第2話 『それは、大樹の家』
「……異世界……?」
少女は気がつくと森の中に居た。
四方八方を見渡しても、木、木、倒木、木、木……
上を見上げれば緑の葉が生い茂っており、淡い光が間隙を縫って差し込んでくる。豊かな自然の片鱗と思えば、風光明媚なものとして捉えるのは容易い。
対して下は緑と茶の2色構成であり、見て楽しめる程美しくはない。
ある程度周囲を見渡した後、今度は自身の身なりの確認を始めた。
一言で言ってしまえば、何も変わっていない。
黒のショートパンツに、淡い紫のシンプルなパーカー。この世界に来る前に、制服から着替えた服装と全く同じである。決してこれが少女の部屋着というわけではなく、汚れた制服以外を身に纏うことができれば、何でも良かった。
少女は単純にファッションに何の興味も無いのだ。
しかし、それ故に少女の着る私服が少ないため、結局このファッションが部屋着化していることもまた事実なのである。
それから、どうして身に纏っているという判定だったのか、首元にはパーカーと同系色のワイヤレスヘッドホンが掛かっている。
無論この世界に対応している機械端末が無ければ、これはゴミ同然である。それでも、元々価値のあったもので、かつ多少愛着のあるこのヘッドホンを無理に外して捨てる必要も無いと感じた少女は、「まあいいや」と言って、そのままファッションの一部にすることにした。
どうやら、前世の直前の少女を完璧に保存して異世界転生が行われたらしい。
──だが、完璧故のデメリットも確かに存在した。
「──……っ……!」
自身の左肩に、その細い指で軽く触れた。
その瞬間、淡紫のパーカーに隠れた小さな灼け痕が、仄かにひりつく。
四肢を押さえつけられ、抵抗の余地も与えられないまま、一方的に焼き付けられるあの感覚……
誰に知られることも無く、未成年の喫煙者によって起こされたその事件は、決して少女の肌のみに留まらず、心の深奥まで確実に灰の刻印を残していた。
「……『転生』……なの?」
少女が自身の状態をざっと確認して感じたことは、とても『転生』ではないということだった。
前世の記憶はどうあれ、生まれ変わり、『新たな人生』を始めるというのが、『転生』というものだろう。
それに対し、誰の親からも生まれることなく、姿も記憶もそのまま、五十州瑞香として森に放り込まれた。
これなら、『転生』というよりも、『転移』や『召喚』という方が相応しいだろう。
その方面の知識について明るい少女は、冷静に現状把握を行っていた。
「……どうしよ……」
そんな少女でも、流石にこの状況には困惑する。
周囲は森──人の姿も、街も、何も無いただの簡素な森。自分が何をすれば良いか、どこへ向かえば良いか、何も分からないのである。
ただ、何も分からないとは言え、行動しなければ結局分からず終いとなってしまう以上、少女は行動する他なく、仕方なく向いていた方向へ歩き出した。
明るいとも暗いとも言えないその森は、不思議なことに、人どころか動物もいない。少女は周囲を見渡しながら歩みを進めるが、虫の1匹すら少女の視界に入らなかった。
そんな不気味な森であるにも関わらず、少女は胸を躍らせていた。ただ、その感動はそこまで大きいものではなく、表情や行動には表れない。
夢に見ていたという程ではないにしろ、外敵だらけの少女の人生において、これらのフィクションは少女を支える数少ない娯楽であった。
前世の心残りがその娯楽以外に無い少女に、異世界を拒む理由など無い。
「…………」
だが、たった今その異世界に嫌悪感を抱いた。
暫く歩き続けているが、景色が一向に変わる気配が無い。同じ空間を歩かされ続けているのではいかと疑ってしまう程だ。
はっきり言って、つまらないのである。異世界の相場を知っている少女にとって、現状は退屈そのものだった。
最強の勇者、又は魔王になって無双したり、ただの村人ながらも、特殊能力で凄い活躍をしたりなど、異世界に来れば何かしらの主人公化が半強制的に起こるものである。
実際、少女がそういった存在に憧れているかと言われれば、全くもってそんなことはない。
しかし、景色も変わらず、生物の姿も無く、何のイベントも起きないこの森の中を彷徨い続けることが、退屈でしょうがなかった。
且つ、半人前以下の体力しかない少女は、慣れない環境下を数分歩くだけで息が上がってしまう。
そんな退屈と疲労は少女の足を止め、比較的汚れていない近場の倒木に、少女の腰を下ろさせた。
休憩しながら、少女はまたもや思索に耽っていた。
そして、現状をもう一度見直すと、少女はあることに気づいた。
少女は今、森で遭難しているも同然なのだ。このまま少女を助けるイベントが起きなければ、食料どころか飲み水も調達できないこの環境に居続けることは、乃ち少女の餓死を意味する。
折角転生したにも関わらず、甲斐無い死を迎えるのは、少女としても不本意である。
──どうせ死ぬなら、ちゃんと生きてから死にたい。
そんなことを、既に見飽きていた美しい自然の天井を見上げながら思っていた。
「──ニンゲンか!?」
突然少女の背後から、若々しい女の子の大声が聞こえた。
驚きつつも、少女が冷静に振り返ると、僅かに距離を保って佇む齢10未満程の小さな女の子が居た。
ただ、女の子と一口に言っても、その格好に女の子らしさは全く無く、衣服こそ纏ってはいるが、所謂原始的な格好なのである。
何らかの動物の毛皮と思われる物を胴にのみ纏い、右手には長めの枝の先端に石を取り付けただけの槍、左手と両足は共に素である。
露出している肌の所々に土っぽさが残っていたり、環境が森の中ということもあって、全体像は正しく原始人そのものである。
ただ、その琥珀色の眼と、雑に伸び乱れた深緑色の髪にメッシュのように入った緋色が、完全な原始人らしさも損なわせる。
当然染めているわけではないだろうが、それだけは何とも異世界人らしい配色である。
「──え……!?…………え……えと……」
少女の性格上、咄嗟に掛けるべき言葉が出てこず、黙ってその女の子を見ることしかできなかった。
「やっぱりニンゲンだ!! パーとマーがよろこぶぞぉ!!」
そう言うと、女の子はそのまま走って少女の方へ向かってくる。
女の子が発した内容もよく理解できない少女は、逃げることも立ち向かうこともせず、ただ頭に『?』を浮かべながらおどおどするばかりだった。
「なあ! コトバ、わかるか!? オレ、キーラ!」
『キーラ』というのが、女の子の名前らしかった。
『オレ』という男らしい一人称を用いていたが、間違いなく女の子である。
言葉が分かるかどうかの確認をしてきたが、あまりの勢いに圧倒され、少女も言葉がまとまらない。
「えっ? いや、ちょ、ちょっと……待って……」
「──コトバ!? はなせるのか!? やったぞ!! じゃあ、パーとマーがまってるから、いっしょにきてくれ!」
そんな少女の様子など気にせず、キーラは続けた。
そして、女の子にしてはかなり強めな力で、キーラは少女の手を半ば強引に引っ張り、無理やり起立させられた少女は言葉よりも先に、前に足を出さざるを得なかった。
手を引きながらも軽快に進むキーラに対し、慣れない森の中を、少女がキーラの速度に合わせて走るのは困難を要した。
「──ね、ねえ! お願いだから、ちょっと待って!」
状況が何も飲み込めていない少女は漸く自身の内向的な性格を忘れ、キーラとのコミュニケーションを図る。
それを受け入れたか否か、キーラはその足を止めた。
同時に、少女にとって速すぎた初速と加速の負担が、少女の下半身を一斉に襲った。
移動距離は僅か百メートル弱なのにも関わらず、少女の腿からつま先までの筋肉は激しく疲労していた。
「なんでまつんだ? まってても、ここにはなんにもないぞ?」
本来なら少女の様子を見れば、その理由など明確だが、幼いキーラにはどうやらそれが理解できなかったらしい。
「──はぁ……はぁ……えっと……何から……えほっえほっ…………」
無理やり引かれていた手を解放されると、すぐさま膝に手をつき、呼吸を荒くする。
それまで下半身のみに留まっていた疲労は、徐々に少女の上半身まで蝕み、そのか弱い肺を苦しめた。
「どうしたんだ? もしかして、ビョウキ、なのか?」
その問いかけにすぐに答えを返せる状態ではない少女は、呼吸を整えながら首を横に振った。
呼吸のペースが少し正常に近づくと、俯いていた顔をキーラに向けて懇願する。
「──とりあえず……ゆっくり……話を……」
それから少女の呼吸が完全に整うまでは、さほど時間を要さず、またすぐにキーラと移動することになった。今度は、少女のペースに合わせた速さである。
* * * * * * * * * * * * *
「──それじゃあ、『パーとマー』っていうのは、お父さんとお母さん……なんだね……」
「おう! オレのダイジなパーとマーだ!」
ある程度言葉を交わしたことで、少女からもいつの間にか遠慮が無くなっていた。
少女はキーラに様々な質問をしていた。
ここはどういう世界なのか。
火や水を自由に出したり操ったり、といった魔法は使えるのか。
そして、今どこに向かっているのか。
──どういうセカイ?? んん??
──マホウ……って……なんだ?
といった様子で、2つの質問に関しては、キーラ自身が意味を理解できなかったために、はっきりとした回答を得られなかった。
こんな様子を見せるキーラに、少女が『転生者』であることを暴露したところで、意味が伝わらない上に、キーラを更に困らせることになると考えた少女は、そのまま3つ目の質問を行った。
その返答は、この森の中にあるキーラの家、だった。そこに、キーラは自身の両親と暮らしているらしい。
「でも……こんな森の中に、お家があるの?」
当然思うであろうその問いに、キーラは首を傾げた。
「そりゃあ、そうだぞ? 木がはえてないところなんてないんだから」
「木が、生えてない所がない……って……」
「どれだけとおくにいっても、木ばっかりなんだ。パーとマーのためになんかいもそとにでてるけど、木がはえてないところなんてみたことないぞ」
図らずして1つ目の質問の答えが返ってきたことで、少女は納得しながらも驚く。
キーラの言うことが果たして本当なのかは分からない。
しかし、それが真実であると証明可能な程、キーラと少女は緑に溢れる空間を歩き続けていた。
何とも不思議な異世界である。
今はとにかく情報が欲しい少女は、続けざまに質問をする。
「パーとマーのため……お父さんとお母さんのために、外に出てるっていうのは──」
「ついたぞ!! ここがオレとパーとマーのいえだ!」
質問を遮られると同時に、少女はキーラの指差す方向を見た。
そこには、今まで見てきた木の中で最も大きいサイズを誇る大樹があった。横の長さは家と言っても差し支えないほど広く、縦の長さは幹が枝分かれする分岐点を見ることができない程だった。
よく見てみると、入口らしき大きな穴が根元に空いており、その上には窓のように見える小さな穴も空いていた。
「…………」
あまりのファンタジー感に、驚愕とも感動とも取れる感情を覚えて言葉を失った少女は、暫くその大樹の家を眺めていた。
「どうした~? はいらないのか~?」
「──あっ、ごめん……!」
気づくとキーラは入口に立っており、少女は小走りでキーラの元へ向かった。
そして、少女は躊躇うことなくその足を踏み入れた。
──その、大樹の家へと。