第七話 男の価値
「り、理由を聞かせてもらってもいいかね?」
壮絶な顔をしてヨーゼフさんが問うた。
顔色が青ではなく赤に寄っているのは、酸欠の初期症状だろうか。もっといい空気を吸わなきゃ健康によくないぞと思いつつ、俺は苦笑気味に軽い調子で答えた。
「いやー、だって金額がさぁ、聞いたことないような額になってんじゃん?
応じようって気持ちはありがてぇけど、無理を強いるのは本意じゃねぇんですよ」
言いつつ、姐御が俺を止めないのは、狙いを理解しているからだろうな、と思う。
ここは押しの一手で行け。それが無言の指示だと判断し、俺は言葉を続けた。
「だから気持ちだけ受け取って、こっちの情報はそれと相殺で構わねぇっスよ。
その情報をどう活用しても、別に文句言ったりはしねぇんで」
「い、いや、しかしだね」
「それではこちらが、借りを作ることになってしまいますね」
慌てるヨーゼフさんとは違い、落ち着きを保ったままダフニさんは言う。
取引の枠外で既成事実を作るな、という警告に近い指摘だ。
「交渉に必要だったとはいえ、情報を受け取るだけというのはいけません。気持ちの話をするのでしたら、相応の対価を払うのが心意気というものでしょう。
――クランから千五百万の融資。私個人の資産から二百万を譲渡しましょう。どうです?」
話が飛ぶ。いや、戻る。
白紙撤回は金額面の不満が原因と見て、決裂するぐらいならば、と即座に個人資産を放出する。
このあたりの嗅覚と判断力は、流石としか言いようがない。好条件を素早く叩きつけて回答を迫り、思考時間に攻撃を仕掛けるようなやり口だ。
同時に強引な引き戻しは、ブラフはやめろ、という警告でもある。譲歩と同時に行う警告は、欲をかくのなら本当に決裂してもいいんだぞ、と示す脅しだ。
だから俺は笑って、
「催促したみたいですまねぇな。――じゃ、その心意気を情報料として相殺しようか」
あくまでも白紙撤回しようぜ、とブラフをさらに重ねる。
だが中身のないブラフではないことも、ここで伝えておこう。
「金のことなら心配しねぇでくれよ。
――秩序同盟に持ちかけりゃ、複数クランが出資してくれると思うしな」
やはりそれか、といった様子でダフニさんは渋い顔をした。
俺達、というか秘跡調査団は秩序同盟に加わってこそいないが、その加盟クランほぼ全てと繋がりを持つ。ウードン帝国事件を機に発足した同盟であり、その大枠を用意したのは俺達なのだから。
加盟クランは玉石混交だが、イエローブラッドと同じく、トップクランに分類されるクランもいくつかある。それらを頼れば、航海費用を集めること自体は難しくないだろう。
だからこそダフニさんは、素早く譲歩したのだ。
秩序同盟に仲間意識はあっても、真の仲間ではない。メリットがあるから手を組んでいるだけで、出し抜けるチャンスがあるなら出し抜いてしまいたいのが本音だろう。
特にイエローブラッドは、マスターであるナップが帝国事件では帝国側だったこともあり、同盟内部では軽んじられている面がある。
しかし新天地の情報を独占できたなら、そんな現状を一気に覆すことだって夢ではないのだ。
故に俺は、イエローブラッドと秩序同盟を天秤にかける。
天秤を傾かせろと、さらなる譲歩を要求するのだ。
「……クランから千六百、私から二百。
こちらで在庫を持っている消耗品も、必要量を提供しましょう」
引き出せた譲歩は、さらに百万と消耗品。調達の手間を考えれば、消耗品の提供はありがたい。
俺としてはこのあたりで合意してもいいのだが、肩車している姐御は両の踵をグッと押し付けてくる。まだ行ける、ということらしい。強欲過ぎるぜ、このコロポックル。
だがまあ、確かに。融資――貸し付けという形であるとはいえ、千六百万というのは大きい。それだけの額を出したがるのは、余裕のなさを露呈した形だ。
おそらくイエローブラッド側は、その資金で自ら動くという選択肢を取れない。
金の回収が遅れるのはいいし、回収できない可能性も考慮しているだろう。それでも交渉を続けようとするのは、無視できないほどに見返りが大きく、しかし動かせる人員が足りないから。
となれば――推測を確信に変えるべく、俺はまず譲歩を示すことにした。
「ありがてぇが、世話になりっ放しってのも外聞が悪いな。消耗品はこっちでどうにかするよ。
そっちだって余裕があるわけじゃないんだろう?」
消耗品に関しては、高級品を揃えようと思わなければいいだけのことだ。
第一、MP回復役などの貴重品は、すぐに調達できるとは限らない。なので皆、普段からこっそり集めて、自分一人の必要量ぐらいは確保しているだろう。
だからそこは譲歩して構わない。
ダフニさんはほっとしたように息を吐いて、
「そうですね……ええ、アイテムはいくらあっても足りませんから。
備えあれば憂いなしと、昔から言いますしね」
決まりだ。イエローブラッドは、敵対クランとの戦争を控えている。
秩序同盟が動いていないのは、その枠組とは関係のない争いだからだろう。
近い内に戦争が起きると仮定して、それでもこの商談を成立させたがるのは、レベルキャップの開放や新アイテムの発見――戦力の増強に繋がる要素を得て、優位に立つためか。
あるいは新天地の発見に貢献したと喧伝することで、人を勧誘するつもりなのかもしれない。
成果をどう利用するかまでは読めないが、腹の内は読めた。
それならばと、この状況で相手が欲しがるものを提示する。
「いくらあっても足りないのは、金も同じだよな。
だからこそ、良くしてもらったってことは、伝えておくぜ」
俺達が持つコネを使っていいぞ、と条件を上乗せする。
秘跡調査団はトップクランではないし、規模も小さなものだ。しかし元ウードン帝国の主要人物が揃っており、商人プレイヤー達には独自の伝手がある。新天地関連で利益を上げるつもりなら、彼らとの繋がりは大きな利点となるだろう。
また、メンバー個人が持つコネも無視していいものではない。俺は教会との繋がりが深いし、精力的にクエストをこなしているクラレットは、意外なNPCと交流を持っていたりもする。
カルガモやのーみんは謎人脈を持っているので、あれも場合によっては役立つだろう。
何よりコネは、金を積めば手に入るというものでもない。金には代えられない価値があるものを提示することで、先の譲歩と合わせて好条件を引き出すのが狙いだ。
ダフニさんは思案するように、トン、とテーブルを指先で叩いて言う。
「クランから千八百。サービスとして、ガウスさん個人の借金は帳消しで」
そうきたか。サービスと言いつつ、交渉役への堂々とした賄賂だ。
普段なら飛びついたかもしれないが、今回に限っては餌として薄味に過ぎる。
「心意気は汲むが、借りたもんは返すのが筋だろう」
「「え?」」
異口同音に戸惑うダフニさんとニャドスさん。
いや、待て待て。返すから。ちゃんとあれはあれで、返すつもりだから。
「あのー。素朴な疑問なんですけど、個人的にいくら借りてるんですか?」
「……六十万ほど」
言っていいのかなぁ、と迷う素振りを見せつつも答えるダフニさん。いつも世話になってます。
姐御が俺の頬をつねり始めたが、気にせず話を続けることにした。
「まあ心意気を汲んで千九百。あと個人的に百万貸してもらえりゃ助かるな」
合計二千万。それがこちらの要求だ。
緑葉さん達の頑張り次第でもあるが、キャラベル船を借りるなら二千万前後が必要になる。
俺達にも多少の蓄えはあるが、そう大きな額ではない。新天地を発見したはいいが無一文です、なんて状況になるのは避けたいし、使える金として残しておきたいところだ。
ダフニさんにも悪い条件ではない。これまでに見せた二百万の譲渡や、借金の帳消しとは違って、彼女の懐は痛まない。俺はちゃんと金を返す男だ。本当に。
要求を聞いたダフニさんは頷き、横目でニャドスさんを確認して、
「正直、厳しい額ですがそれならば。
融資分の利息は求めませんが、返済期限としては一ヶ月を目安にしましょうか」
一ヶ月か。一千万は保証金として、船が無事なら一千万を稼げばいいことになる。
夏休みでログイン時間は増えてるし、クランの全員で頑張れば間に合うだろう。いざとなればロンさんを締め上げて、貯金を吐き出させればいい。あの人は邪悪な相場操作で稼いでるし。
じゃあそれで、と合意しかけた時、ヨーゼフさんに動きがあった。
彼は不意に席を立つと、訝しむ視線を受けながらこちら側へ移動し、
「クランから千九百万。今すぐには用意できぬため、譲っていただきたい!」
言葉と同時、彼は額を打つほどの勢いで土下座した。
それは感嘆の息すら洩れるほどに、鮮やかで手慣れた土下座だった。
……や、やられた!!
こちらが要求を明かし、合意に至りかけたところで、心意気を積まれた……!
本来なら土下座に価値はない。だが交渉のためとはいえ、心意気に価値を認める流れは俺が作ってしまった。故にこの土下座にも、価値を認めなければならない!
しかも頭を下げたのがヨーゼフさんだというのが効果的だ。実年齢までは知らないが、アバターとそう乖離してはいないだろうと推測すれば、間違いなく最年長。大人の男だ。
その土下座は決して安くない。
突っぱねることは可能だが、そうした場合、男が下がってしまう。
見事だ。土下座一つで、ヨーゼフさんはこの商談の勝者となった。
「……仕方ないっすね。クランからの融資は千七百。これでどうですか?」
土下座の価値を認め、譲歩できるラインとしてはこれが限界だ。
今度は先にこちらの限界を提示することで、これ以上の譲歩を求めるのなら、付帯条件を出せと言外に要求する。
だがヨーゼフさんは頭を上げることなく、鋼の意志を感じさせる声で告げる。
「もう一声」
……! こ、この野郎、土下座の価値には足りないと言うのか……!?
いや、そうではない。今度はこちらの度量を試しにきたのだ。
ここでさらに譲歩を示せば男が上がる。そういうことだ。
……呑むしかない、か。
俺は諦めの嘆息を洩らし、ダフニさんに顔を向けた。
「クランから千六百。俺とダフニさんの間で、個人的に二百万を借り受けたい」
「いいんですか?」
「ああ。――これ以上はうどんを茹でるぞ」
元ウードン帝国の人脈とロンさんをフル稼働して、相場を荒らしてやるという宣言だ。
一瞬、ダフニさんの顔が引きつったような気がするが、あくまで脅し。実際にやるのは面倒臭い。
ここが落とし所だと判断したのか、ダフニさんは頷いて手を差し出した。
「では、それで合意としましょうか。冒険の成功をお祈りします」
「もうちょっと手加減して欲しかったのが本音だけどな」
差し出された手を握り返し、友好的に商談を終える。
――いや、終えたかったのに、肩の上の魔王様があっさりと言った。
「ではガウス君。合わせて千八百万、ガウス君が責任を持って管理してくださいねー」
「おう、使い込んだりはしねぇよ」
答えてから、あれ、と違和感に首を捻る。
ダフニさんとニャドスさんも、同じように違和感を覚えたのか、怪訝な顔だ。
と、そこでヨーゼフさんは弾かれたように顔を上げ、姐御を見た。
その顔は蒼白で、瞳は恐怖に揺れ動いている。
彼は信じ難いものを、それでも確かめるように口を開いた。
「ま、まさか――クランからの千六百万も、ガウス君個人への融資だ、と?」
「だってクラン同士の取引だなんて、一度も言ってないじゃないですかー」
やですねーもう、とクネクネしておどける姐御。
……いや、確かに一度も言わなかったけどさぁ。
それは大前提というか、言うまでもない当たり前のことだったんじゃないかなぁ。
「待て待て待て! タルタルさん、それは話が違うだろう!?」
慌てて待ったをかけるニャドスさんに、姐御は首を傾げて言う。
「一度は合意した取引を、そちらの都合で白紙に戻したいんですかー?」
うっわ、たち悪ぃ――――!!
融資の名義人が俺になるってだけで、実際にはクラン全体で返済するだろう。たぶん。そう信じたい。
だが事実として俺は巨大な債権と化し、破滅や高飛びをしないよう、債権者であるイエローブラッドは強く出ることを控えなければならない。
それを避けて、クラン同士の取引にしたいのなら、事前確認しなかったイエローブラッドの落ち度である以上、それなりの誠意を見せる必要があるだろう。
ニャドスさんは深刻な顔でダフニさんと相談し、ヨーゼフさんは床で放心している。マジごめん。
やがて結論が出たのか、ニャドスさんは苦々しい顔で言った。
「……ガウス。逃げたら殺すからね」
「安心してください。俺は借りた金は返す男ですよ」
「返済が滞ってる奴が言うなよ……!」
もっと人を信じる心を持って欲しい。
――かくして商談はまとまり、俺は千八百万ゴールドを手に入れた。
借金だという点にさえ目を瞑れば、ゲオルでも有数の大金持ちだぜ!
「ところで姐御。微妙に足りない気がするけど、どうすんの?」
それじゃあコーウェンで皆と合流しようと、イエローブラッドの拠点を出た後のこと。
金額に少し不安があったので問いかけたら、姐御はいとも容易く仰られた。
「そこにフレンドリストがあるじゃないですか」
「なるほどな~」
足りなかったら数で勝負しろってことだね!
俺は順調に破滅への道を歩んでいる気がした。




