第三話 シャットダウン
テッシー達は他の参加者との連戦を始めていた。
ま、あいつらは稽古目的で来てるんだから、あんまり俺らと遊んでるわけにもいかないだろう。
その連戦が始まる前に他人ともう一戦やったのーみんは、今度は順当に敗北していた。相手が悪かったというわけではないし、身体能力で言えば押しているぐらいだったのだが、決め手に欠けていたのがまずかった。
のーみんの攻撃は空を切ったり、当たっても一本にならなかったり。そうして攻め疲れたところへ、鮮やかな――とは言いたくない不格好さではあったが、反撃で一本を取られたわけである。
体力の限界まで動いたのか、汗みずくになったのーみんは足取りもおぼつかず、後ろから俺の両肩に掴まってどうにか立っていた。
「お、思ったより……スタミナが……」
そう言い訳するのーみんだが、こいつの場合はちょっと特殊なんだよなぁ。
ゲーム内での動きを体が覚えていて、それをある程度は再現できるぐらいに体も鍛えられている。ただし無茶な動きではあるのも確かで、それを続けられるほどの持久力は流石にないのだ。
言ってしまえばオーバースペック。技術の要求スペックを肉体が満たしていない。このチグハグさは下手に矯正するよりも、地道に体を鍛えるのが一番だろう。
そんな風に評価していると、のーみんが地味に体重をかけてくる。っていうか体を預けてくる。
背中の大いなる幸福な感触を堪能しつつ、俺はクールを気取って口を開いた。
「やめろ、重い」
「むふふ。よいではないか、綺麗なお姉さんだぞー」
「ごめん。そういう目で見たこと、ない」
「こんちくしょうが……!」
肩を押し込むように体重をかけるのーみん。重いっていうか痛い。
そうしているところへ、苦笑を浮かべた茜が言う。
「なんか二人とも、兄弟みたいだね」
言われて、はたと顔を見合わせる俺とのーみん。
なるほど。そう言われてみれば、頷けるような感覚もあったりなかったり。
単なる友人と呼ぶには気安く、でも異性としての認識はあまりなく。それでいて同族嫌悪的な意識があるのだから、確かにそれは兄弟のようなものかもしれない。
のーみんも何かが腑に落ちたような顔をしているので、案外、同じ認識なのかもしれない。
そう。だからこそ、譲れないものもあるわけで。
「傍目にはどう見ても俺が兄だな」
「ちょいちょいちょーい。身長差を忘れてはおりませんこと?」
「は。でかい妹なら既にいるんだ、今更……ああ、今更……」
「がっちゃん、自分で言って泣きそうになるのどうかと思うぜ!?」
違うよ、思い出して落ち込んでるだけだよ。
まあそれに、こんなのは俺達が言い合って解決する問題でもない。
俺は茜に顔を向けて、
「で。茜としては、どっちが上って認識?」
「どっちかって言うと、どっちも下かなぁ……って」
「ふおぉ……!? がっちゃん、がっちゃん。お聞きになりまして?
クーちゃんってば、あたいらの上に君臨する気ですわよ?」
「何キャラだよお前。いや、けど侮ってたのは事実だな。
まさか茜が参戦してくるとは思わなかったぜ……!」
「そ、そうじゃなくて!」
燃え上がる敵意に恐れをなしたか、言い訳をする茜。
「幹弘さんものーみんも、大きい子供……みたいな?」
「言い訳になってねぇよ!?」
「少なくともあたい、がっちゃんよりはマシだと思うんですけど!」
「え、えーと」
返答に困った茜は、困惑気味に俺とのーみんの手を握った。
「皆仲良し。ね?」
「誤魔化すなら誤魔化すで、もっと誤魔化す努力しろよ……!」
「ふ。だけどあたいはいい女なので、騙されてあげよう。
あと困った時、意外とゴリ押しに走るクーちゃんだけど、すぐにそれを恥ずかしがるの最高に可愛いと思うんです。どう、がっちゃん」
「ああ、可愛いよな」
「う……!」
息を詰まらせた茜は、羞恥心から赤面して握る手に力を込めた。ははは、その程度じゃ痛くも痒くもないぜ。でも効果が薄いと悟って、指を握り潰す方向にシフトするな。やめろ、痛い。
二人して悲鳴を上げて悶絶したところで、満足したのか茜は鼻を鳴らして手を離す。前はもうちょっと手心を加えてくれていた気がするのだが、この容赦のなさ、すっかり染まってしまっている。やはり百合やりっちゃんは青少年の育成に悪影響しかないのだ。
内心であの二人がいかに不健全かを考えていると、涙目ののーみんが言う。
「怒った顔も可愛いぜベイベー」
ホント懲りないよなこいつ。
茜も相手をしても調子に乗るだけだと理解してるんだろうけど、無視することもできずローキック。それをひょいひょいと躱しながら、のーみんは言葉を続けた。
「にょほほ。クーちゃんもうちへお嫁に来るかい?」
「結構です!」
「それは残念。がっちゃんのハーレムに加えたい人材なんだけどにゃー」
「――は?」
茜はローキックをやめて、どういうこと、と真顔で俺を見る。
……どうしてそこで俺に矛先が向くのか。
これが世の不条理なのか、それとも日頃の行いのせいか。たぶん後者。
言葉を間違えると酷いことになる予感がしたので、俺は慎重に回答する。
「のーみんの戯言だよ。実家の跡継ぎが欲しいから婿に来いって。
そんで重婚オッケーとかほざいてたけど、俺にその気はないからな」
いやまあ、その気がないってだけで、ハーレムとかある意味では夢があっていいなとか思わないでもないんだけど、俺にそんな甲斐性はないとも思うので、夢は夢のままにしておこうぜ、的な。
微妙に煮え切らない部分を見抜かれたか、茜は「ふーん」と俺を見詰める。
それからゆっくりとのーみんを見て、
「なんで?」
「え……その……あたい、がっちゃんなら妥協してもいいかなーって……そ、それにほら、クーちゃんとかタルタルとかも一緒なら、楽しいよねって……はい、ごめんなさい……」
すげぇ! 威圧感だけでのーみんに謝らせた!
でもたぶん、のーみんは悪ノリが過ぎたよネ、ぐらいの認識なんだよなぁ。
茜はのーみんの謝罪に微笑んで、
「いいよ。ハーレム、作りたいなら作っても」
「ひゃっほう! やったぜがっちゃん!!」
「幹弘さんも、やりたいようにやっていいからね?」
「――いや、飼い主は一人だけが自然だよな」
うん、そうだよな? と同意を求めてみる。
しかし茜は首を傾げて、
「飼い主って?」
「そりゃあ茜と百合に決まってんだろ」
「二人いない?」
「犬に飼い主は選べないので……」
ちょっとセンチメンタルな感じで呟いてみた。
茜はため息を一つ。俺の脳天へとチョップした。
「くぅ~ん」
「別にいいけど。勝手に拾われないようにね」
「うっす。のーみんの誘いにも乗ってないんで、信じてください」
どうやら許されたらしい。いや、別に俺、何も悪くないんだけどさ。
そもそもの原因は、妙なことを言い出したのーみんである。どうしてあいつの奇行に、俺が巻き込まれなくてはならないのか。許せないぜ。
――なお、そののーみんは俺達の横でステップ刻んで、
「ひゅーひゅー! お前ら付き合っちゃいなよ!」
茜、無言でローキック。避けるのーみん。
そこへ待ち構えていた俺の拳骨が炸裂した。
「お、おおぅ……! ちょ、これ地味に痛いやつ……!」
リアルだからその程度で済まされたと感謝してもらいたい。
そう思っていた俺の腕を引いて、茜が口を開いた。
「幹弘さん。試合場が空いたら、のーみんと試合してあげて」
「そりゃいいけど、どうしてだ?」
「のーみん、体力余ってるみたいだから。公開処刑」
あははー。発想まで百合に似てきてるなー。
ひっ、と短い悲鳴を上げたのーみんも、新たな魔王の誕生に気付いたらしい。
でも皮肉だよな。この魔王を生み出してしまったのは、他ならないお前自身なんだぜ。
俺は逆らう勇気もないので、ウレタン刀を持ってブンブンと素振りをする。
諦めろよのーみん。せめて楽に死なせてやるからさ。
○
高架下ホームを離れたのは昼前のことだった。
百合達と合流するのはメシの後なので、時間にはまだまだ余裕がある。それでも移動を始めたのは、のーみんが汗を流したいと言い出したからだ。
まあ、あれだけ動き回れば汗の量も結構なものになる。年頃の女としては汗臭いままってのは嫌だろう。そんなわけで駅から少し離れた場所にある、スーパー銭湯まで案内した。
じゃあ俺も一旦戻って家でシャワーでも、と言ったら、中のレストランで食べたいから付き合えとのことで、一人寂しく広い湯船を堪能させてもらった。
なるほど、今まで利用することもなかったけど、ここって天然温泉なのか。源泉に少し加温しているそうだけど、加水はしていないと。説明書きを読んでみると、思わぬ発見があるものだなぁ。
飲むこともできるらしいが、ミネラルが多いせいかちょっと金臭いな。成分的に問題ないってだけで、飲用に適しているわけでもないって感じか。
と、そんな感じで寂しく風呂を楽しんだ後、二人と合流して施設内のレストランで昼食。健康的なのを売りにしたいのか、野菜と魚が中心の和食ばっかり……いや、カツ丼あるな。俺はこれにするよ。
のんびり食事をして、時間的にそろそろ出ようかー、とスーパー銭湯を後にした。
「温泉も意外と悪くなかったな」
「急にクールなフリしてるけど、がっちゃん超満喫してたぜ?」
「そうかぁ?」
「お風呂上がりの幹弘さん、見たことないほっこり顔だったよ」
「そうか……まあでも、たまにはいいよな。冬にでもまた来ようぜ」
「うん、そうしよっか」
「さらっと二人の世界作るんじゃにゃーい!」
何故かキレたのーみんが、ぺちぺちと俺達を叩く。
「いや、だって仕方ないだろ。あそこ行くだけで、わざわざのーみん誘うのも悪いし」
「そうだよ。仲間外れにしたわけじゃないから」
「違う! そうじゃないのだ!」
ヒートアップするのーみん。どうしてそんな必死なの?
「くっ……今までは基本、他の人が一緒にいたから気付かなかったぜぃ……!
さては君達、既に付き合っておられますな!?」
「どうしてお前さんは、そういう方向に持っていくんだ」
なあ? と同意を求めれば、茜もこくこくと頷いていた。
まあ波長が合うっつーか、わりと自然体で接してはいるがそれだけだ。
「のーみん、最近ちょっと変」
いつもだよ。
しかし痛いところを突かれたのか、のーみんは気不味そうに目を逸らした。
「えー……いや、えへへ……実はですね、実家の親がそろそろうるさいっていうか、あんまりのんびりしてると、お見合いさせられそうっていうか。あたいも焦り気味、みたいなみたいな?」
「……もう。そうやって焦ると、いい結果にならないよ」
「ははーっ。仰る通りでげす」
平身低頭するのーみん。新たな力関係が築かれつつあるなぁ。
俺は苦笑しつつ、
「しっかし、お見合いってまた古風だな」
「あたいもそう思うんだけど、何気に需要は絶えないらしいからにゃー。
風の噂によれば、良家のお坊ちゃんお嬢ちゃんが多いそうな」
「そんなところに、こんなのを混ぜちゃいけないな……」
「そうだね……」
「お二人さん、あたいになら何言ってもいいとか思ってないかい? ねえ?」
ソンナコトナイヨー、と雑に誤魔化して。
待ち合わせに遅れても悪いから急ごうぜ、と押し切ってみる。まだ不満顔ののーみんだったが、文字通りに背中を押して歩かせた。
駅前へと向かう道すがら、ふと思い出したことがあったのでのーみんに問いかけた。
「そういやさ、のーみんの田舎って幻想種どうなんだ?」
「ほにゃ? どういう意味かね」
「数とか種類とか。ほら、古橋さんも増えてるって言ってたろ」
人類は科学の発展に伴い、数々の迷信を葬り去ることに成功した。
その科学は幻想種を滅ぼすことまではできなかったが、迷信に潜んでいた連中を抑え付け、魔術や幻想種といった神秘を一度は過去のものへと変えた筈なのだ。
しかしゲオルの影響によって世界は侵食され、幻想種の発生が明らかに増えていると、古橋さんが語っていた覚えがある。
だから何となく、のーみんの田舎は大丈夫なのだろうかと気になったのだ。
「あー、どうだろうにゃー。あたいらは違いを認識できるけど、他の人はそういうわけでもないし。
ただまあ、人が殺されたとかの話は聞かないから、まだ安心はしていいんじゃないかにゃー」
その言葉に、砂を噛んだような違和感を覚えた。
だけど原因はまったく分からないままで、のーみんの話は続く。
「この街だって平和に見えるし、山とか心霊スポットとか、そういう場所に行かない限りは大丈夫っぽいと思うのだ。危険が隣り合わせだったら、流石に何かしら変化があると思うぜぃ」
「そんなもんか。熊が増えた程度に思ってりゃいいのかもな」
「っていうか幻想種もピンキリだけど、大半は熊の方が強くないかね」
「シンプルに強いもんなぁ」
熊より強い幻想種となると、日本だと鬼や天狗が有名か。ただの妖怪ではなく、何かしらの信仰と結びついて力を得たモノでなければ、熊はどうにもならないだろう。
そう考えると熊を狩れる猟師って凄いよなー、なんて話していたら、茜が口を開いた。
「あの、ちょっと気になったんだけど……古橋さん、私達とどういう関係だっけ」
「みゅ? シャーリーならたしか、がっちゃんが引き込んだ仲間だぜ?」
「ああ、聖杯のこと聞かれて、それでゲオルが怪しいってなって、協力関係に――」
んん? それだけだったか?
確かに魔術師の協力を得られたのは大きいけど、何かもっと、違う事情があったような。
首を傾げていると、意を決したように茜が言う。
「辻褄が合わない気がする。頼りになる人だって思うし、話した記憶もある。
でも、それだけ。具体的に何をしたとか、そういうのが思い出せない」
「……がっちゃん。これ、わりと深刻なのでは?」
「ちょっと待て、俺も思い出すから。聖杯のことを話して……何でゲオルが怪しいって話になったんだ? 理屈の上では、偶然ゲオルのホーリーグレイルが聖杯として機能したってだけで、それで解決だ。そうなった原因を探るにしても、それは古橋さん個人の仕事だろ」
そうだ。仲間としての認識はあるのに、話が繋がらない。
いや、そもそもの話として――――
「――なあ。俺達、ゲオルの何を調べてたんだ?」
記憶が歪んでいる。
変えようのない認識だけはそのままに、気付くまでは違和感がないほど自然に。
俺達が何を理由にしてゲオルを怪しみ、調べていたのかさえ、忘れてしまっている。
「そう……そう、だよね。そこから話がおかしい。
幻想種が増えてるのは、ゲオルの影響。それは分かってるのに、具体的なことを思い出せない」
「そもそも、俺達が首を突っ込むような話じゃないんだ。
聖杯の件は仕方ないけど、他には何もなかったんだから、筋が通らない」
別に誰が犠牲になったというような話でもない。
それなら後始末は専門家に任せてしまうのが、むしろ当然なのに。
「他には……んにゃ? がっちゃん、クーちゃん。
それで思い出したんだけど、じゃあ秘跡案件ってどういう意味だい」
「それは――」
答えようとして言葉に詰まる。
知っている筈なのに、その言葉の意味するところを思い出せない。
持っている筈の答えに、辿り着くことができない。
「……茜は?」
「……ごめん。私も駄目」
そうか、と返して。何か、少しでも手がかりはないかと、思い出せる限りを思い出す。
……冷たい汗が流れるのが分かった。
ゾッとするほどに、俺の記憶は空っぽだった。
表面上は問題なく振る舞えるようになっているだけで、行動の理由を一つも答えられない。習慣のように、何となくそうしているだけ、みたいな。笑えない話になってしまう。
それでも記憶を必死で漁る。こんな馬鹿げた事態が起こっているのに、何故か冷静さを保てているのは、きっとそういうことだ。忘れてしまっているだけで、こんなこともあると俺達は知っているのだ。
思い出せないけれど、失われたわけではない。
そうであってくれと祈りながら、記憶を遡り続けた。
「――――あ」
その果てに、始まりの事件があったことを思い出す。
「顔剥ぎセーラー! あれが最初の事件だ!
新しい幻想種が街に出て、それを退治したこと、あっただろ」
「むむ? 名前的には都市伝説っぽいけど……あたいは覚えてないにゃー」
嘘だろう? いや、のーみんは直接関わっていないから、忘れても仕方ない。
だけどお前は覚えているよな、と茜を見た。
「ごめん。私も知ら」
――言いかけた言葉が、大音量のノイズに掻き消された。
鼓膜を削るような砂嵐。世界は崩れて、どろどろに溶けている。
いつか見た風景。チョコ細工の末路。追いつかれたのか、追いついたのか。
「――――――――!」
何かを必死で叫んだ気がする。
目の前の茜に、手を伸ばした気がする。
だけど無駄だった。
茜には顔がなくて、のーみんにも顔がなかった。
削れて、剥がれて、どろどろに溶けてしまう。
世界も、誰も彼も、俺だって例外なく。
何もかもが汚泥になって、混ざり合って。
そうして意識は、電源を落としたかのように消滅した。




