第十話 野望、未だ潰えず
買い物を終えた後、ラシアの食堂で昼を済ませてから、俺達は拠点に帰還した。
地味にゲームの記憶よりも街が広くなっていたり、街から拠点までの街道が長くなっているのには困らされた。歩くのは別に苦ではないが、移動に時間がかかって仕方がない。
いっそ馬でも買おうかと提案したのは、実に自然な流れだったと思う。確かに世話をしなければならないし、どこにでも乗っていけるわけではない。でもその、動物と触れ合うことによる癒やし……みたいなものだって期待できるじゃん? あとリアルじゃ馬を飼うなんて難しいけど、ここならハードルは低い。この機会に是非。馬を飼わないなんて、勿体ないことですよ。
そうした俺の主張は、単に飼いたいだけだろうと見抜かれて却下された。
「いいじゃんかよ~。ちゃんと世話だってするしさ~」
「駄目ですよー。馬自体が高いですし、そんな余裕はありません」
拠点の表で、ヤンキー座りしてごねる俺。その背を椅子にして、姐御はすげなく断った。
そりゃね、分かりますよ。馬なら何でもいいってわけじゃないが、乗用馬を買おうとすると世界観が問題になってくる。まず繁殖を目的とした牧場が少ないので数が少ないし、ぶっちゃけ品種改良が全然進んでいないのも問題だ。リアルと比較したら小柄だったり、気性が荒かったり。それなりの選別が必要となるので、希少性はお値段にダイレクトで反映される。
でも欲しいんだよなー、とごね続けていたら、姐御は明るく笑って告げた。
「そもそもガウス君が馬みたいなものじゃないですかー」
「ふざけんな、俺は犬だぞ。飼い主が馬鹿なこと言うんじゃねぇよ」
「あ、はい。……えぇ?」
困惑する姐御。もっとしっかりして欲しいもんだぜ、まったく。
ぷんすかしていたら、爆発音が空気を揺らした。少し離れた場所でクラレットが、爆発系の魔法を地面に撃ち込んでいる。理由のない環境破壊ではなく、魔法で工事をしているのだ。
生活環境を早急に改善したいのは姐御達も同意見だったようで、彼女達は午前の内に木材や砂利をしこたま買い込んできた。それを使って表に大きな風呂を造ろうという計画である。
まずはクラレットの魔法でおおまかに地面を吹き飛ばしたら、スコップで形を整えつつ、排水用の水路も掘る。その後は砂利を敷き固めて、板で湯船を作る。排水は湯船の一部に穴を開けておいて、板で堰き止めるだけの簡素なものだ。
水や風呂焚きは魔法で解決できるらしいし、今日のところはとりあえず使えるように、湯船を完成させるのが目的だ。壁や天井はまた後日、のんびりと追加すればいい。
「しっかし魔法だと早いよなぁ。スコップで穴掘ってたのが馬鹿みたいに思えてくるぜ」
「発破工事みたいなもので微調整はできませんから、スコップも必要ですよぅ。
ああでも、楽しみですねぇ。今夜からは広いお風呂に入れるんですからー」
「大丈夫か姐御? 溺れたりしない?」
小馬鹿にしたら踵でケツを蹴られた。やめろ、硬いもので蹴るな。
痛い痛いと適当に抗議しつつ、作業を進めるクラレットの方を見る。流石に連発できる魔法ではないので休み休みだが、もう二、三発も撃てば充分だろう。俺の出番も近そうだ。
クラレットの傍では緑葉さんが全体のバランスを見ながら指示を出しており、その合間に邪魔になりそうな大きな石を見つけては、拾って遠くへぶん投げている。筋力極振りなだけあって、その細腕は俺以上の豪腕であり、さながら小さな重機である。
で。何気に器用なのーみんは、端の方で板を切ってサイズを調整したり、端材で風呂用の椅子を作ったりと活躍中だ。謎のオブジェも混じっているが、多少の遊び心は問題視しなくてもいいだろう。
ここにいないツバメとスピカは、裏手の簡易トイレに手を加えている。汚れ仕事だし俺の出番だと思っていたのだが、むしろ絶対に触るなと念を押されてしまった。羞恥心がそうさせるようだが、体の外に出たもんまで気になるんだろうか?
やはり女心には謎が多い。そう思いつつ、俺は姐御の足をぽんと叩いて合図を送り、立ち上がった。
「そろそろ穴も仕上げっぽいし、先に排水路から掘ってくるわ」
「お願いしますねー。ある程度離れたら充分ですので」
あいよ、と返事をしてインベントリからスコップを取り出す。
排水路は川に繋げるとかではなく、ちょっと離れた場所に魔法でクソ深い穴を掘って、そこへ流すという雑な仕様だ。リアルでそんなことをすれば、環境破壊がどうのと大問題になるに違いない。
まあこれは差し当たっての処理だし、長く使うことになるなら、そのあたりも考慮して作り変えた方がいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は風呂用の穴の縁に立って、スコップを突き立てた。
○
「失敗したわね……砂利なら作れるんだから、あんなに買わなくてもよかったわ」
穴に砂利を敷き終わったところで、ぽつりと緑葉さんが愚痴を洩らした。
あははー。常人は素手で石を砕いたりできないんだぜ? お分かり?
ともあれ、のーみんが木組みの要領で大きな底板を用意していたので、それを入れようとしたら待ったをかけられた。
「湯船を作るのは、先にこのまま水を入れて、泥を流してからよ。
あまり気にしなくていいかもしれないけど、お湯に泥が混ざったら嫌でしょう?」
なるほど。簡単に流れる泥だけでも流しておけば、いくらかはマシになるだろう。
そう納得するが……いや、必要かなぁ? のーみんの奴、底板だけじゃなくって、壁も木組みでばっちり用意してるけど。言わば大きな枡だ。泥が混ざるどころか、水漏れすらしそうにない。
まあ気分の問題か。湯船は後回しにして、クラレットに頼んで穴へ水を入れてもらう。
穴の縁に立ったクラレットは、一言の短い詠唱で魔法を発動させる。かざした手から結構な勢いで水が生まれ、盛大に水音を立てた。この水量なら、水が溜まるまでそんなに時間もかからないだろう。
これも汎用魔法の筈だが、ゲームにはなかったものだ。設定上は存在していたのかもしれないが、プレイヤーが使える魔法としては存在していなかった。
やっぱりこの世界はゲームではないんだな、とこういうところで実感する。スキルとして取得するには細々とした魔法は、普通ならシステムから除外される。それにただ水を生み出すだけでも、使い方次第だ。いくらでも悪用できそうだし、ゲームバランスのためにそんなものは許容できない。
「でもなぁ……」
だからこそ現状は不自然な気がした。
黒幕の目的が理想郷を作ることなら、ゲームバランスという秩序のないゲーム世界は、その目的に反しているような気がする。何かの実験だとしても、試す意味がないように思えるのだ。
俺達は何かを見誤っているのだろうか。それともこれは、誰にとっても予想外の事態なのか。
分からないことばかり増えるよなぁ、ぼんやりしながらため息を吐く。
そうしている内にクラレットも水を溜め終えたので、堰き止めていた板を抜いて排水する。丁寧にやるなら何度か繰り返した方がいいのかもしれないが、しばらく使えればいいと割り切った素人工事なのだし、そこまでしなくてもいいだろう。
穴の底に敷いた砂利をもう一度踏み固めてから、湯船を作る作業に取りかかった。
と言っても、のーみんの用意が万全だったので、そちらはあまり時間をかける必要もなかった。完成した湯船を見て皆がやり切った空気になっているところで、俺はのーみんに声をかけた。
「思ったより綺麗にできたな。大したもんだぜ」
「にっひっひ。実家でも本棚とか自作してた経験が活きたぜぃ」
「へー。……いやスケール違わなくね?」
「単純な作りだから似たようなもんだにー」
そんなもんかねぇ? 結構、技術がいると思うけど。
首を傾げる俺に構わず、のーみんは少し懐かしそうに言う。
「釘を使うとそこから割れるって、近所に住んでた大工の親方に怒られてねぇ。木をしっかり噛ませて組んだら頑丈になるからそうしろって教わったけど、役に立つ機会があってよかったのだ」
……その大工の親方って、ひょっとして宮大工じゃねぇの?
木組みは寺社仏閣に用いられる伝統工法だが、その技術をちゃんと継承しているのは宮大工だけだ。他の大工でも多少は心得ているかもしれないが、子供の工作にわざわざ木組みなんて教えるだろうか。
この湯船、俺達は間に合わせのつもりでいるが、実はひょっとすると職人仕事にも負けていないのでは。
俺がのーみんの意外な特技に戦慄していると、他の連中は早速お湯を張ってみようと盛り上がっていた。そこへトイレの方は作業が終わったのか、ツバメとスピカが顔を出した。
「おー、すごいすごい! 立派なお風呂できてるじゃん!」
「これなら皆で入れるねー」
興奮した様子のツバメと、のほほんとした感想を口にするスピカ。うん。どのぐらい風呂を待ち望んでいたかの差が如実に現れてるっつーか、スピカはもうちょっと女子力ってものをだな。兄ちゃん、ちょっと心配になるぞ。
まあ褒められて悪い気はしないもので、風呂作り班は口元を緩めた。
二人はしゃがみ込んで湯船を眺めるが、そこへクラレットが声をかけた。
「トイレの方はどう?」
「あ、うん。朝とか混みそうだし、二つに増やしたよ。
地面にはレンガも敷いたから、これで雨が振っても大丈夫!」
ツバメが自慢気に答える。増設はした方がいいと思っていたが、足元は盲点だったな。
何気に細かいところへ気が回るのは、ツバメの長所だろう。他にもトイレはそれぞれ少し離したとか、蓋として板を置いておいたとか、工夫を語ってくれる。
……そこまで拘るのに、どうして昨夜は俺が穴を掘らされたのだろう?
何やら理不尽なものを感じるが、のーみんが声を張ったことで思考は遮られた。
「よっし! これからお湯を入れて、入浴タイムとする!
結構泥だらけになっちゃったしね!」
確かに程度の差こそあれ、皆汚れてしまっている。一番酷いのは俺だけど。
このまま拠点の中に入ると汚してしまうから、風呂で洗い流すのは大賛成だ。
でも、
「俺だけ待ってるのも暇だなぁ。クラレット、悪いが水だけくれ」
とりあえず泥だけ流してしまおうと、水を要求する。そりゃ本音を言えば俺も風呂を楽しみたいが、分別というものがある。クラレットも察してくれて、汎用魔法で水を出そうとしてくれた。
しかし何故か、そこでのーみんが割り込んだ。
「ヘイヘイヘイ、ちょいとお待ちよがっちゃん。
そういう物分りのいいところ、お姉さんはいけないと思うにゃー」
「そうは言っても、俺まで一緒するわけにゃいかないだろ」
「ふっふっふ。何のためにあたいが、あんな大きな湯船をこさえたと思うんだい」
「ノリ?」
「それもある! しかし皆で裸の付き合いをするためさ!」
言い切ると、のーみんは左右の腕を俺とクラレットの肩に回し、ぐいっと顔を寄せた。
そして隠す気のない、雰囲気だけのひそひそ声で、
「こういうところから、がっちゃんのハーレムを既成事実にしようぜ……!」
俺とクラレットは目配せして頷き合うと、のーみんをまだ空っぽの湯船に放り投げた。
何がのーみんをハーレムに駆り立てるのか。たぶん面白がってるだけだと思うけど。
湯船に落ちたのーみんはその場で座り込み、抗議の声を上げた。
「この圧制者どもめー! 皆で幸せになりたくないのかー!?」
上辺だけはすっげぇ綺麗事に聞こえるのが悪質だと思う。
二人で呆れていると、緑葉さんが微笑みながらのーみんに話しかけた。
「やけに大きいお風呂を欲しがると思ったら、そういうこと。
小さいならもっと楽だったのに……私達はあんたの馬鹿な計画に振り回されたのね?」
「ち、違うヨー。それだけじゃないヨー。
あたいはその、そう、愛するみっちゃんとも一緒に入りたかったんだぜ!」
「そう。――やりなさい」
緑葉さんがやれと言ったので、クラレットは魔法で水を流し込み始めた。
慌てて這い上がろうとするのーみんだったが、それを阻止するのは俺の役目だ。
「身から出た錆だ……! 悪足掻きしてないで風呂に沈め……!」
「のー!? っていうか、その言い方は駄目よがっちゃん! めっ!」
あれ? 変なことは別に言って……いや、気を逸らす作戦か! 油断ならねぇ女だぜ。疑問があるとつい考え込んでしまう、人間の習性を利用した手だ。しかしいつも騙される俺じゃあない。
「観念しろ……! 俺が風呂に沈めてやる!」
「悪化したぁー!?」
へっ、策士策に溺れるとはこのことよ。そのまま溺死するがいい。
などとやっていたら、ケツに軽い衝撃。湯船に落ちながら、驚きよりも戸惑いで振り返った視界には、苦虫を噛み潰したような顔の姐御が映っていた。
姐御……どうして……?
裏切りの説明を求める俺を、姐御は見下ろして言った。
「言いたいことは色々あるんですけどー。説明したくないので、まあ、死んどきましょっか」
「姐御、姐御。この角度だとパンツ丸見えだぞ」
「死ね!!」
その声を合図に、クラレットの放つ水流が勢いを増して、俺を直撃した。
流されながら、一人で死んでなるものかとのーみんを掴み、まったく同じことを考えていたのーみんからも掴まれる。ぶっちゃけ一人なら脱出できたかもしれないが、掴み合ったせいでそれも叶わず、水が溜まる頃には仲良く瀕死で浮かぶこととなった。
皆で幸せになりたくないのかとか言ったクセに、のーみんはやっぱりのーみんだった。
○
「――この辺りだったな」
確かめるように周囲を見渡して、シャーロットさんが言った。
夜になって、俺達は昨夜と同じくラシアの住宅街にいた。
顔剥ぎセーラーの討伐班は引き続き、俺と姐御、クラレット、シャーロットさん。そこにカルガモとツバメを加えた合計六人だ。まあカルガモに単騎で戦ってもらう予定だけど。
ツバメが参加したのはもし撤退することになった時、バインドを設置して時間を稼ぐことができるから、という安全策だ。まあリアルの記憶が戻ってからやる気に溢れているというか、シャーロットさんの手伝いをしたがっているので、バインドがなくても参加した気はするけど。
ツバメはシャーロットさんにカッコイイ大人の女、という感じで憧れているみたいだが、わりとお茶目な一面や、残念なところもあるという事実には、まだ気付いていないのだろうか。
ぼんやりそんなことを考えていると、シャーロットさんはパイプタバコを取り出し、指先に灯した魔法の火で着火すると、パイプを咥えて煙を味わい始めた。
「……ふぅ。ないよりはマシだが、やはり雑だな」
苦々しく言うものの、僅かに口元がほころんでいる。その光景に「かっこいー……」と呟くツバメだが、お前には何が見えてんの? リアルだったら絵になったかもしれないが、今のシャーロットさんは幼女だぞ幼女。絵面としては通報待ったなしで、親の保護責任を問われかねない。
ま、それはそれとして。
「そういや喫煙者ってシャーロットさんだけなんだな」
「好奇心で吸ってみたことはあるが、俺は好きになれんかったのぅ」
「私もですねー。あとお高いんですよね。そんな余分があるなら、趣味に突っ込みます」
「じゃよな。俺もエロゲ買うわ」
同類にされたくないのか、姐御はカルガモに肘を入れた。
そんな会話が聞こえていたのか、煙を吐き出してシャーロットさんは言う。
「私は好きで吸っているが、完全に趣味だけというわけでもないぞ。
タバコの煙は虫や獣も嫌うが、そこから転じて魔除けとしての信仰を持つ。形として成立すればいいから、効果は落ちるが電子タバコでも魔除けになる。だから身を守る必要がある時、私はタバコを吸うことにしているんだよ」
「ほー。一種のアミュレットというわけじゃな」
感心したようにカルガモは言うが……あれぇ?
そう言えばリアルで初対面の時、シャーロットさんは会話中に電子タバコ吸い出したような。ひょっとしてあれも吸いたかっただけではなく、俺を警戒しての行為だったのだろうか。
けどある意味で正解だ。電子タバコならそこまで気にならないが、タバコの匂いはあまり好きではない。魔除けと言うよりは獣避けとして、俺には効果があるだろう。いや、人間だけどさ。
「ま、効果としては本当に気休め程度だがね。
タバコに限らず、道具と信仰で魔術を行使するのが、現代の魔術師さ」
シャーロットさんは自嘲するように言うものの、ツバメの目はキラキラしていた。
クールでシニカルな感じがお好みなのだろうか。緑葉さんなんかもクール系ではあるが、あれはこう……のーみんとセットみたいなところがあるから、クール系ではなく外道系やトンチキ系になって、憧れの対象にはならないんだろう。
そんな分析をしていたら、クラレットもツバメを目で追っていることに気がついた。
微笑ましいものを見るような、でも少し寂しいような、そんな顔。気付いてしまったものは仕方ないので、俺はクラレットの背後に回り込んで囁いた。
「あの泥棒猫……!」
「勝手に変な心の声を演じないで」
振り向いたクラレットが苦笑して言う。
「それとも、ガウスがそう思ってるの?」
「なんでさ」
予想外の切り返しに、思わず普通のツッコミを入れてしまう。
だがクラレットはからかうような笑みを浮かべて、
「ハーレム作る気になったのかなって」
「……仮にその気でも、ツバメはないなぁ」
「あ、あの子もいいところ、あるよ?」
つい真面目に答えてしまったところ、クラレットも妙に慌ててフォローを入れる。
俺は頷きを返して、
「知ってる。それに意外と真面目だし、意外と可愛いところあるし、意外と優しい奴だよな」
「どうして意外性だらけなの……?」
「素直に褒めるのはなんかムカつくから」
長所を帳消しにするぐらいには、害鳥ポイントが溜まっているのだ。
「ま、あいつとは友達のままが一番だよなって。その方が楽しそうだ」
「……そっか。でもね、ガウスが知らないいいところもあるんだよ」
クラレットは慈母の眼差しをツバメに向けながら、
「胸、ちょっと大きくなったって」
「そうか――――」
俺の中の天秤が僅かに、しかし確かに傾いた。
未来を想像する。ツバメはまだ成長期だ。うちの妹がリアルでグングン身長が伸びているように、ツバメにもそういう時期が訪れないとは言い切れない。可能性はいつだって未知数なのだ。
もし、このまま成長が止まることなく、続いたとすれば?
くそっ、なんてこった! それはそれでありだ……!!
「――――はっ」
己が信仰を胸中で問うていたが、クラレットの微笑みがいつの間にか俺に向けられていた。
こ、これは罠だ……! どういう狙いなのかいまいち分からないが、俺は何かを試され、そして窮地に立たされている! そのことだけは、本能の鳴らす警鐘で分かる!
どうすればいい。何が正解だ。クラレットは何を試し、何を求めている。
加速する思考。でも元が大したことないので、加速しても意味がない。悲しい。
脳が白旗を掲げたところで、俺は苦し紛れにこう言った。
「でも、俺はクラレットが好きだよ」
「も、もぅ。そんなこと言って、誤魔化そうとして!」
意外と正解か……!?
照れているのか怒っているのか、よく分からないクラレットだが、このまま押し切れと俺は言う。
「嘘じゃない。この気持ちは、嘘じゃない」
今こそ己が信仰を証明する時。
俺はかつてない真剣さで、クラレットの胸元を見詰めながら言い終えた。
「………………」
視線に気付いたクラレットは、数秒、たっぷりと悩んでから、俺の額にチョップした。
「ガウスの駄目なところは、ガウスなところ」
哲学的だなぁ。俺は「くぅ~ん」と鳴いた。
姐御達がこちらを見て、また何か馬鹿言ってるんだろうなぁ、という態度で笑っていた。
業腹である。俺は信仰を貫き、異教の誘惑にも打ち勝ったのだ。その聖なる姿を見て馬鹿にするとは、まったくもって度し難い。でも抗議するのも怖いので、俺は沈黙を選ぶよ。
その後も雑談をしながら待ち続けていると、弱い風が吹いた。
何でもないその風に、俺達は揃って違和感を覚える。
風には気配があった。実体のない生き物が通り抜けたような、気味の悪い気配だ。
この違和感が錯覚ではないと証明するかのように、夜の闇からゆっくりと、這い寄るかのごとく黒い靄が集まってきていた。
「おでましのようじゃな」
言いながら、カルガモはインベントリから剣を取り出した。
ジョブ的には相性の悪い片刃の直剣。取得しているスキルの大半が使えなくなるその武器こそが、カルガモの本気の証。油断も慢心もなく、今夜のカルガモは最初から剣士として戦うつもりだ。
蠢く靄はやがて人の形を取り、昨夜と同じく、靄から生身へと置換されていく。
翻るスカート。名の由来となったセーラー服。
癖のあるショートボブの栗毛に、そこだけは靄のままの顔。
顔剥ぎセーラーは「ハッ」と鋭く笑い、一振りした右手を靄によって肥大化させた。
完全な臨戦態勢。一秒すら惜しむような、剥き出しの闘争心の発露。
吹き荒れる死の気配は、獣臭を錯覚しそうなほどに荒々しい。
「――ぃよう! お待たせ、待ったかい?」
なんて、気配とはチグハグに、顔剥ぎセーラーは明るく言う。
だけど俺達は何も言えなかった。
答える気がないのではない。答えることができなかった。
「んだよ、ノリ悪ぃな。そこは今来たとこ、とか言えよ」
無視されたとでも思ったのか、顔剥ぎセーラーは拗ねるような声を出した。
冗談のような言葉に、しかし誰も笑えない。
目の前のそいつの姿に、俺達は疑問を浮かべることしかできなかったのだ。
「……なんで」
そして。震える声で、クラレットが問うた。
「なんでツバメの――朝陽の姿をしてるの」
奴の姿は昨夜と変わらない。
しかし昨夜と違い、俺達はリアルのことを思い出している。
だから気付けた。
顔剥ぎセーラーの姿は、顔がないだけで朝陽そのものだった。
「ハ――そいつを知りたけりゃ、ってやつだ」
獰猛に笑って、顔剥ぎセーラーは身構えた。
奴は俺達を見渡して、
「昨日よか増えたみたいだが、それだけで勝てると思うんじゃねぇぞ。
何せ今日のあたしは、昨日より調子がいいかんな!」
楽しそうに、楽しそうに。
あるいは焦がれるように、戦いを求めていた。