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竜と信仰の奇譚  作者: 長月十九
第五章 大航海時代
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第十一話 揺れる、揺れる


 夜は特筆するほどのこともなく更けていった。

 いや、カルガモとの二人部屋で夜更かしして何を話すんだ。俺らはさっさと寝たいという合意に至り、何もせず横になったのである。

 だが襖一枚を隔てた先は、学生組三人娘の部屋。主に奈苗と朝陽がかしましい。大人組の部屋とは襖を開けて繋げているようで、少し遠いものの、そちらの声も届く。

 合計六人でキャッキャウフフしてりゃ、多少は声を抑えていてもうるさいものはうるさい。

 文句を言ってやろうかとも何度か思ったが、俺の立場の低さがそれを躊躇わせる。立場でも数でも負けているのに、勝ち目なんてあるわけがねぇのだ。

 我が身の不遇を嘆いていると、ふと、のーみんの声が聞こえた。


「――そういやクーちゃん。海で思ったけど、オパーイ大きいよね」


 カクテルパーティー効果――――!

 大勢が話しているような場でも、興味があるものや、自分の名前などは聞き取れるという現象である。

 のーみんは声を抑えているようだが、俺の聴覚は聞き逃さなかった。他の声をノイズとして取り除き、不鮮明だった部分は脳内で再構成され、一言一句を完璧に捉えることに成功していた。

 恥ずかしがる茜の声。けらけらと笑う奈苗。この世全てを呪うかのごとき声を上げる朝陽とりっちゃん。

 そしてのーみんは止まらず、


「あたいGカップだけど、同じぐらいかにゃー?」


「え、ええっと……」


 俺はかつてない集中力と精度で、音を立てることなく身を起こし、自らの手を踏んでしゃがみ歩きをする。

 深草兎歩――伊賀流忍術に伝わる、音を消す歩法である。

 これを用いて襖に接近し、知的好奇心を満たすべく聞き耳を立てようとするが、刹那、首筋に冷たいものを感じて動きが止まった。

 錯覚だ。本当に何かが触れたわけではない。

 だが鋭利な刃物のような殺気が、これ以上進むことを許さなかった。

 何のつもりだ――そう視線で問いかけながら、振り返る。

 いつの間に身を起こしたのか。カルガモは布団の上で爪先を立てた四つん這いとなり、


「聞こえてしまったものは仕方ないが、盗み聞きするのは紳士的ではなかろう。

 バラされたくなければ、ここは素直に引き下がれ」


 と、その眼光で語ってきた。

 こいつ……! クズのくせに、妙なところで人間的な良識を発揮しやがって!

 だが、そう簡単に引き下がれるものでもない。

 はいそうですかと従う良識を持ち合わせているなら、最初からこんなことはしないのだ。

 俺は不退転の決意でカルガモを見据え、目で語り返す。


「崇める神のことを知りたいと望むのが、許されぬ罪なのか。

 我が聖典の空欄を埋める機会は、今しかないのかもしれんのだぞ」


「愚劣。神とは乳ではなく尻である。

 そのようなことも分からぬから、おぬしは今も童貞なのじゃ」


「素人童貞は言うことが一味違いますね」


「女と付き合ったこともない童貞は、すぐ妄想で語りよる」


 瞬きほどの時間で、俺達の視線は言葉を尽くした。

 数秒。空気を震わせる怪鳥音を上げて、俺達は取っ組み合った。


「「クケェ――――!!」」


 ドッタンバッタンと暴れていたら、百合にうるさいと説教された。

 でもこいつが悪いんだよ、と指差し合っていたら、百合はその指をお掴みになり、そっと逆方向にお曲げあそばされた。

 悲鳴を上げた俺達は、暴力は何も生まない、痛みと悲しみが続くだけだと和解して、すぐに寝ますと土下座した。

 こうして夜は、特筆するほどのこともなく更けていく。

 特筆するほどのことを起こそうとしたら、命がやばい。


     ○


 翌朝。体が重いように感じたり、あちこちが軽く痛いのは、疲労と筋肉痛のせいだろう。

 普段からそれなりに運動していると言っても、水泳は全身運動。普段は使わない筋肉も使った以上、こればっかりはどうしようもない。

 軽いストレッチで体をほぐした後、カルガモはまだ寝ていたので放置して、とりあえず朝飯にすんべと台所へ向かう。途中、女性陣の部屋からは声や物音が聞こえたので、もう起き出しているようだ。

 ……呻き声っぽいのが聞こえるあたり、筋肉痛に苦しんでいる人もいるのだろう。


「あ、幹弘さん。おはよう」


「おっはー」


 台所に顔を出すと、エプロン姿の茜とのーみんがいた。

 俺も返事をしつつ、何を作っているんだろうと覗き込めば、玉子焼きと味噌汁を作っているようだ。

 ああ、なるほど。玉子焼きなら一度に二、三人分は焼けるし、そんなに手間でもない。味噌汁もセットなら、朝食としては充分だろう。

 納得しつつ、俺は冷蔵庫をゴソゴソ。買っておいた納豆を取り出した。


「む。ちょっとがっちゃん。あたいらがご飯作ってあげてるのに、何さそれは」


「習慣なんだよ。朝は納豆じゃないと落ち着かねぇんだ」


 それこそ寝坊して食べそびれたりしなけりゃ、毎日納豆なのである。

 非難がましい目を向けるのーみんに取り合わず、納豆をぐりぐり混ぜていたら、茜が言う。


「幹弘さん、私も納豆食べたい」


「あいよ。カラシは入れる?」


「お願い」


 納豆派が増えたことに気分をよくして、茜の分もぐりぐりやっておく。卵を入れるかは好みの分かれるところだが、俺は入れる派なので生卵も冷蔵庫から取り出しておこう。

 そうしていると、ふと気になったので聞いてみることにした。


「そういや他の連中は? もう起きてるみたいだけど」


「タルタルとツバメちゃんは筋肉痛で死んでるー」


 ……ま、あの二人はそうなるか。

 百合は家と会社、朝陽も家と学校を往復するだけで、運動らしい運動はしてないし。

 しかし不思議なのは、


「りっちゃんは死んでねぇの?」


「大丈夫っぽいけど、単純に朝弱いから半死半生って感じだにゃー」


 ふーん。見た目ほど貧弱ってわけでもないのか。

 軽く驚いていると、のーみんの言葉を継いで茜が言う。


「奈苗ちゃんは二人のストレッチ手伝ってるよ。

 今ほぐしておいたら、少しはマシになるからって」


「そっか。茜は平気なのか?」


「うん。ちょっと痛いけどね。

 普段からジョギングとかしてるから、酷くはないよ」


「あたいもジム通いしててよかったと、心から思ってるぜ」


 なるほどなー。じゃあ満足に動けそうにないのは、二人だけってことか。

 また海へ行くにしても、昨日ほどハードに遊ぶのは避けた方がよさそうだ。浜辺で水遊びするぐらいなら大丈夫だと思うが、泳いで溺れたら大変だし。

 今日の予定はどうしようかと考えながら、混ぜ終わった納豆をシンクの横に置いておく。


「あ、ありがと。……あれ?」


 礼を言った茜が、何故か奇妙な表情で俺を見た。

 寝癖でも付いてたかなと思ったのだが、何かに気付いたのか、彼女は神妙な顔で言う。


「あのさ、幹弘さん――ひょっとして、背、縮んだ?」


「お前が伸びたんじゃないですかねぇ!?」


 これだから成長期ってやつは! 一晩でそんな錯覚するほど伸びたのか!?

 ぷんすか怒る俺に対し、茜は苦笑しながら宥めようとする。


「まあまあ、寝相が悪かったのかもしれないし」


「椎間板が伸び縮みすっから、確かにその疑いはあるかもしれねぇな。

 だがよぅ、基本的には寝起きが一日の内で最も背が高いんだ。俺が縮んだと考えるよりも、お前が伸びたと考えた方が道理じゃねぇか? なあ、そうだろ?」


 顔を寄せて押し切ろうとしたら、のーみんが俺の肩をポンと叩く。


「現実見ようぜリトルボーイ」


「だって……! 見たくない時だってあるんだ……!」


「気にするほど低くはないと思うんだけどにゃー」


 のーみんが言う通り、確かに気にするほどではないのかもしれない。

 だが俺より大きな妹がいる日常は、俺から自信というものを奪ってしまったのだ。せめて平均身長に届いていれば、奈苗が大きいだけと納得することもできた筈なのに。

 そんな俺の苦悩を無視して、のーみんは言う。


「それにしてもがっちゃん、基本馬鹿なのに、たまに妙なことだけ詳しいね」


 妙なことってのは、椎間板のことか。


「何か勘違いしてねぇか? 俺、別に勉強は嫌いでも苦手でもないぞ」


「「えっ?」」


 どうしてハモるの?

 どうやらここは、俺のインテリジェンスを披露しなければならないらしい。


「興味のあることなら、ちゃんと勉強する方だぜ。

 身長だってそうさ。どんなことをすれば伸びるのか調べたし、椎間板が伸び縮むすると知ってからは、身体測定の時、直前まで寝転がっておく頭脳プレーをするようになったんだぜ」


「…………あの、幹弘さん」


「待ちなクーちゃん! 真実は時に人を傷付けるぜ!」


「けど、私が言わなかったら、幹弘さんずっと馬鹿みたいだもん……!」


 制止するのーみんを振り切って、茜は悲痛な覚悟と共に告げる。


「聞いて、幹弘さん。――たぶん実際の身長、身体測定の結果より一センチか二センチ低い」


「――――――――」


 俺は天を仰いだ。

 これまでの日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

 楽しかったこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。

 どれもが俺を形成する、大切な思い出だ。

 だから今、どんなに悲しくても、いつか思い出に変えられる。

 未来の俺は、今日という日を微笑ましく振り返られる筈なんだ。

 そうして俺は、強く笑った。


「これから毎晩、百合の背も縮むように祈るよ」


「めっ! 幹弘さん、めっ! 道連れ増やそうとしないの!」


「一人じゃ耐えられなくても、二人ならこの痛みに耐えられる気がしたんだ」


「もう。馬鹿言ってないで、暇ならご飯よそっといて。もう炊けてるから」


「はーい」


 言われて引き下がるが、素直に従うようなら俺じゃあない。

 まあ百合はこれ以上縮むと、消滅の恐れがあるからな……心の痛まない相手なら誰でもいいから縮めと、祈っておくことにしよう。


     ○


「俺は釣りに行くつもりじゃが、おぬしらはどうする?」


 朝食後、今日はどうしようかという話題になった時、カルガモはそう口にした。

 せっかくの旅行なのに誰かと遊ぶことをまったく考えていない、我が道を行き過ぎた自由さは、しかしカルガモらしいクズさで逆に安心感があった。

 最初に反応したのはりっちゃんで、


「釣りぃ? あんなの何が楽しいのよ」


「……やってみると楽しいんじゃがなぁ」


 切なそうに呟くカルガモ。普通に傷付いたように見えるのは、それだけ釣りが好きだからか。そのピュアさをもっと人間味のある方面で活かせ。


「旅行に来てまでやることに思えないけど、ま、いいわ。好きにしなさい。

 それより車は使うの?」


「いや、近くの波止場で釣るつもりじゃから、車は好きに使ってくれて構わんぞ」


「そう。……と言っても、私は出歩きたくないのよね。暑いし」


 旅行に来て引きこもるのもどうかと思うよ、俺。

 無理にでも連れ出した方がいいと思ったのか、そこでのーみんが言う。


「車使うなら近場にガラス工房あるんだけど、一緒に行こうぜ」


「ガラス工房ねぇ……まあ暇潰しにはなるかしら」


 気のない返事をするりっちゃんだが、微妙に頬が緩んでいた。

 たぶんクールに装っているだけで、内心ではすっかり乗り気なのだろう。


「で、あんた達はどうするの?」


 りっちゃんが隣の和室に声をかける。

 そこでは筋肉痛に苦しむ百合と朝陽が転がっており、


「観光……! 私は絶対に、観光に行きます……!」


 執念すら感じさせる声音で百合が言う。

 百合にしてみれば、古い建物が多い田舎町なんて、宝箱みたいなものなのだろう。俺にはいまいち理解できないが、この機会を逃すつもりはないようだ。


「あたしはカモっちと釣り行くー」


「む。それなら竿をレンタルしに行かんとな」


 害鳥コンビは海鳥にでもクラスチェンジしたのだろうか。

 まあ筋肉痛の朝陽でも平気だろうし、悪くはない。釣果次第では昼飯にも期待できそうだ。

 さて。自然とそれぞれの午前中の予定は決まっていくわけだが、俺はどうしよう。早朝ならカブトムシでも採りに行っていたかもしれないが、今からだと期待できそうにないし。


「茜はどうする?」


 参考にしようと尋ねると、茜は困ったように笑った。


「あんまり考えてなくて……あ、でも、掃除はしたいかな」


「だったら俺も手伝うよ。洗濯物だって干さなきゃだし。

 ついでに昼飯の仕込みもしておこうぜ」


「うん、そうだね。手伝ってくれたら嬉しい」


 ふっ。ちょっと俺達、完璧な優等生ぶりじゃありませんこと?

 しかし得意気に微笑んでいたら、奈苗が俺達に提案をする。


「兄ちゃん、茜さん。それ終わったら虫採り行こ、虫採り!」


「虫かぁ……」


 微妙な顔をする茜。時間的にカブトもクワガタも期待できないんだし、そりゃそうだ。

 蝉ならいくらでも採れそうだが、小便引っかけられるんだよなぁ。


「あ、じゃあ磯遊びしねぇか?

 磯の生き物捕まえたり、貝を拾ったりだけど」


「うん、そっちなら。暑くなっても海に入れるもんね」


 茜の賛同を得られたので、奈苗にもそれでいいよな、と確認しておく。

 特に不満はないようで、元気よく頷く。まあ外で遊べりゃ何でもいいんだろう、こいつは。

 そうして俺達の予定が決まったところで、やや真面目な顔をしたりっちゃんが言う。


「ウニやアワビは見つけても拾わないようにしなさいよ。密漁になるから」


「あー、たまにニュースでやってるもんな。了解、気をつけるよ」


 警察のご厄介にはなりたくないし、肝に銘じておこう。

 地元の漁師とも揉めたくないし――なんて思っていたら、ふと気付いてしまった。


「ところでさぁ。あの状態の百合を、一人で観光行かせて大丈夫か?」


「ふ、ふふ、大丈夫に決まってるじゃないです、か」


 そう言って、強がるように身を起こす百合。しかしその体はぷるぷるしていた。

 俺達が呆れの息を洩らしたのは言うまでもない。


「というかじゃな、筋肉痛にヒールは使えんのか?」


「あっ、その手がありましたね! ヒール!」


 百合はカルガモの指摘に、浮かれた様子でヒールを使った。

 そして体の調子を確かめるように軽く動いて、泣きそうな顔をした。


「全然効かないんですけどー……」


「魔術も万能ではないんじゃなぁ」


 うんうんと頷くカルガモ。しょぼんとする百合。

 結局、一人で行動させるのは危なっかしいので、百合はりっちゃん達へ同行することになった。

 のんびりと町を歩くことはできなくても、車でなら余裕を持ってあちこちを見て回れるだろう。

 そうして全員の予定が決まり、昼には戻ってメシにした後、また海へ行くということで決定した。


     ○


 茜と奈苗の三人で、昨日も遊んだ浜辺の端、岩のゴツゴツとした磯へやって来た。

 暑くなれば海に入ったりするつもりだが、泳ぐわけではないので、俺達はTシャツにハーフパンツ、ビーチサンダルといったラフな格好だ。あとは岩で手を切らないように、軍手も用意しておいた。

 俺と奈苗は基本的に生き物全般ではしゃげる方だが、爬虫類スキーな茜はどうだろうと少し不安な面もあったものの、ウミウシを見つけて可愛いと満面の笑みを浮かべていた。

 ……そっかぁ。ウミウシを可愛いと思えるタイプかー。

 見た目というか、色の毒々しさが俺はどうも苦手なんだよな。

 触りたくはないなー、と思う程度だが、奈苗はもう腰まで引けている。本能に刻まれた何かが、あれは触っちゃいけない、近寄っちゃいけないと警鐘を鳴らしているのだろう。


「……ふぅん?」


 俺達の様子に何を思ったのか、茜はウミウシをそっと手に乗せると、ゆっくり近付いてきた。


「ほら、可愛いよね」


「そ、そうかぁ?」


「可愛い、死にそうなぐらい可愛い」


 顔の引きつる俺と、最早よく分かんねぇ同意を必死でする奈苗。

 だが優しい茜のことだ。ここまで嫌がっていれば、これ以上近付いては――あ、駄目だ。ニヤニヤしてるもん。レアな顔なので記念撮影。アルバムに残しておこう。

 そう、その表情が物語るように、今日の茜は女神ではなく小悪魔路線。決して強要はしないが、俺達がウミウシを触るまで逃さないという、不屈の邪念がビンビンだ。

 俺と奈苗は、お前が行けよと生贄役を押し付け合う。とりあえず一人犠牲になれば、茜もちょっとは満足してくれるだろう。

 しかし押し付け合っているだけでは埒が明かないし、茜はずんずんと距離を詰めてくる。

 ……ごめんよ奈苗。兄ちゃん、お前を守ってやりたいのは山々なんだが、このぐらいの危機なら我が身の方が可愛いんだ。今回はお前が死ね。

 俺は奈苗の耳に息を吹きかけ、怯んだ隙にエスケープ。

 茜は少し残念そうな顔をしつつも、目の前の獲物を逃がすなんて愚は犯さない。


「ほら奈苗ちゃん、触ってみて。ぷにぷにだよ」


「うぇ、ええぇ……」


 こっちを見る奈苗の涙目は、明確に「タスケテ」と叫んでいた。

 俺は微笑んで目を逸らした。あばよ、ヴァルハラで会おう。

 ややあって、腹を括ったのか奈苗はウミウシを触ってみたらしい。


「ん゛ん゛ん゛――――!!」


 ……俺でも聞いたことないガチ悲鳴が聞こえた。

 振り返ってみれば、ほくほく顔の茜とは対照的に、奈苗はげっそりしていた。


「兄ちゃあん……ぷにぷにだったよぅ……」


「そ、そっかぁ。――あ、ほら、エビいるぞエビ!」


 過ぎ去ったことは忘れよう。人は今を生きるべきなのだ。

 それから俺と奈苗は、真っ当にエビやカニを見つけて磯を満喫する。

 一方、茜は隙あらばウミウシやナマコを捕まえて、触らせようとしてきた。

 ぷにぷに。

 ぷにぷにだったよ。

 逃げ切れなかったよ。

 その後、適当な岩に腰かけて休んでいたら、電脳に着信。旅行に来ている誰かかと思ったが、表示された発信者は古橋さんだった。


「うぃっす、守屋です」


『私だ。早速だが少年、悪いニュースと良くないニュースがある』


「……それ、何が違うんです?」


『悪いニュースよりは、良くないニュースの方がマシといった程度の違いだ』


 どっちにしろ、ろくでもない話だということか。

 そして古橋さんがわざわざ連絡してきた以上、俺達にも関わりのある話なんだろう。


『先に悪いニュースから伝えようか。

 ――外部の魔術師に、ゲオルギウス・オンラインのことが洩れた』


「ん? それって悪いニュースなんですか?」


 外部という表現をする以上、古橋さんが所属している結社とやらとは別口なんだろうけど。

 よく分かっていない俺に対し、古橋さんは憂鬱そうな吐息を洩らして、


『率直に言えば派閥が違う。高次元を目指す魔術師に、魔道書としてのゲオルギウス・オンラインを知られてしまったんだよ。

 どう動くかは分からないが、何らかの騒動に繋がる恐れがある。少年もゲーム内で不審な出来事があれば、すぐに報告するように』


「あー、前に聞いたやつですか。了解っす」


『よろしい。で、良くないニュースの方なんだが、山形県でゴブリンが出現した』


「はぁ!?」


 さらっと言ったけど、それはとんでもないことじゃないのか。

 だってゴブリンは、ゲームの中の存在だ。それがリアルに出現するなんて、あってはならない。

 ゲームとリアルの境界が、壊されてしまう。


『落ち着け少年。君が知らないだけで、幽霊も妖怪も実在する』


 しかし古橋さんは、大したことではないような口振りだった。


『ゴブリンだって西洋では珍しくもないんだぞ。いや、ここ数百年は珍しくなっているが……まあ、そのあたりの細かい話は、また今度にしよう。

 問題なのは、西洋の存在であるゴブリンが、どうして日本に出現したかだ。ゲオルギウス・オンラインの影響かもしれないし、そうではないかもしれない。まだ分からないのが正直なところだ。

 とにかく、そういうことがあったとだけ、留意しておいてくれればいい』


「……何か起きてる可能性があるから注意しろ、ってわけですね」


『そんなところだ。私は調査を続けるから、クランのメンバーには君から伝えておいてくれ』


 ほとんど一方的に言うだけ言って、古橋さんは通話を終了した。

 調査を続けると言っていたし、今は忙しいのだろう。

 うーん……どっちの件も、力になれるようなことは思い浮かばないな。

 世話になっているし、助けたいとは思うんだが、言われたように注意しておくのが精一杯か。

 とりあえず他の連中には昼飯の時にでも伝えるとして、先に茜と奈苗には話しておこう。

 俺は潮溜まりのイソギンチャクを観察していた二人に声をかけて、先程の話を伝える。

 そして――ゴブリンのことを聞いた時、奈苗は首を傾げた。


「んー? そんなの、わざわざ注意するようなことなの?」


 本当に不思議そうに、


「だってゴブリンなんて、たまにニュースで聞くじゃん」


 熊や猪と同列に、それが常識であるかのように口にした。

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