第九話 憧れを砕け
錨を上げた船は、広げた帆に風を受けて走り出した。
最初はゆっくりと。徐々に速度を上げて、港を出る頃には人が小走りする程度の速さになる。
こんなものかと肩透かしのように思うものの、出航したことで釣りのできなくなったカルガモが、退屈を紛らわせるかのように説明を始めた。
「帆船としてはこれでも速い方じゃよ。現代の船を知っておると遅く感じるやもしれんが、他の移動手段が徒歩や馬しかない世界である以上、長距離を高速で移動する唯一の手段と言ってもよかろう」
「あー。まあ、休まずに進めるってのは大きいよな」
「うむ。陸と違って道を選ぶ必要もないしの。
とは言え、リアルではガレー船も長く現役じゃったように、人力で櫂を漕ぐのも馬鹿にはできん。漕ぎ手が疲労するまでの条件付きとはいえ、その最大速度は帆船を大きく凌駕しておった」
「マジで? いくら何でも、帆船には負けると思うけど」
「何十人もの水夫が櫂を漕ぐんじゃぞ? 風を帆に受けるだけよりも速いのは当然じゃろう。
ガレー船は海戦でも主力を務めておってな、特に有名なのがレパントの海戦じゃ。一五七一年、レパント沖で起きたオスマン帝国と神聖同盟の海戦では、両陣営とも多くのガレー船を擁しておった。
両陣営は海上での睨み合いを続けておったが、風向きが変わり、オスマン帝国側は帆船の帆を下ろすことになる。その隙を突いた同盟側のガレオス船が砲撃を仕掛けるものの、オスマン帝国のガレー船は素早く脱出! ガレオス船を置き去りにし、両陣営はガレー船の速度を頼りとして激突したのじゃ!」
「おお。海戦って聞くと砲撃戦のイメージだけど、そうはならなかったのか」
あいにくレパントの海戦とやらを俺は知らないが、ガレオス船が砲撃したなんて言ってるし、大砲のある時代だったのだろう。それでも砲撃戦にならず両陣営が衝突したのだから、ガレー船は速度や小回りにおいてまさしく戦場の主役だったのかもしれない。
俺が乗り気になったことで気分をよくしたのか、カルガモは声を張って続ける。
「その通り! さらにレパントの海戦の頃には、長い櫂を数人で漕ぐスカロッチョ式というものが広まっておってな。これは漕ぎ手に熟練が求められず、奴隷にも任せることができたのじゃ。
スカロッチョ式は当然のように主流となり、ガレー船の黄金期がそこから――」
「――そのホラ、いつまで続くんですか?」
カルガモの話を聞いていたらしく、やって来た姐御がジト目を向ける。
……ああ、いつものホラ話だったのか。
ちょっと浪漫を感じていただけに残念だが、実際のところはどうなのかと姐御に問うてみる。
すると姐御は苦笑して、
「完全にホラってわけじゃないんですけどねー。だからこそ悪質とも言えますけど。
レパントの海戦は確かに有名ですし、ガレー船も主力でしたが、そこがピークなんですよね。積載量や防御力、外洋航行能力などの問題から、海の主役は帆船が主流になっていくんです」
「あー。確かに人力で大西洋横断とか、正気じゃねぇもんな」
それに軍事用ならまだいいのかもしれないけど、貿易用としては積載量が少ないってのは致命的だ。漕ぎ手を雇うコストだってあるわけだし、平時には不向きだろう。
そう納得するが、
「でも、速度じゃ負けてなかったんだよな?」
一欠片の浪漫を信じてみようとしたら、姐御は首を横に振った。
「船にもよりますが、最大速度でも帆船が優勢だったみたいですねー。
それにガレー船は熟練の水夫を集めたとしても、やっぱり重労働ですから。最大速度を維持できるのは、三十分程度が限界だったと言われています」
「なるほどなぁ。――海の藻屑になりてぇらしいなカルガモ!」
「はっ、教養の足りぬ己の愚かさを恨むがいいわ!」
船上で振り回すなら剣の方がいいかと、俺はインベントリから片手剣を取り出し、その勢いでカルガモへと斬りかかった。
対するカルガモは波に揺れる不安定さを物ともせず、短剣を閃かせて打ち払う。が、反撃に転じようとしたところで大きな揺れ。踏み込みかけた足はたたらを踏み、隙を晒した。
千載一遇の好機。やはり天は善良な俺に味方した。
――などと思った瞬間、さらに強い揺れが船を襲い、俺も立っていられずにすっ転んだ。
「の、わ!? 何だこの揺れ!」
「ちと下がるぞ! 船縁に立っておると危険じゃ!」
カルガモの言うことはもっともで、俺達はひとまず四つん這いのままメインマストまで下がり、それを支えにすることにした。
少し落ち着いたところで甲板の様子を見れば、船員達は揺れに抗いつつ、慌ただしく動き始めていた。
「嵐……というわけでは、なさそうじゃな」
多少の雲はあるが空は晴天。風にも変化はなかった。
それなら潮の変化だろうかと考えるが、待ったをかけたのは姐御だった。
「待ってください。そもそもこれ、ゲームですよ」
問いかけのように言いながら、返答を待つことなく彼女は告げる。
「駅馬車と同じで、船旅の大部分はカットされるのが自然な筈です。
嵐が起きたとしても、素人のプレイヤーに操船しろなんて無茶でしょう? ですからこれは、プレイヤーが対処すべきイベントが起きたと、そう考えた方が自然です」
「ってぇと、――モンスターの襲撃か!」
ヨーゼフさんの言葉を思い出す。
先駆者――小さな船での様子見とはいえ、海に挑んだクランはモンスターと海流に阻まれたと。
おそらく海流に関しては、船員を用意したキャラベル船であれば問題ない筈だ。プレイヤーに干渉できる部分はそれぐらいしかない。
ならば今、イベントとして発生しているのは、モンスターの襲撃だ。
「だがどうする!? 俺ら水中なんて攻撃できねぇぞ!」
「備えが甘いのぅ、ガウス。俺はこんなこともあろうかと、弓矢を買っておいた……!」
言って、インベントリから弓矢を取り出して不敵に笑うカルガモ。緑葉さんのような本職と比べると哀れなぐらい安っぽいっていうか、それ店売りでも最安値のただの弓矢じゃね?
疑問の視線に気付いたか、カルガモは照れたように笑った。
「まあ、遠くの敵にちょっかい出す目的で買っておいた小道具でな。
威力は投石の方がまだマシなぐらいじゃし、俺自身、弓の心得はない」
「それ、使わない方がマシって言いません?」
「だって買ったんじゃもん! 使いたいんじゃもん!」
駄々をこねるカルガモを、俺と姐御のツープラトンキックが吹き飛ばした。
薄々分かってはいたが、奴は戦力にならない。冷静に振り返ると敵に回った時が最も厄介で、味方にいてもあんまり頼もしくないあたり、本当に使えない奴だ。
だが今回に限っては、俺もうかうかとしていられない。
「戦力にならねぇのは俺も同じだからな――つーか、遠距離火力が緑葉さんとクラレットだけってのがまずいか」
「ですが船も無策ではないでしょうから、まずは船員さんに話を聞きましょう。
もしも無策だった時は諦めますけどー」
そうじゃないといいなぁ、と祈りつつ、近くにいた船員を呼び止める。
彼は縄を結んだ銛を手にしており、
「俺らはこいつで追っ払う! お客さんらはそろそろ、準備ができる筈だ!」
準備? と、俺と姐御が揃って首を傾げた時、左舷の方から大きな水音がした。
何事かと目を向ければ、音の正体は船員達の投げ込んだ筏だった。
筏と言っても、航行を目的としたようなものではない。何枚もの板をロープで繋ぎ合わせただけの、ただ浮けばいいといった感じの粗雑な作り。大きさは二、三メートルほどか。船とはロープで繋がっていて、流されないようになっている。
「あれが足場だ! モンスターは襲いやすい足場にいる奴から狙う。
お客さんらは冒険者だろう? あそこで暴れるのは任せたぜ!」
なるほど。ゲーム的には、これで白兵戦しかできないプレイヤーも戦えるってわけか。
しっかし実態としては囮とさして変わらねぇよなぁ。まあプレイヤーがやられたらモンスターの餌になって、船だけは無事に帰れるって寸法だろう。船を貸し出したオーナーとしては、どこの馬の骨とも知れない冒険者の命よりも、船や船員の方が大切なのも当然だ。
だが正解だという確信を得られた。
こんな仕組みが用意されている以上、この海路は東方への正規ルートだ。
この窮地を突破さえできれば、新天地への一番乗りは確約されたも同然……!
「姐御、先に行くぜ! 後衛組は上から支援頼む!」
取り出した大戦斧を両手で構え、俺は返事を待たずに筏へ飛び降りた。
この手のイベントは一定時間の防衛か、一定数の討伐がクリア条件だと相場が決まっている。船を守り抜くことも条件の内だろうから、囮役は少しでも早く筏へ移動しておくべきだ。
その判断が正解だと裏付けるかのように、筏へ飛び降りた瞬間に水中から影が飛び出した。
水飛沫を上げて飛び出したそれは、頭部に甲羅じみた鱗を備えた巨大魚だ。
マグロよりも一回りは大きいそいつが、先ほどから船を揺らしていたのだろう。頭からの突撃で船に穴でも開けるつもりだったのか。
あれほど船体を揺らせるのならば、攻撃力の高さは推して知るべし。ただ防御するだけでは、耐え切れずに海へ突き落とされるのがオチだろう。
俺は魚の突撃に合わせて、大戦斧を一閃。敵の勢いを利用して正面から叩き割る。
いかに頑丈な頭部もそれには耐えられず、硬い破砕音を奏でた魚は粒子となって消滅した。
激突の瞬間に確かめた表示名はテストゥーピスキス。ラテン語っぽい。意味は知らん。
そんなことよりも重要なのは、
「……っ、痛ってぇ!」
攻撃の反動で手首に鈍痛が走る。
あの質量の突撃を正面から叩くのは、流石に無茶が過ぎたらしい。
そうしている間にも次の魚影が飛び出し――新たなテストゥーピスキスは、その瞬間に全身を鎖のエフェクトに絡め取られ、物理法則を無視して大きく減速させられる。
バインドだ。
「大漁、大漁ってね!」
そこへ飛び降りたツバメが、駄賃とばかりに右手の剣で高速の斬撃を放ち、走り抜けた。
今のは修道士のスキル、カットインか。威力は低い方だが、そもそもあれは攻撃スキルではない。発動時に数秒だけ移動速度を向上し、効果時間中に行う通常攻撃の威力を高めるという、変わった補助スキルだ。
当然、その一撃でテストゥーピスキスを倒すことはできない。
だが勢いを殺され、ダメージも入っている以上、仕留めるのは容易。踏み込んだ俺は大戦斧を叩き付けて頭蓋をカチ割り、テストゥーピスキスを光の粒子へと変えた。
ツバメはこちらを見て安堵したように笑い、
「あたし達だけでも戦えそうだね。スピカちゃんは上に残す?」
「そうだな。つーかあいつが乗ったら、こんな筏沈んでもおかしくねぇだろ」
いや、マジで。フル装備のスピカの総重量は、たぶん大人三人分ぐらいはあるし。筏が沈むってのは言い過ぎかもしれないが、確実にバランスは崩れて傾くだろう。
だから俺はPTチャットの方で声を飛ばした。
「聞こえてたかスピカ!? お前、上で留守番!」
『むー。じゃあタル姉ちゃん達の護衛しとくー』
返事は不満そうだったが、従ってくれるみたいで何よりだ。
そんなやり取りの後、状況の把握を終えたらしい姐御が、PTチャットで指示をする。
『左舷はガウス君とツバメさんにお任せします!
右舷はのーみん! クラレットさんと緑葉さんは、そちらで殲滅を!
あとカモさん見当たらないんですけど、どこ行ったんですかー!?』
はて。言われてみれば蹴り飛ばした後から、行方不明だな。
まさかログアウトしてるんじゃないだろうな、とPT管理画面を開いてみたら、オンライン表示なのに名前がグレーアウトしていた。
「姐御ー!! 死んでる! あの野郎、死んでるぅー!!」
『――――あっ』
こほん、と。姐御の咳払いが響いた。
『まったく心当たりはありませんが、死んでるなら仕方ないですね!
とにかく上からフォローしますので、筏に乗ってる人は頑張ってください!』
『私の予想だけどこれ、下手人タルタルよね?』
『が、ガウス君も共犯でーす! 私だけのせいじゃありませーん!』
「ちょっと冷静になろうぜ。蹴り飛ばしたぐらいで死ぬあいつが悪い」
本当にもう、もやしっ子なんだから。
とりあえず自分は悪くないと主張していたら、ぼそりとクラレットの呟く声がした。
『……海に落ちたんじゃないの?』
『皆さん落ちないようにしてくださいねー!
たぶん落ちたら船に追いつけないので、即死扱いになるんだと思います!』
「了解! 泳げる自信があっても関係ないってことだな!」
『あの。タルタル、がっちゃん。カモさんは』
『ほら敵上がってますよのーみん!』
追求しようとするのーみんを、強引に押し切る姐御。流石のパワーだぜ。
っと、こっちも話してる余裕はあんまりないか。またテストゥーピスキスが突撃を仕掛けてくる。
パターンとしてはツバメが削り、俺が仕留めるといった形。質量を武器にしているだけあって、突撃をまともに食らったらダメージは大きそうだが、数で押されない限りは問題ないだろう。
手応えとしては今の俺達のレベル帯よりも、一つ下の敵という印象を受ける。レベルで言えば四十後半が適正か。運営の想定では、そのあたりで東方へ進出すると読んでいたのだろう。
真相はどうあれ、この程度なら俺とツバメだけで凌ぎ切れる。右舷ものーみんが防御に徹していれば、クラレットと緑葉さんが片付けてくれている筈だ。
それからしばらく戦い続けた後、変化が起きる。
水中から飛び出した魚影に、またテストゥーピスキスかと思えば違った。
「あれは――!?」
まず目に入ったのはその巨体。全長は五、六メートルほどもある。
だがそれ以上に特徴的なのは、明らかに魚類とは異なるトカゲに似た頭部。短い四枚のヒレは水中に適応した四肢であり、その正体を海棲爬虫類だと物語っている。
そして湾曲した三日月のような尾ビレ――ああ間違いない。こいつはモササウルスの仲間で、白亜紀後期に生息していたという、プラテカルプスだ!
「っ、バインド!」
プラテカルプスはその尾が生み出す推進力で、弾丸のように飛び出した。
そこへツバメが咄嗟にバインドをかけるものの、テストゥーピスキスを遥かに超える巨体だ。保有する運動エネルギーは比較にもならず、バインドでは僅かに勢いを削ぐことしかできない。
大きく開けられたプラテカルプスの口には、鋭い牙がずらりと並ぶ。あんなものに噛みつかれてしまえば、人間なんてひとたまりもないだろう。
プラテカルプスはツバメを狙って噛み付こうとしたが、ツバメはバインドによって稼いだ時間でカットインを発動。攻撃ではなく緊急回避としてその効果を活用し、素早く横へ跳んでいた。
獲物を逃したプラテカルプスだが、その牙はお構いなしに筏の端へ突き立てられ、一撃で粉砕する。
凄ぇ……! モササウルス類は獲物を噛み砕くよりも丸呑みにしたと言われているが、咬合力は決して弱かったわけではない。特に大型の種ならば、その咬合力はティラノサウルス以上だったとも言われているほどだ。
このプラテカルプスも、冒険者が戦うモンスターとして、その捕食者としての咬合力を強調したデザインなのかもしれない。誰がデザインしたかは知らないが、実にいい仕事だ。本当に素晴らしい。
俺が熱視線を向けていると、プラテカルプスはまた海へと潜り、襲撃の機会を窺う。
チャンスだ。助走――と言うのも変だが、水中から飛び出すには充分な距離と速度が必要になる。
すぐに襲われはしないだろうと見て、俺はPTチャットで声を張り上げた。
「クラレット、こっち来い! プラテカルプスだ!」
『行く! 倒さないで! 見たい!!』
思った通り……! 流石はワニ園に行きたがった女だぜ!
クラレットにしては珍しい興奮した声は、大型爬虫類への深い愛情のせいだろう。
すぐに左舷までやってきたクラレットは、船縁から身を乗り出し、海中を進む巨大な影を見つけて声を上げる。
「見えた! すごい……すごい……!」
語彙が消失しておられる。
でも気持ちは分かる。やっぱ完全ファンタジーなドラゴンなんかと違って、絶滅した生物が動いてるってのはそれだけで感動だ。しかもそれが皆の憧れ、プラテカルプスだぜ。俺も興奮が止まらない。
しかしどんなに愛しくても、今は敵同士。
この憧れを乗り越えなければ、先には進めないのだ。
「ガウス君、遊んでないで次で仕留めるよ!」
「「………………」」
無情なことを言うツバメに、俺とクラレットは白い目を向けた。
正論なのは分かっている。だが正論では救えないものがあるのも、また事実なのである。
だが反抗しても仕方がないので、ここは素直に従っておくことにした。
「分かりまーしたー。やればいいんだろ、やれば。やりますよ」
「拗ねないでよ!? ちゃんとしてよガウス君、いい!?」
「はいはいはい」
「はいが多い……!」
それでも俺を信じることにしたのか、ツバメは前に立ってプラテカルプスを迎え撃つ構えだ。
正直見捨ててもっとプラテカルプスと触れ合いたいが、そこまでやると皆にも怒られそうだし、真面目にやろう。
やがて充分な速度を得たプラテカルプスが、再び筏上の獲物を狙って飛び上がる。
「コラプス……!」
ツバメはその突撃を避けながら、防御低下の魔法をかけて俺に託す。
信じて任された以上、裏切るわけにもいかない。
俺は不安定な足場ながらも可能な限りの力で踏み込み、自らの全質量を叩きつける勢いで大戦斧を振り下ろした。
デッドエンド。闘獣士の代名詞とも言うべきそのスキルは、大型モンスターに特攻を持つ。
元来の威力に補正を上乗せされた一撃を受け、プラテカルプスの頭部は爆ぜるように砕かれた。
「……悪いな。また遊ぼうぜ、プラテカルプス」
寂しい笑みを浮かべて、幼い頃に憧れた強敵の最期を見送る。
でも、プラテカルプスでよかったのかもしれない。これがアルベルトネクテスとかの大型首長竜だったりしたら、いくら俺でも手にかけることはできなかった。
……ふと顔を上げると、クラレットが愕然とした顔でこちらを見下ろしていた。
「ガウス……どうして……」
分かってくれ、と言うのは酷だろう。
俺が彼女の立場だったとしたら、同じように責めていたのかもしれない。
気持ちは痛いほどに分かるから、俺は俯いて呟くことしかできなかった。
「……ごめんな」
これが俺と彼女の、決定的な亀裂にならないことを祈る。
何故なら俺の斧は彼女の心を砕き、その胸は見えない血を流すことになったのだから。
「ぼーっとしないでガウス君! また出たから!」
「うひょー! また会ったなプラテカルプス!」
何だよ、おかわり自由じゃん!
クラレットもすっかり機嫌を直して、きゃっきゃと歓声を上げている。
ああ、そうだ。やっぱりお前には笑顔が似合うよ。
―――しかしこの後、その笑顔は失われてしまった。
プラテカルプスを倒してしまったからではない。いや、追加はきっちり殲滅したけど。
いつ終わるとも知れないモンスターの襲撃を凌ぎ続けていた時、明確に変化があった。
テストゥーピスキスにプラテカルプス、他にも魚類系のモンスターがひっきりなしに襲いかかってきたというのに、それが凪のようにやんでしまった。
この襲撃は耐久型のイベントで、俺達は耐え切ったということなのだろうか。
そう思いかけた時、海面から腕が伸びた。
青白く、奇妙なほどに長い腕だ。
一本だけではない。腕は何本も、次々と海面から伸び、手招きするかのようにゆらゆらと揺れていた。
まるで海を舞台とした怪談のような、不気味な光景だった。
俺は不気味だとしか思わないが――案の定、ホラー苦手なクラレットは泣きそうな顔で固まっている。
さて、これはどうしたものか。
対処に悩んだ時、PTチャットに緑葉さんの怪訝そうな声が響いた。
『船幽霊……?』




