03 決意表明と努力の理由
智弘くんは二人が通う大学近くにアパートを借りていた。
連絡するとちょうどバイトが終わったタイミングだったようで、駅前のコーヒーショップで待つことにした。
時間も遅いから一緒に待ってるよ、という陽太の気遣いは断った。
さすがに告白の返事をする後ろで、想い人が待ってる状況は、当然おかしい。
…嬉しいと思わなかったかと言われれば、嘘になるのだが。
――コンコン
窓際のカウンターに座っていたので、目の前のガラスが叩かれる音で顔を上げた。
窓越しに智弘くんが手を振っていた。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、ごめんね、バイト後おつかれのところ…」
私は荷物を持って店を出て、彼の元へ駆け寄った。
「や、いいよ。意外と早かったね」
「え?」
「返事でしょ。決めたの?」
「う、ん…」
自分としては決心をして来たつもりだったが、いざ本人を目の前にすると上手く言葉が出てこない。
「その顔じゃ、断りに来た訳じゃないみたいだね」
エスパーか。その通りなので、頷く。
智弘くんはふ、と微笑むと、私の手をそっと取った。
(…まただ)
不思議と、嫌ではない、彼の手の温度。
知らない人の手なはずなのに、知らない温度ではないように感じる。
「そんな難しく考えないでさ、楽しくやっていこうよ」
「…ありがとう」
「人生、経験って言うだろ」
にや、と笑う彼につられて私も笑う。
「…わざわざ茨の道を歩く必要は、ないわよね」
「そういうこと」
とられていた手が、握手のように握られる。
まるでこれから、同じ敵に挑む仲間みたいで、色気の無さに声を出して笑った。
「とりあえず、帰るか。駅まで送るよ、最寄どこ」
「〇〇駅」
「なら、向こうの駅まで歩くか、あっちの線のが、この時間は早い」
「それはいいけど、あの、手…」
握手を交わした手が、離れる気配がない。
それどころか、指を絡めて彼は歩き出す。
「なに、普通だろ」
「……ソウデスカ」
「何照れてんだよ、かわいーとこあるね、案外」
(案外って、何よ!)
まだ会ったの二回目だというのに、一体どんなイメージを抱かれているのやら。
「だから、知るために付き合って、知っていくために手とか繋いでくんだろ」
当然だろ、とばかりに彼は言う。
(…そういう、ものなの?)
何せ私は陽太のことしか好きになったことがない訳で。
それこそ小さい頃からずっと、陽太しか見てなかった訳で。
恋愛経験値がとてつもなく高そうな智弘くんを前に、恥ずかしくてそんなことも聞けない。
「アンタさ、綺麗だよね。ていうか、綺麗にしてるよね」
「?」
唐突に智弘くんが、私を横目に見て言う。
「元々素材も良いんだろうけどさ、ちゃんと手入れが行き届いてるっていうか」
「…そりゃ、努力、してるもの」
陽太以外に興味のない人生を歩んできたようなものだったが、いい女であるように、努力を怠ったりはしなかった。
見た目も、中身も、磨いてきたつもりで、それは少しでも、陽太が褒めてくれたらって思う部分はあったけれど。
「髪とか、特に綺麗。触って良い?」
「どうぞ。…って、何してんの」
智弘くんは私の髪先をひとすくいすると、あろうことか口づけた。
「ん。いいね、サラサラなのに、やわらかい」
「……ねえ、それ、恥ずかしくないの」
「はは、やってみたかっただけ。ちょっと恥ずかしい」
そう言って照れる表情も、不思議と色気を纏っていて、ずるいなあと思った。
「……髪は、特に陽太が、褒めてくれて」
長い髪が好きだと言う。
そんなことを聞いてからはずっと、髪の手入れは欠かすことがなかった。
“千夏の髪、好きだわ〜”って触ってくれるのが嬉しくて。
「馬鹿みたいでしょう」
「…もったいないことしてるぜ、陽太も」
智弘くんは立ち止まってそう言うと、私の後ろ髪に手を差し込んで引き寄せた。
彼の胸に顔をうずめる形になった私は、なんだか泣きそうになっていた。
「そうやって頑張ってきたパワーと情熱とか、どうせあいつ、気づいてねーんだろ?」
「…全部無駄だったみたいに、言わないでよ。」
「そういうところは認めて、傷を舐め合っていく関係だろ、俺らは」
「………そう、だけど…」
わかっていることでも、はっきり言われると傷つくは傷つく。
でも、言ってもらえなければいつまでたっても自分では認めないことくらいもうわかっている。
そうやって、前に進むために、私たちは手を取り合ったのだ。
「陽太のことを、考えるのはやめなくていい」
「え?」
「俺は千夏の気持ちを奪いたいわけじゃないから」
急に名前を呼ばれてドキリとする。
触れ合っている部分から伝わってくる熱が温かくて、つられるようにじんわりと胸が熱くなる。
「ただこれからはさ、その情熱を俺だけのために使えよな」
その声が妙に優しくて、私は静かに頷いた。
―――何故だか初めて会ったときから、波長が合った気がしていた。
この人となら――、
ひとしく乗せられた“愛”の天秤を、傾かせることなく、進んでいくことが
――――できる?