第八話 思い出したもの
拠点に戻った俺達は、リビングに集まってシャーロットさんの話を聞くことになった。
ゴースト退治に行かなかったメンバーも集められたが、カルガモだけは不在だった。あいつのことだから、ラシアの酒場へ飲みに行っているのだろう。
ともあれ、リビングに全員が揃ったところで、ソファーに腰を沈めたシャーロットさんが話し始めた。
「さて――もう一度確認しておこうか。古橋晶。この名前に聞き覚えがある者は?」
先程も問われた名だ。やはりその名前を知っている人は、一人もいなかった。
シャーロットさんは僅かに落胆した様子で嘆息を洩らし、
「まあ予想通りだ。古橋晶というのはね、私の本来の名前なんだよ」
「本来ってーと、お前さんは今まで偽名だったのか?」
意図を掴みかねているのか、探るようにウードンさんが問いかけた。
だがシャーロットさんは自嘲的な笑みを浮かべて首を振り、
「そうでもない。こちらではシャーロット・クリスタルが確かに本名だ。
けどね、そうではない私――本来の古橋晶は、こんな子供ではなかった」
「子供……?」
ウードンさんが味わい深い顔で首を傾げるが、論点はそこではない。
話し方がやや迂遠だと自覚したのだろう、シャーロットさんは意を決したように言う。
「単刀直入に言おうか。シャーロット・クリスタルはゲームのキャラクターだ。
私達は今、ゲームの世界を現実だと思い込まされ、リアルのことを忘れてしまっている」
その告白に俺達は顔を見合わせる。
彼女が何を言っているのか、理解できた者は一人もいないだろう。
ただ、姐御はあえて優しい声で言った。
「明日、明るくなったらお医者さんに診てもらいましょうかー。ね?」
「茶化すなタルタル。私は少年らと違ってまともだ」
「あはは、それもそうですねー」
あれ? 今、すごくお手軽に馬鹿にされた気がするよ?
複数形で同類認定されたのは誰かなぁ、なんてことに思いを馳せていると、
「ま、論より証拠だ。これを見ろ」
シャーロットさんは手を振り、眼前に半透明の板を――表示フレームを投影した。
既視感。そして猛烈な違和感に襲われる。
俺は、いや、俺達は知っている。それが表示フレームであることを。
各種情報に限らず、電脳と連動して様々なものを表示させることができるのだと。
「――――――っ」
途端、脳が弾けるような頭痛に襲われた。
錆びついた鍵を力任せに回すような無遠慮さ。必要がないと仕舞い込まれていた膨大な記憶が、情報の洪水となって引き摺り出されていく。
まるで高温の猛毒だ。人の限界を超えた量の情報は、処理しようとするだけで身を蝕む。記憶の一つ一つが浮腫となって、頭蓋の中を埋め尽くすかのようだった。
激痛だけではない。記憶のほとんどは、異物としか言いようのないものだ。確かに自分の記憶でありながら、架空の記憶を流し込まれるような感覚。それは猛烈な嫌悪感を伴った。
「ぁ、……お……!」
ツバメが崩れ落ちる。肌には脂汗が浮かび、喘ぐ口元は空気を求めてではなく、嘔吐を堪えてのものだろう。彼女だけではない。他の皆も同じように倒れたり、ソファーや椅子を掴んで堪えていた。
……それぞれが落ち着いたのは数分後だった。
最初に口を開いたのはまだ息の荒い緑葉さんで、
「っ、……嫌でも――ハァ――理解、させられ、たわ……」
彼女は半ば睨むようにシャーロットさんを見て、
「電脳という技術に、ネットとゲーム。ええ、ここがゲームの中だというのは分かったし、私達の置かれている状況も理解したわ。……手荒過ぎて、恨みたくなるけどね」
「他にいい手段も思い浮かばなかったのでな」
悪びれずに答えるあたり、謝る気はないのだろう。
どんな痛みを伴うものであっても、必要だったから仕方がない。そう判断するからこそ、軽々しく謝らない。たとえ恨まれることになっても――と、そんなところか。
シャーロットさんは出したままだった表示フレームを消して、
「で、君達の認識はどうだ。本名は思い出せたか?」
「まだ混乱してるけど、何とか……」
弱々しく答えたツバメは、ソファーに座り直す気力もないのか、床の上に腰を落ち着ける。
見比べた感じ、やはり個人差はあるようだ。ほとんど頭痛だけで済んでいそうなのが、緑葉さんとロンさん。嫌悪感もあったのが俺も含めた大多数で、ツバメは特に嫌悪感が勝ったのだろう。
……スピカはわりと平気そうっていうか、頭痛もそこまで酷くはなかったみたいだが。
これらの差も気になると言えば気になるが、それよりも優先したいことがある。
「思い出せたのはいいけど、実感がねぇな」
俺の言葉に、皆も同意するように頷きを見せた。
そうだ。俺は自分が守屋幹弘であることも、リアルでどんな暮らしをしていたかも思い出した。しかし取り戻した記憶には実感がなく、他人の人生を挿入されたような不快感が残っている。
ガウスという今の自分は、守屋幹弘のアバターでしかないと理解できるのに、ガウスこそが本当の自分であるかのように錯覚してしまっていた。
「それは私も似たようなものだ」
不愉快そうにシャーロットさんは言う。
「私は運良く自力で思い出せたが、半々といったところか。シャーロット・クリスタルとして生きてきた、という実感が先にあるのが原因だと思う、けど……」
「? どうかしました?」
言い淀んだところへ、姐御が問いかけた。
シャーロットさんは片手を上げて、少し待つようにジェスチャーをすると、
「……まあ、恥を晒すような話だけど。アバターを理想の自分としてデザインするのは、私に限った話ではなく、誰でも思い当たる部分はあるだろう? 例えば少年、君の身長だ」
「サンプルには自分を使えよプロ幼女」
「ライトニングボルト」
「あひん!?」
こ、この距離でそんなの避けれるわけないだろう……!?
雷光に打たれ、ぷすぷす煙を上げる俺を無視して、シャーロットさんは続ける。
「とにかく。自分はこうであって欲しいという祈りが、アバターには込められる。その祈りが、今は強く影響しているのではないか、と考えている。まあ、そうは言っても記憶はリアルの方が膨大だ。いずれ実感も湧くだろうし、気にしなくていいよ」
「――ああ、そういうことか」
ふと、合点がいったようにウードンさんが呟いた。
彼はスピカに目を向けて、
「スピカがわりとけろってしてるのが、ちょいと不思議だったんだがな。
シャーロットの考えが正しいなら、スピカは祈りが少ないってことだべ」
「よく見てるわね麺類。そんなに女子高生をガン見して何を考えていたのかしら?」
「急角度でスキャンダル見つけんな。俺の好みは背の低い子だ、心配ない」
何でもない発言に、姐御とシャーロットさんがそっと距離を取った。
「言っとくが俺ぁ、お前らのこと女として見てねぇからな!?」
「よく気付いたな……バレないように動いたつもりだが」
「やっぱりチェック厳しいですねあのロリコン。――誰がロリですか捻りますよ」
「理不尽なキレ方すんなよ……!」
嘆きつつもツッコミを入れる、律儀なウードンさんであった。
そんな彼へと、ロンさんが声をかける。
「ふむ。ウードン、考えてみたが君の説には穴があるようだ。
スピカ嬢はなるほど、確かにアバターへ込めた祈りは少なかったかもしれない。だがそれを言うならば私もだ。私はキャラメイクの際、可能な限り忠実にリアルの顔と肉体を再現したのだぞ?
しかし実際には、彼女よりも私の方が頭痛などは酷かったように思う」
「あー……ロンさん、怪我とか手術の経験は?」
「手術はないな。大きな怪我もないが……人並みに小さな怪我はあるだろう。しかしそれが?」
「リアルで傷跡が残ってねぇか?」
「……なるほど。この傷跡さえなければ――その思いが、私の祈りか」
「んだ。ナルシストならそんなところだべ」
妙にムードを出して言うロンさんをばっさりと切り捨てる。
まあ他人から見れば些細なことでも、当人にすれば強い祈りになるケースもあるってわけか。
逆に俺の身長のように、誰から見ても重要なことであれば、それは強い祈りになる、と。
そう納得していると、ツバメがシャーロットさんに問いかけていた。
「あの、そろそろ聞きたいんですけど……シャーロットさんはどうして、思い出せたの?」
「おっと、そうだな。それが本題だった」
指摘されたことで気恥ずかしそうに頬を掻いて、
「本当に偶然なんだが――まずはあのゴーストについて話そうか」
そう前置きして、シャーロットさんは俺達の遭遇したゴーストについて説明する。
奴が黒い霧のような姿から、顔のないセーラー服姿の少女に変わったということを話したところで、皆の顔色が変わる。その特徴を聞けば、やはりあいつだと思うのだろう。
しかしシャーロットさんはそこには触れず、
「セーラー服を見た時に違和感があってね。私はそれがセーラー服だと知っているが、シャーロット・クリスタルとしては見覚えがない筈だ。どこで知ったのか、不思議に思うのは当然だろう?
そうやって記憶を掘り起こしていたら、リアルのことも思い出せた」
「にゃるほど。あたいら、がっつり記憶を弄られてるみたいだけど、偽装は完璧じゃないってわけだ」
「そのようだ。偽装と言うよりは辻褄合わせなのかもしれないが、私に関してはこんなところ。
問題はあのゴースト――顔剥ぎセーラーが何者なのかだね」
シャーロットさんは足を組み、太腿を支えに頬杖をついて言う。
「私は聞いただけだが、あれは少年達が倒したのだろう?」
「ですねー。あと、あんなにお喋りでもなかったですよ」
姐御からの補足に、クラレットとツバメも同意の頷きを見せる。
困ったことに俺は倒した時のことをまったく覚えていないので、昔は無口キャラだったんだなぁ、なんて思うばかりである。
「確かに死んだ筈なのに、生き返ってしまったと。……どうしたものかな」
独り言のように呟いてから、シャーロットさんは言う。
「あれが今起きている事態に無関係だとは思わないけど、原因なのか、それとも副産物なのか。判断材料が足りていないな。襲われても面倒だし、倒した方がいいとは思うが……」
「――待ちなさい、シャーロット」
ふと。鋭い声で、緑葉さんが割り込んだ。
問いかけるその表情は険しいもので、
「今、生き返ったと表現したわよね?
ここがゲームの中なら、あれはただのデータでしかない筈よ」
「……そのことだがな」
言って、シャーロットさんは表示フレームを投影した。
皆にもよく見えるようにと、拡大表示で映し出されたのは、ゲオルのシステムメニューだ。
オプションやヘルプなどの項目が並ぶ中、注目されたのはログアウト。それを実行すればゲオルから切断され、意識はリアルの方へと戻ることになるのだが。
今、その項目はグレーアウトし、実行できないことを表していた。
「正確に言えば、ここはゲームの中ではない。
昼夜があり、料理を食べれば味がして、腹も減れば糞尿も出る。――ゲームのようになってしまっているが、ここはリアルではないかと私は考えている」
……言われてみれば、確かにそうだ。
ゲオルギウス・オンラインがどんなにリアルさを追求しても、VRの規制によって料理はほとんど味がしない。空腹になることもないし、排泄なんていうゲームには不要のシステムもなかった。
ゲームによっては昼夜の概念があるが、ゲオルはログインする時間帯で環境が変わるのを嫌ったのか、昼夜の概念もなかった。俺達が知るゲオルの世界は、夜のない世界が続いていた筈なのだ。
「そう……だから生き返ったと、そう表現したわけね」
緑葉さんは納得するものの、顔色は僅かに青くなっていた。
事態の規模を受け止め切れなくなっているのだろうか。頼れる人ではあるが打たれ弱いっつーか、逆境には弱い人だからなぁ……後でのーみんか、暇なら俺がフォローした方がよさそうだ。
そう判断しつつ、この世界がリアルならと仮定して、俺も考えを巡らせる。
顔剥ぎセーラーは確かに俺が殺したらしい。
だから奴がリベンジマッチを挑むというのは、まあいい。しかし記憶を引き継いで現れたなら、生き返ったと考えるのが妥当なのだろうか。だとすれば、奴は不可能を可能にしたことになる。
死に戻りなんてのはゲームだからこその……んん?
「あれ? ここ、ホントにリアルか?」
「まだ確定したわけではないが」
「だよな。……リアルだったら死に戻りってできるのか?
俺、今日も衛兵にぶっ殺されたけど、普通に死に戻りできたぞ」
またか、みたいな呆れの視線を皆が向けてくる。
しかし俺は権力に屈さない男。何度死んでも、それは名誉の死なのでノーカンだ。
自らの正当性をでっち上げていると、シャーロットさんが口を開いた。
「ふむ……死に戻りが当たり前にできるのなら、ゲームの中という可能性もあるか。
先日の辻斬りもリアルで死に戻りを実現していたが、あれは魔術として成立させていたしね」
「あー、その件も……ほぁ!?」
素っ頓狂な叫びを上げたせいで、皆がビクっとする。ごめんね。
だが思い出した。撃剣興行を襲った辻斬り事件のことを。
「……その辻斬りだけどさ。間違いなく俺が殺して、事件を終わらせたよな。
だったらおかしい。あいつが生きてた記憶が、俺にはあるぞ」
いや、それだけじゃない。違和感に気付いてみれば、あの日はそもそも異常だらけだった。
俺達まで幻想種が当たり前だと思い込んでいたり、リアルなのにレベルがあったり。
とにかくあの日――旅行から戻った翌日の異常を、分かる限りで皆にも伝えた。
「うーみゅ……言われて初めて、おかしかったことに気付いたのぜ」
のーみんが実感の籠もった声で言う。こいつは田舎の事情とか話していたし、それが本来の記憶とどれほどズレたものであったのか、気付くことができたのだろう。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
スピカが俺を呼ぶ。
「あの日が変だったら、カラオケで姉ちゃんが音痴だったのも」
「それは実力」
「ち、違いますよー。音楽の歴史とかもきっと、狂ってたんですよー」
言い訳する姐御を皆はスルーした。武士の情けってやつだ。
そして咳払いを挟み、シャーロットさんが話の流れを戻す。
「リアルの方でも異常が起きていたのは分かった。
……しかし妙だな。私の方では、そこまで大規模な異変は起きていなかったのに」
「私も同意見だ。おそらくウードンも同じではないかね?」
「ずっと寝てたから分からん」
「使えん男だな貴様は。金にもならん」
「ファングッズとか売れてんだけどなぁ」
「一枚噛ませろ。――さて」
注目を集めるように、ロンさんは手を叩いて言った。
「それでは私の推測を話そうか。
まず私やシャーロット嬢が異変を認識していないのは当然だ。何故なら私達の周りでは、異変がそもそも起きていなかった。異変が起きていたのはガウス達の周囲だけだと、そう判断するのがスマートだろう」
「待って、ロンさん」
クラレットが言葉を挟み、推測に反論を投げかける。
「私達の旅行中、幻想種のことは当たり前になったけど、それは遠く離れた場所でも同じだった。
ゲオルが世界に与える影響の範囲は、私達の周囲だけじゃない」
「混同してはいけない。結果が違うのなら、過程も違うと考えて然るべきだ」
ロンさんは体の前で指を組み、
「旅行の翌日。その日の出来事を、諸君はリアルでのことだと考えているらしい。
しかし私は、その時点で諸君はゲームの中にいたのだと判断する。論拠は二つ。一つは私やシャーロット嬢が異変を観測していないことであり、もう一つは辻斬りが生きていたという証言だ」
ああ――そうか。
ロンさんの言葉が事実なら、やっぱり現実は変わらない。
「死に戻りを実現した魔術師を、それができないように殺したのだろう?
ならば生き返る筈がない。生きているように見えても、それはよくできた偽物だ」
あいつはこの手で終わらせた。
その事実はもう、絶対に覆らない。
「では、どうして偽物が存在するのか。他の異変と絡めて考えた時、その謎を解くのはツバメの体験だ。ゲーム化されたリアルが、バックアップとして存在する――そのバックアップ世界を流用して、シミュレートでもしたのではないかね? ある時点から、ゲーム的な世界を常識として、だ」
「どうして……という疑問は残るが、それなら大部分は説明できるか」
シャーロットさんが言うように、そういうことなら、確かに説明はつく。
辻斬り事件が起きる前のバックアップを元にして、撃剣興行の歴史や役割も大きく変わっていたら、あの事件は起きなかったのかもしれない。
あの日、俺が見たものは、そういうもしもの世界だったのだろうか。
「今いるここも、そのバックアップ……いや、シミュレート世界と同じ類のものだろう。
リアルとゲーム、どちらを基本とするかの違いだが――どこかのタイミングで切り替えた結果が、この世界というわけだ。私達が取り込まれたのも、そのタイミングだろう」
ならば、と。ロンさんは結論を口にする。
「全ての鍵は、この世界の顔剥ぎセーラーだ。
リアルを元にしたのなら死んでいるか、生まれていない。ゲームを元にしたのであれば、それこそ存在するわけがない。シミュレート世界において、奴は明確な異物なのだ」
「どっちにしろ再戦するしかない、ってこったな」
意気込む俺に、姐御が言う。
「あのー。素朴な疑問なんですけど、勝てそうですか?」
「カルガモぶつければ勝てるんじゃね?」
ああ、と皆が納得する。
そりゃまあ、リベンジマッチというなら俺が相手するのが筋なんだけど。
スペック的にどう足掻いても勝てそうにないので、仕方がない。
とりあえず化物には化物をぶつけてみようじゃないか。