第三話「田んぼで発見」
玄関の扉を開けると──そこには大きく琥珀色に輝く瞳をして、真っ白でふわっふわの触り心地の良さそうな毛に覆われている、白い猫が一匹。ご主人様の帰りをじっと座って待っていた。白猫は「ニャーゥ」と鳴いて、お出迎えの挨拶をする。
「雪、ただいまぁ」
猫よりも甘い声を出した祐也は、玄関先で靴も脱ぐのも後回しに、真っ先に〝雪〟と名付けた愛猫を抱き上げた。
雪は「ニャウニャウ」と鳴きながらのどをゴロゴロと鳴らす。祐也のキリッとした男らしい眉が一気に八の字に垂れ下がる。会社ではいつも無愛想でぶっきらぼうになる祐也だが、家では違った。笑うと意外に人懐っこい顔だ。……ツンデレな柴犬。と、河原が言っている。
「いい子にしてたかぁ?」
いたずらをしていても「ニャーン」と、雪は良い子の返事する。祐也も怒る気などはさらさらない。この雪への溺愛ぶりは相当なもので、これぞまさに猫可愛がりと言える。
──雪は、まだ十分に歯の生えそろっていない仔猫の頃に、会社近くの田んぼで祐也に見つけられた。田植えされた田んぼに落っこちたのか、体は泥まみれで真っ黒な状態だった。あまりにも惨めな姿だったので、祐也が水道で洗ってやると──みるみる真っ白になり、とても気品溢れる美形の猫へと変身したのだった。
誰もがその姿を見ると絶賛して、女子社員たちに「かわいい」や「飼いたい」を連呼されたものの、実際にはペットを飼えない状況下に住んでいる者か、すでにペットを飼っている者ばかりで引き取り手は見つからず。結局、拾うつもりではなく洗ってやっただけの祐也だったが、責任を感じて引き取る事にした。
しかし、住んでいたアパートがペット禁止だったために退去せざるを得ず。途方に暮れて雪と一緒に辿り着いたのが、このアパートだ。ペット可の物件ではなかったが、大家である神崎に相談すると快く承諾して入居させてもらえたのだった。
──チリン
雪の首元で鈴が鳴る。ちりめん素材で作られた赤い和柄に小さな鈴が付いた首輪は、神崎からもらったお手製の物だ。真っ白な雪にとてもよく似合っている。雪は一人暮らしの神崎にも可愛がられていた。
ひつこいほどにスリスリと頬ずりをされた後、ようやく腕から下ろされた雪が、祐也の足元に体をすり寄せながら「ニャーニャー」と鳴く。早くエサちょうだい! の催促だ。
「よしよし、待ってろ。……っと」
歩く祐也の足と足の間を、八の字回りをしながら雪がまとわりつく。芸はあるかもしれないが、歩きづらい。踏んでしまわぬように気をつけながら台所に向かい、流し台の下の扉を開いて猫用の缶詰めを取り出す。
「……あれ? しまったなぁ」
猫缶が残り二缶だ。明日の朝に与えればなくなってしまう。仕事帰りに買って帰ればいい話だが、万が一にも吐いてしまってはいけない。「猫は吐くからイヤなのよ」と、初めて雪を見た姉はシビアに言った。
「あとですぐ買ってきてやるな」
そう言い、猫缶の中身を丁寧にほぐして可愛らしいネコの肉球柄の陶器の皿に入れて与えると、雪は待ちわびていたとばかりに飛びついた。その姿を微笑ましく眺めて祐也は満足する。
淋しくないか? これでいいのか? と、誰かに見られたら言われそうだ。けれど、今は──まだ少しこれがいい。
空き缶を水ですすいで片付けながら、冷蔵庫の上に置きっぱなしの情報誌に目をやる。
(……また新しいの買ってこないとな)
手に取りペラペラとめくるが、目星のものはない。祐也は難しい顔をする。後で資源ごみとして押入れにしまっておこうと、バンッと叩くように閉じると、再び冷蔵庫の上に戻して置いた。
「……よっし」
エサを食べ終えたら、雪のお散歩タイムとなっていた。日中、祐也が仕事に行っている間、雪はずっと部屋の中でお留守番のため、帰宅後に外へと出してやっている。外へ出るといっても、アパートの周りをパトロールして神埼の家へとおやつをもらいに遊びに行くと、すぐに帰って来る雪だ。真冬なんかは一歩も外へ出たがらない事もある。外よりも冷暖房完備の部屋の中の方が居心地が良く好きで、かなりの温室育ちだった。
「じゃ、行くか」
玄関を開けると雪はキョロキョロと左右を確認してから外へ出る。
「散歩してる間に、猫缶買って来てやるからな」
祐也は駐車場に停めてある車まで向かおうとして、雪がいつもの決まったルートとは違う方向へと歩いて行くのに気づく。
「雪? どこ行くんだ?」
気になった祐也は後を追った。
雪はアパートの敷地から出て、田んぼと田んぼとの間にある細く真っ直ぐなあぜ道を迷わず歩いていく。そして、雪はある一か所の田んぼの前へと立ち止まった。その田んぼには稲穂が一部なぎ倒されてる箇所があった。昨夜の台風による影響だろう。その部分からチラッと白い物が光って見える。台風で飛ばされたビニール袋か何かか。雪が田んぼの中へと入っていく。祐也も後へと続く。
よそ様の田んぼに勝手に入るのは何だか近所の悪ガキの気分になりつつ、失礼します。と、祐也は心の中で断りを入れながら、稲穂をかき分ける。
すると──目の前に現れたのは、一人の少女。体を丸めて胎児の様な姿で眠っていた。
祐也も雪もピタリと体の動きを止めて、その光景を見つめる。
少女が身を包む白いワンピースからは、同様に透き通るような白い素肌の手足が伸びている。夕日で照らされた長い髪の毛は、まるで稲穂のようにキラキラと黄金色に輝いていた。
しばし、ほけっと見とれていた祐也は我に返る。
「大丈夫か?」
倒れているのかと思い慌てて声をかけた。が、返事はない。「おい」と、声を掛けながら近づく。
見たところ具合が悪そうではなかった。スヤスヤと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている。だが、よく見ると少女の腕や膝にはかすったような傷がいくつかあった。田んぼで遊んでいてできた傷か。
祐也は辺りを見渡した。少女以外には誰もいない。もうすぐ日が暮れて暗くなる。この辺に街灯などはなく、夜は懐中電灯なしには歩けなくなるので一人では危険だった。祐也は起こそうとする。
しかし、声をかけても揺すっても起きない少女。どうしたものか。と、困ってしまい頭をポリッと掻く。このまま一人放っておく訳にもいかないだろう。とりあえず、傷の手当をするべく部屋へと連れて行く事に祐也はした。
体を抱き起こすと、力の抜け切った少女の体がくにゃっりとしなった。……意識のない人間は重い。職業病である腰痛に細心の注意をしつつ、「よっ」と担……ぎそうになったのを、抱き上げ直した。
アパートへと向かう間、雪も少女を護衛するかのようにピタリとついてお供する。
「雪、どうして分かったんだ?」
動物の野生的本能か。雪は「ニャアーン」と、どこか得意げに鳴いたのだった。
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