3-2 怒りは想いを超えて
夏休み最後の日。
博物館に栞と二人でプラネタリウムを観に行った帰り、もう夕方近くになった交通センターの屋外エスカレーターの前は、家路を急ぐ人の波が幾重にも続いていた。
「あーあ、とうとう明日から学校だねー。奏ぇ」
「痛い痛いっ、肩に体重をかけるのはやめてくれない? 私は栞ほど頑丈じゃないの」
「何それ、なんかひとりだけ乙女チックな儚さを強調しようとしてない? あたしだっていろいろガラスのハートが儚いんだから」
「『儚い』が動詞みたいになってるわ。栞の日本語、かなりおかしいわよ?」
「うわ、英語で思考する帰国子女にジャパンネイティブが批判されるなんて」
「その英語もおかしいし」
「もー、あたしどこで暮らしたらいいのよ」
この夏休み、二の丸公園でトランペットを吹いたあの日から、ほとんど毎日、私は栞と会っている。
信じられない。
夏期課外の間、午前中だけ部活がある栞は、本来自転車通学なのにずっとわざわざバスで学校へ来てくれた。バス通学の私に合わせるため。
私の課外よりも先に部活が終わる栞がセミナーハウスの前で待っていてくれるので、その後は一緒にバスに乗って街へ行って、本屋へ寄ったり映画を観たり。
お盆を挟んでからはお互いの家にも行きあって、来る日も来る日も他愛ない話に花を咲かせた。
口やかましい母も、栞のことはとても気に入ってくれた様子。
私が、『友人を家に呼びたい』と言ったときの母の驚いた顔は、なかなかに痛快だった。日本に来て初めて自宅に連れて来た友だち。
最初は品定めをするかのように栞に根掘り葉掘りといろいろ問いただしていた母は、そのうち、まるで自分の友人であるかのように遠慮なしに接するようになった。
あの気難しい母までもが心を許した栞。
こんなにも一緒に居ると和む友人ができたのは、生まれて初めて。
私自身は、以前と何も変わっていない。
態度も発言も冷徹な、『切り捨てる』野元奏のままのはずだ。それなのに、彼女はまったくそれを気にしていない。
それどころか、私の辛辣な言葉をものともせず、ケラケラと笑い飛ばして、茶化して、まるで小さな子ども相手のように私に笑みを返す。
同級生と話していて、いままでこんなに楽しいと感じたことはなかった。
彼女と居ると、いままで自分で勝手に思い込んで、決め付けて、ルールを作って、そうやってこだわっていたことがバカバカしく思えてくる。
本当に楽しい。
彼女にだけは、素のままの自分をさらけ出せる。おそらく、彼女も私に素の自分を見せてくれているのだと思う。
しかし……、彼女は、私には絶対に見せない『彼女』を、ひとつだけ持っている。
それは、歩くんを好きな、『彼女』。
これだけ夏休みのほとんどの日々を一緒に過ごしたのに、その間、彼女は一度も歩くんと会わなかった。いや、ご近所だから日が暮れてからは会っているのかも知れないけど、それは私には教えてくれない。
彼女からすれば私は『恋敵』なのだから、それは当然のことなのだけど。
そして、彼女があのとき言った『聞いて欲しいこと』も、未だに聞けていない。
「さてー、バスに乗るかぁ。ほんと、どうせ明日から金、土って二日行ったらまた日曜で休みなんだから、九月四日から新学期にすればいいのに」
「あら、『初めて夏休みの課題がぜんぶ終わってるから早く学校始まらないかな』って言ってたのは、どこのどちら様だったかしら」
「おお、そうだった。ほんと初めてよ? 小、中、高あわせて初めて! 奏が一緒に居て教えてくれたおかげだねぇー」
「まぁ、理数科と普通科は課題が違うから、私のを丸写しじゃないことだけは褒めてあげるわ」
「あはは。じゃあ、そろそろバスが――」
そう言って、栞が壁の時計に目をやった瞬間。
「きゃー! 栞先輩っ! お疲れさまですぅ!」
交通センターの待合室から飛び出して、背後から栞に抱きついた女の子。
横に結んだひとつ結びが可愛い、高校生には見えないとても小柄な彼女には見覚えがある。
放送部の子だ。
名前は知らない。
ハッとした。
思わず後ろを向く。
この夏休み、何度か脳裏をよぎった、休み明けへの不安。
数多くの友人らから慕われている栞。
その栞が、数多くの生徒たちから疎まれている私と仲良くしていることは、おそらく歓迎されない。
「おおー、咲美ちゃーん! ご無沙汰だねぇ」
「はぁい! センテニアル高校の歓迎イベント以来なのであります!」
あのカナダからの親善大使を迎える式典は、予定どおり大過なく終了した。
私は通訳、栞は吹奏楽部として参加し、おそらく彼女も放送部員として従事していたのだろうけど、私とはまったく接点がなかった。
いや、接点がないように距離をとっていた……というのが正しい。
栞は気がついていないかもしれないけど、私は、栞とも放送部とも、学校ではできるだけ接触しないように、敢えてそうしていた。
私は、久方ぶりの邂逅に黄色い声を上げているふたりを背にして、そのまま真っ直ぐ歩き出した。
駆足に近い早足。
「え? ちょ、ちょっと! どこ行くのっ?」
ぐいと引かれる右手。
すぐ肩に手がかかり、私の足を止めた。
「奏っ? どうしたのっ?」
「え? ええっ、その、ちょっと用事を思い出して――」
そう言いながら、バス乗り場のベンチの前で振り返り、じわりと栞に目線を送る。
すると直後、栞の後ろからその小さな彼女がぴょんと飛び跳ねて目を丸くした。
「え? えっ? えええーっ? ののの、野元先輩でありますかっ?」
あわわと口を開けた彼女。
当然だ。
私は嫌われている。
思わず下を向いた。
すると、今度はぐいっと腕が横に引かれる。
「んふふー。 咲美ちゃんは初めてだよね。紹介するね? あたしの親友」
私の腕を抱きかかえて、満面の笑みの栞。
「し? 親友?」
可愛らしい目をもっと大きくして、彼女が私と栞の顔を交互に見ている。
でも、ちょっと待って。
栞、いま、なんて言ったの?
親友?
私を親友と言ってくれたの?
足が震えた。
すーっと頭が真っ白になって、熱い息が喉を突く。
「そう。あたしの親友。知ってるよね? あっくんと同じクラスの野元奏ちゃん」
ちゃん?
ちゃん付けで呼ばれたのは何年ぶりだろう。
ふわふわと足が地に着かない気分。
でも、次の瞬間、その視線で私は急に我に返った。
驚愕の中に見え隠れする、冷ややかな、小さな彼女の視線。
「栞先輩……、どういうことですか? なんで先輩がこの人と――」
頭ひとつ以上低い彼女が、どうあっても理解に苦しむといった眼差しで私を見上げている。
栞が少し膝を折った。
そして、ゆっくりと彼女の顔を覗き見上げると、栞は満面の笑みを彼女へ向けた。
「ちょうどよかった。次に会ったときに話そうと思ってたの。咲美ちゃん、もう帰る? よかったら、ちょっとだけお話聞いてくれないかな」
時刻はもう、十八時を回っていた。
空は、あのときの二の丸公園を思わせる、柔らかな朱色。
栞が歩き出し、小さな彼女がそれに続き、私は少し遅れてふたりに追従した。
交通センターの前をロータリーに沿って歩く。正面に岩田屋伊勢丹の入口が見えた。
栞が半分振り向いて、私に言葉を投げる。
「奏、この子、見たことあるでしょ? 放送部の子。中村咲美ちゃんって言うの」
その言葉を受けて、半分振り返った咲美さんが小さく頭を下げた。
冷たい視線。
大丈夫だ。私は、この視線には慣れている。
交通センター前の屋外エスカレーターを過ぎて岩田屋伊勢丹に入ると、栞はすぐに展望エレベーターのボタンを押した。
程なく扉が開き、栞がエレベーターへ乗り込む。
私はそっと扉の端を手で押さえて、咲美さんに先に乗るよう目配せした。
ほんの少し目を大きくした彼女。
その彼女がペコリと頭を下げて先に乗ったのを確かめて、私も足を踏み入れる。
外壁に大きく張り出したガラスの柱の中を上昇するエレベーター。
ロータリーがどんどん小さくなって、その先のビルの向こうにお城の石垣が見え始めた。
みんな無言。
そして、その無言にそろそろ耐えられなくなったとき、頭上の表示が『9』を示して、その直後、扉がゆっくりと開いた。
「奏、咲美ちゃん、着いたよ」
ニコリと笑った栞が私たちを促したそこは、なんとも殺風景なフロア。
奥のガラスの向こうには、その昔は遊具が置いてあったと思われる寂しい屋上があり、手前の端のほうに申し訳なさそうに幼児向けのゲーム機が疎らに置かれていた。
その殺風景をすっとかわして、すぐに屋上とは反対の展望窓のほうへと歩き始めた栞。
私たちも続く。
人影疎らな展望室。
「あたし、ここから眺める景色、大好きなんだ」
そう言って栞がその大きな窓に近づくと、彼女の肩越しに見える美しいパノラマが一瞬で私を魅了した。
北を望む展望。
足元には、箱庭のようなロータリー。
栞に並んで、息を飲んで見渡す。
眼下を走る大きな通りが真っ直ぐ正面へと延びて、ビル群の向こうの緑たわわな高台の麓へと消えていた。
その高台の上には、落陽を浴びてやや朱色に染まり出したお城の天守閣。
「素敵……。とっても綺麗ね」
「でしょ? 一度、奏を連れて来たかったの。今日はちょうどよかった。見える? ほらあそこ、奏とぎゅーってしたまま、なかなか離れられなかったお堀の横、長塀の通り」
「うん。よく見える。遅くなって、すごくお母さんに怒られてしまって」
そうだ。
あの時も、いまと同じ夕暮れだった。
ついひと月前のことなのに、なんだか遠い昔に感じる。
そう思いながら栞に目をやると、その向こうでじっとこちらを見ている咲美さんと目が合った。
彼女はハッとして、すぐにその目を栞へ向けた。
「栞先輩、説明……してもらえますでしょうか? どうして野元先輩が親友なのですか?」
「不思議でしょ? あたしも自分で不思議なの。気が合ったというか、想いが一緒というか」
「想い……でありますか」
「うん。『彼』への……想いね」
栞の言い方からすれば、咲美さんは栞の気持ちを知っているのだろう。
「かかか、『彼』への想いと申されますと……、もしや」
小さな彼女がビックリしている。
私が栞と同じく『彼』に熱い想いを抱いているなんて、学校での野元奏しか知らない者にはまったく想像もつかないだろう。
ポカンとしている彼女に、栞が実に優しく語りかける。
「夏休みに入ってすぐくらい、ちょうどセンテニアル高校の歓迎式典の準備が始まったころにね? あたし、楽器屋さんに用事があって上通りを歩いていたら、たまたま私服の奏を見つけてね?」
チラリと私を見る栞。
そう……、あの話をするつもりなのね。
「もうね、なんというか、すっごく可愛いかったのよ。それであたし、思わずあとをつけてしまって」
「栞先輩が……、野元先輩のあとを……?」
栞越しに私に目をやる咲美さん。
私は思い切り意地悪な視線を栞に送った。
「ほんと、ビックリだったわ。探偵みたいにコソコソと尾行して」
「あはは。だってすっごく興味があったのよー。普段、ツンケンして人を寄せ付けない野元奏のプライベートに」
「ツンケンは余計ね」
あわわと口を押えた咲美さんがのけ反っている。
栞は「大丈夫、大丈夫」といった感じで咲美さんにひらひらと手を振ると、それから急に意地悪な顔を作って彼女へ耳うちする仕草をした。
「でね? そのとき奏って、どこへ行ってたと思う?」
もう、栞ったら変な顔。
私は、そのなんとも間の抜けた栞の意地悪顔に吹き出しそうになるのをこらえながら、わざとらしくプイと反対を向いた。
「えっと……、野元先輩が行っておられたところとは……」
「それがねぇ? なんと、英会話教室だったのよ? 信じられる? 式典で通訳を任されるくらい英語ペラペラのはずの奏が、英会話教室っ!」
くっくと笑いを押しころす栞に、私はさらに笑いをこらえつつ語気を強めた。
「栞っ? あんまり誇張すると許さないからっ」
その私の言葉を聞いて、咲美さんが栞に隠れるように足を一歩引きながら「ひいい」と頬を強張らせた。
私もちょっと悪ふざけが過ぎるかしら。
あははと笑いながら、そっと咲美さんの肩に手を回して私に目をやる栞。
「大丈夫だよ? 奏は怒ってないから。実はね? その英会話教室に行ってた理由が、ほんと、奏でらしくてね? なんていうか、ああ、これぞ野元奏だなって感じで」
栞にとって、私はそんなイメージなのね。
私としては当然のことをしていただけなんだけど。
「奏の話によるとね? 英語ってどんなにペラペラでも、日本に居てずっと使わないでいるとだんだん忘れちゃうんだって」
「ええ? そんなことがあるのですか?」
「うん。だから奏は、任された通訳の仕事をきちんと果たそうって、英語の勘を取り戻すためにそこに行ったんだって」
きょとんとした咲美さん。
栞越しに、その愛らしい瞳が私のほうを向く。
「へ、へぇ、そうなのですね」
「ね? ちょっと可愛くない? 努力なんてしなくてもいつも成績優秀、学年一の秀才と噂される野元奏が、実はそんなことしてるなんて……、想像つかないでしょ」
そう言って、栞がペロリと舌を出した。
その顔を、私は思い切り半眼になって覗き見上げる。
「栞、ずいぶん、悪意のある言い方をしてくれるじゃない」
「あはは」
咲美さんが固まっている。
「でね? 咲美ちゃん、あたし、知ってしまったんだー。野元奏って女の子は、実はそんな普通の女の子で、責任感が強くて、一生懸命なすごくいい子なんだって」
栞がすっと真っ直ぐに私を見た。
「だから、友だちになりたいって思った。こんな素敵な子と、もっともっと仲良くなりたいって思った。そして――」
そう言って、ゆっくりと私から視線を外した栞。
なぜか、急に肩をすぼめている。
「――そして、あたしは、思い切り後悔した」
後悔?
展望窓の外へ視線をやった栞は一度大きく深呼吸して、それからゆっくりと私の手を取った。
あの、二の丸公園のときのように。
思わず栞の顔を覗き込む。
「栞? 後悔って、何?」
「あのね? あたし、奏と仲良くなる前まで、ずっと奏のことを偏見だけで見てたの。そして、そのせいであっくんのことを許せないって、そう思ってた」
「歩くんを……、許せない?」
「うん。よく知りもしない奏のことを勝手に美化して、理解した気になっている……って」
意味が分からない。
栞は、少しだけ瞳を泳がせると、それからまた大きく息を吸って、握った手に力を込めた。
「あたし……、あたしね? 実は……、もうずいぶんあっくんと口をきいてないんだ」
「え?」
思わず息を飲んだ。
咲美さんは下を向いている。
「あっくんね? いつも奏のことを楽しそうに話すの。奏が展示希望を出しに生徒会室へ来たときのこととか、文化祭展示のときにもらった詩集のこととか」
意外だった。
歩くんが、私のことを、そしてあの詩集のことを覚えていてくれたなんて。
「そ、そう……。それで、それと歩くんと口をきかなくなったことと、どういう関係が――」
「高校のテレホンサービス知ってる? 放送部が作ってる」
「え? もちろん、知っているけど」
「六月に、そのテレホンサービスの企画で、『部活動紹介』っていうのがあって、あっくんが吹奏楽部の取材に来てさ――」
「待って? 歩くんが取材に行ったのは美術部と写真部だったと思うけど」
栞が「へ?」という顔をする。
その向こうで、咲美さんが「えええ?」と口を開けていた。
やってしまった。
「ふぅーん、へぇー。奏ったら、そんなにあっくんの声を聴いてたんだ」
「んんっ、他の部活がどんな活動をしているのか、ちょっと聴いてみただけよ」
「あはは。実は、そのインタビューのときにね? あたし、めちゃめちゃ噛んじゃって。文章作るの苦手なんで、副部長に作ってもらった文章をそのまましゃべったら……、もうまともに録音ができなくて」
栞ならやりそうなことだ。
自分の言葉で臨機応変に返答するのなら、栞は得意のはず。
でも、前もって提示された質問にあらかじめ返答の文章を用意するのは、栞にとっては少々苦になる作業だと思う。
「それと、口をきかなくなるのと、どう関係が――」
「それで、あっくんが怒ったの」
怒る?
彼が怒ることあるの?
「あっくんは真剣だった。でも、あたしはちゃんとそれに向き合ってなかった。そして、その後ろめたさを隠すために……、あっくんが敬愛している文芸少女をバカにした発言をしてしまって」
「ごめんなさい。ちょっと意味が分からないわ」
私がそう言って眉をひそめて栞に握られた手をふわりと放すと、栞は下唇を噛んでゆっくりと下を向いた。
どういうこと?
本当に意味が分からない。
すると、栞の向こうから、その可愛らしい小さな彼女がそっと顔を覗かせた。
「あのー、実は……、歩先輩は、自分で文章を作らなかった栞先輩に……、その……、『さすが文章作りが苦手な理数科さまだ』みたいなことを言ったらしいのです。それで、栞先輩はさすがに頭にきて――」
「嘘……。歩くんがそんな言葉を口にしたっていうの?」
「ひいい、アタシは栞先輩から聞いたのです。幼馴染みだから栞先輩には遠慮がないらしくて。それで歩先輩がその詩を敬愛する野元先輩を……、その……、や、揶揄してでありますね……」
「それはいいわ。そのくらいのことで口をきかなくなるほどのケンカになってしまったっていうの?」
「あのー、歩先輩はですね――」
そう言いかけた咲美さんを、ハッと顔を上げた栞が制した。
「咲美ちゃん、それはあたしが言う」
なんなの?
突然、これ以上ないくらい真剣な瞳を真っ直ぐに私へ向けた栞。
思わず背筋を伸ばす。
「あのね? 奏……。実は、あっくんは、奏のことが好きなの」
その栞の言葉は、すぐには意識に浸潤しなかった。
栞が眉をハの字にしている。
「あの二の丸公園で、いつか奏に聞いて欲しいことがあるって言ったのは、このこと。あっくんと口をきけなくなってしまったこと。そして、あっくんが奏を好きなこと……」
足が震えた。
歩くんが、私に好意を持ってくれている。
事実は分からないが、歩くんを良く知るふたりが、そう言っている。
「奏、あたしあのとき、奏とあたしは『恋敵』だって言ったよね。でもね? 本当はもう最初から結果は決まってたの。あっくんは初めて生徒会室で会ったときから、ずっと奏を想っている」
「ちょっと待って? だから、私のことを揶揄した栞に対して必要以上に憤慨して、それからずっと口をきかなくなってしまったっていうの?」
「うん。たぶん、あたしのことが本当に許せなかったんだと思う。もっと早く奏のことを理解していたら、もっと早く、あっくんが言っていた『みんなが思っているような子じゃないんだ』ということの意味が理解できていたら……」
栞……、それは違うわ。
それは、まったく違う。
「奏……、だからあたし、後悔してるの」
栞が両手を揃えてスカートの前をぎゅっと握った。
その向こうで、咲美さんも同じようにして下を向いている。
「栞? 顔を上げなさい。咲美さんも」
どうしたのだろう。
ふつふつと沸き上がる、なんとも表現し難いこの感情。
私はふたりに向き合って、ぎゅっと握った両手の拳を真っ直ぐに突き下ろした。
展望窓の外は、急に足早になった朱色がすべての景色を飲み込んでいる。
「私、許せないわ」
私のその言葉を聞いて、ゆっくりと顔を上げた栞。
同じく、「は?」という顔で私を見上げた咲美さん。
そうよ。
こんなの許せない。
「栞っ? いつから口をきいていないのっ?」
「え? えっと、そのインタビューのときから」
「それじゃ、もう二か月以上になるじゃないっ。私、絶対に許せないっ!」
「ええ? ど、どうしたの? 奏」
栞がポカンとしている。
「許せるわけないでしょっ? 私の親友にこんな辛い思いをさせるなんてっ!」
「い、いや、悪いのはあたしだし……、その――」
「彼が私に好意を持ってくれていることは純粋に嬉しいわ。でも、私のことを揶揄されたからといって、長年親しくしてきた幼馴染みと一切口をきかなくなってしまうなんて、それは許せない」
栞が私に話したいと言っていたこと、今日、やっと聞くことが叶った。
それは、栞にとっては身を削るほどの痛みであり、私にとっては恋い焦がれる相手の好意が自分に向けられているという、欣喜雀躍するほどの告白。
しかし、そんなことよりも、もっともっと、ずっと強く私の心を支配したその感情、それは――。
それは、歩くんに対する純粋な……、怒り。
『私の親友にこんな辛い思いをさせるなんて』
無意識に、その言葉は自然と口を突いた。
彼が本当はとても優しい男の子だということはよく知っている。
幼馴染みである栞にだけは遠慮がないこともよく分かった。
しかし、もつれた感情をいつまでも引きずって、栞にこんな思いをさせ続けているのは、栞の親友として絶対に許せない。
「栞? よくもいままで黙っていたわね。明日、部活の時間になったら音楽室で待っていなさい。それから、今度からこういう話はもっと早くするのよ?」
「え? あの、奏?」
「明日の始業式のあと、放送部で歩くんに物申すわっ! 栞も来るのよっ! それからっ、咲美さん!」
「ひいぃ」
「あなた、私に協力しなさいっ! 明日の始業式のあと、私、あなたを訪ねて放送部へ行くわっ。あなたは私が行くまで、放送室に歩くんを足止めしておくのよ? 分かったっ?」
「ひいぃ、分かりましたぁぁぁ」
両手で頭を押さえてしゃがみこむ咲美さん。
しまった。
栞相手のときと同じ感覚で言葉を発してしまった。
彼女にとって、私は冷徹な野元奏。
なぜだろう。
それでいいといままでずっと思ってきたのに……、それなのに、私はなぜか急に喪失感に襲われて、咄嗟にそのひとつ結びが可愛い頭に手を乗せた。
「咲美さん? ごめんなさい。怒ってないわ。いい子ね。ちゃんとできたらアイスを買ってあげるから」
ビクッと一瞬動きが止まり、それからじわりと彼女が顔を上げた。
その目はいまにも泣き出しそう。
「……へ? アイスでありますか?」
思わず、咲美さんの手を取った。
そして、ゆっくりと引き上げて彼女を立たせる。
展望窓からフロア一面に降る朱色。
ガラスにおぼろげに映った自分の顔が、なんだか自分じゃないような気がした。
自分でも、よく分からない。
慕っているはずの歩くんに、こんなにも怒りを感じるなんて。
でも、どうしても許せないと思った。
間接的とはいえ、彼の好意が私に向けられていることを知らされて、これ以上ない喜びの絶頂に居るはずなのに。
そんな、説明のできない感情の消化不良。
そのなかなか収まりそうにない不快感を打ち消そうと、私は咲美さんの手を握って、その美しい空をしばらく眺めた。




