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竜と信仰の奇譚  作者: 長月十九
第五章 大航海時代
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第十話 頭を垂れて


 船幽霊――――。

 海で命を落とした者が、怨霊に成り果てたモノだと言われている怪異。

 現代の創作物においては、海から生える無数の腕として描かれるのがお決まりだ。

 人を掴んで溺死させたり、手に持った柄杓で水を注ぎ、船を沈めたりするとされている。

 ここに現れた船幽霊は、手に何も持っていないようだが……。


『柄杓! 誰か柄杓持ってない!?』


 PTチャットに緑葉さんの緊迫した声が響く。

 彼女が焦っているのは、俺よりもよっぽど正しい知識があるからだろう。

 けど、


「柄杓?」


『底を抜いた柄杓を渡せば、追い払えるという伝承があるの!

 でも都合よくそんなの持ってるわけないわよね!?』


 うん、そりゃあね。ゲーム内で見た覚えもないし。

 焦る緑葉さんを怪訝に思ったのか、PTチャットにはスピカの声が響く。


『たくさんいるけど、普通に倒せばよくない?』


『……そうね。それができればいいんだけど――』


 緑葉さんはなおも不安そうだったが、戦う前から悩んだって仕方がない。

 俺はひとまず、筏から届きそうな腕を狙って大戦斧で薙ぎ払ってみた。

 手応えは軽い。本物の腕を斬ったとは思えない抵抗のなさ。

 これは腕の形をしているだけで、まったく別の何かではないのか。

 そう感じたのは、骨を断つような感触もなく、斬り飛ばすことができたからだろう。


「一撃、か。数だけは多いが、これなら……」


 問題ない、と言いかけて。

 何本もの腕が、既に筏の端を掴んでいることに気付いた。


「無理! 逃げるぞツバメ!」


「えっ? ま、待ってよガウス君!」


 待てない。だってあいつら、筏を沈めようとしてるんだもん……!

 少しは持ち堪えられるかもしれないが、範囲攻撃に欠ける俺達では処理が追いつかない。抵抗虚しく沈められ、仲間入りをさせられるなんてまっぴらごめんだ。

 俺は船と筏を繋ぐロープを大急ぎで上り、出遅れたツバメもそれに続こうとしたが、


「――――ひっ!?」


 その足首を、長く伸びた腕の一本が掴んでいた。

 水死体のような色合いの肌。水にふやけた手の感触は、想像もしたくない。

 咄嗟に振り払おうとするツバメだったが、次から次へと伸びる腕がそれを許さない。


「が、ガウス君――――っ!!」


 恐怖に歪んだ顔で、一欠片の希望を信じてツバメは俺の名を呼んだ。

 しかしもう船に上がってしまったのでどうにもならない。シュパっと片手を上げて敬礼し、見送ることしか無力な俺にはできなかった。


「さようなら、ツバメ」


「この薄情者――!」


 罵倒の声を残し、ツバメは腕に引かれて海へと沈められた。

 念の為にPT管理画面を開いて確認してみるが、やはりツバメの名前はグレーアウトしている。捕まっただけならセーフなのは有情かもしれないが、海に落ちるとゲーム的には即死扱いか。

 こりゃあまた、絶望的な戦いかもしれない。

 船を取り囲む腕の数は、数える気にもなれない。一本一本は簡単に倒せるとしても、白兵戦は数の暴力で海に落とされてしまうだろう。

 ならば遠距離攻撃を――そう考えても、緑葉さんはスキル的にも単体特化だ。クラレットの範囲魔法には詠唱時間という弱点があるし、どう見積もっても倒し切る前に船を沈められる。

 この襲撃イベントは、前哨戦とでも言うべき魚類モンスターとの戦いには、囮となる白兵戦キャラが必要になるが、船幽霊相手には範囲火力が複数人必要ってわけだ。

 船にかかった費用的にも、クラン単位――もっと大人数での攻略を想定しているのだろう。

 だから失敗するのは構わない。その結果を悔しいとは、あまり思わない。

 だが船を沈められるのだけは避けなきゃいけない。

 マジで夜逃げしなきゃいけない事態になりそうだしな……!


「姐御、何か案はねぇか?」


 甲板で待機していた姐御に、現状を打破する手段はないかと問いかける。

 問われた姐御は右舷側で海を指差して笑っており、


「見て見て、のーみんがエロゲみたいな光景になってますよ!」


「俺、触手系の趣味はないんだけどなぁ」


 それはそれとして右舷にダッシュした俺は、その光景を目に焼き付けておいた。

 眼福。わりとマジにのーみんが睨んできたが、逃げ遅れた貴様が悪いので俺は無罪だ残念だったな。

 ややあって、無数の腕に絡まれながら沈むのーみんを見送り、改めて問う。


「で。倒せなくてもいいけど、追い払う名案とかない?」


「それなんですけど、緑葉さんはどうです? オカルト系、私より詳しいじゃないですか」


 緑葉さんは眼前に複数の表示フレームを投影していた。

 船幽霊について何か調べているのかと思ったら、違う。触手ゲーめいた惨状ののーみんを画像撮影しまくって、そのリストを眺めているだけだ。

 問われた彼女は満足そうに腕を一振り。表示フレームを消し、渋面を浮かべた。


「――ただの船幽霊でも厄介だけど、危惧していることがあるの」


 すげぇ! この人、あの状態から真面目な話できるんだ!?

 その底知れなさにぶるりと震える。それを船幽霊への警戒とでも受け取ったのか、緑葉さんは言葉を続けた。


「欧州文化をベースとした世界に、日本の怪異がいきなり現れるなんて不自然でしょう?

 だからあれは特徴が似通っているだけで、西洋の怪異じゃないかと疑っているのだけど」


「そんなのいましたっけー? 触手系ならクラーケン連想しますけど」


「それならそれで、足に吸盤あると思うのよね。

 私が想像したのは船幽霊のような、悪霊の集合体よ。それで西洋由来のモノと考えたら、真っ先に思い浮かんだのがレギオン――新約聖書に語られた、悪霊の軍団よ」


 レギオン……たまにゲームの敵で登場するってぐらいの印象しかないなぁ。

 俺がピンときていない様子を察して、緑葉さんは「大雑把だけど」と前置きして説明する。


「ある時、悪霊に憑かれた男がいて、山や墓地で暴れて、自分の体を石で傷つけていたの。彼と出会ったキリストは、彼の中の悪霊に名を尋ねるのだけど、そこで悪霊はレギオンと名乗ったのよ。自分は大勢だからレギオンだと。

 レギオンとは軍団を意味する名で、その男はたくさんの悪霊に憑かれていたってわけ」


 そして、緑葉さんがそこまで語ったところで、敵に新たな動きがあった。

 腕がさらに伸び、甲板にいる人間を捕えようと蠢いたのだ。

 舌打ちを一つ。俺は扱いに難のある大戦斧をインベントリに収納し、片手剣を抜いて腕の対処に回った。

 船員達は悲鳴を上げて逃げ惑うことしかできず、彼らを狙う腕には姐御がウビ・カリタス――攻撃を一度だけ防ぐ障壁設置の魔法で対処し、止まった隙に俺が斬り飛ばす。

 やや遅れてスピカも攻撃に参加しようとしたが、それを止めたのは姐御だった。


「迎撃はガウス君に任せてください!

 スピカさんは私達の護衛に専念を!」


「っ、分かったよ姉ちゃん!」


 自分では船員達を助けられない悔しさからか、スピカは歯噛みしたものの、不満を呑み込む。

 それよりもクラレットは――ああいや、流石にもう固まってはいないか。ファイアーボルトの速射で腕を迎撃しつつ、クラレットも無事に姐御達へ合流した。


「遠いのは任せたぞ!」


「うん!」


 これで俺も少しは楽ができる。

 余裕を取り戻したタイミングで、緑葉さんが再び口を開いた。


「省略して乱暴に言うけど、レギオンはとんでもない数の悪霊の集合体よ! 聖書ではキリストに祓われた後、豚の群れに乗り移って崖から飛び降りて、湖で溺れ死んだとされているわ!

 このゲームが欧州文化をベースとしていること、そして水に由来する結末から、この怪物は船幽霊ではなくレギオンだと仮定して、対処法を教えるわ!」


 正体を見抜いただけではなく、対処法まで閃いたのか。

 流石は頭脳労働担当。特に知識面では、趣味に偏ってる姐御や、信憑性に欠けるカルガモよりも頼りになるぜ。


「レギオンの名の由来は、その名で呼ばれたローマの軍団よ。つまり敵は異形化したローマ軍団と解釈可能……! そしてその弱点はローマが恐れた男、カルタゴのハンニバル・バルカだわ!!」


「ハンニバルは最強ですもんね!!」


「ええ、最強で無敵よ! だって象まで連れてアルプス越えたのよ!? スキピオなんて彼をパクっただけじゃない!」


「その通りです! 分かりましたねガウス君、ハンニバル様になるんです……!」


 こいつらも酔っぱらいだということを、失念していた俺が悪かった。

 俺はスキルを連発して近場の腕を始末すると、目の据わっている緑葉さんを小脇に抱え、しめやかに海へと投げ入れた。


「あ、こら、ガウス! 何やってるの!?」


「船幽霊でもレギオンでも、生贄を捧げたら満足してくれないかなと思って」


 そう答えると、さっと船縁に寄ったスピカが眼下を確認し、切ない顔で首を横に振った。


「兄ちゃんは、見ちゃ駄目」


 ちょっと見たかったが諦めよう。

 まあ生贄なんてただの言い訳で、酔っぱらいへのハードめなツッコミだったわけだが、しかしどうしたものか。

 甲板に伸びてくる腕だけなら今はまだ対処できるが、俺達のMPが尽きてくれば押し切られてしまうだろう。そうはならなくても、船縁を掴んで船自体を沈められる可能性だってあるわけだ。

 そう悩んでいた時、PTチャットに緑葉さんの声が響いた。


『下を見なさい!!』


 ……見ていいの?

 思わず迷って周囲を見回すと、気不味そうな顔をした姐御が言う。


「まあ、その。特殊な性癖には、付き合わなくてもいいと思うんですよー」


 その発言に少し頬を赤くしたクラレットも、同様に気不味そうな顔で言う。


「どうしても見たいって言うなら、止めないけど……」


 むしろ今、怖いもの見たさっていう感覚に変わってるけど。

 見たら見たで二人に嫌われそうだし、自重しておくべきだろう。緑葉さんには申し訳ないが、いきなりアブノーマルなプレイに誘われて応じられるほど、俺も器が大きくはないのだ。

 だがたった一人。位置関係のせいもあって、馬鹿正直に下を見てしまったスピカが言う。


「待って、――下に何かいる! おっきい影!」


 その声に顔を見合わせた俺達は、緑葉さんの叫びは真面目な話だった可能性に気付いた。


「くっ……! 最後の瞬間まで手がかりを残してくれるなんて、仲間思いだぜ!」


「その気高い思いを無駄にはできませんね……!」


「邪悪だなぁ……」


 クラレットがジト目を向けてくるが、気にせずいこう。俺は正義だ。

 とりあえず船縁に近寄って海面――さらにその下、海中へと目を凝らす。

 そこに見えたのは巨大な影。何かがいると分かっていなければ、逆に気付かないほど大きな影だ。

 全体像は分からないが、船よりも大きな肉塊に思える。

 全ての腕はそれから生えた触手で、無数の敵だと思っていたものは一体の怪物だったのだ。


「――っ」


 見た目の醜悪さに怯んだのか、姐御が俺の腕を強く掴んだ。

 いや、確かにこんなのは想定外だ。言うなれば無数の腕が花弁を形成した、大輪の花。その悪趣味さはデザイナーの狙い通りかもしれないが、褒める気にはなれない。

 一方、やや引いてはいるものの、平静を保ってクラレットが言う。


「――そっか。だから、見えたんだ」


 納得したような呟きに、どういう意味だと視線で問いかければ、彼女は頷いて答える。


「あれが悪霊だったら、姿が見えるのは変じゃないかなって思って。

 タルさんなら霊体看破があるけど、私達はそういうスキル持ってないから」


「あ、そういうことか」


 だとすればあれは、船幽霊でもレギオンでもない。

 おぞましい姿ではあるが、生き物なのだ。


「……ひょっとして、イソギンチャクの仲間でしょうかー?」


「形的にはそれっぽいな……」


 同意しつつ、案外、海に落ちたら即死なのも、あいつのせいではないかと考える。

 海中にずっとあれがいたなら、捕まれば脱出は不可能だろう。イソギンチャクの仲間なら毒ぐらい持っているだろうし、敵であると同時にいわゆるステージギミックなのかもしれない。


「でも、どうやって倒せばいいのかなー?」


「そうですねー……生き物なら、色々と考えられますけど」


 首を傾げたスピカの言葉に、答えたのは姐御だった。

 姐御はクラレットに目を向けて、


「ここは雷系の魔法で、感電させてみるのが一番ですかね。本体まで届きそうなのはそれぐらいですからー。

 あとハンニバル・バルカのバルカって、雷光って意味なんですよ!」


「……分かった、やってみる」


 話の後半を無視して、クラレットは早速、魔法の詠唱を始める。

 作戦を理解した俺は、船員が甲板に投げ出した銛を拾う。


「じゃ、俺はこれで攻撃するから。スピカは引き続き、二人の護衛頼んだぞ」


「それはいいけど、兄ちゃんも触手の処理手伝ってよー?」


 ま、先に船を沈められても困るしなぁ。

 了解と返事をして、俺は銛を海中の巨大イソギンチャクへとぶん投げる。

 ダメージは期待できそうにないが、少しでも刺さってくれたら、痛みを感じて逃げるかもしれな……いや待て、そもそもイソギンチャクって痛覚あんのか?

 くそっ、分かんねぇ! これだから下等生物は……!

 とにかく何もしないよりはマシな筈だと自分に言い聞かせて、俺は銛投げを続行する。

 何だろうね。天に唾するってこういう気分なんだろうか。

 そうしていると、詠唱を終えたクラレットが魔法を放った。


「サンダーピアース!」


 放たれたのは丸太のように大きな雷の槍だ。

 海面で弾けたそれは目も眩む閃光となり、枯れ枝を折るような雷鳴を轟かせた。

 視界が落ち着いた時、効果はどうだと触手を見れば、痙攣するかのように蠢動した後、狂ったように暴れ始めた。

 効いている。触手をいくら斬り飛ばしても、こんな反応はなかったのがいい証拠だ。


「その調子ですよクラレットさん! 持久戦になりそうですが、頑張ってください!

 今こそ雷光となってローマを焼くのです!!」


 ……変なスイッチ入ってんなぁ、姐御。

 いや、いつだったか、理想のタイプはハンニバルだとか言ってたような気がする。酔いであれこれ曖昧になっているところへ、緑葉さんがトドメ刺しちゃったんだなぁ。

 ともあれ、捕まらないようにだけ注意すれば、持久戦は可能だ。

 俺は船員に船の補修や避難を優先するように指示して、銛を投げる。

 そうして十数分が経過した時、ついに巨大イソギンチャクは海底へと姿を消したのだった。


     ○


 戦いが終わり、戦闘不能になっていた面々は船室にリスポーンした。

 どうやら船での移動中は、船室が一時的にセーブポイントとして機能するらしい。

 船員達は歓声と共に無事を喜ぶ声を上げ、宴のように賑わう甲板では俺と姐御が正座させられていた。


「仲間を二人も殺すとは、本当にこやつらは何を考えておるのか」


「はい! あたしは見殺しにされました!」


「あたいも辱めを受けた気がしまーす!」


 いや、ツバメとのーみんは不可抗力っつーか、俺ら悪くないよね。

 だがしかし、逆らうと面倒そうなので黙っておく。もっとキレてる人もいるので。

 額に青筋浮かべて微笑む緑葉さんは、いつ死刑判決が下ってもいいように、弓から手を放そうとしない。いくらノーコンでも、この至近距離では外す方が難しいだろう。

 なお、隣の姐御は不満そうに唇を尖らせていた。


「カモさんの死は責任あるかもしれませんけどー。

 他は私、無関係じゃないですか。ガウス君と同じ扱いっておかしくないですかー」


「ほほう。被害者を前によくもまあ言えたものじゃな」


「まあカモさんの命は、羽毛よりも軽いですからー」


 うんうんと頷く聴衆。ぶっちゃけカルガモの件はどうでもいいらしい。

 民主的に考えて自分はセーフと判断したのか、姐御は立ち上がって明るく笑った。


「それにほら、事故みたいなものですからね!

 いつもの調子でツッコミ入れたら、船が揺れて落ちただけですもん。あんなの予想できませんし、今後は気をつければいいだけですよね!」


「俺も同感ではあるんじゃが、せめて一言謝ってから、開き直ってくれんかの!?」


「はいはい、ごめんなさーい」


「もうそっちはいいでしょ? ――本題はこの駄犬よ」


 いよいよ緑葉さんが矛先を俺に向ける。

 だが気圧されて言いなりになるわけにはいかない。まずはビシっと言って、屈しない姿勢を見せるべきだ。

 俺は緑葉さんの冷たい視線を正面から受け止め、一呼吸を置いて土下座した。


「靴なら舐めます!!」


 謝意を示しつつ、譲歩できる限度を最初に突きつける……!

 土下座。それは最上級の謝罪であり、心意気を示すもの。土下座した相手にそれ以上の要求をすれば、批難の対象となってもおかしくはない。

 この場は俺の土下座によって、法廷闘争から交渉戦へと変わったのだ!

 主にクラレットとスピカの視線が冷たい気がするが、そんなの構ってらんねぇよ!


「そう」


 一言。微笑んだ緑葉さんはブーツを脱ぎ、素足を俺の鼻先へと動かした。

 まさか。そう思った瞬間、彼女は可愛らしく首を傾げて言う。


「靴は哀れ過ぎるから、足を舐めなさい」


 く、屈辱ぅ……! 偽装された優しさの真意は、屈辱を与える精神攻撃……!

 駄犬呼ばわりは許すが、俺はあんたを飼い主と認めちゃいない。それなのにこんな、ご主人様と犬みたいな行為を強要されるのは、あまりにも度し難い!

 助けを求めて他の連中の顔を見るが、ツバメとのーみんは溜飲が下がるなら何でもいいのか、フレームを投影して画像撮影の準備をしている。クソが。

 姐御は下手に突付いて巻き込まれたくないらしく、こそこそと離れて船縁で「わー、海青ーい」とほざいている。それは俺の吐息より青いのかい。

 クラレットとスピカは――あ、駄目だ。既にゴミを見るような目をしている。靴を舐めると言ったあたりから、見損なわれている。助けは期待できないし、もう何があっても心証は変わらないだろう。

 ならば何も期待できないが、カルガモはどうだ。

 俺の視線に気付いたカルガモはにっこりと満面の笑みを浮かべ、サムズアップした。


「――Go for it(がんばれ)


「テメェ他人事だからって楽しんでじゃねぇぞ!?」


「他人事を楽しまずに、何を楽しめと言うんじゃ!?」


「その通りだな! 楽しめ!!」


 完璧な論理だ。付け入る隙がない。

 ああ、もうどうしようもない。今日、俺の尊厳には消えない傷が残されるのだ。

 だがな緑葉さん……肉を斬らせて骨を断つって言葉があるんだぜ!?

 意を決した俺は、鼻先でぷらぷらと揺れる足を舐めるのではなく、頬張った。


「ぁ……!?」


 予想外の行動に、緑葉さんは小さな悲鳴を洩らす。

 まだだ。まだ終わっちゃいない。

 このまま指を舌で転がし、しゃぶりまくってやる――――!


 ――次の瞬間、視界が暗転する。

 浮かび上がった光景は、石造りの薄暗い部屋だった。

 窓も扉もない、四方を壁で埋められた完全密室。

 室内には俺と緑葉さん、そして金糸で装飾された白のローブを着た男がいた。

 男――ゲームマスターは心底呆れたような目で、俺達を見て言う。


「何故ここに転送されたかお分かりですね?」


 はい。そうですね。

 俺達にとっては悪ふざけの範疇でも、性的行為か何かにカウントされたんですね。

 俺は緑葉さんの足を口から出すと、GMに向き直って土下座した。


「靴なら舐めます!!」


「――では、ペナルティーは翌朝、九時までのアクセス制限ということで」


「舐めるって言ってるだろ!!」


「一時間追加しておきますね」


 は、話が通じねぇ……!

 俺が弱り切っていると、GMには聞こえないように緑葉さんが鼻で笑う。

 これは何か考えがあるってことだな……期待してるぜ!


「か、彼が無理矢理!」


 自分の身を抱いて、震える声で主張する。

 き、汚ぇ――!! 自分だけでも助かろうとして、そこまでするか!?

 だがGMは無言で微笑み、表示フレームを投影する。

 誰の視点かは分からないが、そこに映し出されたのは足を舐めろと要求する緑葉さんの動画だった。


「……違う、違うのよ? ええ、そう言えと脅されていたの」


「ではお二方とも、翌朝十時までのアクセス制限で」


 やっぱり権力には勝てなかったよ。

 俺達は強制的にログアウトさせられ、意識をリアルへと戻される。

 嘆息しつつ、皆にはメッセを送って顛末を伝えておく。

 時間的にはまだ余裕はあるが、どうせなら一緒に新天地へ行こうと、皆もログアウトする。

 その友情に感謝する俺と緑葉さんだったが、ログアウトした皆の視線は生暖かかった。

 あ、そっかぁ~。島人組が島チャンでチクる気だなぁ~?


「緑葉さん……いや、りっちゃんが変な要求するから……!」


「あんたが変なことしたのが原因でしょう!?」


 言い争いを始めた俺達を見て、眺めていた茜がぽつりと言う。


「実は同レベルだよね、二人とも」


 その言葉に、りっちゃんは膝から崩れ落ちた。

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