第十一話 揺れる、揺れる
夜は特筆するほどのこともなく更けていった。
いや、カルガモとの二人部屋で夜更かしして何を話すんだ。俺らはさっさと寝たいという合意に至り、何もせず横になったのである。
だが襖一枚を隔てた先は、学生組三人娘の部屋。主に奈苗と朝陽がかしましい。大人組の部屋とは襖を開けて繋げているようで、少し遠いものの、そちらの声も届く。
合計六人でキャッキャウフフしてりゃ、多少は声を抑えていてもうるさいものはうるさい。
文句を言ってやろうかとも何度か思ったが、俺の立場の低さがそれを躊躇わせる。立場でも数でも負けているのに、勝ち目なんてあるわけがねぇのだ。
我が身の不遇を嘆いていると、ふと、のーみんの声が聞こえた。
「――そういやクーちゃん。海で思ったけど、オパーイ大きいよね」
カクテルパーティー効果――――!
大勢が話しているような場でも、興味があるものや、自分の名前などは聞き取れるという現象である。
のーみんは声を抑えているようだが、俺の聴覚は聞き逃さなかった。他の声をノイズとして取り除き、不鮮明だった部分は脳内で再構成され、一言一句を完璧に捉えることに成功していた。
恥ずかしがる茜の声。けらけらと笑う奈苗。この世全てを呪うかのごとき声を上げる朝陽とりっちゃん。
そしてのーみんは止まらず、
「あたいGカップだけど、同じぐらいかにゃー?」
「え、ええっと……」
俺はかつてない集中力と精度で、音を立てることなく身を起こし、自らの手を踏んでしゃがみ歩きをする。
深草兎歩――伊賀流忍術に伝わる、音を消す歩法である。
これを用いて襖に接近し、知的好奇心を満たすべく聞き耳を立てようとするが、刹那、首筋に冷たいものを感じて動きが止まった。
錯覚だ。本当に何かが触れたわけではない。
だが鋭利な刃物のような殺気が、これ以上進むことを許さなかった。
何のつもりだ――そう視線で問いかけながら、振り返る。
いつの間に身を起こしたのか。カルガモは布団の上で爪先を立てた四つん這いとなり、
「聞こえてしまったものは仕方ないが、盗み聞きするのは紳士的ではなかろう。
バラされたくなければ、ここは素直に引き下がれ」
と、その眼光で語ってきた。
こいつ……! クズのくせに、妙なところで人間的な良識を発揮しやがって!
だが、そう簡単に引き下がれるものでもない。
はいそうですかと従う良識を持ち合わせているなら、最初からこんなことはしないのだ。
俺は不退転の決意でカルガモを見据え、目で語り返す。
「崇める神のことを知りたいと望むのが、許されぬ罪なのか。
我が聖典の空欄を埋める機会は、今しかないのかもしれんのだぞ」
「愚劣。神とは乳ではなく尻である。
そのようなことも分からぬから、おぬしは今も童貞なのじゃ」
「素人童貞は言うことが一味違いますね」
「女と付き合ったこともない童貞は、すぐ妄想で語りよる」
瞬きほどの時間で、俺達の視線は言葉を尽くした。
数秒。空気を震わせる怪鳥音を上げて、俺達は取っ組み合った。
「「クケェ――――!!」」
ドッタンバッタンと暴れていたら、百合にうるさいと説教された。
でもこいつが悪いんだよ、と指差し合っていたら、百合はその指をお掴みになり、そっと逆方向にお曲げあそばされた。
悲鳴を上げた俺達は、暴力は何も生まない、痛みと悲しみが続くだけだと和解して、すぐに寝ますと土下座した。
こうして夜は、特筆するほどのこともなく更けていく。
特筆するほどのことを起こそうとしたら、命がやばい。
○
翌朝。体が重いように感じたり、あちこちが軽く痛いのは、疲労と筋肉痛のせいだろう。
普段からそれなりに運動していると言っても、水泳は全身運動。普段は使わない筋肉も使った以上、こればっかりはどうしようもない。
軽いストレッチで体をほぐした後、カルガモはまだ寝ていたので放置して、とりあえず朝飯にすんべと台所へ向かう。途中、女性陣の部屋からは声や物音が聞こえたので、もう起き出しているようだ。
……呻き声っぽいのが聞こえるあたり、筋肉痛に苦しんでいる人もいるのだろう。
「あ、幹弘さん。おはよう」
「おっはー」
台所に顔を出すと、エプロン姿の茜とのーみんがいた。
俺も返事をしつつ、何を作っているんだろうと覗き込めば、玉子焼きと味噌汁を作っているようだ。
ああ、なるほど。玉子焼きなら一度に二、三人分は焼けるし、そんなに手間でもない。味噌汁もセットなら、朝食としては充分だろう。
納得しつつ、俺は冷蔵庫をゴソゴソ。買っておいた納豆を取り出した。
「む。ちょっとがっちゃん。あたいらがご飯作ってあげてるのに、何さそれは」
「習慣なんだよ。朝は納豆じゃないと落ち着かねぇんだ」
それこそ寝坊して食べそびれたりしなけりゃ、毎日納豆なのである。
非難がましい目を向けるのーみんに取り合わず、納豆をぐりぐり混ぜていたら、茜が言う。
「幹弘さん、私も納豆食べたい」
「あいよ。カラシは入れる?」
「お願い」
納豆派が増えたことに気分をよくして、茜の分もぐりぐりやっておく。卵を入れるかは好みの分かれるところだが、俺は入れる派なので生卵も冷蔵庫から取り出しておこう。
そうしていると、ふと気になったので聞いてみることにした。
「そういや他の連中は? もう起きてるみたいだけど」
「タルタルとツバメちゃんは筋肉痛で死んでるー」
……ま、あの二人はそうなるか。
百合は家と会社、朝陽も家と学校を往復するだけで、運動らしい運動はしてないし。
しかし不思議なのは、
「りっちゃんは死んでねぇの?」
「大丈夫っぽいけど、単純に朝弱いから半死半生って感じだにゃー」
ふーん。見た目ほど貧弱ってわけでもないのか。
軽く驚いていると、のーみんの言葉を継いで茜が言う。
「奈苗ちゃんは二人のストレッチ手伝ってるよ。
今ほぐしておいたら、少しはマシになるからって」
「そっか。茜は平気なのか?」
「うん。ちょっと痛いけどね。
普段からジョギングとかしてるから、酷くはないよ」
「あたいもジム通いしててよかったと、心から思ってるぜ」
なるほどなー。じゃあ満足に動けそうにないのは、二人だけってことか。
また海へ行くにしても、昨日ほどハードに遊ぶのは避けた方がよさそうだ。浜辺で水遊びするぐらいなら大丈夫だと思うが、泳いで溺れたら大変だし。
今日の予定はどうしようかと考えながら、混ぜ終わった納豆をシンクの横に置いておく。
「あ、ありがと。……あれ?」
礼を言った茜が、何故か奇妙な表情で俺を見た。
寝癖でも付いてたかなと思ったのだが、何かに気付いたのか、彼女は神妙な顔で言う。
「あのさ、幹弘さん――ひょっとして、背、縮んだ?」
「お前が伸びたんじゃないですかねぇ!?」
これだから成長期ってやつは! 一晩でそんな錯覚するほど伸びたのか!?
ぷんすか怒る俺に対し、茜は苦笑しながら宥めようとする。
「まあまあ、寝相が悪かったのかもしれないし」
「椎間板が伸び縮みすっから、確かにその疑いはあるかもしれねぇな。
だがよぅ、基本的には寝起きが一日の内で最も背が高いんだ。俺が縮んだと考えるよりも、お前が伸びたと考えた方が道理じゃねぇか? なあ、そうだろ?」
顔を寄せて押し切ろうとしたら、のーみんが俺の肩をポンと叩く。
「現実見ようぜリトルボーイ」
「だって……! 見たくない時だってあるんだ……!」
「気にするほど低くはないと思うんだけどにゃー」
のーみんが言う通り、確かに気にするほどではないのかもしれない。
だが俺より大きな妹がいる日常は、俺から自信というものを奪ってしまったのだ。せめて平均身長に届いていれば、奈苗が大きいだけと納得することもできた筈なのに。
そんな俺の苦悩を無視して、のーみんは言う。
「それにしてもがっちゃん、基本馬鹿なのに、たまに妙なことだけ詳しいね」
妙なことってのは、椎間板のことか。
「何か勘違いしてねぇか? 俺、別に勉強は嫌いでも苦手でもないぞ」
「「えっ?」」
どうしてハモるの?
どうやらここは、俺のインテリジェンスを披露しなければならないらしい。
「興味のあることなら、ちゃんと勉強する方だぜ。
身長だってそうさ。どんなことをすれば伸びるのか調べたし、椎間板が伸び縮むすると知ってからは、身体測定の時、直前まで寝転がっておく頭脳プレーをするようになったんだぜ」
「…………あの、幹弘さん」
「待ちなクーちゃん! 真実は時に人を傷付けるぜ!」
「けど、私が言わなかったら、幹弘さんずっと馬鹿みたいだもん……!」
制止するのーみんを振り切って、茜は悲痛な覚悟と共に告げる。
「聞いて、幹弘さん。――たぶん実際の身長、身体測定の結果より一センチか二センチ低い」
「――――――――」
俺は天を仰いだ。
これまでの日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
楽しかったこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。
どれもが俺を形成する、大切な思い出だ。
だから今、どんなに悲しくても、いつか思い出に変えられる。
未来の俺は、今日という日を微笑ましく振り返られる筈なんだ。
そうして俺は、強く笑った。
「これから毎晩、百合の背も縮むように祈るよ」
「めっ! 幹弘さん、めっ! 道連れ増やそうとしないの!」
「一人じゃ耐えられなくても、二人ならこの痛みに耐えられる気がしたんだ」
「もう。馬鹿言ってないで、暇ならご飯よそっといて。もう炊けてるから」
「はーい」
言われて引き下がるが、素直に従うようなら俺じゃあない。
まあ百合はこれ以上縮むと、消滅の恐れがあるからな……心の痛まない相手なら誰でもいいから縮めと、祈っておくことにしよう。
○
「俺は釣りに行くつもりじゃが、おぬしらはどうする?」
朝食後、今日はどうしようかという話題になった時、カルガモはそう口にした。
せっかくの旅行なのに誰かと遊ぶことをまったく考えていない、我が道を行き過ぎた自由さは、しかしカルガモらしいクズさで逆に安心感があった。
最初に反応したのはりっちゃんで、
「釣りぃ? あんなの何が楽しいのよ」
「……やってみると楽しいんじゃがなぁ」
切なそうに呟くカルガモ。普通に傷付いたように見えるのは、それだけ釣りが好きだからか。そのピュアさをもっと人間味のある方面で活かせ。
「旅行に来てまでやることに思えないけど、ま、いいわ。好きにしなさい。
それより車は使うの?」
「いや、近くの波止場で釣るつもりじゃから、車は好きに使ってくれて構わんぞ」
「そう。……と言っても、私は出歩きたくないのよね。暑いし」
旅行に来て引きこもるのもどうかと思うよ、俺。
無理にでも連れ出した方がいいと思ったのか、そこでのーみんが言う。
「車使うなら近場にガラス工房あるんだけど、一緒に行こうぜ」
「ガラス工房ねぇ……まあ暇潰しにはなるかしら」
気のない返事をするりっちゃんだが、微妙に頬が緩んでいた。
たぶんクールに装っているだけで、内心ではすっかり乗り気なのだろう。
「で、あんた達はどうするの?」
りっちゃんが隣の和室に声をかける。
そこでは筋肉痛に苦しむ百合と朝陽が転がっており、
「観光……! 私は絶対に、観光に行きます……!」
執念すら感じさせる声音で百合が言う。
百合にしてみれば、古い建物が多い田舎町なんて、宝箱みたいなものなのだろう。俺にはいまいち理解できないが、この機会を逃すつもりはないようだ。
「あたしはカモっちと釣り行くー」
「む。それなら竿をレンタルしに行かんとな」
害鳥コンビは海鳥にでもクラスチェンジしたのだろうか。
まあ筋肉痛の朝陽でも平気だろうし、悪くはない。釣果次第では昼飯にも期待できそうだ。
さて。自然とそれぞれの午前中の予定は決まっていくわけだが、俺はどうしよう。早朝ならカブトムシでも採りに行っていたかもしれないが、今からだと期待できそうにないし。
「茜はどうする?」
参考にしようと尋ねると、茜は困ったように笑った。
「あんまり考えてなくて……あ、でも、掃除はしたいかな」
「だったら俺も手伝うよ。洗濯物だって干さなきゃだし。
ついでに昼飯の仕込みもしておこうぜ」
「うん、そうだね。手伝ってくれたら嬉しい」
ふっ。ちょっと俺達、完璧な優等生ぶりじゃありませんこと?
しかし得意気に微笑んでいたら、奈苗が俺達に提案をする。
「兄ちゃん、茜さん。それ終わったら虫採り行こ、虫採り!」
「虫かぁ……」
微妙な顔をする茜。時間的にカブトもクワガタも期待できないんだし、そりゃそうだ。
蝉ならいくらでも採れそうだが、小便引っかけられるんだよなぁ。
「あ、じゃあ磯遊びしねぇか?
磯の生き物捕まえたり、貝を拾ったりだけど」
「うん、そっちなら。暑くなっても海に入れるもんね」
茜の賛同を得られたので、奈苗にもそれでいいよな、と確認しておく。
特に不満はないようで、元気よく頷く。まあ外で遊べりゃ何でもいいんだろう、こいつは。
そうして俺達の予定が決まったところで、やや真面目な顔をしたりっちゃんが言う。
「ウニやアワビは見つけても拾わないようにしなさいよ。密漁になるから」
「あー、たまにニュースでやってるもんな。了解、気をつけるよ」
警察のご厄介にはなりたくないし、肝に銘じておこう。
地元の漁師とも揉めたくないし――なんて思っていたら、ふと気付いてしまった。
「ところでさぁ。あの状態の百合を、一人で観光行かせて大丈夫か?」
「ふ、ふふ、大丈夫に決まってるじゃないです、か」
そう言って、強がるように身を起こす百合。しかしその体はぷるぷるしていた。
俺達が呆れの息を洩らしたのは言うまでもない。
「というかじゃな、筋肉痛にヒールは使えんのか?」
「あっ、その手がありましたね! ヒール!」
百合はカルガモの指摘に、浮かれた様子でヒールを使った。
そして体の調子を確かめるように軽く動いて、泣きそうな顔をした。
「全然効かないんですけどー……」
「魔術も万能ではないんじゃなぁ」
うんうんと頷くカルガモ。しょぼんとする百合。
結局、一人で行動させるのは危なっかしいので、百合はりっちゃん達へ同行することになった。
のんびりと町を歩くことはできなくても、車でなら余裕を持ってあちこちを見て回れるだろう。
そうして全員の予定が決まり、昼には戻ってメシにした後、また海へ行くということで決定した。
○
茜と奈苗の三人で、昨日も遊んだ浜辺の端、岩のゴツゴツとした磯へやって来た。
暑くなれば海に入ったりするつもりだが、泳ぐわけではないので、俺達はTシャツにハーフパンツ、ビーチサンダルといったラフな格好だ。あとは岩で手を切らないように、軍手も用意しておいた。
俺と奈苗は基本的に生き物全般ではしゃげる方だが、爬虫類スキーな茜はどうだろうと少し不安な面もあったものの、ウミウシを見つけて可愛いと満面の笑みを浮かべていた。
……そっかぁ。ウミウシを可愛いと思えるタイプかー。
見た目というか、色の毒々しさが俺はどうも苦手なんだよな。
触りたくはないなー、と思う程度だが、奈苗はもう腰まで引けている。本能に刻まれた何かが、あれは触っちゃいけない、近寄っちゃいけないと警鐘を鳴らしているのだろう。
「……ふぅん?」
俺達の様子に何を思ったのか、茜はウミウシをそっと手に乗せると、ゆっくり近付いてきた。
「ほら、可愛いよね」
「そ、そうかぁ?」
「可愛い、死にそうなぐらい可愛い」
顔の引きつる俺と、最早よく分かんねぇ同意を必死でする奈苗。
だが優しい茜のことだ。ここまで嫌がっていれば、これ以上近付いては――あ、駄目だ。ニヤニヤしてるもん。レアな顔なので記念撮影。アルバムに残しておこう。
そう、その表情が物語るように、今日の茜は女神ではなく小悪魔路線。決して強要はしないが、俺達がウミウシを触るまで逃さないという、不屈の邪念がビンビンだ。
俺と奈苗は、お前が行けよと生贄役を押し付け合う。とりあえず一人犠牲になれば、茜もちょっとは満足してくれるだろう。
しかし押し付け合っているだけでは埒が明かないし、茜はずんずんと距離を詰めてくる。
……ごめんよ奈苗。兄ちゃん、お前を守ってやりたいのは山々なんだが、このぐらいの危機なら我が身の方が可愛いんだ。今回はお前が死ね。
俺は奈苗の耳に息を吹きかけ、怯んだ隙にエスケープ。
茜は少し残念そうな顔をしつつも、目の前の獲物を逃がすなんて愚は犯さない。
「ほら奈苗ちゃん、触ってみて。ぷにぷにだよ」
「うぇ、ええぇ……」
こっちを見る奈苗の涙目は、明確に「タスケテ」と叫んでいた。
俺は微笑んで目を逸らした。あばよ、ヴァルハラで会おう。
ややあって、腹を括ったのか奈苗はウミウシを触ってみたらしい。
「ん゛ん゛ん゛――――!!」
……俺でも聞いたことないガチ悲鳴が聞こえた。
振り返ってみれば、ほくほく顔の茜とは対照的に、奈苗はげっそりしていた。
「兄ちゃあん……ぷにぷにだったよぅ……」
「そ、そっかぁ。――あ、ほら、エビいるぞエビ!」
過ぎ去ったことは忘れよう。人は今を生きるべきなのだ。
それから俺と奈苗は、真っ当にエビやカニを見つけて磯を満喫する。
一方、茜は隙あらばウミウシやナマコを捕まえて、触らせようとしてきた。
ぷにぷに。
ぷにぷにだったよ。
逃げ切れなかったよ。
その後、適当な岩に腰かけて休んでいたら、電脳に着信。旅行に来ている誰かかと思ったが、表示された発信者は古橋さんだった。
「うぃっす、守屋です」
『私だ。早速だが少年、悪いニュースと良くないニュースがある』
「……それ、何が違うんです?」
『悪いニュースよりは、良くないニュースの方がマシといった程度の違いだ』
どっちにしろ、ろくでもない話だということか。
そして古橋さんがわざわざ連絡してきた以上、俺達にも関わりのある話なんだろう。
『先に悪いニュースから伝えようか。
――外部の魔術師に、ゲオルギウス・オンラインのことが洩れた』
「ん? それって悪いニュースなんですか?」
外部という表現をする以上、古橋さんが所属している結社とやらとは別口なんだろうけど。
よく分かっていない俺に対し、古橋さんは憂鬱そうな吐息を洩らして、
『率直に言えば派閥が違う。高次元を目指す魔術師に、魔道書としてのゲオルギウス・オンラインを知られてしまったんだよ。
どう動くかは分からないが、何らかの騒動に繋がる恐れがある。少年もゲーム内で不審な出来事があれば、すぐに報告するように』
「あー、前に聞いたやつですか。了解っす」
『よろしい。で、良くないニュースの方なんだが、山形県でゴブリンが出現した』
「はぁ!?」
さらっと言ったけど、それはとんでもないことじゃないのか。
だってゴブリンは、ゲームの中の存在だ。それがリアルに出現するなんて、あってはならない。
ゲームとリアルの境界が、壊されてしまう。
『落ち着け少年。君が知らないだけで、幽霊も妖怪も実在する』
しかし古橋さんは、大したことではないような口振りだった。
『ゴブリンだって西洋では珍しくもないんだぞ。いや、ここ数百年は珍しくなっているが……まあ、そのあたりの細かい話は、また今度にしよう。
問題なのは、西洋の存在であるゴブリンが、どうして日本に出現したかだ。ゲオルギウス・オンラインの影響かもしれないし、そうではないかもしれない。まだ分からないのが正直なところだ。
とにかく、そういうことがあったとだけ、留意しておいてくれればいい』
「……何か起きてる可能性があるから注意しろ、ってわけですね」
『そんなところだ。私は調査を続けるから、クランのメンバーには君から伝えておいてくれ』
ほとんど一方的に言うだけ言って、古橋さんは通話を終了した。
調査を続けると言っていたし、今は忙しいのだろう。
うーん……どっちの件も、力になれるようなことは思い浮かばないな。
世話になっているし、助けたいとは思うんだが、言われたように注意しておくのが精一杯か。
とりあえず他の連中には昼飯の時にでも伝えるとして、先に茜と奈苗には話しておこう。
俺は潮溜まりのイソギンチャクを観察していた二人に声をかけて、先程の話を伝える。
そして――ゴブリンのことを聞いた時、奈苗は首を傾げた。
「んー? そんなの、わざわざ注意するようなことなの?」
本当に不思議そうに、
「だってゴブリンなんて、たまにニュースで聞くじゃん」
熊や猪と同列に、それが常識であるかのように口にした。