第十二話「直撃」
──ゴォォォォ
裏山の木々が強風に揺すぶられて蠢く音。
──ザァーッ
強い風と共に激しい横殴りの雨が窓ガラスに叩きつけられる。まるでバケツをひっくり返したような音の豪雨。
木の葉が地面の上をカサカサと飛んでは舞い落ちるのを繰り返し、カラァンと何かバケツのような物が外で転がり飛ばされていく音がした。
夢うつつに頭の片隅で、それらがぼんやりと聞こえていた。鳴り響く音が次第にはっきりと鮮明になり、夢ではないと気付いた祐也はハッと目を開く。
いつの間にか部屋の中が真っ暗になっている。時間が経ち夜になっている事が分かった。ズボンのポケットをまさぐり、携帯を取り出して時間を確認すると、午後八時を過ぎる頃だった。
(……寝ちまったか)
身体に生温かいものを感じると思いきや、部屋の電気を付けるとナイがピッタリと祐也にくっついて丸まっていた。
瞳を見開いて強い警戒の色を示しジッと宙を睨んでいる。丸まったナイの腕の中では、雪が耳をピクピク動かしながら不安そうな瞳で怯えている。
ガシャンと大きな音に二人はピクッと体をわずかに跳ねて反応する。台所の窓ガラスに簾が当たった音だ。外し忘れていた。
「……雪。大丈夫だ」
雪は台風が怖い。正確には台風というものを理解していないから何が起こっているのか分からない。雪の頭を撫でてやると、「ニャウーニャウー」と不安を訴えるように細く鳴く。その鳴き声は外の吹き荒れる暴風と激しい雨音にかき消されそうだ。
「……ナイ? 大丈夫だ」
ナイは身を固めて警戒態勢を崩さない。祐也の声掛けは無視したまま、何かを窺っている風だ。
祐也は自身の体調を確認する。額に手を当てると、風邪薬の効果のおかげか熱は微熱程度に下がっているようだった。頭痛やくしゃみもマシな状態になっている。
──ピロリロリンッ、ピロリロリンッ
あまり聞き慣れない大音量のブザー音が携帯から鳴り響く。一瞬、祐也は体をビクッと動かす。毎回これには驚かされる。手にしていた携帯画面を見る。雪が何やら不審そうに頭を上げてキョロキョロと首を回している。
「……避難指示か」
土砂崩れと河川の洪水の危険性に伴う避難の通知メールだ。避難準備と避難勧告に続き状況が一番深刻な避難指示の発令だ。
──ヴゥーヴゥーッ
間髪入れずに携帯の着信バイブレーションが響き、「うおっ」と思わず手から携帯を落としそうになる。
「何だ?」
すかさず電話を受け取った。河原からだ。
『田喜、大丈夫かぁー? そっち防災無線で避難指示出てっぞ。実家も大丈夫かぁ?』
「俺は今んところ、無事だ。……実家も連絡ないから多分大丈夫だろ」
『連絡ないのは無事の証拠ってか? おまえんちってルーズだよなぁ、ハハハ。避難するならうち来てもいいぞー、公民館よりうちの方が地形が高いから安全だ』
「今、台風どこだ?」
『暴風域の真っ只中だ。あと少しで台風の目に入ったら一旦勢い弱まると思うけどな』
「分かった。大家さんだけでもそっち向かわすわ」
『おぅ、大家のばあちゃんと雪ちゃんも連れて来い。代わりにおまえの寝るとこナシな、ハハハ』
緊張感なく冗談で笑い飛ばしているのはあえてわざとだろう。「じゃあ、待ってらぁ」と言って電話は切れた。
すぐに神崎へ連絡しようと携帯をかける。が、なかなか通じない。荒れ狂う雨風の大音声で電話が聞こえないのか。繋がらない電話を一度切った。
雪が「アォー」と情けなく鳴きながら、部屋の中をうろつき始める。落ち着かず動き回る雪をすくい上げて抱きしめるも、手足をバタつかせてイヤイヤと暴れる。
「雪、どした? 大丈夫だ」
いつもは台風でこんなに怖がったりはしない。今度はナイが上半身をガバッと起き上らせた。
「ナイ、どした?」
ナイは何かに注意を傾けている。雪も鳴き止んでピタリと身動きを止めた。祐也も耳をすまして外周に注意を払う。
何か、ただならぬ気配を全員が本能的に感じていた。部屋の中には台風の襲いかかる音が駆け抜けている。その中──台風とは違った音がかすかに聞こえてくる。
ォォォゴォ──
すると、ナイがすくっとしっかりとした姿勢で立ち上がった。
そして、叫んだ。
「逃ゲテッ!」
ハッキリと、強く、大きな声で。
祐也はその様に目を見張る。
ナイの顔は今まで見たことのないものだった。あの、あどけない純粋無垢な少女の姿は完全に消え失せている。
真っ直ぐ真摯に見据えられた眼差し。
全身から毛を逆撫でるように立ち込めている気迫。
祐也は思わず圧倒されそうになる。
「……ナイ?」
この子は、誰だ? 目の前にいるこの子は一体?
雪がナイの言葉を聞き入れたかのように、祐也の腕の中からすり抜け、玄関へと一直線に向かって走る。
「早クッ!」
ナイが再び強く警告を鳴らす。祐也は訳も分からぬまま何か見えない力に背中を押されるかのように雪の後を追いかけた。
玄関の扉のドアノブに手を回すと、バァンと強風に吹き飛ばされて勢いよく開いた。瞬時に雪が外へ飛び出す。
「雪っ!」
雨風が激しく体を打ち付けてくる。雨の滴に顔を叩きつけられ、まともに目も開けていられないほどの視界の悪さの中、神崎の姿を捉えた。
「神崎さんっ!」
祐也は腕で顔を庇い、ずぶ濡れになりながら神崎の元へと走り寄る。神崎は雨合羽の裾をひるがえしながら立ち尽くしている。
「神崎さん! 何してるんですか!」
何度も声を掛けるも、神崎は顔を強張らせてただ立ち尽くすばかりだ。
「田喜さん!」
呼ばれて後ろを振り向くと、何事の騒ぎかと部屋から出て来た吉田が、風の力に足元をよろつかせている。
「吉田君! 俺の車ん中、行っとけ!」
そう言って車のキーを投げる。
かろうじてキャッチして受け取った吉田だが、どれが車のキーなのか。車のフロントガラスの様にビショ濡れの眼鏡でほとんど前が見えず手をもたつかせる。
「神崎さんも! 避難しましょう!」
祐也は周りを見当たらない雪の姿を探す。猫は動物だ。きっと心配ない。
「……何ぞが、何ぞが起きるよる」
「神崎さん?」
神崎が声を震わしながらブツブツとつぶやき、アパートの方向を見つめて祈るように両手を組む。
ギギィバキッバキ──
「!」
「あぁ……木が……」
アパートの横にそびえ立つ大きなもみの木が折れて傾きかけた。──同時、今まで聞いた事のない地響きのような音が辺り一帯を震撼させる。
ゴゴゴォォォ──
暗闇と豪雨にはっきりと視界には捉えられないが、アパートの裏山の木々が落ちるように一気にストンと下がった。
この聞き慣れない音は、崩れ落ちた木々や土砂が滑って流れ込んでいる音だと気づく。
それらはアパートの方向へとみるみると向かってやって来る。
(──ナイッ!)
部屋にはまだナイが取り残されている。助けに向かおうとする。が、
バギギッ──
ついにアパートのもみの木が倒れてくると共に、裏山の土砂が容赦なく一気に雪崩れ込み襲いかかった。その時──
アパートから一筋の光が天を貫くようにほとばしった。
稲妻が落ちたのだと思った祐也。目の前で起こった光景に絶句する。
だが、その光は止むことなくアパート全体から放出し続ける。
祐也は、強くまばゆく発光された白光に手をかざし目を細める。
(──ナイ! 雪!)
目の前の視界が全てが白い光に支配されて覆い尽くされる。何も見えなくなっていく。
何が起こったのか考える事すらできないまま。そのまま、白光の中へと吸い込まれるこように意識ごと呑み込まれていった。
その夜──ナイと雪の姿は消えた。




