第二話 賑わいの試合場
高架下のホームに顔を出すと、まだ午前中だというのに三十人ほども集まっていた。
賑やかなのはいいことだが、ちょっと予想以上だ。夏休みだし学生の参加者が増えているのが原因だろうか。この様子だと夕方から夜にかけては、百人を超える日もありそうだ。
まあ撃剣興行は今でこそARを利用して娯楽性を高めてはいるが、明治時代から続く伝統的なスポーツだ。幅広い世代にファンがいるし、他のスポーツほど持久力を求められないのもあって、凄腕の老剣士なんてのも当たり前にいるほど。競技人口的には、この賑わいも納得できるところだ。
そう考えながら茜達を探してると、
「お、がっちゃーん。こっちこっち」
先にのーみんに見つけられたので、そちらへと移動する。
のーみんは視線を観客の中心――試合場へと向けて口を開いた。
「いやー、若い子が多いと活気があっていいですなー。
あたいの田舎だと、おっさんどもしかいねーのであった」
「人が少ないのに、撃剣興行あるの?」
疑問に思ったのか、茜が問いかける。
いや、確かにそうだよな。幅広い世代にファンがいると言っても、参加するのはやっぱり若者が中心だ。おっさんばかりの少数精鋭で、果たして成立するものなのか。
そんな疑問にのーみんは、やや辟易した様子の苦笑を浮かべて答える。
「田舎だと伝統もあるからにゃー。ほら、明治維新でお武家様がいなくなったけど、政府もすぐに全国を隅から隅まで守れるかって言ったら、やっぱり手が回らないのだ。
だから里に出る妖怪――幻想種の退治は、撃剣興行で食ってる武士崩れや、その手ほどきを受けた男衆のお仕事。それが伝統としてずっと残ったから、田舎は田舎で撃剣興行が盛んなのだぜ」
「――ああ、そういや聞いたことあるな」
そうそう、言われてみれば田舎にはそんな事情があった筈だ。
近代化以後は幻想種を見かけることもめっきり減ったが、信仰と迷信がまだ人々の間に強く残っていた時代、魑魅魍魎を退治するのは武士階級の主要な役割の一つだった。
明治維新後、その役割は軍と警察が担うことになるものの、手の回らない地域では士族を中心に民間で対処することになる。そして平時の飯の種として、また腕を鍛える場として、都市とはまた違った形で田舎の撃剣興行は隆盛を極めたのである。
それが今でも伝統として残っている……というのは聞いたことがあるのに、どうして忘れていたんだか。茜も何やら、変なものを食べたような顔をしていた。
「けど、そういう環境だったなら、のーみんもやったことあんのか?」
「うんにゃ。自分で言うのもあれだけど、あたいはお姫様扱いだったからにゃー。
家族はよくても、他の人が遠慮しちまうのだ」
「へー……意外とお嬢様なんだ」
茜がどのレベルのお嬢様を想像したのかは分からないが、きっと想像以上なのだろう。
いや、だって親が重婚してて、兄弟もたくさんいるんだろう? のーみんは大きい農家と言っていたが、経済力を考えれば間違いなく大地主。血筋を遡れば庄屋か代官か。大人にお姫様扱いされるってことは、今も地元に強い影響力を持った名士に違いない。
……まあこいつを見ていると、ちっともそんな風には見えないんだけど。
ともあれ、初めて参加できるとあってか、のーみんは浮足立っているように見えた。いきなり試合に放り込むと怖いので、まずは隅で準備運動も兼ねて素振りでもさせるべきか。
そう考えた俺は、アゴの動きで人のいない場所を示した。
「ちょっとあっちに行こうぜ。のーみんもウレタン刀に慣れる時間は欲しいだろ」
「お、確かに。とりあえず触らせておくれ」
そんなわけで移動して、ウレタン刀をのーみんに手渡す。
のーみんは感触を確かめるように素振りして、
「見た目より軽いにゃー。ちょっと違和感あるかもだ」
「仕方ねぇよ。重かったら叩いた衝撃で、骨が折れちまうだろ」
安全性を考慮すると、標準的なウレタン刀の重さは結構ギリギリだったりする。
野試合で見かけることは滅多にないが、公式戦だと自分用にカスタムしている人も結構いる。ただしそういう連中も、例えば長さを伸ばした分だけ軽くしたりと、ちゃんと配慮はしているのだ。
素振りを続けるのーみんを眺めつつ、俺は茜に問いかけた。
「茜もやってみるか?」
「んー……私はいいかな」
遠慮しているわけではなく、茜はそう答えた。
「体を動かすのは嫌いじゃないけど、剣道とかの経験もないから」
「そっか。……そういやスポーツだと、野球やってたんだっけ?」
「え――まあ、うん。朝陽から聞いたの?」
「いや、ゲオルでファイアーボール投げてたから」
あの見事なアンダースローは、素人の見様見真似ではない。ぶっちゃけ俺には無理。鉄を叩いて刀を作るように、練習を重ねて完成させたフォームだ。
ブランクがあっても淀みがない動作からは、彼女の生真面目さを窺えた。
「ああ、それで……うん。小学生の時は少年野球チームに入ってたの。
お父さんが野球好きで、その影響だったと思う」
茜はどこか安堵したように、その思い出を語る。
「私は成長が早かったから、背も高い方で。ピッチャーは大きい方が有利だからって勧められて、五、六年生の時はエースだったんだよ」
誇らしそうに語るその表情は、しかし翳りを帯びた。
「中学でも女子野球部に入ったんだけど……色々あってね。辞めちゃった」
詳しく話すようなことではないと思ったのだろう。
誤魔化すように笑って、茜は話をそこで終えてしまった。
ただ――これはひょっとしたら、初めて見たのかもしれない彼女の弱さだった。
普段、茜はそうした弱さを見せたがらない。それは強がりや、同情されたくないといった理由とは毛色が違い、何となくだが……弱さを自分だけのものにしたい。そんな意思を感じていた。
彼女にとって己の弱さとは、他者と共有するものではない。
乗り越えられるかどうかは別として、自分だけで抱えたいのだろう。
その在り方を、強いなと思う。
その思いを尊重したいから、俺は追求もせずに「そうか」とだけ呟いた。
きっと、ここで俺の過去を――中学の時、剣道部を辞めたことを話すこともできる。
そうすることで弱さと傷を、共有することだってできるのかもしれない。
だけど茜はそんな慰めを望まないだろうし、俺だってお断りだ。
互いに弱さと傷があると、知っているだけでいい。
傷を舐め合うことはできなくても、それが救いになることもあるだろう。
「――ふっ、剣の極意は掴んだぜ」
一方その頃、素振りをしていたのーみんは何かに開眼していた。たぶん幻覚。
のーみんはウレタン刀の先端を俺に向けて、
「さあ勝負だがっちゃん。でも反撃はしないで欲しい」
「はいはい、打ち込みたいってことね」
苦笑して、俺も自分のウレタン刀を取り出して構える。
足を使われたら面倒臭いが、まあ防御に徹する分には問題ないだろう。
「ほら、好きに打ち込んでこいよ。一丁揉んでやる」
「にゃにを生意気な。その思い上がりが貴様の敗因であり、貴様の墓穴となるのだ――!」
概念を墓穴にするんじゃねぇよ。
興奮したのーみんが打ち込んでくるものの、やはり基礎ができていないので、身体能力任せの乱暴な剣筋になる。動き自体は悪くないので、撃剣興行でも下位の連中にはたぶん勝てるだろう。
それなりの基礎があったり、場数を踏んでいる奴が相手なら厳しいかもしれないが、勢いで押せばあるいは。まあ俺相手にはただの扇風機でしかないんだけど。
二分ほど打ち込みを続けたところで息が上がり、のーみんは手を上げて待ったをかけた。
「お、おかしい……! がっちゃん、ゲームだとここまで強くなかったのに……!」
「いやいや、逆だって。ゲームだとお前が強いんだよ」
設定次第でもあるんだが、
「例えばゲオルだと、初期ステータスは同じだろ? 身長差で微妙に有利不利は生まれるけど、出せる力は同じだ。でもリアルじゃ当然、そんなわけがない」
「馬鹿な。あたいはがっちゃんより劣っている、と……?」
「そりゃあだって、男女のパワー差があるだろ」
ゲームだとその差がないから、関節が柔軟な分だけ女有利と言われたりもするんだけど。
しかしのーみんは腑に落ちない様子で、
「うーみゅ。パワーで負けるとしても、僅差だと思うんだけどにゃー。
何より身長差が……」
「それこそ大差ねぇだろが……!!」
まったくこいつは。でも実際のところ、筋力は思ったより僅差ではあった。
馬鹿正直に受け止めると疲れるだけなので、適度に力を流していたのだが、感触としてはそこらの男にも負けていない。ジム通いしているだけあって、鍛えられている方だろう。
などと考えていたら、茜が俺の頭を撫でるようにぽんぽんと叩いた。
「大丈夫。元に戻るよ、幹弘さん」
「……まだ伸びるって言ってくれねぇか?」
「えっ……ん……」
ごめんな。どう慰めるか悩むほど、追い詰めるつもりはなかったんだ。
真実を告げる残酷さを持たない茜は、対応に困って俺の頭を撫でる。その対応こそが真に残酷なのだが、俺自身も真実を突きつける残酷さは持ち合わせていなかった。
そうして重苦しい空気のまま、ただ頭を撫でられ続けていると、
「――ようミッキー、もうこっちに帰ってたんだ?」
竹刀袋を肩に担いで、テッシーが現れた。
やや遅れて俺の現状に気付いたらしく、表情をぎょっとさせて、
「は? ま、待てよミッキー……なあ、まさかお前」
「付き合ってるとか、そういうのじゃねぇぞ」
一応否定したら、露骨にほっとする。俺だけ幸せになるのは許せないらしい。
そしてテッシーと一緒に来ていたらしい後輩も、満面の笑みを浮かべていた。
「ですよねー! 守屋先輩、そういうキャラじゃないっつーか、こっち側っスもんね!
俺、信じてましたよ。先輩はモテない男だって」
失礼な物言いをする馬鹿を蹴り飛ばす。
馬鹿は「うひゃあ」と悲鳴を上げるのだが、それを見ていて首を傾げる。
「ちょい疑問なんだけど。河瀬君、なんで生きてんの?」
「へ? いやいやいや、そんな全否定するほどキレないでくださいよ! すんません!」
慌てて逆ギレ気味に平謝りする河瀬君。いや、そうじゃなくて。
あれー? よく分かんねぇけど、こいつ殺した方がいいんじゃね?
自分でも本当に謎なのだが、そうした方が後腐れないよなって思えるあたり、俺はこの愉快な後輩の命を何とも思っていないらしい。あれ、俺そこまで外道だっけ?
ちょっと困惑していたら、河瀬君はのーみんを見て騒いでいた。
「うおお、すげぇ美人……! ふ、ふざけんなよ守屋先輩!? 俺らが臭い防具に耐えて剣道してる間に、こんな美人と旅行してたんスか!? あんた死ねよ!!」
ヒートアップする河瀬君に、俺とテッシーのツープラトンキックが突き刺さった。
正直なのは大変よろしいのだが、先輩に死ねとか言っちゃいけません。お前が死ね。
そして一応褒められたのーみんは、にこにこと上機嫌で問いかけた。
「がっちゃんや。察するに部活のお友達かい」
「おう。部長のテッシーと、馬鹿の河瀬君な。
あ、こっちも紹介しとくか。こっちは星華台の一年の北上茜で、そっちはのーみん」
紹介に頷いたテッシーは一礼して、
「花屋敷の剣道部部長、勅使河原です。ミッキーがお世話になってるみたいで」
「にゃはー。そこは持ちつ持たれつぜよ。
と言いますか、聞いてた話とイメージ違うなぁ」
「は? ……ミッキー。僕のこと話したのか?」
「ああ。女ならもう何でもいいような奴だって」
「ははは。法廷で会おうぜミッキー」
「毀損される名誉があると思うなよ」
俺にだってそんなものはないんだぞ。
とりあえず紹介が終わったタイミングで、気になっていたことを確認する。
「それよかテッシー、何しに来たんだ?」
「何って、撃剣興行に決まってるじゃん」
小馬鹿にするような呆れた顔をして、
「僕ぁ古臭いと思うけど、ほら、うちって元はと言えば武家だろ? 撃剣興行に参加して勅使河原家の威厳を示せって、父さんや爺さんがうるさいんだよね。
ま、稽古にもなるし、今日は河瀬を誘って遊びに来たってわけさ」
あー、そういやそうだ。前にも聞いたことがある。
テッシーの先祖はわりと偉い武士だったそうで、明治維新後しばらくは、この地域の幻想種退治を引き受けていたのだ。撃剣興行が始まってからは、そちらで後進の育成にも励んだそうな。
……あれー? 改めて考えると変だな。
いや、テッシーは撃剣興行を嫌っていたような覚えがあるし、家の事情で渋々参加するのだとしても、もうちょっと嫌がっていそうなものなんだが。
どうにも調子が狂う。俺の記憶が信用できないのは今更なんだが、茜とのーみんはテッシーと初対面だし、確かめることもできない。まあ言動に何かしらの影響は出ているんだろうけど。
この違和感の正体というか原因はそんなところ。打つ手はないが、別に困ることもないので、ひとまずは放置しておいても構わないか。
自分をそう納得させて、俺は河瀬君に声をかけた。
「河瀬君、暇だったらのーみんと勝負してやってくれよ。実力的にはちょうどいいと思う。
あと先輩命令だから、断ったらどうなるか覚悟しとけよ」
「それ拒否権ないっスよね!?」
ツッコミを入れた河瀬君は、
「けど、いいんスか? 俺、レベルだけは六まで上がってますよ」
「うっわ暇人め。何したらそうなるんだよ」
レベル――昔は格とも呼ばれたそれは、言ってしまえば魂の強度だ。
認識としてはゲームのレベルとそう変わらない。魂の強度が上がることによって、その出力も上昇する。結果的にある種の魔術効果として、主に身体能力が強化されていく。
レベルは地道な鍛錬によってゆっくりと上がるが、手っ取り早い手段としては幻想種などを殺すというものもある。自分の方が格上だと証明することで、世界がレベルを上げてくれるのだ。
しっかし河瀬君、レベル六かぁ。
「俺らの年代だと、レベルなんて三ぐらいだろ。天狗でも殺したのか?」
「どこの牛若丸っスか。いや、あれ殺してたっけ? まあいいや。
自分でもこれといった理由は思い浮かばないんで、日頃の努力っスね!」
「そっかぁ。努力が実ったらよかったのになぁ」
「まるで俺を雑魚みたいに……!」
まるでも何もそう言ってんだよ。
憤慨する河瀬君を無視して、のーみんに確認する。
「で、どうよ。あいつわりとお手頃な相手だけど。
しばいても心が痛まないって点が最高に素敵」
「うむ、よきにはからえ」
そんなわけで、試合場が空くのを待って、のーみんのデビュー戦となった。
序盤は美人相手ということで、ガチガチに緊張した河瀬君が防戦一方。動いている最中に緊張もほぐれたのか、徐々に反撃をして――また不自然なほどに防戦一方となる。
……あ、そっかぁ。揺れる胸を特等席で見てんだな。
やっぱあいつ殺さないと駄目だね、そうだね、なんて会話をテッシーと交わす。
最終的にはのーみんもバテてしまい、これ以上は八百長を疑われると思ったのか、河瀬君が勝負を決めにいく。ただし息は上がっているものの、バテているのはのーみんの演技だ。
残った体力を振り絞り、一瞬の勝機に渾身の一刀を振るう。
虚を突かれた河瀬君をそれを防ぐこともできず、愚かにも敗北したのであった。
「――ゆ、油断した……! あんなにも目の前で揺れるから……!!」
悔しそうに、でもだらしない顔をして河瀬君は言い訳する。
汗だくののーみんは、それでも愉快そうに笑っていた。
「にっひっひ。少年や、精進が足りぬぞよ」
何キャラだよお前。
ま、それはともかくとして。
「へ? あの、先輩方。なんで俺の肩を掴むんスか」
「いや、幽霊部員の俺には、こんなこと言う資格はないと思うんだけどさ。
身内の恥はきっちり粛清すべきだよなって」
「僕個人はどうでもいいんだけど、部長としての立場もあるしね」
「は、離せ!? 人殺しの目っス、人殺しの目をしてるっスよあんた達!?」
なんでか知らないが、お前にだけは言われたくない。
かくて俺とテッシーは河瀬君を試合場に連行し、連戦でボッコボコにしたのであった。




