背中の両刃
本当に、変わった子だな……まるで、昔の私を見ているようだ。
私も子どもの頃は身体が弱くて、いつも寝てばかりいた。
稽古に出かける弟を、羨ましく見送りながら。
だから昼日中山積みの本ばかり読んでいて、それが今の私を形作った。
弟が私を尊敬してくれていると伝わってくることが、周りの大人……両親や教師に慰められるよりも余程、救いだった。
「なんです? どうして笑ってるんですか?」
言葉の割に口元を綻ばせる。癖というか、顔の筋に染み付いているものらしい。
「気持ちワル。お見舞いなら、さっさと入ってください。寒いんですけど」
君というひとは、同じ癖を貼り付けて人間を斬っていたね。主君から命じられるままに。
「ご挨拶だね。最期かもしれないというのに」
込み上げる愛想を鼻から抜いての言葉だから、やはり機嫌は直る筈もない。
「へぇ……あなたの? “裏切り者”の伊東甲子太郎さん」
強気の姿勢は崩れないものの僅かに咳き込むのを見て、裏切り者と名指しされた私は畳を踏みしめながら明かりを閉ざした。
「随分と嫌われたものだ。“局長のかわいい愛弟子”の沖田総司くんはオヤスミかな?」
私は今日、新撰組を出る。いや、平和的な分隊だ。
彼・沖田総司は新撰組一番隊隊長でありながら病に侵され、最近では気付くと部屋で寝ているという状態だ。
尤も、彼を実の弟のように心配する局長・近藤勇と副長・土方歳三にとって、気付くと道場で稽古を付けている、若しくは隊を引き連れて巡察に出ているという少し以前よりも幾分か安心であろうが。
そんな彼に、私は別れの挨拶に来た。
元気な頃は誰もが訪れやすい、縁側沿いの風通しのいい部屋だったのが、それよりも防寒の方が優先された奥まった部屋へ。
「……あなたこそ変わってる」
あなたこそ? ……私は口に出していたのか。
常に冗談めいた表情だから、一寸も動かさないまま彼は言う。これはひょっとすると、相手に気持ちを読ませない為の手段なのかもしれないな。とんだ兵法を使うね。
「先生は、ひとタラシでしょう? 落とされないひとがいたなんて。信じられないな」
近藤さんが、人誑し……確かに、魅力的なひとだ。
確かに、一度はあの人柄に惹かれ上洛し、部下に甘んじた。
けれどあのひとと私では、違い過ぎる。任じられた役割通り、根からの参謀気質である私とでは。限りなく同類に近い副長土方の考えや行動は理解できても。
愚直だと言いたくなるくらいに真っ直ぐなあのひとを、いつしか利用することを考えた。
いいや、あのひとは幕府と心中する気だ。
真っ当な知識を持った人間がついて行けるか? 何の疑問も持たない方がどうかしている。
純粋過ぎる近藤も、わかっている癖に止めない土方も、気違いだ。
取り分けこの青年は、ついていくその理由すら持たないのだ。先生が行くところならば、か? 嘲笑も起きない。
似ているなどと、どうして思ったのか。
病身を前にしての同情か?
私とは、正反対ではないか。
「近藤さんは好きだよ。私など、羨ましくなる程の人望を得ている」
「だから仕返しするの?」
彼は声を荒げているつもりかもしれないが、それは弱く、悲しげに聞こえた。
「新撰組を壊したのはあなただ。先生はきっとあなたを許すけど、僕は……」
とんだ言い掛かりだ。山南敬介が実権を失っていったのも、藤堂平助の心が折れていったのも、坂本龍馬暗殺の濡れ衣も、決して私の謀ったことなどではない。そう、決してね。
言い訳は胸中に留めておこう。どうしたって白々しい。
この、私とは背中合わせの、欲を知らない青年の前では。
「僕は役立たずだけれど……もし最後のひとりになったら、這ってでも先生のもとに行く。あなたの好きにはさせないから」
ああ、弟さえ、こうは言ってくれないだろう。
「そうはいかないよ」
君では力不足だと感じさせてしまったのか、彼は意外に鋭い瞳を燃やす。
「土方くんがいるだろう? 近藤さんは、生涯ひとりになんてならないよ」
誰が欠けても。
そんな仲間がいるのだから、少しくらい私にくれたっていいと思うんだ。
少しくらいはね。
了