エピローグ 『Re:LIFE』
──少女にとって、唯一の特異点は、あの世界だった。
魔法という、常人の域を軽く凌駕する便利な非科学的概念。
それが唯一存在したのが、あの世界──何度も少女に死ぬチャンスが訪れた、あの世界だけだった。
何千回か何万回か、積み重なった自分の遺体をどれだけ漁っても、例外として見つかるのは3度目の少女のみ。
今となっては遥か昔の出来事、彼らの名前さえも、少女は思い出せない。
そう、少女にとって、あの世界は唯一の特異点──初めて人として生きられるような気がした、唯一の世界。
こんな世界を求めて、こんな人生を求めて、少女は転生することを選んだ。
しかし現実はどうだろう?
嘆かわしいことに、少女を待ち受けていたのは永久の惨劇だった。
何度振り返ろうと、はたまた前を見ようと、螺旋のように連なる人生の数々には幾度となく艱難辛苦を見た。
その果て──正しくはその中間地点で、少女は人の心を忘れるという道を選んだ。
3度目の時点でそれは既に壊れて失われていた、と言えばある意味正しくはあるが、あれは一時的な狂乱に過ぎない。
人の心というものは案外頑丈で、本当に死にたいと思う時でさえ、実際はまだ半分も崩壊していない程度である。
これは、幾度死のうと死ねない少女だからこそ得られた輝かしい実験の成果と言えるだろう。
そしてまた、人の心を忘れるというのも簡単ではない。
空虚な少女の中に、霞として存在するそれが、現に少女の呼吸と歩みを司っている。
言葉にするのなら難しいが、決して少女は生きたいわけではないのだ。
今となってはただおぞましいその人の心に生かされ、螺旋に続く人生を淡々と繋げられているだけ。そこに決して少女の意志など欠片もない。
例えば、少女が先の世界で流し続けていたあの涙──恐らくあれは、綺麗さっぱり人の心を洗い流してしまいという少女の願いの現れだったのだろう。
乾くことを知らないこの心が、潤いのない人生を続ける限り、少女はきっとこれからも涙を流し続ける。
少女の運命において、本当は何が正解だったのか。一体何を間違えたのか。
答えは至極簡単。考えるだけ無駄なのである。
少女は最初から運命に呪われていた。
この事実が覆るアナザーストーリーなど存在しない。
──新たな肉体へと魂を宿した少女は、目の前の美しい世界を見て絶望する。
そして、力無く首のヘッドホンを放り投げると、また暗闇へと屍人のように歩きだす。
先の世界では擦り切れていた衣服が新調されているのは、何とも形容し難い皮肉で面白い。
──また転生……また転生……また転生……
何人の自分の屍を積み上げても、光が見える予兆はない。
かなり高くまで登りつめてきていたつもりだったが、まだまだだったらしい。
この人生が終わるのはすぐでも、五十州瑞香の人生が終わるのはずっと先。
あと何回かな? 何百人? 何千人? 何万人? 私があとどれくらい死ねば、五十州瑞香の人生は終わってくれるんだろう……?
──などという戯言を吐いていたのは、数百回目の頃だったっけ。
さっさとそんな考えを捨て置いていれば、もう少し精神を摩耗せずに済んでいたのに、気づくのが少し遅かった。
五十州瑞香の人生が終わるなんて、今じゃ思いつきもしない虚実。私を人間として生かすための偽りの希望。
もう騙されない。私は気づいた。
確か名前は……黒蜘蛛。どこかの世界の誰かが付けてくれた、あなたにピッタリの名前。
あなたなんでしょう? 私をこの螺旋の人生に放り込んだのは。
あの時、私をあの殺人犯から救って以来、私の中に一生巣食っている不明の何かさん。
お願いがあるの。一生だけじゃない、何万生分も溜めたお願いが……
──お願い……一度でいいから生まれ変わりたい。
五十州瑞香……あなたはもう私じゃないの。あなたはこの螺旋の人生の中で、何度でも死んでいればいい!
私は全てを捨てて、全てが新しい人生を歩みたい。
それはきっと、自死できない呪いも、繰り返し転生する運命も無い、とても幸せな人生だから。
──だから返して? あの時私が死んでいた人生を。あの時私が殺されていた人生を。私が幸せ?でいられた人生を──返して!
そうしたらきっと生まれ変わって、私はまた幸せになれるから。
──私は、私が死ねる人生を歩みたい。
だからどうか……この人生を終わらせて……
《今期の世界を終了します》
そんな切なる願いは、奇跡か否か、黒蜘蛛に届く──
《異世界転生を開始します》
──筈などなかった。
そう、最初から何度も言っている。
少女に救いなどない。少女は運命に呪われている。
そしてこれは確か、数万回目の少女の記憶。
今の少女が何度目かなど、知る由もない。
大袈裟な桁数を言ったとしても、凡そ良い線をいくだろう。
少女の物語に、エピローグは存在しない。
終盤であろうと中盤であろうと、はたまた膨大な物語の序盤であろうと、エピローグはいつまでも訪れない。
──ここで、いつかの言葉を引用したいと思う。
こうして少女はまた繰り返す。
次期の世界で、少女の『新たな人生』を。
何度も修復される肉体に、壊れたままの心を植え付けられ始まる『新たな人生』を。
終焉など無い『新たな人生』を──