契機
思いがけない出来事というのは案外前触れがあったりするものだ。
妙にうまくいくことが多いとか、その逆もあるかもしれないな…。
いあや、それは正しくないだろう。
それは前触れなんかじゃなくて、現在進行形で進んでいる出来事の一部。
既にことが始まっているということの証左に過ぎない。
だから、あの時こうしてればなんて後悔は何の意味もないだろう。
なぜなら、そうなることは決まっていたから。
それが逃れられぬ契機になることは決まっていたのだから。
暗い、身をゆだねるとどこまでも落ちていけそうなほどの黒だ。
森での生活でもこれほどの闇は中々経験できないものだ。
月明り、星々の煌めき、暖炉の火……暗さに慣れると自然と微かな灯りにも反応できるようになるものだ。
だから、早い段階で気が付けたのかもしれない。
光の反射ではない、それ自体が薄く発光している。魔法なのか、よくわからないがそれは力を放っていることだけは本能のようなもので感じ取れた。ガチャガチャという音を立ててもおかしくないのだが、そのプレートアーマー姿の騎士が歩く音は驚くほど静かだった。
「王よ。傲慢で傲岸で驕傲で驕慢で不遜で尊大な光の名を冠する王よ。」
鎧姿の騎士が高らかに宣言するように語りだした。
「我を許し給え。わが蛮行を。」
鞘から剣を抜き放つと、それを天高く掲げた。
すると、闇の中から強烈な光が放たれた。
様々な光の乱舞。その中心にはいつの間にか玉座が顕現した。
光が収まるとそこには鳥のような白亜の羽を有した女性が座っている。
「童如きが僕に仇を成す…と?」
息が詰まるほどのプレシャーを感じる。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように思えるほどの。
騎士も僅かに気圧されたようだ。しかし、足は確実に玉座へと接近している。
騎士が飛び掛かると共に、玉座に坐す女性がが左手を上げる。
あたりを光が包み込み………。
「何だったんだ…あれは…。」
ずいぶん変な夢を見た。正直な感想だった。
特段、物語本が好きなわけではない。英雄願望があるわけでもない。ああいった話に登場する騎士王をかっこいいとは思うことはあったが、同時に自分のような木こりとは縁遠いものだということも理解していた。
「水汲まなきゃ…。」
が、すぐにアイザックは異変を感じる。
自分が横たわっていたのは見慣れた家ではなく、先程とは打って変わったような白い世界だった。
それは冬季のような銀世界というわけではなく、ただただ四方八方が白なのだ。
「なんっ……また、夢??」
立て続けに変な夢を見ているのかと思った。アイザックはあまり夢を見たことはない。祖父に課せられた日課をこなし、夜を迎えた頃にはすっかり疲れ果てており、いつも朝までぐっすりだった。
だからなのか、この夢に強い違和感を覚える。
すっかり立ち上がり、周囲を見渡すも何の変化も怒らなかった。
「何だここ……。何が起こって…。」
背後に気配を感じ振りむくとそこには錆び付いた鎧を纏った騎士が立っていた。
「なんだ!お前は!!」
(っても僕の夢に語り掛けるって、なんか変な気もする…)
少し距離を取り、アイザックが問いかけるもそれは反応を示さなかった。
沈黙が流れ……アイザックが再び口を開こうとすると、鎧騎士は錆びたねじを無理に回したような音を立てながらそっぽを向いた。
「本当はこの業を引き継ぐつもりはなかった。」
静かに鎧騎士は語り始めた。
「いつも後悔と謝罪ばかりだった。そうだなマリア、私は君との約束すら守れぬ愚か者のようだ。」
それはまるで懺悔であった。
「逃げることも出来ぬ、ましてや立ち向かうことなど到底出来ぬ。誰よりも臆病になってしまった。」
声色に涙のようなものが混じる。
「いや…もともと、臆病なのだ。だからすでに決めたはずなのに、いざという時になると足がすくんでしまう。怖くて怖くて仕方がない。」
それきり鎧騎士は口をつぐんでしまった。
アイザックは目の前の出来事を整理するのに精一杯であった。
だが、何を問うにもまず、これだけは言わなければならない気がした。
「そんなことはない…そんなことはないよ………じいちゃん!」
なぜ錆びた鎧の中から祖父の声がするのか、ここはどこなのか、祖父が下した決意とは何なのか、そんなことはどうでもよかった。ただ今は、弱気な祖父の姿に我慢ならなかった。
鎧騎士はアイザックの方を見ると右手をゆっくりと差し出しながら近づいた。
そして、アイザックの顔に右手が触れると同時に錆びた鎧が剥がれ落ちていく。
「すまんな…身勝手な儂を許してくれ…。」
涙を流した祖父はやがて光の粒となり消えていった。
アイザック・ブレイヴの冒険が始まる。