第二十話 新世界
朝陽が無事に見つかったことで、俺達は別荘に戻っていた。
色々と謎が残る出来事だったが、確かなのは一つ。朝陽はゲオルギウス・オンライン――ゲームの中に、生身で迷い込んでいたということ。
カルガモやりっちゃんは神隠し的な、実例として過去にはあったのであろう現象だと推測していたが、蓋を開けてみればまったくの無関係。単にこの世界が、いつ壊れてもおかしくない不安定なものだったと、見せつけられただけだ。
どうして朝陽の身にだけ、こんなことが起きたのかは誰にも分からないが、この出来事から推測できることもある。
「リアルとゲームが、いよいよ本格的に混ざってきた、ということなんじゃろうなぁ」
居間に腰を落ち着けて、情報の整理をしたところでカルガモはそう言った。
「生身でゲームの中に入れるというのは、そういうことじゃろう。二つの世界の境界が曖昧になり、何かしらの条件を満たせば出入りできるほどに、繋がってしまっておるわけじゃ」
「朝陽のいたところはゲーム化されたこの世界ってことだな。
けど、なんで匂いだけは伝わってきたんだろう」
「あのー、先輩。不思議かもしんないけど、そこはあんまり掘り下げて欲しくないなーって」
「溶けたバニラアイスの香りがしたって話よね? 雛鳥なのに乳臭いのね!」
オヤジギャグだかセクハラだか怪しいことを言って、りっちゃんはご満悦だった。皆は無視した。
まあ朝陽は恥ずかしいのかもしれないが、これは考えなきゃいけないことだろう。
そのことは分かっているようで、カルガモが口を開く。
「可能性としては二つかのぅ。まずは単純に、何かしらの形で空間が繋がっている。
もう一つはゲームのように、空間が省略されておる可能性じゃな」
ゲオルでは移動が不便にならないように、設定上の距離と実際の距離は違うものになっている。だが例えば高所から見渡した時、目に見えるのは設定上の距離の方だ。
どういう処理をしているのかまでは知らないが、移動時に省略される空間も、存在してはいる。おそらくは違和感を覚えないように、移動時に柔軟に変化させているのだと思うが。
「考え方としては、この末野という土地に、ゲーム化したもう一つの末野が挟まっておる……いや、二つの空間を重ねて、折り畳んでおると考えた方がいいかの。
部分的な並行世界とでも言おうか。これならば三次元空間を矛盾なく同居させることも――おい、おぬしら、聞いておるか?」
「途中から何を言ってっか分かんねぇんだよ……!」
「そうだそうだー。日本語で話せー」
抗議する兄妹。声にこそ出していないが、他の皆だって理解できていない筈だ。
カルガモはこれ見よがしにため息を吐いて、
「いや、すまんな。おぬしらには次元の違う話じゃった」
「兄ちゃん、兄ちゃん! 馬鹿にされたのだけは分かった!」
「ああ、許せねぇよなぁ!?」
「キャンキャン吠えてないで落ち着きなさい、犬っころども」
ヒートアップする俺と奈苗を制して、りっちゃんは言う。
「次元がどうなっているかなんて、観測手段があまりにも限られているわ。仮説を立てる価値はあるかもしれないけど、私達が本当に考えるべきは原因と対処法よ。
と言っても、対処法は雛鳥が見つけたわね。ログアウトすればいい。あとは原因を考えるだけよ」
「原因と言いましても、ここ数日の異変で世界が不安定になっているとか、そういう感じじゃないですかー?」
「雛鳥が迷い込んだ原因はそんなところでしょう。――私が言いたいのは、そもそもどうしてあんな世界が作られたかよ。だって作る意味がなさそうじゃない?」
「ははぁ。意図が読めんというわけじゃな」
確かにあんなもの、わざわざ作る理由が分からない。
黒幕の目的が理想郷の運営で、その手段としてリアルをゲームに置き換えることなら、リアルをゲーム化した別世界――いや、別マップなんて用意する必要がないのだ。
そんなことをしなくても目的は果たせる。
そう考えると、
「何かの副産物ってパターンはどうだ? 必要だから用意したんじゃなくて、結果的に偶然できちまった、みたいな」
「それにしては完成度の高さが気になるのよね……風景が違ったり、人がいなかったり。そういう異常はあっても、雛鳥も当初は道を間違えただけだと錯覚するぐらいには、遜色ないのよ?」
「ちょーっと偶然だとは思えないにゃー」
りっちゃんに同意して、のーみんが続ける。
「それに、完成度高いのが偶然でき上がったなら、風景違うのがおかしいのだ。
遜色ないどころか、うり二つであるべきだとは思わんかね」
「むぅ……正論だな」
偶然なら偶然で、差異があるのは確かに不自然か。
しばらく考え込んでいると、何か思いついたのか茜が口を開いた。
「バックアップ……的な」
「ん――おお、なるほど。そういうことじゃな」
「一瞬で自分だけ理解すんなよ。茜、続き頼む」
「うん。その……リアルとゲームを置き換えると言っても、成功する保証はないと思うから。失敗した時、元に戻すことも考えたら、バックアップが欲しいんじゃないかな」
「あ、そっか。ゲームのセーブデータと同じなんだ」
合点がいったように朝陽が言う。
「いつでもやり直せるように、セーブを分けてないと怖いもんね」
「にゃるほど。エロゲの分岐前でセーブするようなもの、と。
カモさんが一瞬で理解した理由が理解できたぜ」
世界とエロゲを同列で語るのやめてくんない?
なんか頭が痛くなってくるが、偶然じゃないならバックアップ説は可能性が高そうだ。他にあんな世界を用意する理由も思い浮かばないし、たぶんそういうことなのだろう。
だが納得していた時、不思議そうに奈苗が言った。
「あれ? ――じゃあなんで、風景が違ったの?」
バックアップ説を前提とするなら、それは確かに大きな疑問で。
「まったく同じじゃないと、意味ないじゃん」
使い物にならないバックアップに価値はない。
複製に失敗したのであれば、そんな無駄は削除して然るべきだ。
あえて残す意味がない以上、前提に誤りがないのであれば――
「――まさか、風景が変わるレベルで、もう現実が侵食されているってわけ?」
結論に至り、りっちゃんは顔色を変えた。
事態の深刻さを見誤っていたことに気付いただけでなく、不安が押し寄せたのだろう。
俺も自室だと思っていたら、実は巨大生物の胃袋の中だったような、そんな気持ち悪さがある。これまで過ごしてきた場所は、とっくに侵食された偽りの世界だったのである。
酷い詐欺を見た気分だ。
俺達が楽しんだこの旅行も、その舞台から否定される。
できたばかりの思い出には、最初から泥が塗られていた。
「……まいったわね」
落ち着きを取り戻すためにか、深呼吸を挟んでりっちゃんは言う。
「明日、朝一で……ううん、今すぐ町を出るわよ。
下手をしたら私達――この町に閉じ込められるかも」
ああ、世界が侵食されるというのは、そういうことでもあるのか。
風景が変わったように、道が変わってもおかしくない。最悪、俺達の知る世界には繋がらない道になっていたとしても、不思議ではないのだ。
りっちゃんの懸念は誰にも否定できない。
俺達は荷物をまとめると、カルガモの運転する車に乗って末野を脱出することにした。
○
――――で、超あっさり地元に帰還した。
無事に帰れたことを喜べばいいのか、それとも肩透かしだと呆れたらいいのか。
時刻は夕方。カルガモは俺達を駅前のロータリーに下ろすと、自分はこのまま里帰りすると告げ、ハイウェイの風になるぜ、と旅立っていった。
学生組はそれぞれ帰宅するわけだが、問題は百合達の方で。
「今からリニア乗って帰るのも面倒と言いますか、昼間歩き回ったので既に眠いです」
そうだね。車中でもよくお休みだったね。
りっちゃんとのーみんも、百合へ同調するように頷いた。
「同感ね。私達、タルタルよりも遠いし」
「手頃なホテルにでも泊まろうぜー。
そんであたい、明日もがっちゃん達と遊んでから帰ろうと思います」
おっと、明日は惰眠を貪りたいとか言えない雰囲気だぞ?
振り回されそうで嫌だなーと思っていたら、朝陽も困り顔をしていることに気付いた。
「どうした朝陽? 金欠か?」
「うん、お小遣いがちょっと厳し……じゃなくて、親になんて言おうかなって。延泊するってなった時、クラゲに刺されて安静にしなきゃいけないからって、言い訳しちゃったんだよね」
あー。俺と奈苗は、一緒に来た友達が寝込んだってことにしたんだが。
朝陽は深く考えずに、カルガモが口走ったデマカセをそのまま使ってしまったらしい。
困る朝陽に助け舟を出したのは奈苗で、
「じゃあ朝陽ちゃん、うちにお泊りする?」
「え、助かるけど、いいの?」
「うん。兄ちゃんにはリビングで寝てもらえばいいし」
「なるほど、それなら俺のベッドを使えるもんな」
ははは。俺は奈苗の頭をどついた。
「なにすんのさ!?」
「お前の部屋使えよ。ベッドに二人は無理でも、床に布団敷けばいいんだから」
「しかしがっちゃん。そこにあたいも混ざるとしたら?」
「混ざんなよ……!!」
あと怖い。のーみんだけは泊めるなって、俺の本能が警戒している。
けらけら笑うのーみんを追い払って、俺は奈苗に言う。
「じゃ、朝陽を泊めるって母さんに連絡しとけ。
あと早く帰ってこれたのは、車で送ってもらえたからだって」
「はーい」
そんなことをしている内に、百合達もネットで手頃なホテルを見つけたようで、それじゃあ明日は何時に集まりしょうかー、なんて確定事項であるかのように追い詰めてくる。
カルガモが颯爽と走り去ったのは、まさか逃げただけなのではないか。
こいつらの相手をする役――ハッキリ言えば玩具にされる役を、俺に押し付けたのでは?
「……明日も晴れるといいなぁ」
他人事のように呟いて空を見上げる。
独り言へ律儀に反応して、電脳に入れてある天気予報アプリが快晴だと答えた。
○
【のーみんの発言】
はろー、諸君! 今日も元気に息してる?
【八艘@飛行中の発言】
お、のーみんじゃん。数日見なかったけど夏風邪とか?
【のーみんの発言】
みっちゃん達と海行ってました!
ふふふ聞いて驚け、そこにはカモさんの姿も……!
【あやせの発言】
嘘ですね。
【デュランダル斉藤の発言】
目を覚ませのーみん。あいつはこの世にいない。
【好きの気持ちわ切ない……の発言】
僕が思うに夏の夜の夢だね。
【のーみんの発言】
う、嘘じゃないもん! カモさんいたもん! ホントにいたもん!!
【ガウスの発言】
皆の気を惹きたいからって、そんな嘘はよくないぞ。
【のーみんの発言】
これ、リアルがっちゃんの画像です。
[添付ファイルを開く]
【ガウスの発言】
ぶっ殺すぞテメェ!?
【のーみんの発言】
お姉さんの味方をしないからだぞ☆
【八艘@飛行中の発言】
おいガウス、これマジか?
のーみんと緑葉とか、全然羨ましくないけどマジか?
お前、女と海行ったのか? なあ? ガウス。なあ。
【ピザ小僧の発言】
は、八艘さんがダークサイドに堕ちた……! いつものことだけど!
【デュランダル斉藤の発言】
あいつ青春っぽいこととか、無条件で憎むもんな。
【あやせの発言】
いい腹筋してますねガウスさん。
【好きの気持ちわ切ない……の発言】
僕が思うに八艘さん童貞だよね。
【八艘@飛行中の発言】
めっ! ポエムさん下ネタ言っちゃ、めっ!
つーかガウスよぉ~~~、お前、俺らに黙って何やってんの?
これだけ聞いとくけど、のーみんどうだった?
【ガウスの発言】
見た目だけは超美人だったよ。
【八艘@飛行中の発言】
よし。のーみん、俺と結婚を前提に結婚しよう。
【のーみんの発言】
ないなぁ……。
【八艘@飛行中の発言】
マジっぽい反応やめようぜ? 本気にしちゃうよ?
【あやせの発言】
いい腰してますねガウスさん。
【ピザ小僧の発言】
のーみんはいつだってマジなんだよなぁ……。
【暮井の発言】
既に社会的制裁を受けたものとして、八艘さんは無罪。
ガウスさんはちょっと……裏まで来てくれるかな?
【ガウスの発言】
なあ、暮井さんからのーみんの画像くれってメッセが届いたんだけど。
【暮井の発言】
う、裏切ったな!? いきなり裏切ったな!?
【ガウスの発言】
初めっから俺達の間に、信頼なんてねぇだろ!
【のーみんの発言】
おお、あたいは魔性の女……争いの種になってしまうとは。
でもね、安心して。あたいは皆のアイドルだぞ☆
【大勢の発言】(8人)
調子に乗るな。
【のーみんの発言】
裏切りってこういうことじゃない!?
【あやせの発言】
ガウスさんの画像、もっとありますか?
【ピザ小僧の発言】
……なあ、さっきから。
【デュランダル斉藤の発言】
よせ、闇に触れるな。
底の浅い八艘さんと違って、あれはガチだ。
【緑葉の発言】
でも残念、私は気にしないわ!
[添付ファイルを開く]
【ガウスの発言】
いきなり出てきて何やってんの!?
【あやせの発言】
わぁい。
【緑葉の発言】
ふふ、用はこれだけよ。もう寝るわ!
【ガウスの発言】
あんた嫌がらせだけは全力でやるの、どうかと思うぞ!?
【八艘@飛行中の発言】
俺ね、なんかガウスを許せそうになってきた。
【デュランダル斉藤の発言】
ま、あの二人がいたらそういう扱いだよな、ガウスは。
【暮井の発言】
はい、解散解散。もう面白いことはないぞー。
【ガウスの発言】
納得いかねぇ……!
【 からガウスへの秘密発言】
【ガウスから への秘密発言】
誰だ?
【 からガウスへの秘密発言】
Anお
【ガウスから への秘密発言】
おーい、名前の設定できてねぇぞ。
【ガウスから への秘密発言】
もしもーし。
【ガウスの発言】
誰か寝ぼけて、俺にメッセ送んなかった?
【好きの気持ちわ切ない……の発言】
僕が思うに、それなら犯人は夢の中さ。
【ガウスの発言】
あ、そりゃそうだわ。どもっす。
これにて五章完結です。
[添付ファイルを開く]はただのテキストなので、クリックしても挿絵はありません。