第九話「団らん」
雪を抱っこしたまま、部屋へと帰宅した祐也は、部屋の中の様子をそろりと見渡す。本当にあの謎の少女は謎のまま消えていったというのか。
祐也の腕から床に降りた雪が、タタタッと走って居間の窓へと向かう。見るとカーテンの裾が一部膨れて盛り上がっている。その隙間からちらりと人肌が見え隠れしていた。
(……いるし)
間違いなく、ナイがそこにいた。
祐也がカーテンを開くと、ナイは体を縮めて丸め、目を大きく見開いて警戒の色を示していた。雪が鼻先と鼻先をちょんとすると、緊張の糸が解けたように、だらりと力を抜いて体を伸ばした。
何となくだが、ナイの性格が少し掴めてきた祐也だ。やたら警戒心が強いかと思えば、危険性がないと判断して安心すれば興味すら無くす。そして寝転がってナマケモノのように動かなくなるのだ。
(……動物みたいだな)
ちなみに今のこの状態はというと、突然玄関から現れた神崎にビックリして隠れて身を潜めていたところ、再び玄関のドアが開いたため、祐也にもビックリしてしまい慌てて隠れたといったところか。頭隠して尻隠さず、ではあったが。
テーブルの上を見ると、朝の食パンは手つかずのまま残っていた。
「……ナイ。腹減ったろ? ちょっと待ってろ」
玄関に置いたままのレジ袋を取りに戻り台所へと持ち運ぶ。レジ袋の音に反応した雪が飛んでやって来て、「ニャゥー」と喉をゴロゴロと鳴らしながら身をすりつかせる。
「雪ー、ちゃんと猫缶とカリカリ買って来てやったぞ」
昨日、約束した通り会社帰りに急いでホームセンターまで行って買って来た。残念ながら、この近くにペットショップという専門店はない。どこへ行くにも、洒落た所へショッピングへ行きたいならば、車で片道一時間を走るのが当たり前だ。
「まぐろとササミとどっちがいい? こっちか?」
一人暮らしの、一見して堅物の硬派な男が飼い猫と会話を楽しむ。という図を、ナイが奥の居間からジーツと見ている。「ナァー」と、どっちでもいいから早くちょうだい。の鳴き声に、まぐろを選択して与える。雪はご機嫌にハグハグと食べる。その姿を祐也が目を細めて眺める。
(……さて、)
雪の夕食は簡単に用意できたものの、問題はナイの夕食だった。
スーパーにもサッと寄り、惣菜コーナーで鶏のから揚げと枝豆はビールのつまにみにしようと本能的に手を伸ばして買ったは良い。が、麻婆豆腐の味付けの素の箱のパッケージに書かれてある「辛口」の二文字に目を凝らす。
(……辛いか?)
祐也にはさほどそうは感じられない。しかし子供にはどうか。そもそも麻婆豆腐を食べてくれるのかどうかが危うい。どうも、偏食が多いことが昨夜と今朝とで分かった。
(冷奴)
考えるのが面倒なので、そうする事に決めた。
しゃもじを持ち、炊飯器を開けて「あっ」と、主婦がよくやらかすシチュエーションとリアクションを起こす。考えればすぐ分かるはずの事なのだが、祐也はたまにこれをやってしまう。
「……ナイ。あと三十分くらい待てるか?」
振り返れば、食後の毛づくろいしている雪の背中と、その隣で伸びているナイの背中がこちらを向いていた。
「……」
世話が焼けるわりには、用がない時には無視をされる。実家の父親が、母親と姉からそんな扱いを受けている。その思いを痛感させられたのだった。
応答なしは了解とみなし、米を研いで炊飯器のスイッチを押す。そして、
「先に風呂入って来るからな」
逐一、報告を入れてから行動を起こす。突然いなくなると不安で寂しがって、雪のように泣くかもしれない。そう思うのは言い訳であって、不安なのは実は祐也の方かもしれない。
風呂場のドアをパタンと閉めると、フーッと息を吐き出し肩の力を抜いて落とす。
(一体……)
一体、あの少女は何なのか。一体いつまで居るのだろうか。一体全体、自分の身に何が起きてしまったのか。
神崎が言うに正体は──そうなのか?
頭と体を洗い、湯船に浸り、ぽけーっとした。頭であれこれ考えるのが苦手な祐也は、考えても分からない事を考えるのは止めにして、ざぶんっと勢いをつけて湯船から上がった。
風呂から上がり、タオルで短めの髪をガシガシに拭いていると、どこからともなくチリンと風鈴の音が鳴ると共に、サァーと小雨が降る音が窓の外から聞こえてきた。いよいよ台風の影響による雨が降り出した。
祐也はカーテンを開けて窓越しに外を眺める。さらに窓をガラッと開けて目視した。雪が開かれた窓際へと近寄る。
「雨だ。今日はもうお外は出られないぞ」
雪はキョロキョロと左右に首を振って確認してから、ようやく理解する。
祐也はというと、別の事を気にして左右に首を振り、その目当ての物を見つける。聞こえてくる風鈴の音は、隣の浪人生の部屋からだった。物干し竿に吊るしてある。いつの間に吊るしていたのか。今、気づいた祐也だ。
(……飛ばされんぞ)
音を気にしたのは、風鈴を危惧しての事であった。
ピシャッと窓を閉めてカーテンを引き、テレビを付けてニュース番組にチャンネルを合わすと、台風情報が流れてくる。
『──明日の朝には九州に最接近される見込みで……』
現在、台風は奄美大島を通過して九州に近づいている事が告げられている。明日の午後過ぎには直撃しにやって来るだろう。最新情報を確認した祐也は、同じ内容と映像を何度も繰り返し放送し続けてるテレビをプツンと切った。
テーブルの上に、ほとんど出来合いの夕飯を並べる。ナイは鶏肉が好きらしく、鶏の唐揚げをフォークで懸命にかぶりついている。箸よりは持ちやすいフォークを用意して持たせた。ご飯も洋風に平皿に盛った。が、冷奴と一緒に無視をされている模様。
「唐揚げ好きか?」
という祐也の言葉も冷たく無視されてしまう。
そして、今夜もしっかりと雪がナイの膝の上で鶏の唐揚げを狙っている。すっかりナイの膝の上が雪の指定席となった。祐也と雪が目でにらみ合いっこをする──も、三勝三敗に終わった。
「枝豆、食うか?」
ビールのつまみにしていた枝豆を、ナイにすすめてみる。意外に枝豆好きな子供がいるのを何かで見聞きした気がしたからだ。
「エダマメ?」
「ほら」
ナイの不器用さを考慮し、プチッと枝豆を摘まんで出してやったつもりが──勢い余って皮の中から豆が豆鉄砲のごとく弾き飛び、ナイの顔面にポコンと当たった。ナイにとってそれは予想だにせぬ現象だったのだろう。驚いて飛び退いた後、体を縮めてしまった。そして無言で全身から怒りをあらわにしているのがひしひしと伝わってくる。一見して無表情で無感情に思えるナイだが、その内面では喜怒哀楽がとても強い。
「……すまん」
畳の上に転がった枝豆を、雪がクンクンと匂うと、鼻先をぺろりと舌で舐めた。食べはしない。代わりに手でちょいっと触った。すると──
ダダダダッ
思いのほか枝豆はよく転がり、雪は楽しそうに走り回ってじゃれる。
「雪、食べ物で遊んじゃダメだ」
枝豆一つに夢中で遊ぶ雪と、それを興味なさそうに眺めているナイ。祐也は残されてしまった白ご飯と冷奴を食べる。という、妙なお茶の間の光景が広がっていた。
チリリーンとお隣の風鈴の音が風流に鳴り響く。
祐也は再びカーテンを開いて外の様子を窺う。小雨はすでに止んでいた。辺りはすっかり暗闇に包まれており、空は重たそうな灰色の雲を背負っている。月はその中に姿を隠されていた。
明日の午後にはいよいよ台風が接近する見込みだ。祐也は何か胸騒ぎを感じる中、二日目の夜は更けていった。
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