、僕と常連部外者の三年生軍団も同じく受験態勢でもうここに居る理由は無くなったはずなのに、なぜか以前と変わらぬメンバーが毎日このスタジオで顔を合わせている。

 僕がスタジオの長机を占領していると、その向かいでワッピが何やら一生懸命にノートに書きこんでいたので、僕は思わず立ち上がってそれを覗き込んだ。

「こっ、これは、まだ見せられないのでありますっ!」

「なになに……?」

「ああー、もーう」

 とっても可愛い字だ。

 内容も可愛くて、江上くんにもらったお菓子が美味しかったとか、タックン先輩のプレーがもう一度見たいとか、そんな日記みたいなことが散文で綴られている。

「可愛い詩だね。奏さんに教えてもらったの?」

「ううう、恥ずかしい。勝手に真似しているだけなのです」

「もうちょっと見せて?」

「いやいやいや、だだだ、ダメなのですぅぅ!」

 ノートをひったくって立ち上がったワッピ。

 同時にスタジオの扉が開く。

「何を騒いでいるの? うわ、ここ、いつもより寒いわね」

「あっくーん、咲美ちゃーん、どもどもー。おおお、寒い」

 いつものように、スタジオへやってきた奏さんと栞。

 今日は、栞が吹奏楽部に用事があったらしく、奏さんはそれに付き合ってから一緒にやってきたようだ。

 長机に座った僕の後ろから、両手にはーっと息を吹きかけながらふたりが近寄る。

「歩くん、ちょっと緊張感が足りないんじゃないかしら。今年は去年の資料がまったくあてにならないらしいから、もっと真面目に取り組みなさい?」

「ごめんごめん。センター試験だよね。しかし、そんなに変わるのかな」

 昨年度までは『大学共通第一次学力試験』、いわゆる『共通一次』が最初の試練だったけど、今年度から『大学入試センター試験』というものに刷新されることになったらしい。

 詳しいことはよく知らないけど、とにかく去年までの対策資料があまり役に立たないって噂されていて、僕みたいな中途半端な成績の者はみんな志望校の決定に大いに悩まされていた。

 でも、僕の志望は成績とは別のところにある。

 奏さんと同じ大学へ行きたい。

 やっと親しくなれたこの関係がもう少し続けられるように、できるだけ近くに居たい……。

「奏の志望は前と変わってない? あたしと一緒、地元国立よね?」

「そうね。栞が目指す理学部からはちょっと離れている文学部だけど」

「あー、でも、奏の成績ならもっとずっといいところへ行けそうなのに。東京六大学とか」

「栞のことが心配で、そんな遠くへなんて行けないわ」

 僕の志望も、彼女と同じ文学部だ。

 でも……。

「あら? 今日はバンドマンくんは来ていないのかしら」

「ああ、今日は冬休みの冬期集中講座の申し込みに行くから来られないって。彼も僕らと同じ地元国立志望らしいよ?」

「はぁ、どうしてついてくるのかしら」

 わざとらしく両手のひらを上へ向けて肩をすくめた奏さん。

 栞が「久々出た奏さま発言」なんて言いながら、ケラケラと笑っている。

 高校一年の秋から、ただそっと彼女を見守ってきた、この九つの季節。

 あのときは想像もできなかった、彼女の笑顔を息がかかるほどの距離で眺められるようになった、このスタジオ。

 でもきっと、あとになって思うんだ。

 いまのこの一瞬が、このスタジオでの彼女とのこの時が、僕にとって一番幸福な時間だったんだって。

 たぶん僕は、彼女を追ってあの同じ大学の門をくぐることはできない。

「へっくしょ」

「あら、歩先輩、風邪ではありませんか?」

「いや、ちょっと冷えただけ」

 不意に出たくしゃみに、みんなが僕のほうを見た。

「もう、どうしてそんなに無頓着なのかしら」

 そう言って、奏さんがサブバッグから取り出したのは、とても品のいい臙脂色のマフラー。

 ふわりと広げたそれを、彼女がそっと僕の首へかける。

「ここ、ほんとにちょっと寒すぎるわ。先生に言って電気ストーブを貸してもらいましょう」

 栞とワッピがハッとしたのが分かった。  

 僕は、思わず下を向く。

「うん……、そうだね。川上先生に頼んでみる」

 奏さんは無意識だ。

 栞が下を向いた。

 マフラーは、奏さんの髪と同じ爽やかな柑橘系の香りがした。

 僕が思っている以上に、僕と奏さんの距離は近くなっている。

 でも、彼女にとっての僕はなんだろう。

 親友である栞の幼馴染み……、そして詩や文学に同じ想いを持つ親しい友人。

 おそらく、それ以上でも、それ以下でもない。

 それでもいいんだ。

 たぶん、僕は彼女を追いかけたい一心で彼女と同じ大学を受験して、そして失敗してまったく違う道へと進むんだ。

 僕が彼女の隣に居ることを許されるのは、たぶん『いま』しかない。

 あと三か月すれば、僕らは卒業を迎える。

 そして、きっと別々の道を歩むことになる。

 でも僕は、その卒業のベルの向こうの時間を彼女と一緒に過ごせる可能性が少しでもあるのなら、それにすべてを賭けてみたいって、そう思った。

 それが、どんな結果になっても。

 背中に感じる、しんしんと浸潤する寒さ。

 僕はそんなことを考えながら、彼女のマフラーに頬をうずめたんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ