05 それは不思議な力をもつ音色
あれから何度かデートを重ねて、キス…もして、自分にとっての智弘の存在が前よりもずいぶん近く感じる。
一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、情なのか、信頼なのかなんなのか、言葉では言い表せないような不思議な感情を、彼に抱くようになっていた。
「あれが、陽太の部屋?」
「うん、そう」
今日は初めて、智弘が私の部屋に来た。
彼が指差した先にある窓の向こうには、陽太の部屋がある。
陽太とはお隣さんであるが、さらに部屋も隣り合わせなのだ。
「これだけ近いと、結構見えるんじゃ――」
智弘が言葉を止める。
目線の先には、カーテンの向こうで、動く2人分の人影。
向かい合う窓は、ベランダに続いている訳ではなく、更には陽太の部屋はその窓の隣にベッドがおかれているという配置だ。
つまり、レースカーテンのみで隠されている時のベッドの上での動きについては、シルエットで何となくわかってしまうことがある。
そういえば近々彼女が部屋に来るのに片付けが終わらない助けてくれなんて泣き言のメッセージが来ていた記憶が蘇り、タイミングの悪さに溜息が出た。
「……拷問だろ、これ」
「仕方ないじゃない。窓ここしかないから、閉め切ったらお日様の光入らないし」
「それにしたって、千夏、まさか、女王様に見せかけたどM…?」
「違うわよ!…逃げるみたいで、嫌じゃない」
まさにナニカが始まったであろうシルエットから、目をそらす。
こんなの、今に始まったことじゃない。
もちろん初めは戸惑ったし、ショックだったし、カーテンどころか雨戸まで閉めてやったけど、こっちがそこまでしてやる必要はないと思い直したのはいつ頃からだっただろうか。
「…変なところで男前なんだよな、千夏は」
ぽん、と、智弘の手が私の頭の上に乗って、くしゃくしゃと絶妙な強さで撫でる。
その手のぬくもりが心地よくて、すがりたいような気持ちになって思わず目を閉じた。
傷を舐め合うって、こういうことかと改めて思う。
こんなこと頑張ってきたんだよって誰かに伝えて、それをよく頑張ったねって褒めてもらう。
たったそれだけのことなのに、何故かこんなにも心強い。
そのまま私の頭の後ろに彼の手が回って引き寄せられたので、おとなしくその力に従うことにした。
だってなんだか、いい気分だし。
「せっかくだし、俺らも―――みせつける?」
何を、と思って目を開けたら、視界には智弘と、その奥に天井。
それを見て、ベッドに押し倒されている状況に気付く。
するすると智弘の手が首元を這い、唇が降ってきた。
――ちょっと待って。
「っ、智弘…」
「何」
「こんなの、向こうに見えるわけないじゃんか…っ」
智弘の動きを制するように手を伸ばして押し返そうとするけど、びくともしない。
私の部屋は陽太の部屋と違って、窓の横にベッドはない。
それ以前に、本当に向こうで何かが始まっているのなら、こっちの方なんて気にする訳がない。見せつけるという目的は、果たせないのは一目瞭然だ。
「知ってるけど、なんか、ね」
悔しいよね。
そう言って、もう一度、唇が触れる。今度はさっきより、少し長く。
こういう時、スイッチを押したみたいに空気が変わる瞬間を感じる。
これは、つまり――――
「…震えてるけど」
「うる、さい」
一度離れた唇が、触れるか触れないかくらいのところで、止まった。
必死に隠そうとしてた動揺が、この近さだと多分伝わってしまった。
「……ちょっと、待って、まさか初めてとか言わないよな」
「……………」
「え、まじか、ごめん」
「謝られる方が、みじめだからやめて…」
す、と智弘が身体を引いた。
触れていなくても熱が伝わってしまうくらい近かったのに、間に通る風がひんやりしてなんだか寂しい。
「だって、今までの男たちは?何してたわけ」
「今までの男たちは、存在もしてないけど」
「は?嘘だろ」
智弘は目を大きく見開いて、心底信じられないという表情をする。
…それが、一番失礼。
「……付き合ったことすらないわよ、悪かったわね。」
「モッテモテだったと聞いたけど」
「陽太のこと好きな状態で他行くなんて、相手に失礼でしょう」
「つまり告白たちをバッサリ切ってきたわけだ」
その通り。
バッサリ切ってきたのはあなたも同じでしょうと睨めば、伝わったのか目を泳がせる。
「まさかキスも……」
「そうね、したことなかったわね」
「言えよ、おい!」
「恥ずかしくて言えるわけないでしょう!!」
「いや、だって、こないだ俺、ずいぶん軽くすませたよな…」
「軽いとか重いとか、あるのね。大変ね」
「………」
「震えるのは、極力おさえるように努力するから」
「なに、言って」
「――お願い、やめないで」
智弘が、驚いた顔をして動きを止める。
「ヤケになってるとかじゃないよ。そんなの今更だし。」
未だに震えの止まらない情けない腕を抱えるようにして、彼を見上げる。
いつまでも大事に大事に取っておいたわけじゃない。
いつか、陽太と――なんて、考えなかったかと言ったら勿論嘘になるけれど。
きっとそんな願いは叶うことはない。
だとしてもハードルが高いことには変わりない。
そんな大イベントで、智弘になら身を委ねてもいいななんて、思えるくらいには彼のことを信頼できるようになっていた。
「初めてを、エスコートしてもらうの、智弘ならいいって、思ったの」
「―――は。すげえ、殺し文句」
「?」
「なんでも。…そうだな、震えんの我慢しなくてもいいからさ、嫌なことあったら言ってよ」
「…うん」
唇が触れた。もう一度、距離が縮まる。
大丈夫だよって言ってくれてるみたいな、あったかくて優しい口づけだった。
「全部、俺に任せれば、いいから」
―――この音色は。
目を閉じて総てを委ねてしまいたくなるような、不思議な力がある。
傷の舐め合いなんて言ってたけど、本当にそうなのかな。
私ばっかり、救われているような気がしてならない。
もらった分だけ、返したいって思ってるのに。
それでもこの時の私は、導かれるままに昇りつめるのに必死で。
ぎゅ、と背中に腕を回して、そんな気持ちを伝えようとするくらいしかできなかった。
展開早いかなーとは思いましたが、一応気持ちを伴ってそういう関係になるというよりは、触れ合いをもお互いを知っていくツールとして考えている節がある智弘さんですので、こうなりました。千夏がそこまでこだわりがなかったから成立したイベントでしたね。そうじゃなかったら多分アウトよ智弘さん笑