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第一話「再び」

 台風は去った。

 各地で猛威をふるった台風二十号は、数名の負傷者を出したものの、幸い死者は一人も出ず、目立った大きな災害や被害には及ばなかった。

 祐也(ゆうや)は空を見上げた。

 昨日の事など何も知らないという顔をして空は晴れ渡っている。台風が過ぎ去った翌日の独特の暑さを全身に感じるとる。じっとりと湿気を含んだ空気が全身にまとわりつくようだ。朝はまだ濡れて湿っていたアスファルトの道路は乾き、辺りを漂っていた草木の緑の匂いも、もう消えていた。


「あっつ……」


 作業服姿の祐也は首に引っ掛けたタオルで額の汗を拭いながら、帰宅するために会社の駐車場へと向かって歩いているところだ。駐車場は仕事場の倉庫から細道を挟んだ所にある。この辺の近隣の者しか通らない道だ。横断歩道もなく車も通っていないので、のんびりと歩いて行く。道路のアスファルトは少し色褪せていて、道端には雑草がのびのびと自由に生えていた。

 ガコンッ──

 駐車場に辿り着くと、いつものごとく自販機で炭酸の缶ジュースを買った。これは夏季限定の習慣となっている。

 フェンスの壁に背もたれて缶ジュースを飲みながら、そこから見える小高い坂の上からの景色をぼんやりと何気に眺めた。見渡す限り一面に広がる田園風景。


(……田舎)


 祐也にとってはその一言に尽きる。

 平野にポコッと飛び出すように小さな山や丘があり所々にため池があるのは、この地域の特徴的な地形だ。視線の遠くには、ぼんやりと横に大きく連なった山脈が見えている。

 視線を下にやれば、田んぼの稲穂が昨日の台風の影響で一部なぎ倒されていた。昔、世間を騒がすように流行ったミステリーサークルのようだ。


(……もうじき、稲刈りか)


 ミステリーサークルを見て、つまらなくそう思う。祐也の実家では田んぼで米を作っていた。そのため、毎年仕事の休みも返上で稲刈りを手伝わされる羽目になる。実家には両親と、姉がいるが……姉はほとんど戦力にならない。せいぜい麦茶を持って来てくれるぐらいだった。

 炭酸ジュースを飲み干してプハーッと、溜息を混ぜた息を吐くと、ふと足元にミミズが一匹、アスファルトの上でくねっているのを見つける。

 一体どこからやってきたのか。どう考えても場違いだが、たまに見かける謎の光景。このままでは間違いなく干からびて死んでしまう。そしてどこからともなく蟻がやってきてたかるのだ。

 見て見ぬふりをしようとしたが、昔のトラウマのような記憶を思い出した祐也。

 それは子供の頃。今は亡き祖母から、ミミズにおしっこをかけると罰が当たっておちんちんが腫れる。という、古い迷信を聞かされた時の事だ。祖母の話を信じず、面白半分の悪ふざけでやってしまった祐也は──翌日、本当に腫れてしまった。しかも高熱まで出した。熱にうなされながら、本当に罰が当たってしまった。と、怖れと後悔をしたのをよく覚えている。

 それに懲りて以来、古くより言い伝えられている迷信などといった類の話は、信じている訳ではないが、無視はできないものとなった祐也だ。

 指先でひょいとミミズを掴むと、隣の田んぼの中へポイッと投げて逃がしてやった。

 一息ついたところで、駐車場に一台の車が入って来た。


「あっちー」


 と言いながら、運転席のドアを開けて出て来たのは、同僚の河原(かわはら)だった。

 祐也を見るなり、


「おっ、田喜(たき)。今帰りか。お疲れさんっ!」


 と、河原は快活に。


「……おぅ。おつかれ」


 と、祐也は気だるく。

 外回りから戻って来たところの河原は、滝のように流れる額の汗を一生懸命ハンカチで拭う。が、次から次へと流れ出てまるでキリがない。


「車の冷房、全っ然効かねぇーのなんの。まるでサウナみてぇ。ずっと乗ってたら俺、痩せれっかなぁ?」


 少々出っ張ったお腹をまさぐりながら河原は聞いてくる。

 熱中症で倒れない程度であれば、夏痩せによる体重減量は期待できるだろう。と推測して、一言だけ短く答えた。


「……あぁ、多分な」


 この祐也のつれない態度は、いつものことだった。無口で自分からはあまり喋らない。いつも淡々と仕事をこなしている。そんな祐也を知っている河原は、なんにも気にしないまま会話をする。


「フジタさんとこへな、行ってたんだよ。そしたら社長のお孫さんが遊びに来ててよ、九歳っつったか。男の子。ありゃあ、奥さん似だな。なかなかのイケメンになるぞ」


 逆に河原は、とことん無駄なお喋りが大好きだった。こちらが何も聞きもしないのに、勝手にべらべらと喋り出す。営業させるにはもってこいだろう。


「でよ、その子が飼ってるハムスター見せてくれたんだけどよ、すげぇでっけーの! こんなんだぜ、こんなん!」


 両手の指で形作って見せたその大きさは、缶ジュースの大きさを一回りも二回りも超えていた。


「……それ、モグラじゃないのか?」


 河原の無駄話を適当に聞いて適当に受け答えをしながら、自販機で買った缶コーヒーを祐也が「ほらよ」と投げ渡し、それを「サンキュ」と言って河原がキャッチする。

 受け取った缶コーヒーを開けながら、


「そういや、昨日大丈夫だったか?」


 河原は今更ながらに聞く。昨夜、襲って来た台風の事だ。


「あぁ。エリアメールがうるさかった」

「あーあれ、心臓に悪いよなぁ。家族全員のが一斉に鳴ってよ、ビックリしたわ」


 河原は実家暮らしで家族と一緒に暮らしている。残念ながら、まだ独身でお嫁さんはいない。見つかりそうにもない。


「あんだけ鳴らされまくったら、逆に警戒心がなくなるよなぁ?」


 それは確かかもしれない。祐也は昨夜、あまりのうるさいので携帯の電源を切って眠った。河原家では、家族全員の携帯が揃って鳴り響き続けたという。


「おまえんとこ、実家の方は大丈夫だったのか?」

「俺んとこのアパートよりかは地形が高いからな、大丈夫だったろ。母さんと姉ちゃんは今、韓国だしな」

「父ちゃんは独りぼっち? 韓国かぁ。いいなぁ、焼肉三昧……」


 言って、遠い目をする河原。


「……どうせ、化粧品とかブランド目当てだろ」


 祐也は呆れ気味に言った。それらは二人にとっては関係のないものなので、話を戻す。


「……今日、地震もあったな」

「えっ、そなのか? おまえ機械乗ってんのによく分かんなぁ。俺、全然気づかなかったわ。どこよ?」

「紀伊半島。この間もあったな。……そろそろヤバいかもな」

「それなら心配ねぇって! 南海トラフが来たら俺も一緒だぁ、寂しくないぞ?」

「……道連れにするな」


 もしも本当に巨大な南海トラフがやって来れば、おそらく被害は免れない地域だろう。そしてそれは三十年以内にやって来る可能性が高い。二人は妙な覚悟をしていた。


「しっかし、まーた台風来てんなぁ」

「あぁ、今度のはデカいな」


 毎年この時期、立て続けに台風が発生しては直撃を食らう。という、この辺りの地域では珍しくはない事だ。またか、とうんざりした気持ちにさえもなるのだった。


「なんか、超大型とかスーパー台風っつーらしいぞ。大型スーパーみてぇだよな?」

「なんだよ、それ」

「なっ。そのうち、超スーパーウルトラ台風とか言い出すんじゃねぇか?」


 河原は大きな口を開けて笑った。

 まるで他人事のようにのん気に軽口を叩いていられるのは、この地域では過去に台風による目立った大きな災害が起きた事がなかったからだ。──少なくとも祐也と河原が生まれてからは、だ。しかし近年、全国各地で相次いで起こっている自然災害。祐也の住む地域でも、ここ数年の間で急速に各自治体では防災への警戒が強まっていた。

 けれど心のどこかで、まさか自分たちが被災なんてしないだろう。というような感覚と余裕が、まだ二人にはあった。


「あっ、今日飯にでも行かね? なんか焼肉食いたくなった」


 よく喋る上に話がコロコロと切り替わる河原だ。祐也は感心さえしてしまう。


「……いつも言ってるだろ? 事前に言えって」


 溜息交じりに返事をする。


「だよなぁー。雪ちゃんがいるもんなぁー。早く帰らねぇーとなぁ。雪ちゃんが待ってるもんなぁー」


 からかうでもなく言い、「じゃ、また今度誘うわ」と言って、河原は事務所へと小走りで向かって行った。途中、振り返り「また遊びに行かせてくれー」と一言残して。

 本当に騒がしい奴だと、再び溜息をつく。

 祐也は運転席のドアを開けて座席のシートへと乗り込みながら、空を見上げる。まだ外は明るい。それでも徐々に日没の時間は短くなり、朝晩の暑さも少しずつ和らいできて秋が近づいている頃だった。


(……また、か)


 台風が過ぎ去ったばかりの空に、その気配は全く感じられない。どうせ大した事ないだろうと、この時はそう思っていた。大した事がないだけに、うっとうしい気分なだけだった。祐也は車のキーを回してエンジンをかけると、雪の待つアパートへと寄り道することなく真っ直ぐに車を走らせた。

読んで頂きありがとうございました



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