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光風の伝言  作者: 聖いつき
第四章
13/19

4-2  文芸部は今もそこに

     高校三年生  一〇月


 高校生になって三度目の秋。

 教室から窓の外を見れば、抜けるような青を背景に、指の間から逃げてしまいそうな雲がゆったりと浮かんでいる。

 ついこの前までこの青空の下で張り上げられていた声は、体育大会の終わりと共に聞こえなくなった。

 そして、体育系部活の引退者と一般の生徒たちは、間髪入れずに受験態勢へ。

 しかしまだ、僕ら文化系部活は終わっていない。

 来週は、高校生活最後の文化祭。

 体育系部活に熱を入れる我が校では、放送部をはじめとする我々文化系部活はやや肩身の狭い思いを強いられているが、この文化祭についてだけは譲らない。

 昇降口を出てふと立ち止まれば、襟元を撫でる風はずいぶんと肌寒い。

 しかし、そんなことをものともせず、受験も中間考査もすべて忘れて、ここぞとばかりに唯一の晴れ舞台のために僕らは制作に打ち込む。

 今年の放送部は、特に忙しい。

 部長の橋本くんが文化祭担当、僕が姉妹校締結ドキュメンタリー担当となって、目下、部を二分して毎日作業に追われている。

 まぁ、実際のところは、そんなに切羽詰まってはいないんだけど。

 手が空いたときはみんなでスタジオに集まってお茶を飲んだりお菓子を摘まんだりするし、そのまま雑談が長くなってしまうことも。

 今日の昼休みもこんな感じだった。

『咲美? あなた、私のチョコ、勝手に食べたわね?』

『はぁい。アーモンドの香ばしさがたまりませんでした』

『ちょっと来なさい』

『あ、グリグリでありますか? それはご勘弁を……、うわ、うー、かにゃでひぇんはい、ほっへをひっはりゃないで。ごめんなひゃい』

 教室では見られない、フランクな奏さん。

 たぶん、クラスのみんな……、いや、彼女を表面的にしか知らない生徒たちからすれば、彼女のこんな姿はまったく想像外だろう。

「――むくん? 歩くん!」

「うわっ。あ、奏さん」

「どうしたの? 考えごと? さっきから呼んでいるのに」

 机の横に奏さんが立っていることに気がついて、思わずのけ反る。

 終礼が終わり、さて放送室へ行こうかとカバンの中身を確認しながら、ついつい昼休みの奏さんの様子を思い出してしまっていた。 

 それにしても、初めてじゃないだろうか。彼女と教室で話すなんて。

 ふと、奏さん越しに、隣の席の少し驚いた顔が目に入った。

「えっと、うん。ちょっと制作のこと考えてた。奏さんこそ、どうしたの?」

「大したことじゃないわ。これ、渡しておこうと思って。昨日もらった原稿の翻訳」

「え? もうできたの? ありがと。でも、あとで部活のときでいいのに」

「それがね? 私、ちょっと用件があって」

 そう言いながら奏さんが差し出したメモを受け取ると、隣の席の驚いた顔にはさらに困惑も加わった。

 確かにビックリするかもね。奏さんがこんなに優しい感じで話すところは、たぶんいままで誰も見たことがなかっただろうし。

「用件? 今日、部活に来られないの?」

「うん。その、今日は確か前生徒会長のバンドマンくんとの打ち合わせだったわよね? 残念だわ。どうしても外せない用事ができてしまって」

「そうなんだ。それは仕方ないね。彼に奏さんのことを紹介したかったんだけど」

「えっと……、ごめんなさい。栞と咲美によろしく」

「うん。それじゃ、また明日」

 隣の子がポカンとして奏さんを見ていた。

 まずもって、彼女が教室で誰かと会話をすること自体が珍しいうえに、傍らから見ればかなり親し気な感じだっただろうから驚かれるのは当然かもしれない。

 でも、悪い気はしなかった。奏さんと少しだけ親しくなれたことを実感できて。



「ちわーっす。宮本、来てやったぞ」

「あ、江上くん、呼びつけてごめん。そこの椅子に座ってよ」

 僕が放送室に着くと、彼もすぐに現れた。

 前生徒会長、江上惇くん。

 彼は、今回制作するビデオ、『センテニアルとの絆』の主人公だ。

 実際のところ、生徒会長としてよりバンドマンとしての知名度のほうが勝っているようだけど、彼が生徒会長として残した足跡はそれなりに大きい。

 昨年の文化祭では彼作曲のオリジナルテーマソングを全校生徒に歌わせるという前代未聞の文化祭の私物化、さらに文化系部活の予算削減対策では活動内容に類似点がある部同士の統廃合を強行……と、その受けた非難は枚挙にいとまがない。

 そんな彼だが、このセンテニアル高校との姉妹校締結に関しては、その功績を認める者が大多数を占める。

 この姉妹校締結の話は、パソコン通信の設備があることを理由に教育委員会から我が校が指名を受けたようだけど、計画も実施もぜんぶこちらに丸投げだったらしく、生徒会長であった彼は非常に大変な思いをしていたようだ。

 江上くんが入って来たことに気がついた部員のみんなが、占領していたスタジオの長机を明け渡す。

 一番最後に残ったワッピが椅子のひとつを引いた。

「江上先輩、どーぞー、なのです」

「お? ちっちゃくて可愛いな。一年生か?」

「はーい、よろしくなのであります」

 ワッピに軽く手を挙げた江上くんは、カバンとサブバッグを床に軽く放って、それからワッピが引いた椅子にドサリと腰を下ろした。

「ちびっこ、ありがとな。ところで宮本、話は川上先生から聞いたけど、俺、ほんとに要るのか? わざわざ新たに撮影しなくても、ストック映像がある程度あるだろ」

「そうでもないんだよ。生徒会室でのやりとりとか教師陣との折衝の場面とか、映像がないエピソードがたくさんあるから、本人インタビューを多めに使おうかと思って」

「はぁ? そんなの、演劇部のやつに寸劇でもやらせろよ」

「いやいや、そんなの撮ってる時間ないし」

 そう言いながら、僕が資料を持って江上くんの正面に腰掛けると、ワッピもニコニコしながら僕の隣に陣取った。僕の助手のつもりなんだろう。

 さて、いかにしてこの協力したくなさそうな彼を説得するか。

「江上くんの迷惑にならないように予定を組むから、撮影に協力してよ。それと、資料も欲しいな。残ってない? 相手校に送った英文の下書きとか」

「下書き? まぁ、探せば見つかるかもしれないが……、まさか、俺に英文を朗読させたりしないだろうな」

「あはは。そんなことお願いしないよ。一応、こちらには英語が堪能なナレーター兼翻訳家が居るから」

「え?」

 突然、江上くんの動きが止まった。ギョッとしたまま、真っ直ぐに僕を見つめている。

「どうしたの?」

「宮本、もしかしてその英語堪能なやつって、野元か? まさかここに野元が居るのか?」

 そう言って、少し伸びあがってミキサールームのほうへ目をやった江上くん。

 様子がおかしい。

「なんだい? 急に。えっと、彼女、今日は用件があるからって帰ったからここには居ないよ。いつもは準部員として来てもらってる。彼女に英語のナレーターと翻訳をお願いしてるんだ」

「えーっと……、今日は居ないんだな? それならいいが」

 江上くんが、小さく息を吐いて椅子に戻る。

 どうしたんだろう。なんだか落ち着きがない。

「彼女が居たらまずいの?」

「いや、まずくはないが、あまりあいつの顔は見たくないもんでな」

「どういうこと? え? もしかして、江上くん、彼女にフラれたとか」

「は? そんなわけないだろ。俺は、ああいう高慢ちきな女が一番嫌いなんだ。俺が好きなのは、そうだな、もっとこう……、可愛い系というか、例えば『ゆりピー』みたいな――」

 江上くんが遠い目をすると、突然、隣でガタンと椅子が鳴った。

 見ると、ワッピがわなわなと唇を動かしている。

「な、な、なんですと? 江上先輩、ゆりピー好きなんですかっ?」

「ああ? 好きなんてもんじゃないぞ? ファンクラブだって入ってるし、この前の駅前ライブだって最前列で応援したんだ」

「ま、まさか……、こんなところで同志に出会えるとは……」

「ちびっこ、もしかしてお前……」

 見つめ合う江上くんとワッピ。

 なんなんだ。

 どうやらお互いを『ゆりピー同志』として認め合った様子だが、そんなこといまはどうでもいい。

 江上くんが奏さんと一緒に仕事ができないとなると、それはちょっと困るんだけど。

「宮本、この可愛いちびっこを紹介してくれ」

「え? この子は中村咲美くん。中学からずっと放送部をやっているウチのエースだよ。キミと一緒でゆりピーファンらしい」

「そうか。ちょっとゆりピーに似てるな。可愛いぞ、ちびっこ」

 身を乗り出した江上くん。

 慣れないことを言われて固まっているワッピ。

 もう、そんなのはあとから他のところでやってくれないかな。

「はぁ……、で? 江上くん、奏さんとなんかあったの?」

「あ? なんかあったも何も、あいつは宿敵だよ。俺の文化部統廃合計画に真正面から抗議して、いろいろと邪魔してくれたからな」

「え? そんなことがあったの?」

「宮本、お前が一年生文化委員長から持ち上がりで次期生徒会長になれって先生から言われたとき、当座の懸案として文化部の予算削減の話を言われなかったか?」

「うん。少しだけ聞いた。でもまさか、文化部の統廃合をやるとは思わなかった」

「ん? もしかしてお前も反対派だったか? まぁ、センチメンタリズムが強い文化系のお前らにとっては、伝統を無視した部活の統廃合は由々しきことだったかもしれんな」

 いまの校長先生は、完全な体育系部活優先主義だ。

 実際のところ、学校のネームバリューは体育系部活の実績か、国立大学への合格者数で決まる傾向があり、その趣旨から言えば体育系部活に熱を入れたがるのは理解できないこともない。

 しかし、文化系部活の予算を削減して体育系部活に回すという暴挙が、僕ら文化系部活の生徒には誰ひとり知らされることなく、校長先生のひと声だけで決定されたことには憤りを感じた。

 さらに、江上くんは生徒会長として、その少くなった予算を有効に活用するために、『活動の内容に類似点がある文化系部活の統廃合』という、当事者としてはとうてい容認できない案を言い出し、結果、それが教師陣の大いなる賛同を得て、そして実行された。

 我が放送部は、実は常設委員会の『放送委員会』を兼ねているため、その統廃合の対象にならなかった。

 しかし、写真部と新聞部、園芸部と地学部、物理部と化学部などが対象となり、それらは紆余曲折の末、結局、泣く泣く統廃合を受け入れていまに至ることとなった。

 その発案者で急先鋒であった江上くんは教師陣の評価は高いが、一部の生徒からはいまも少なからぬ恨みを買っている。

 そういえば、奏さんの文芸部はそのときどうなったんだろう。まさか、その統廃合で廃部になってしまったんだろうか。

「野元は文化部の部長連合会の会合でひとりでずっと俺に突っかかってな。しかし、日頃からツンケンしてるだろ? だから誰も野元に味方するやつが居なくて、結局、孤軍奮闘の空回りって感じになっちまって」

 そんなことがあったんだ。

 そのころ、僕は生徒会執行部から脱出して放送部に入ったばかりで、そんないざこざがあったなんてまったく知らなかった。

 隣を見ると、ワッピが目にいっぱい涙をためて江上くんを見つめている。それに気がついた江上くんが眉をハの字にしてワッピの顔を覗き見上げた。

「どうした? ちびっこ」

「ううう……、奏先輩がかわいそうなのです」

「かなで? ああ、野元のことか。そうだな。まぁ、これが一番合理的な策だって説明したんだが、野元は『文化部としてのアイデンティティが保てない』っていう、なんていうか、各部の存在意義が云々といった感じに論点を高度化させちまってな」

 江上くんが、腕組みをして背もたれに体を預けた。

 ワッピが下を向く。

「江上先輩……、それで奏先輩の文芸部がなくなったのでありますか?」

「いや、それは俺じゃねぇ。あいつの文芸部が活動してないのはだな――」

 江上くんはそう言いかけると、突然ハッとして僕越しにスタジオの出入口のほうへ視線を向けた。

 急にその顔がくしゃりと歪む。

 なんだろうと思って、僕もゆっくりと振り返った。

 すると、スタジオの入口に立っていたのは……。

「奏さん……?」

「孤軍奮闘? そうかしら。みんな言いたいことはあったけど、あなたがそれを言わせない雰囲気にしたのではなくて?」

 半眼から覗く瞳は明らかに怒りに満ちている。

 親しくなってから、初めて見た表情。

 思わず椅子から立ち上がり、奏さんのほうへ向き直った。

「えっと……、用件、もう終わったの?」

 江上くんを捉えていた視線が、じわりと僕へと向く。

「歩くん、ごめんなさい。私、どうしても彼と会いたくなかったの。でもやはり、彼に協力してもらう以上、私も放送部スタッフとしてちゃんと向き合わなければと思ったのよ」

 彼女が江上くんと会いたくない理由は、さっき彼が話した文化部統廃合に関する諍いによるものに違いない。

 そのために、今日は部活に参加せずにそのまま帰るつもりだったようだが、やはりそれは彼女の旺盛な責任感が許さなかったのだろう。

 親善大使訪問の通訳を引き受けたときと同じく、いや、それ以上に、彼女は今回のビデオ制作にも強い責任を感じてくれている。

 奏さんが自分の立場を『放送部スタッフ』と表現したことが、なぜか無性に嬉しかった。

 背後から江上くんが声を上げる。

「俺は別に向き合わなくていいぜ。俺相手の仕事は野元が居ないところでやれば問題ない。宮本、ちゃんと協力はするから心配するな。とりあえず今日は帰る」

 そう言って江上くんが立ち上がった。

 するとワッピも立ち上がる。

「江上先輩、待つのです! せっかく奏先輩が来てくれたのでありますし」

「おお、ちびっこ。俺は不毛な争いはしないタチなんだ。野元とどんなに話しても合理的な解は得られないからな」

 江上くんがカバンとサブバッグを拾い上げると、同時に背後ではそれらが投げられる音がした。

 振り返ると、奏さんが放り投げたサブバッグの横をこちらへ歩いて来ている。

「合理的? そのあなたの言う『合理性』が消沈する文化部部員たちにもたらしたものは何? 創作が豊かになったとでも言うの?」

「は? 豊かになっただろ。たくさん予算が使えるようになったんだから」

「お金の話はしていないわっ!」

 僕とワッピを間に置いて、スタジオの奥の江上くんに対峙する奏さん。

 見ると、江上くんはいよいよ呆れたという顔になって体を揺すってサブバッグを肩にかけた。

「まずは金だろ。文化部全体で使える予算が少なくなったんだから、弱小部活が雀の涙ほどの予算でちまちまやるより、似ている部活が集まってまとまった予算を使えるほうが――」

「あなた、本当にそれで音楽家?」

「は?」

 奏さんがじわりと一歩踏み出す。

 僕は動かなかった。

 ワッピも僕の隣でじっとしている。

「私は、あなたのその『合理性』を優とする価値観は理解できない。似ている部活? 文化部はその『似ていない部分』にこそアイデンティティがあり、その存在価値があるの! 音楽をやっているあなたがそれを理解できないなんて、笑ってしまうわ」

「馬鹿にしてんのか? 音楽の素晴らしさは数学をも超える計算され尽くした『合理性』の中にある! お前に何が分かるんだ!」

「創作の美は、『合理性』では説明できない、人の感性の中にあるものだわっ!」

「人の感性や感情こそ、『理』そのものだろ!」

 長机の横を回ってこちらへ進んできた江上くん。

 思わず彼に向って両手を広げた。

 その僕の腕の後ろから、さらに奏さんの声が響く。

「人の感情はそんなものじゃないわっ! だから私は文芸部をやめたのっ!」

 顔半分振り返って言った。

「奏さん、やめよう」

 正面から江上くんが怒号を発する。

「それはお前の独りよがりな感情論の結果だろ! お前は己のエゴのために伝統ある文芸部の存続の可能性を放棄したんだ! もし文芸をやりたいって新入生が入ってきたらっ? 他の部活と統合していても、その活動の場があったほうがいいんじゃないのかっ!」

「江上くん、やめよう」

 ギュッと腕が後ろへ引かれた。

 見ると、奏さんが僕の腕にしがみついている。

「エゴですってっ? 芸術性の欠片もなく『合理』の二文字で何もかも片付けるあなたの独善性のほうがっ――」

「俺の芸術性と生徒会長としての合理的判断は関係ないだろっ! 侮辱するのかっ!」

「侮辱なんてしてないわっ! 私はっ――」

「やめるんだっ!」

 思わず振り返った。

 パチッ!

 その瞬間、スタジオに響いた、乾いた音。

 ふたりの声が途切れて、足元から静寂が広がった。

 壁の時計が刻む単調なリズムが、わずかに耳に届いている。

「あ……、歩くん……、私……」

 僕の両手の中で大きく見開かれた、その瞳。

 僕が生徒会長になっていたら、僕はこの問題にどう向き合っただろう。

 文化部予算の削減……、そして文芸部をはじめとする片手ほどの人数で活動している多数の文化部の運営。

 我が校では二年生が生徒会長を務めることになっており、各部活動の主将や部長が三年生であることを考えれば、二年生であった江上会長の苦労はかなりのものであったと想像できる。

 きっと、反対は多かったことだろう。

 しかし、彼からしてみれば、削減された予算がさらに分散して予算不足で思うように活動できなくなるであろう弱小文化部たちに、なんとかして救いの手を差し伸べたいと思っての発案だったに違いない。

 かつての歴史的大芸術家たちも、パトロンと呼ばれる資金提供者に囲われ、その意を受けて、ときには不本意ながらも、提供された資金を元手にして創作活動に没頭した。

 活動には、資金が必要だ。

 彼は、創作を愛するからこそ、資金の問題で弱小部活らの創作の灯を消すまいと発起し、そしてあの『合理性』を説き、この施策を推進したんだ。

 もしかしたら、本当の発案は教師陣だったのかもしれない。そうだとすれば、彼は教師らのスケープゴートにされた可能性もある。

 一方、奏さんの意見は創作家として当然に発せられた純粋な内心だ。

 しかもその矛先は、『部活の統廃合』ではなく、それを発案した江上くんの『創作家性』に向けられている。

 たしかに、文化系部活動には『似ている部分』が少なからずある。

 その『似ている部分』を共通項として、予算獲得のために統合して難局を乗り切ろうとする江上くんの案は、実に彼らしい。

 そして、奏さんはその『似ている部分』ではなく、『似ていない部分』にこそ各部活の存在意義があり、それを『合理性』のもとに統廃合するという江上くんの思考そのものが、創作家として問題があると言っている。これも、理解に難くない。

 創作家を標榜する者として、どちらが正しいか。

 その答えは絶対に出ない。

 大切なことは、その答えを出すことじゃない。

 手のひらが熱い。

 気がつくと、僕の両手に包まれた彼女の頬に、美しい雫が数条の軌跡を描いていた。

「奏さん、その主張を通すために、キミは文芸部をやめたんだね」

「歩くん……、私……」

「江上くんが言っていることは間違いじゃない」

「でも……、合理性を追求するあまりに、たくさんの大切なものが失われてきたわ……」

 彼女の頬から、ゆっくりと手を離した。

 そして、すっと江上くんのほうへ顔を向ける。

「江上くん、僕はキミが言っていること、それ自体は正しいと思う」

「お? そうだろ? こいつが言っているのは綺麗事なんだよ。現実問題として金がなきゃ活動はできないし、その金は限られてて――」

「ちょっと黙ってくれないか」

 思わず江上くんの言葉を遮った。

 彼がギョッとして僕を見る。

「な、何怒ってんだよ」

「確かにキミが言っていることは意見として一定の正しさを持つ。しかし、奏さんの意見も充分に賛同できる正しさだ。創作に携わる者として、これは当然の意見だと思う。キミに対する非難も理解に難くない」

「宮本……、お前」

 奏さんは下を向いている。

 僕の横で、ワッピがいまにも泣きそうな顔で僕を見上げていた。

 僕は静かに息を吸うと背中で奏さんを庇うように立ち、そして真っ直ぐに江上くんに対峙した。

「そのお互いの正しさは、それぞれの立場、価値観において真理であり、誰からもそれを侵されない。ただ、それが他の意見を否定していいことにはならない」

 江上くんはじっと僕を睨みつけている。

 僕はその視線から目を逸らさず、そして絞り出すように言葉を続けた。

「相互理解を放棄して歩み寄りを拒絶することは、結局、本来の目的である『より良いものを作り上げたい』という意思を放棄することに他ならない」

 ゆっくりと奏さんのほうを振り返る。

「みんなそれぞれ考え方が違うのは当然だ。理解できるものもあれば、そうでないものもあるだろう。だからこそ、歩み寄りを放棄してはいけない。お互いにお互いを『違うもの』と認め合って、それで初めて、みんなが一緒により良いものを作ろうと同じ方向を向くことができると、僕は思う」

 奏さんが、ハッとして顔を上げた。

 ワッピが奏さんの横でその手をギューッと握っている。

 振り返ると、江上くんは放心していた。

 僕は、ゆっくりと長机に近づいて、それからその上のメモを取って江上くんに差し出した。

「江上くん、ビデオ制作の件、よろしくお願いします。大きな声出してごめんね。今日はとりあえず、このメモを持って帰って」

「あ……、ああ」

 江上くんが少し驚いてメモを受け取ったのを見て、僕はさらに声音を柔らかくした。

「江上くんは、奏さんの詩を読んだことある?」

「え? いや、ないな」

「そうか。それじゃ、機会があったら読んでみるといいよ。きっと、キミが音楽に込めている思いと同じものが、その詩の中にもあるはずだから」

 江上くんは足元に落とした視線を一瞬泳がせて、それから小さく溜息をついた。

 そして、僕が渡したメモを小さく折り畳んで胸のポケットに入れると、ずり落ちかけていたサブバッグをまるで土嚢でも抱え上げるように重々しく肩にかけ直して、もう一度じわりと僕を見た。

 その瞳は、先ほどの鋭さをもう手放していた。

 ものの数秒、彼は無言のまま僕を見つめ、それからゆっくりと歩きだして僕らの横を通り過ぎた。

 ワッピがそれを目で追う。

 そして江上くんはスタジオの入口の手前で立ち止まると、それから体を折って上履きに手を伸ばしながら、独り言のように言葉を発した。

「宮本……。今日は悪かったな。次はちゃんと話をしよう。それと……、野元」

 名前を呼ばれた奏さんが、じわりと彼のほうを振り返った。

 長い黒髪がゆらりとする。

「お前は文芸部をやめたと言ったが、一応言っておく。文芸部は正式には廃部になっていない」

 奏さんの肩がぴくりと動いた。

「どことも統合しなかったから、そのまま放置した。部活の一覧からは外されてるが、お前は正式に退部したわけじゃないから、いまも文芸部の部長のままだ」

 僕は後ろからそっと奏さんの両肩に手を置いた。

 震える、小さな肩。

 その肩の向こう、江上くんは上履きにトントンと足を押し込みながら、僕らに背中を向けて小さくつぶやいた。

「悪かったな」

 そして彼は僕らに目を向けることなく小さく手を挙げて、それからゆっくりとスタジオを出ていったんだ。

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