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光風の伝言  作者: 聖いつき
第三章
11/19

3-3  友情裁判

 なんか信じられません。

 え? アイス? 野元先輩がアイス買ってくれるって言ったのですか? アタシに?

 あんなに恐くて、冷たくて、嫌な人だって思ってたのに、なんかぜんぜん違います。しかも栞先輩と親友だなんて、何それ、ちょーすごいです。

 アタシ、いま、野元先輩に手を握られてます。

 野元先輩がアタシの手をぎゅーって握って、窓の外のずーっと遠くを見つめてて。

 キレイです。

 ほんと、うっとりするほどキレイな人。

 こんな近くでじっくり見たのは初めてです。

 身長一四三センチメートルのアタシからすると、見上げたそのキレイな横顔はほんと、天の上のマリアさまみたいなのです。

 ううぅ、これは……、歩先輩が一目惚れするのも分かるような気がします。

 で、実は頭脳のほうもめちゃめちゃすごいらしいのです。

 他の三年生の方々に聞いたら、野元先輩ってば、成績はいつも理系Aのトップ、学年全体の模試の順位もいつも一桁らしくて。

 一桁ですよ? 一桁。

 四五〇人も居る学年で、一桁って。

 アタシなんか点数が一桁ってときも……、いや、笑えないです。はい。

 アタシ、実はそうとう無理して入ったのです、この高校。だって、憧れのタッくん先輩を追いかけて来たんだもーん。 

 アタシの夢はですね? 野球の試合を終えたタッくん先輩に駆け寄って、嬉しかったり悔しかったりするその熱いタッくんハートのインタビューをすることなのです。

 あいや、アタシの話なんてどうでもいい。いまは野元先輩の話ですね。

 えっとですねー? アタシが最初に野元先輩を見たのは、入学してすぐ、初めて購買に行ったときで。

 アタシってば、その日の午後の体育で使うハチマキを買い忘れてて、昼休みが終わる寸前に購買に駆け込みまして。そしたら人がいっぱいで、レジも人が並んで詰まっていたのです。

 なんか三年生の女子集団がレジの前のパン売り場を占領してて、並んでいる人たちはみんなイライラ。

 アタシ、こりゃー午後の授業に間に合わないわーってガーンってなったんですけど、そのときアタシの前に並んでいた長い黒髪の美人先輩が、何やらカンカンに怒り出しまして。

『あなたたち何しているのっ? さっさと買うか、譲るかどちらかにしなさいっ!』

 すごい迫力でありました。

 その声を聞いてみんな、うわっ! ってなりまして、いや、アタシなんか実際に「うわっ」って声を上げてしまいまして、その美人先輩に思い切りギロリと睨まれてしまいまして。はっはっはー。

 その直後、その美人先輩はじーっとアタシの手元のハチマキに目をやって、それから、はぁーって溜息をついてですね。

『一年生? あなた、次が体育なの? 初めての体育よね?』

『は? は、はい』

 ふんっ! って顔をしたその美人先輩はそのままズカズカ奥に入っていって、さらに迫力を増して怒鳴ったのです。

『私は急いでいるのっ! あなたたちどきなさいっ!』

『な、何よっ! 順番でしょっ?』

『それなら、買うものが決まってから並びなさいっ! そんなことも理解できないのっ?』

『はぁ? 何よあんたっ、いつも偉そうにっ!』

 そう言ってそこでケンカが始まってしまいまして。

 それを目の当たりにしてアタシが単なる肉の塊になっておりますと、今度はその美人先輩からアタシのほうに攻撃が。

『そこの一年生っ! そういう前もって買っておかなければならない物をなぜこんなギリギリになって買いに来るのっ? 自分できちんとできないのなら小学生からやり直しなさいっ!』

『ひえぇ』

 そう怒鳴られて、アタシ、恐くて恐くて、すぐに人垣がどいたレジでバタバタお金を払って、それから一目散に逃げ出してしまったのであります。

 教室に着くともうみんな着替え終わってて、さて体育館に行くぞーってとこで。まぁ、あの美人先輩がケンカしてくれたおかげで、結果的にアタシは間に合えたのでありますが。

 その美人先輩が、かの有名な冷徹女の野元先輩だと知ったのはそれからしばらくしてのことでありました。その後、耳に入る野元先輩ネタは、まぁなんともイヤな話ばっかり。

 だから歩先輩が野元先輩のこと好きだって聞いたときは、ほーんとガッカリだったのです。

『な、何をするのですかっ』

『いまダメなの! ちょっとおいでっ? アイス買ってあげるから、ね?』

 タッくん先輩のインタビューが終わってホクホクで放送室に帰ってきたら、なんか二年の先輩に無理やり外に連れ出されまして。

『ワッピっ。いまいつものノリで歩先輩に話しかけたらダメっ』

『ななな、何なのですか』

『歩先輩、なんかすごく怒ってるの。吹奏楽部のインタビューに行ってたんだけど、栞先輩となんかあったのかも』

『おお? アタシさっき、そこで栞先輩を見かけましたが』

『うん。一度、放送室に来たのよ。歩先輩を追いかけて。でも、歩先輩、完全無視で』

『なぁーにぃー? それは聞き捨てなりませんっ! アタシっ、栞先輩に聞いてきますっ!』

『あっ、ちょっと、ワッピ!』

 アタシが追いついたとき、音楽室の少し手前の渡り廊下で栞先輩はしくしく泣いておられました。

 その日の帰り道で、栞先輩から歩先輩のインタビューの話を聞きまして、まぁ、ちょーっと栞先輩が悪いかなーって感じでしたが、でも、やっぱりその原因を作ったのはアタシだって思って……、もう、後悔しかなくて。

 だって歩先輩が、そんなに真剣に野元先輩のこと好きだなんて思わなかったのです。

 そして、歩先輩がインタビューに行けば栞先輩が喜ぶだろうなって、歩先輩も口ではああ言ってるけど、たぶん本当はまんざらじゃないだろうなって、そう思ったのです。

 だから、ほんとに栞先輩に悪いことしちゃったなって思って、もう涙が止まらなくなってしまいまして。

 そうしてると今度は栞先輩がすっごく気を遣ってくれて、逆に慰められてしまいまして、ほんとに申し訳ない限りで。

 そのあと栞先輩が買ってくれたアイスはちょー美味しかったです。はい。

「日が暮れるわね。そろそろ帰りましょうか」

 ハッと我に返って見上げると、アタシの頭越しに野元先輩が栞先輩にそう言ったところでありました。

 アタシ、野元先輩に握られた手、いつの間にかぎゅーって握り返しておりました。

 どうしてでしょうか。

 なんかぜんぜん恐くないのです。すごく近くに感じてしまって。

 そして、あの購買での出来事って、実は野元先輩がアタシを助けてくれたのかもしれないって、なんか突然そう思ったのです。

「咲美さん、おウチはどこ?」

「え? えっと、ターミナル駅の裏の小学校のとこです」

「そうなの。私と方向が同じね。それなら咲美さん、栞がバスに乗ったら途中まで一緒に帰りましょうか」

 ななな、なんですと?

「いいい、一緒にでありますか? ああ、あの、アタシは、その」

「イヤなの?」

「あ、いや、そんなに怒らないでください。イヤとかじゃなくて、その」

 アタシ、そんなにうろたえておりましたでしょうか。

 すると、栞先輩がとーっても優しい笑顔で、そっとアタシの顔を覗き込んだのであります。

「あのね? 咲美ちゃん、言い方はちょっと厳しく聞こえるけど、奏は怒ってないよ? とっても優しいんだから。ね?」

「え? あ……、あの」

 思わず野元先輩を見上げてしまいました。

 野元先輩もとっても優しい笑顔であります。

「ふふっ、分かったわ。怒ったときはちゃんと言うから、それ以外は普通にお話してくれるかしら」

「あらー、奏がそんなこと言うなんて珍しい。咲美ちゃん、奏に気に入られちゃったのねー? めんどくさいよー?」

「何それ。栞は早くバスに乗って帰りなさい!」

「あはは、そうだ、咲美ちゃん、栞お姉さんにいつものやって? あの笑い方」

 うわ、もうやけくそであります。

「へ? あ、うー、今日はありがとうございましたっ! はっはっはー!」

 野元先輩の手をパッと放して、笑いと一緒に両手をおどけて広げます。

 え?

 なんか、しんとして……。

 ハッと見上げますと、野元先輩がポカンと口を開けてアタシを見下ろしておりました。

「あ……、あの」

「かっ……、可愛いっ!」

「え? あっ、おおうっ」

 うっ、苦しいっ!

 なんと、突然、ぎゅっとアタシを抱きしめた野元先輩。

 ぐいぐいくるのであります。

「栞っ、もう、咲美さんはこのまま私が持って帰るわっ!」

「あはは、始まったっ。奏の『モノ扱い』発言っ!」

 ううう、いい匂いなのです。

 おんなじ女の子なのに、なぜにこんなにもアタシと違うのでありましょうか。

「ううう、奏先輩……、せめてペット扱いでお願いします」

「あーもう、すっごく可愛いわ」

 さらにぎゅぎゅっと抱きしめられたアタシ。

 しかし、なんということでしょう。アタシ、さらっと『奏先輩』なんて言っちゃっておりました。

 なんですか? この雰囲気。

 もう、なんだか、すごく、すっごく素敵なのです。

 今日、おふたりに会えたのはとってもラッキーでありました。

 しかーし、明日の放送室がちょっと心配……、ですねぇ。




     高校三年生  九月一日


「歩先輩? だぁーかぁーらー、『旅は駅長よりエライ』なのですよ」

「え? さっきからなんなの? 僕、川上先生に呼ばれてるんだけど」

「ゆりピーのことなのです」

「ゆりピー? あんまり僕に関係ないような気がするけど? ちょっと急ぐんだよ」

「いやー、これは大事な話でありまして。はい」

 始業式とホームルームが終わって、いまはもう放課後っ。ダーッと走って放送室一番乗りを決めようとしましたが、意外にみんな早くて、アタシ、最後のほうで。

 歩先輩なんて、もうお弁当食べ終わって、何やら職員室に行こうとしてますし。

 しかしっ! ここからがアタシの踏ん張りどころ。

 これは奏先輩から言いつけられた、大事な使命なのであります。はっはっはー。

 食べかけのお弁当をほったらかして、歩先輩のシャツを掴んで、昨日のイベントのチラシを取り出しまして。

「歩先輩、これを見るのであります。この愛らしい、ゆりピーのチラシを」

「ゆりピー? 僕はあんまり興味ないんだよ。ほんと急ぐんだけど」

「まぁ、そうおっしゃらずに。昨日ですね? 八月三十一日ですが、アタシ、ターミナル駅の前であったイベントに行きまして」

「そ、そう。要点だけでいいからね。で? 何があったの?」

「来たのです。アタシの大好きな」

「タッくんが?」

「ちっ、がぁぁーう!」

 発した大声、ぶっ飛ぶご飯つぶ。

「うわっ、しゃべるのはちゃんと飲み込んでからにしてよ」

「ゆりピーですよ、ゆりピー。このチラシのまんまのゆりピーが、あの駅前広場に現れたのであります」

「そ、そうなんだ。あのナゾの『ゆりピー語』アイドルのゆりピーが来たんだね。よかったね。じゃ……、うわっ!」

「どぉーこに行くのでありますか。まだ話は終わっていないのです。何が『ナゾの』ですか。これは、『旅は駅長よりエライ』というキャンペーンでありまして、ミニライブまであったのですよ」

「はぁ……、そう。で? 早く先が聞きたいな」

 急に笑顔になった歩先輩は、とりあえず聞いて早く話を終わらせようという戦法の様子。

 しかし、何やら調整卓の上にあったVHSの湿式クリーニングテープに手を伸ばし、こちらには目も向けずに液を入れ始めまして、いかにも話半分です。

 よしよし、その調子で時を待つのであります。

「はっはっはー! もー、ちょーかわいかったのですぅ。でー、アタシってば、サイコーに興奮してしまいまして、下通りのケンチキでひとり打上げをしようとバスに飛び乗りまして」

「ほう、ケンチキってこの街でしか通じないらしいよ? よそではKFCって呼んでるらしい」

「そうですか。そんなことどうでもいいのです。でも、交通センターに着いたら、とても珍しい方にお会いしまして」

「は?」

 あら、歩先輩、手が止まりましたね。

 しかも、みるみるうちになんとも面倒くさそうな顔になっております。

「あー、なんか話が見えてきたね。もう、その辺でいいよ。聞きたくない」

「えー? どーしてでありますかぁ」

「どうせ栞に会ったんだろ? この前もそうやって仲を取り持とうとして話を振ってきたじゃないか」

 そのときスタジオのほうから、ちょっとしたどよめきが聞こえました。

 来ましたね?

 覚悟してください、歩先輩!

「栞の話なら聞かないよ? もういい加減に――」

 そう言いながら、歩先輩がアタシの横を通り過ぎた瞬間。

「いい加減に、何かしら。宮本歩くん?」

 開いたままになっていた、ミキサールームの出入口。

 そこに姿を現したのは……。

「いい加減に……のあとは? 何? 歩くん」

 そうであります。

 昨日、アタシの飼い主になった、野元奏先輩なのですっ!

 今日も、すこぶるキレイですっ!

「は?」

 歩先輩、すごい顔です。

 もうですね、なんといいますか、頭の上に『?』が七つくらい浮かんでおります。

「え? えーっと、なんでキミがここに?」

「ちょっとあなたに聞きたいことがあるわ。ここ、借りるわね」

 平然とミキサールームに足を踏み入れ、固まっている歩先輩の前を通り過ぎて、一番奥のビデオデッキラックの前の椅子にドサリと腰を下ろした奏先輩。

 すごい迫力であります。

「咲美? 外の栞を呼んで。ここで話すわ」

「がってんしょうち! 栞せんぱーい! 入るのですっ!」

 ぎょっとした歩先輩。

 その向こうで、椅子に堂々と腰掛けた奏先輩が腕組みをしております。

 すると、ゆっくりと人影がミキサールームの入口に現れて、その優しい声が、なんとも申し訳なさそうに響きました。

「えっと、お……、おじゃましまーす……」 

 ちょっと背中を丸くした栞先輩。

 見ると、すでに歩先輩はお地蔵さんみたいになっておりました。

「栞? そんな顔しちゃダメよ? ここに座りなさい」

「う……、うん」

「咲美はここ」

「はい、であります」

「歩くんは、そこ、ね?」

 狭いミキサールーム。

 一番奥のビデオデッキラック前の椅子は、堂々たる奏先輩。

 視聴覚室側のガラス窓前の椅子に、申し訳なさそうな栞先輩。

 スタジオ側の調整卓の椅子に、アタシ、中村咲美。

 そして歩先輩は、アタシらに囲まれたミキサールームの真ん中の……、床。

 まるで、お奉行さまの前のシラスですな。

 ちょっとかわいそうです。はい。

「歩くん? 私のこと分かる?」

「えっと」

「元文芸部部長で、現あなたのクラスメイトの、野元奏。分かるわね?」

「それは分かってるけど……、どういうこと?」

「ずいぶんと私の親友に辛い思いをさせてくれたみたいね。どういうことって、こっちが聞きたいんだけど」

「親友? 誰の話?」

「目の前に居るじゃない。吹奏楽部の部長にして私の親友である、藤田栞が」

 横目でちらっと見ると、歩先輩の頭の上に『?』がさらに三つほど増えておりました。

 栞先輩は下を向いて肩をすぼめておられます。

「実は私、あなたがいろいろ気遣ってくれた一年生のときの文芸部展示の経緯で、すごくあなたに好感を持っていたの」

「え?」

「でもね? 今回あなたが栞にしている意地悪を知って、とても失望したわ」

「意地悪? ぜんぜん話が見えないんだけど」

「咲美、今回の歩くんの罪状について説明しなさい」

「は?」

 すごい顔の歩先輩。

 なんと思われようと、アタシは奏先輩の指示に従うだけなのです。

 メモは奏先輩の直筆。とってもキレイな字なのであります。

 難しい漢字にはフリガナをお願いいたしました。はい。

「読むのであります。三年六組、宮本歩先輩は――」

「ちょっと待って? ワッピも栞も、いつの間に奏さんと仲良くなったの?」

 前のめりになった歩先輩に、奏先輩がズバッと手を出しました。

 歩先輩がウッとのけ反ります。

「歩くん? 許可のない発言は認めません。発言したいときは挙手しなさい」

「なんなの? そのメモ。なんかおかしくない?」

「咲美、続けて」

 続けるのであります。

「はい。三年六組、宮本歩先輩は本年六月、テレホンサービス部活動紹介番組制作の折、女子のちょっとしたノリから吹奏楽部のインタビュー担当になったことを快く思わず――」

「え? そんな前の話なの?」

「黙りなさい」

「……はい」

 続けるのであります。

「――快く思わず、そのインタビューの際、歩先輩から文章作成不得手の理系女子であることを揶揄された栞先輩が、出来心で歩先輩が敬愛する文芸少女を例えに出して応酬したことに立腹して、さらに激高し――」

「あ、あれは、その」

「黙りなさい」

「……はい」

 続けるのであります。

「――さらに激高し、その後、栞先輩が改悛の情を以って真摯に謝罪にあたるもこれを受け入れず、約二か月間にわたり会話を拒絶したものであります」

 おおう、ぜんぶ間違わずに読めたのであります。

「よろしい。歩くん、間違いないかしら?」

「なんか、裁判みたいになってない?」

「どうなの? 栞は当然に反省をして元通りの関係に戻ることを望んでいるのに、あなたはなぜ栞を遠ざけるの?」

「え? それは……、その」

「あなた、私の詩を敬愛してくれているんですって? 大変光栄だけど、私は些細なことにこだわって素直になれないような器の小さな男に私の詩を読んでもらいたくないわ。栞がどれだけあなたのことを――」

 おおお、それを言ってしまわれますかっ?

 栞先輩、大慌てでありますっ。

「かっ、奏っ! あの、それは……、NG」

 歩先輩がきょとんとしております。

 奏先輩、ちょっとほっぺが紅いです。

「んんっ! とにかくっ、私に対する敬愛の情と、栞が猛省している過去の雑言とを切り離して考えられないような非論理的な男性は、悪いけど、こちらから願い下げよっ!」

 ドドドンっ!

 何やら歌舞伎の見得切りのような、実に、印象的な場面です。

 歩先輩、ちょっと怒ったのでしょうか。

 きゅーっと口を一文字にした歩先輩は、何も言わずに持っていたクリーニングテープをそっと調整卓の上に置かれました。

「そんなんじゃないよ」

「何が違うの? 咲美、記録を取りなさい」

「はいっ」

 歩先輩がしゃべり出したのを聞いて、栞先輩はまた下を向いて肩をすぼめてしまいました。

 一瞬、ジトリと栞先輩に目をやった歩先輩はふぅーっと息を吐いて、それから奏先輩に向かってぐいっと顔を上げました。

 おお、背筋がピンと伸びておりますな。

「なぜ奏さんと栞が仲良くなってるのかは分からないけど、奏さん、僕がなぜ怒ったかは栞から聞いてるよね。僕がその詩を敬愛する奏さんのことを、よく知りもしないで栞がバカにしたのが許せなかった……、これはほんと」

「そ……、そう。それは嬉しいわ」

「奏さんの詩を敬愛しているのもほんとだ。あの詩集、『光風の伝言』も大切に持っているよ。いまのキミの言い方からすれば僕にその資格はないってキミは言いたいのかもしれないけど、僕は違うと思っている」

 うわぁ、歩先輩ってば、そうとう面倒くさい。

「そう。で? 何が違うっていうのかしら」

「栞とケンカして話さなくなったあと、いろんな人にどうしてかって聞かれてね。それに適当な返しをすると、みんな同じことを言うんだ」

「同じこと?」

「そう。『男と女だからね』、『もうそんな歳だよね』って。僕らが小学生のときからの仲良しだって知っている人ほど、そう言うんだ」

 しーんとしたミキサールーム。

 歩先輩の後ろ、ミキサールームの出入口に二年生の先輩たちがじーっと固まって話を聞いておりまして、その後ろにはアタシの同級生の一年生たちも全員集合しております。

「栞は、高校も僕と同じ高校に行きたい、吹奏楽もまた一緒にやりたいって、ずっと僕と一緒に居られることを一番に考えてなんでも決めてくれた。でもね?」

「でも?」

「『もうそんな歳だよね』って言われて思ったら、栞の将来の選択肢を……、僕がせばめてるんじゃないかって、そう、思ったんだ」

 なんと。

 これは、まったくの予想外。

 瞳を大きくした奏先輩。

 ハッとして顔を上げた栞先輩。

 ちょっとだけ間が空いて、じわりと俯いた歩先輩がさらに続けます。

「栞の学力だったら、たぶんもうひとつ上のランクの高校に行けたと思う。それなのに、わざわざ僕と同じこの高校を選んでくれた。幼馴染みとして、それは純粋に嬉しいと思ってる」

 栞先輩がまた下を向いて、今度はぎゅーっとスカートの前を掴んでおられます。

「でも、これからのことを考えると、いままでと同じように栞が僕を追いかけて、それで本当にこれから進みたい未来を手放すことになってしまったら……って、そう思って」

「はぁ……、なるほどね。それで、ちょうどケンカしていい機会だからこのまま遠ざけてしまおうって、そう思ったのかしら?」

「まぁ、そんな感じ」

「ほんと、あなたって……」

 まるで小さな子どもを見るような、奏先輩の瞳。

 そうしてもう一度小さく溜息をつくと、奏先輩はその手を、ぎゅっとスカートを握っている栞先輩の手にそっと重ねられたのです。

「栞? 何か言いたい事は?」

「え? な……、ない。その、ちょっと気持ちの整理が、その」

「でしょうね」

 さらにもう一度、大きく溜息をついた奏先輩。

 そして、奏先輩はゆっくりと椅子から立ち上がると、これでもかと険しい顔になって腕組みをして、キッと歩先輩を見下ろしたのです。

 睨む奏先輩。

 のけ反る歩先輩。

「判決を言い渡します。宮本歩被告、あなたを有罪とします」

「はぁ?」

 ババーン。

 出ましたっ!

 有罪判決でありますっ!

「ごめん、ちょっと意味が――」

「罪名は、『乙女心保護法違反』よっ! 世は『平成』になって、来年はついに九〇年代にならんとするこの殺伐とした社会において、手厚く保護すべき天然記念物的な藤田栞の乙女心をちゃんと大切にしなかった罪っ!」

 歩先輩は、さらに「はぁ?」の顔です。

「罰は、栞への『ごめんなさい一〇万回の刑』よっ!」

 おおお、これはキツイ。

 デデンと胸を張る奏先輩。

 長い黒髪がはらりと肩から落ちて、まるでドラマの決め台詞のようです。

「ずいぶん一方的だね。なんで僕だけが悪くなるのさ」 

「納得がいかないかしら。せっかく執行猶予をつけてあげようと思ったのに」

「はぁ……、もう、なんでもどうぞ」

「まぁ、栞の将来を憂いたという点は酌量に値するわ。なので、条件付き執行猶予をつけます。条件は、『栞と元通りに仲直りして、もう二度と意図的に遠ざけるようなことをしないこと』。約束できる?」

 あ、やはり歩先輩、「はいはい」って感じの顔ですな。

 これは裁判長にひと言申し上げないとっ!

「奏先輩っ! 被告人は信用できないのでありますっ! きっとまた口をきかなくなって、『別に意図的に遠ざけてるわけじゃない。お互い忙しくて話す機会が減っただけだ』とか、屁理屈を言い出す未来が見えるのでありますっ!」

「あら、放送部員として彼を間近で見てきた咲美が言うのなら、それは信ぴょう性がある意見ね。では、どうしたらいいかしら」

「監視でありますっ! 常に監視の目を光らせるのですっ!」

 歩先輩は、さらにさらに「はぁ?」の顔。

 行きますよー? これは、アタシから奏先輩への精いっぱいの愛情の印ですっ!

「奏先輩っ! 歩先輩と栞先輩のビミョーな関係に、我々も加わりましょうっ! そして、いつもそばでふたりを監視して、二度と悲劇が起きないように目を光らせるのでありますっ!」

 一瞬、歩先輩と同じような「は?」の顔になった奏先輩。

 アタシは、思い切りニヤリとしてその顔を見上げます。

「そうです。奏先輩もです」

「私も?」

 んん? 奏先輩、分かりませんか?

 アタシはパッと立ち上がって、奏先輩の手を取りました。立ち上がってもちっちゃいですが。

「そーうでありますよー。いっつも一緒に居て、四人で仲良くするのでありますっ!」

 ハッとした奏先輩。

 見ると、下を向いたままの栞先輩の肩が小さく震えています。

 ちょっとだけ間があって、奏先輩は横を向いて小さく咳払いをしますと、それから急に前を向いてババーンと腕組みをして歩先輩を再び見下ろしました。

 奏先輩、ちょっとだけ口の端っこが上がっています。

「んんっ、それはいいアイデアね。採用するわ。私と咲美がふたりと時間を共にして、二度と同様の悲劇を惹起させないよう監視にあたる……、歩くん、異論はないわね?」

「ごめん、ちょっと何言ってるか分からないんだけど」

 目を泳がす歩先輩。

 やや頬が紅い奏先輩。

 そして横目で見ると、栞先輩はまだ下を向いておられました。

 しかし何やら、ぎゅっとすぼめた栞先輩の肩が小刻みに震えております。

 もしや、泣いておられるのではっ?

 それに気がついた奏先輩。

 ゆっくりと片膝をついて、栞先輩の顔を覗き見上げられました。

 ううう、もらい泣きしてしまいそうです。

 そして、奏先輩はそっと腕を伸ばし、栞先輩の震えるその肩に優しく優しく手を置いたのであります。

「栞? もういいわよ?」

 ガタンっ!

 いきなり響いた、椅子の音。

 突然、勢いよく立ち上がった栞先輩。

 うわっ、なんでありますかっ?

「あーははははっ、ひーっひひひ、も、もうだめっ、我慢できないっ。あははははは!」

 ミキサールームに響いた、栞先輩の笑い声。

 椅子から立ち上がった栞先輩は、目頭を押さえて、さらにおなかも押さえてゲラゲラと笑いだしたのです。

 いやはや、びっくり。

 奏先輩も笑いだしました。

 そうこうしているうちに、アタシも釣られて思い切り笑ってしまいまして。

 その光景を見ていた他の部員たちもだんだん笑い始めまして、放送室はあっという間にゲラゲラゲラと笑いの渦に包まれたのでありました。

 ものすごいイヤ顔の歩先輩。

 床にあぐらをかいたまま、ブスッとしておられます。

 まぁ、歩先輩は公開処刑のような感じでかなりかわいそうでありましたが、これは当然の報いなので。

 いろいろとありましたが、一番得したのはアタシでありましたね。

 栞先輩との友情がいっそう温まりましたし、奏先輩とも仲良くなれましたし。

 そういえば、奏先輩はなぜか、そうとうにアタシを気に入ってくれている様子であります。

 いつの間にか、アタシのことを『咲美』と呼んでくれるようになってますし。

 先日の岩田屋伊勢丹からの帰り、奏先輩と一緒にいろいろ話しながら帰っていた、その途中。

 奏先輩ってば、最初はアタシのことを『咲美さん?』なんてしおらしく呼んでくださっていたのですが、そのうち『咲美ちゃん?』に変わりまして、最後に別れるころには、気がつけばいつの間にか『咲美?』と、まるで妹のように呼んでくださるようになっていまして。

 しかし、人とは分からないものですな。

 あんなに嫌っていた野元奏先輩とこんなに親しくなってしまって、しかもそうとうに遠慮なく話すことが当たり前になってしまいまして。

 実は昨日、知り合ったばかりだというのに、その『咲美呼び』に気を大きくしてしまい、ついついおねだりしてしまったのであります。アタシの悪い癖です。

『奏先輩。日暮れも過ぎたというのにまだ暑いですな』

『そうね。やっぱり歩きは無謀だったわ』

『アイス食べたくないですか』

『それは何? 明日の歩くん引留め役の報酬を前払いで欲しいとでも言っているのかしら』

『はっはっはー。そんな恐い顔してもだめなのです。怒ってないの分かってますし。前払いではなく、前祝いでありますよ』

『もう……、その可愛い笑い方、反則だわ』

 それはそれは満面の笑みでありまして、ほんと、写真に撮っておきたいくらいの。

 そして、アタシはお堀の川が目の前を流れる商店の店先で、奏先輩が買ってくれたチョコアイスを奏先輩と一緒にめいっぱい頬ばったのでありました。

 チョコレートの香ばしさがたまらないっ!

 おお、ついつい美味しい……、いや、素敵な回想に浸ってしまっておりました。

 放送室の笑いは、まだ収まりません。

 歩先輩の不機嫌そうな顔は、いつの間にか苦笑いに変わっております。

 一応、奏先輩の判決の言い渡しは終わりましたが、まだまだアタシたちの計画は終わっていませんよぉ?

 メインメニューはこれからなのであります。

 まぁしかしながら……、歩先輩は今日はもう部活にならないですなぁ、これは。

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