サキュバススレイヤー
サキュバス──それは、人間を淫靡に誘惑し、その精を吸い殺す異形。その性質がゆえ、美女の姿をした悪魔とも言える。
そして彼女らは、潜んでいる。人の知れない所に潜み、陰から世界を牛耳り、支配している。メディアをプロパガンダで染め上げ、企業として利益を独占し、飲み物に小細工を仕掛け、ありとあらゆる方法で人間を洗脳する。
日本は、サキュバスの支配下にあったのだった。
※
K県の某所……そこにも、その魔の手が伸びていた。
男が干からびたミイラ状態になって発見されているのが、毎朝になって発見されていた。怪物が跋扈するK県では日常茶飯事な事ではあるものの、あまりにも状況が奇怪。
警察の調べによると、犯行は前日の晩に行われており、そして『未知の手段』を用いて被害者をミイラにして殺したと推測されている。現場に残っている証拠からして、複数の人物が行ったとされるが……捜査は難航を極めていた。
そんな不可解な事件に興味を示す高校生が居た。それはK県のM高校にある部活動のひとつ、『オカルト部』。そのメンバー達である。
部長──黒鉄 華雄は、新聞を広げて例の事件の一面を眺めていた。
「……またか」
制服姿の模範的な男子高校生ではあるが、黒目と白目の色が反転した人外のような目は、彼がただの人間ではないことを物語っているかのようであった。そんな彼が低い声でそう言い、溜息をつくと、部員の一人が同じように溜息を吐いて椅子の背もたれに仰け反った。
「そろそろ何とかしたいよねー。こんな事件、毎日毎日起きてたら溜まったもんじゃないよ」
まるで対岸の火事と言わんばかりに呑気そうに言う彼は、ジャスティンという男だった。彼はイギリスと日本人のハーフである。両親は二人とも良き父と母なので特に問題のない人生を歩んでいたはずの、平凡な男子高校生であった。
「それで華雄さん……あんた、どうせ察しはついてんでしょ?どうするの?」
「お前に任せる……この手の魔的なモノは、そちらの専門だろう? 俺の専門は、あくまで人間なのでな……」
黒いはずの瞳に新聞の一面を映しながら、そう言い捨てる華雄。傍目から聞けば、ただ面倒事を押し付けているように見えるだろう。
「面倒だなぁ……」
ジャスティンはそう言うと、今から歯医者にでも行くかのように、気だるそうに立ち上がってボリボリと頭を掻きながら、部室から出たのだった。
数秒間、華雄一人になる。しかし彼と入れ替わるように、一人の男子生徒が部室のドアを開けてきた。
「あっ、部長一人ですか?」
そんな事を言いながらここに来たのは、彼とは違って純粋な日本人……しかしその顔は中性的で、一目だけなら娘にも見える程だ。何より体が華奢なので、頼りなさそうな第一印象を思わせる男子生徒だった。その名も、自衛 斗真。彼もまた、オカルト部の部員の一人である。
「斗真か」
「はい……それより、さっきジャスティンさんが歩いていってましたけど……また面倒事押し付けたんですか?」
「押し付けたんじゃない……アイツが引き受けた」
「でも、怠そうにしてましたよ」
怪訝そうに言う斗真に対して、華雄は相も変わらず毅然で凛とした態度を貫く。その貫禄は、もはや『部長』というより『ボス』や『リーダー』と呼んだ方が似合うぐらいだ。
「アイツが本当に興味の無い話を聞いている時は、愛想笑いをしてから一通り聞き、自分の好きなゲームの話に切り替えるものだ」
「ああ、そうなんですね……」
斗真はそう言ってから華雄の背後に来て、例の新聞の一面を見る。やはり彼も目に付けたのは、例の怪事件の記事だ。『K商店街の近くの住宅街で、骨と皮だけになった男性の変死体。犯行は連日の事件同様、前日の晩に行われていた。』と、昨日の新聞をまるまるとコピーしたかのような内容。見飽きてウンザリしているのは、斗真も華雄も同じだった。
「華雄さん、僕も調べてきます。何か分かったら、そっちに連絡しますので」
「ああ……精々、気を付けるんだな」
斗真は、ジャスティンの後を追うように部室を後にするのだった。
※
夜の商店街。月が出ており、シャッターは締め切られ、人は居ない。僅かな街灯だけが、道を照らしている。
死体が見つかるのは、決まって朝。故に事件が起こるのは深夜の時間。誰も居ない、誰も来ない、誰にも見られない所で、一人で歩いている所を襲われる……そういった件だろう。
「何だか悪い事してる気分だなぁ……」
斗真はそう言いながら、とぼとぼと歩く。彼は高校生であり……普通にこんな夜中に出歩けば、補導されてしまう。「連日の怪事件を調べに深夜徘徊してました」なんていう文言など、警察には通用しないだろう。
だが……警察こそ、サキュバスには通用しない。だから、自分が出張るしかない。そう思っていた時だった。
どしゃっ。
無機質な音が、静寂だけの商店街に響く。ゴミでも捨てたかのような音が鳴った方を見てみれば──否、それはゴミではなく──全裸の人間が、干物のような様相で倒れていた。
「……なにっ!?」
──なぜ?
人っ子一人の気配も無かった筈である。それに、何かの物音一つも聞こえなかった。なら、何だこれは? 今、突如として現れたコレは……いったい、何なんだ?
遠目からでも解る程に、生きていないと言える状態になったそれを凝視してしまう。そのせいで彼は、背後から迫る影に気付けなかったのだった。
「はぁい、捕まえた〜」
妖艶な女の声が聞こえたかと思ったら、腕が背後から伸びて、口と腹を押さえてくる。背中に柔肉が押し付けられ、体と体が密着した。
「っっ!!?」
自分の背丈よりも見上げるほどの身長、とてつもない巨乳、そんなものを有している女に背後から抱きつかれている……聞こえはいいが、状況が状況。一寸先に、死が見えている状態である。
「あはははっ、よく見たらけっこうカワイイじゃん! どぉしよ……搾り殺さずに持って帰って、奴隷にしてあげようかな……」
DLSというサイトのエロ漫画でよく聞く台詞。サキュバスものが大流行りしている台詞が、何の垣根も遠慮も比喩も無しに自分に向けられるとは思いもしなかった。
「っ、く、離せっ!」
「あはっ! よっわ……ざこざこ人間くん、かぁいいねぇ……私達の所にお持ち帰りしてぇ、自慢しちゃおっかな……」
必死に抵抗する斗真だったが、筋力に差がありすぎて抜け出せない。暴れる体も激しくなる呼吸も腕で塞がれ、蜘蛛の巣に捕らわれた小鳥のようにもがき続けている。
嗚呼、彼女はサキュバス。人外の異形。人の道理や法など通用しない、化け物。好奇心でそんなものを相手にしようとしたのが間違いだったのか。
「それじゃあ、早速味見を……」
サキュバスがそう言い、斗真の頭を掴んで目を合わさせる。
彼女の顔は、驚く程に美しかった。大きな目に、スラリとした鼻に、瑞々しい唇……男の欲を満たす為には、充分すぎるものであった。彼女にならば、絡め取られ、掌の上で弄ばれても良い……そういう感情が湧いて来そうな程に妖艶で、目を奪われる程に美麗だった。
だが、その感情が不味かった。
脳が溶かされる。瞳が彼女を捉えて離さない。頭がピンクに染まる。金縛りにかかったかのように動く事も出来ず、なのに心臓の音だけは外へ聞こえそうな程にドクドクと高鳴っている。
顔が近付く。唇を尖らせた彼女が、迫ってくる。それに連れて、ただでさえ大音量の心音がスピーカーのツマミを捻るように音量を上げていく。もう、人の身では耐え切れそうになく……そのまま意識を手放し、夢の中へダイブしようとしたその時だった。
「っきゃぁあぁあっ!!?」
サキュバスは突然気分が変わったのか、斗真を投げ出しながら離れ、脇腹を押さえながら後退していた。
「ぁ、ぇ……!!?」
投げ出された斗真は、何が何だか分からないまま呆然と尻もちをついたまま。そんな彼に、近付く靴の音。
「大丈夫か」
そう言って手を貸してくれたのは、なんと華雄であった。彼もまた、ここへ調査に来ていたというのだろうか。
「す、すみませんっ! ありがとうございます!」
「お前程の男が油断するとはな」
斗真を立ち上がらせた華雄は、その反転した色の瞳でサキュバスを睨めつけた。人外のような眼で睨まれた彼女は「うっ」と唸りながら、一歩、二歩と、後退する。
「……どうする、俺もこの男も『能力者』だ。いかにサキュバスと言え、二対一は分が悪いだろう」
「そうみたいね……なら、逃げさせてもらうわっ!」
サキュバスはそう言い、背中を見せて走り去ろうと地面を踏ん張ったその時だった。彼女の胸から結晶のようなものが突き破り、勢いよく血が噴き出した。あまりにも一瞬の出来事だった故に、断末魔も残さないまま、彼女は息絶えたのだった。
「まぁ、逃がすつもりなど無いがな」
彼女に向けていた手を下げながら、華雄は言う。
「うわぁ、容赦ないですね……」
「ジャスティン程では無い」
「え?」
「先のサキュバスの言葉……私達の所、などと言っていたな」
華雄の言葉で、気付く。
そうだ、サキュバスは一体だけじゃない。そうなると……サキュバス共の巣を潰さない限り、根本的な解決にはならない。
「なら、その巣を見つけなきゃ! 一体どこに……」
「いや、ジャスティンは既に見つけている。俺らより、とっくのとうにな」
なんと、ジャスティンのサキュバス狩りの手腕は相当に長けており……自分達より先に巣を特定し、率先して叩きに行っているとの事。
「……やっぱり、『本業』には勝てませんね……」
「ああ、流石は『サキュバススレイヤー』だ」
歩く華雄に、斗真は着いていく。向かう先は、ジャスティンが行く場所との事。二人は揃って、事の顛末を見に行くのだった。
※
商店街から少し離れた、人通りの少ない路地。そう遠くない所にコンビニもあるので、いつもなら不良がたむろしているであろう場所。着工中の看板が立てられており、朝の作業の為に鉄パイプやら何やらがそこらの空き地に並べられている。
事実として、褒められた治安ではないこのK県では、このような怪事件が起きる前はここらで不良が溜まっていたものだった。今となっては、怪事件に伴って悪い噂もあるようなので誰も居ないが。
「……」
そんな所を一人で歩く、ジャスティン。覚悟の決まった表情のまま、堂々と歩いている。ここに何かが居るという確信の元、歩を進め続ける。
「おーい、お兄さーん?」
すると、突如として背後から声が掛かった。感じからして、若い女の声……いわゆる、ギャル系と言えばいいだろうか。こんな暗がりの道に似合わない、明るい声が掛けられた。
ジャスティンは立ち止まるが……ただ、それだけ。夜闇に表情を隠しながら、悟られぬように立ち尽くす。
「こんな所で一人で居たら危ないよ〜? だから、あーしと一緒に遊ぼうよ!」
「へぇ」
きゃいきゃいとした様子で言う彼女だったが、それに応えるジャスティンの声は低く、ドスの効いたものだった。そんな声色の彼に目元をピクリと動かす彼女だが、振り向きもせずに続ける。
「普通、こんな夜中に高校生が出歩いていても声を掛ける女の人なんて居ないんだよ。ましてや、こんな人通りの少ない路地になんか」
「え、いやいやいや、それってただの君の意見じゃん? ちょっと警戒しすぎじゃない?」
「逆にお前らは、警戒しなさすぎなんだよ」
ジャスティンはそう言った瞬間に振り向き、瞬歩の如き閃走で女へ肉薄し、その顔面を掴む。そうしたかと思うと、突如としてその手が発光し、それと同時に彼女の顔の上半分が発光を伴って溶け始めた。
「ぎゃあぁあぁああぁあああ!!!?」
「……」
断末魔と共に倒れる女を横目に、ジャスティンは振り向く。すると、いつの間にか居たのか、彼女の断末魔を聞いて駆け付けたのか、女が群がっていた。
──否、ただの女では無い。蝙蝠のような羽根を羽ばたかせ、悪魔のような角を生やし、むちむちとした足を見れば尾が生えているのが目に入る、変態痴女のような際どい格好をした異形のもの共だった。
「アンタね……巷で噂の『サキュバススレイヤー』ってのは」
「でも、所詮は男……すぐに私達の虜にして、許しを乞うまで蹂躙してあげる……」
「よく見れば、カワイイじゃない! いたぶり甲斐がありそう……!」
思い思いの言葉を吐く、異形の女たち……彼女らこそ、このK県を蝕む怪異のひとつ、淫魔。或いはサキュバスと呼ばれる存在であった。
ジャスティンは冷めたような眼を向けながら、その辺にあった鉄パイプの端を踏み抜く。するとそれは回転しながら跳び上がり、重力に従って落ちてきた所を彼の手によって掴まれ、武器と化した。
「……クソ淫魔共が……気持ち悪い……」
そう言いながら鉄パイプを逆手持ちにして、構える。そして、得物としたそれが応じるように光り出したのだった。
※
ジャスティンの様子を遠方から見る人影が二人……華雄と斗真であった。
「か、華雄さん……」
「ああ……相変わらず、凄まじい『気』だな」
そう話し合いながら、戦況を見守る。
「サキュバスの本分は、人間から精を奪って糧とすること……その為に魅了や誘惑の異能を使いこなし……夢にまで侵食してくる事もあるそうだ」
華雄が言うと、斗真は耳が痛そうに苦笑いする。
「恐ろしい能力ですね……事実、それで僕も先程は不覚を取りそうになりましたし」
「ああ……お前程の能力者を一瞬にして落とすような異能だ」
魅了、誘惑……サキュバスもののエロ漫画など読んでいれば、嫌でも耳に入るようなワード。それと聞けばあまり脅威が無いように感じてしまうが……
「……魅了や誘惑は、『意志の上書き』。人間の心にあるものを、全て塗り潰してしまうようなものだ。精を糧とするために能力を行使しているように思えるが……行使された側の人間に待ち受けるものは、心を塗り潰されたが故の人間性の喪失だ」
華雄が語ると、斗真も背筋を震わせる。
人間性を喪う……それは搾られて干物になるより……それこそ、死ぬより恐ろしい事だ。だって、人間が人間性を喪ったら……後には、何が残るというのだろうか?
「僕も似たような能力ですけど……ゾッとしませんね……」
「ああ……何の意図があるのかは知らんが、今は密やかに活動しているのが救いだな。それに、ジャスティンは淫魔に抗する為の力を持っている。この場は、心配はいらないだろう」
「『気』……確か、魔的なものを倒す為の力でしたっけ……だから僕達と違ってあの人は、『こういう相手』が専門なんですね」
話し終わった二人の見ている先で、遂にジャスティンが動き出した。
※
「お前みたいなのは、いつもそうだ……人間を家畜以下か何かと見なし、逃げる者は追い……往々にして、自分が始末される事は頭に無い」
「言うじゃない、坊や? だけど……坊やは人間で、私達は淫魔……坊や達とは、完全に上位の関係にあるのよ? 妙な能力を持ってるらしいけど……この人数差で、勝てるのかしら?」
得意気に言う、淫魔。それにつられて、クスクスと小気味よく薄ら笑う取り巻き共。
「勝てる」
臆する事も無く応え、光っている鉄パイプを手に、眼を見開くジャスティン。既に、目の前から手を広げてくるサキュバスが一体。
それの頭に向かって何の遠慮もなく鉄パイプを振り下ろす。すると、彼女の頭は圧し潰れ、旋毛を叩いたはずのそれは腹の下辺りまでめり込んだ。
次に、背後から迫ってくるサキュバスが一体。ジャスティンは腰を捻って、勢い付けて振り向くと同時に鉄パイプを振り上げる。すると、見事にその顎へ命中し、彼女は体だけ残して頭を粉砕されてしまった。
「っ、ならっ!」
「二人同時に──」
ジャスティンの両手から迫ってくる、サキュバス。彼女らが攻撃範囲に入った次の瞬間。彼は地面に踏ん張って腰を下ろし、左足を軸にして強烈な薙ぎ払いを繰り出した。二体とも直撃し──刃物で斬られた訳でもないのに──真っ二つになって、下半身と別れを告げる羽目になっていた。
「っひぃいっ!?」
漸く、誰を相手にしてしまったのか理解したサキュバスの一体。彼女は恐れをなし、振り向いて羽ばたこうとする。しかしそれより速くジャスティンは彼女の目の前に回り込んでくる。そして、その顔面を掴んで、命乞いもさせないまま握り潰した。
「……ふん」
血に塗れた手を払い、残った一体に目を向ける。既にこちらに向かって走り出しており先程までの奴らと違って骨がありそうだ。
ならばと、おもむろに鉄パイプをぶん投げる。軽い振りからは考えられないような速度で、高速回転しながら、サキュバスの顔を目掛けて一直線に飛んでいく。
「うっ!?」
彼女はその場で急ブレーキをかけながら、胸を逸らしてそれを避ける。鉄パイプは彼女の胸の上を掠め、後方へ飛んでいく。
すぐに体を起こし、ジャスティンの方を見る……が、彼の姿がない。
「えっ……」
右を見ても、左を見ても、何処にも居ない。こんな路地に、隠れる場所なんて無い筈なのに──
ドズッ
異音が聞こえたと同時に、彼女の目の前に一本の棒が現れる。
「……は?」
否、現れたのでは無い。鉄パイプが、彼女の胸を突き破って飛び出してきていたのだ。背後には、彼女から背を向けたまま逆手持ちした鉄パイプで背を貫くジャスティンが居た。
何が起きたか理解する間も無く、彼女はその場に倒れたのだった。
「……」
もうここに、魔的なものの気配は無い。それに……この手のものは、日光を浴びるとたちまちに灰と化して風化する。夜間にしか現れないのも、それが故だ。
「起きすぎた……流石に、もう寝よう」
ジャスティンはそう言い、帰路へ歩いていく。時間はまだ深夜。
長い道のりを歩く為に、彼は闇に覆われた道を歩むのだった。