07 彼がずっと想っている相手
前回に引き続き、大学編です。
「見た?智弘君の彼女って女」
「見たあ、別にそんな可愛くなくない?」
「そんでハルタの幼馴染とか、イケメン独り占めって?」
「「何様〜〜」」
私はお手洗いの個室で、出るに出られなくなっていた。
今時の女子大生の会話のレベルって、と、自分も女子大生なはずなのに、呆れてしまった。
「でもさぁ智弘君、好きな人いるってずっと告白断ってきたじゃん?」
「え、じゃあまさかあの女?」
「ハルタの幼馴染なんでしょ、そこから出会ったクチでしょ、どーせ」
「泥棒猫ってやつ〜?」
もしそれが事実だったとして、どこをどうしたら泥棒猫になるのだろうか。
こういったことにどちらかと言えば慣れているつもりの自分でも、ちょっと気分が悪い。
思うに、自分たちのコミュニティ外のよそ者であるからこそ、今まで陽太関連で中高時代のそういう子達と比べて負の感情のぶつけ方に遠慮がないのだろう。
なんてことを、ぼうっと考えていると、気付けば声が聞こえなくなっていたので、ドアを開けて個室の外に出る。
陽太は智弘とはカフェテリアで出会えるものだと安易に考えていたらしいが、結局出会うことはなかった。
じゃあきっとあそこにいるはずだ!と智弘が所属する研究室に向かうことになり、こんなことになるなら事前に連絡取っておけばよかったかな、とため息をつきながらも陽太についていった。
研究室に入るなり私たちに気づいた智弘は、目に見えてわかるくらい――怒っていた。
「アホか!何で来た!」
今まで聞いたことくらいの怒り口調に、私はびっくりして、すぐに言い返すことができなかった。
「おいおい、智弘なんでそんな嫌がるわけ?恥ずかしいの?」
「…まさかとは思うけど、おまえが連れてきた?」
「そうだよ。だって千夏が可哀想だろー、なんで大学遊びに来るくらい許してやんねーの?」
「…俺の彼女だって、誰かに言った?」
「そりゃ聞かれたら答えたよ。嘘つくより良くない?なんでそんなに怒ってんの?」
なんでかわかんない、と眉を下げる陽太に、大きなため息をつく智弘。
ずっと拒否されてきたことについては、私だって恥ずかしいのかな?くらいに軽く考えていた。
でも実際ここに来てみて、私が来ない方が良かった理由はなんとなく察しがつく。
何も言わないままの私に、智弘が声をかける。
「…千夏、怒鳴って悪かった。この様子だと大方陽太が悪いけど、せめて来る前に連絡ほしかった」
「ごめん…」
「あとちょっとでこの解析終わるから、それまで待てるか?送るから一緒に帰ろう」
「じゃあオレも一緒に待つ…」
「お前は帰れ。これ以上ややこしくすんな」
「なあ、なんでおまえがそんなに怒ってんのか、本気でわかんねえんだけど…」
「またゆっくり説明してやるから。もう怒ってねえよ、明日な」
「お、おう…」
イマイチ納得できていなさそうだが、追い出されるように陽太は研究室を出て行ってしまう。
私は智弘の顔色を伺うように見上げたが、さっき見せた怒りの空気は綺麗に消え去っていて、いつもの、ポーカーフェイスな彼だったので少し安心した。
「おいで、コーヒー入れるから、座って」
「ありがとう…」
手をひかれるまま、薄緑色のキルトのかかったソファに腰掛ける。
智弘の所属する研究室とやらは、THE理系って感じで、ズラリPCが並んだ無機質な部屋だった。
智弘は、カタカタとパソコンに向かって私には理解しえないような英語の羅列を打ち込み始めた。
そんな背中を見つめるしかできないでいると、手は止めずに智弘が言う。
「この大学、見てわかったと思うけど、男子が少ないんだ」
それは、ここに来てすぐに気づいた。
文系と理系の学部が混在するこのキャンパスで、圧倒的に女子の割合が高く、私が囲まれた女子たちからは華やかな香りが入り混じって、少し気持ち悪いと感じたくらいだった。
「数少ない男子を、狙おうとかまつりあげようと、女子たちは牽制しあってる」
「け、牽制」
「抜け駆けなんかしたら血祭だろうな」
「…」
「くだらないだろ」
さっきのお手洗いでの出来事がよみがえって気分が悪い。
あれくらいじゃあまだ、可愛いもんだったんだろうなと予想できる。
「びっくりしただろ。ごめんな。」
「びっくりはしたけど、直接危害を加えられた訳じゃないし…」
「でも、嫌な思いさせただろ。陽太はその辺の空気、感じ取れてないから逆にすごいよな」
陽太は昔からそういうやつだった。恋愛関連の負の感情については、異常に鈍い。
純粋であるが故に、“好き”と言うプラスな気持ちが、悪い方向に繋がるはずが無いって思ってるいるところがある。
その鈍さに、私は何度となく女子からの冷たい視線を余分に浴びてきたので、慣れてるといえば慣れているのだが。
「慣れてたとしても、いいもんじゃないだろ。」
「……エスパーなの?」
口に出していないのに、心の中の言葉と会話したかのような返答に驚く。
「違うけど。なんだろ、波長がさ、千夏とは合うから…なんか、同じものが流れ込んでくるような感覚があるんだよな」
「わあすごい」
「…信じてないだろ」
「陽太だって彼女いるじゃん。あれ大丈夫なの?」
「まあアイツは、ほら、バカだから」
「賢い智弘くんは、気遣って大変ね。」
「嫌味だろ、それ」
「褒めてるんだけどね?」
ほんとに。
周りのことを、みすぎているくらいに感じることがある。
的確に空気を読んで、その時その時の最善を選んでいる印象だ。
それは周りの人の幸せを考えすぎているが故に、一体だれが彼の幸せを導いてくれるのだろうと、少し心配だ。
「…好きな人がいる、って、告白断ってきたんだって?」
「そんなことまで今日のうちに言われたのか」
「みんなおしゃべりだねえ」
「…まあ、常套句だろ」
「でも陽太が、ついにそれを克服したんだぜって誇らしげに」
「……ほんと、果てしなくバカだな…」
「や、たぶん、私に気遣ったんだと思うけど」
「“彼氏に好きな人がいる状態で、私はなんなんだ”って?そもそもその好きな人ってやつを、千夏ってことにしとけば丸くおさまるのにな…」
「まあ、そこまでは考え付かなかったんじゃない?」
考えているようで、どこか抜けている。
実際、ぽっと出の私が、“智弘がずっと想っている相手”でないことはすぐバレるだろう。
「俺が紹介したんだ!」って大きな声で言ってたしな、陽太は。
「…好きな人は、あなたに彼女ができたってこと、知ってるの?」
キーボードをカタカタ打つ手が、一度止まる。
「――――知ってるよ」
そう一言だけ言うと、何事もなかったかのように再びキーボードは音を立て始める。
終わったよと、彼が立ち上がるまで、もう何も話すことはなかった。
私はまだ、彼の傷について―――何も知らない。
少しだけ、智弘の傷とやらが見えてきましたね。