第六話 信じる道
装備品というものは、手っ取り早いステータスの強化手段である。
故にRPGにおいて、装備品を制限するというのは通常であれば厳しい縛りプレイとなる。開発側はプレイヤーの進行度に応じて、適切な装備品を揃えている前提で難易度を設定するのだから、装備の不足は難易度を引き上げる。
だがしかし、全てのプレイヤーが常に万全な装備を揃えられるというわけでもない。
愛着のある装備品にこだわる者もいれば、パラメーターでは見劣りしても特殊効果のある装備を選ぶ者もいるし、もっと単純に装備を一度に揃える金がない者だっているだろう。
――とどのつまり、俺達は余計な出費をし過ぎたという話である。
カルガモの保釈費用に、姐御の買った現時点では必要性の薄い地図。これが俺達の財政を困窮させている。姐御の転職費用は必要経費だし、教会腐ってやがんなということで諦めよう。ルターさん復活しろ。
さて。俺達は平和的な話し合いの結果、ひとまずそれぞれの手持ちを共有財産として、PT全体で必要な装備を揃えようということで合意に至った。それは大変に喜ばしいことだし、欲深き人間が目的のために私欲を捨てたのだと思えば、感動的ですらあるだろう。
しかしあろうことか、連中は合意に至ったことを喜びながら、その裏では自己の利益を最大化しようと目論んでいたのだ! ああ、人間のなんと醜く、欲深きことか! もっともらしいことを並べ立てては、PTに必要なのだから自分の装備を優先しろときた! 金さえあればこんな争いは起きなかっただろうことが悔やまれる!
「それはそうと俺、壁役じゃん? 武器と盾と鎧は必須じゃん?」
それでも俺は謙虚にも、武器と盾と鎧だけでいいと要求する。不思議なことにその三点セットを揃えると、安いものでも共有財産の大半が吹っ飛ぶ計算になるが、俺数学苦手だから難しいことはよく分かんない。
だが俺の意見を、金の亡者であるカルガモが潰しにかかる。
「武器は必須。それはいいじゃろう。じゃが盾と鎧が必要か?
姐御にヒールしてもらえるんじゃし、盾だけでいいんでないかのぅ?」
鎧より盾の方が安いもんな。まったくこいつは、すぐにそうやって他者に我慢を強要する。許せないぜ。
ここはもっと、俺や姐御を見習うべきだろう。姐御は当然、カルガモの意見を否定した。
「それはダメですよー。壁役ならむしろ、武器こそ邪魔ですよね?」
おおすげぇ、不要どころか邪魔とまで言い切りやがった。盾だけ持てと仰るのか。
「それよりもヒーラーの防具を優先するべきだと思うんですよっ。
あ、ヒールの底上げになるので、杖も必要ですね?」
「ははは欲張りさんじゃのぅ。しかし壁役がおるんじゃから、防具はいらんぞ。
ヒールも現状、底上げの必要性を感じられんし、杖も不要じゃな」
「あらあらー? カモさん、私に全裸になれって言ってます?」
「レザージャケットを脱げとまでは言わんよ。ありがたく思え」
「むしろカモさんこそ、レザージャケット売ったらいいんじゃないですかー?」
「それ名案。お前、どうせ軽装甲なんだから売って金にしようぜ」
「紙一重という古い言葉があってじゃな」
「何枚重ねても紙は紙ですよっ。だから、ね?」
「先人の教えを何だと思っておるんじゃ!」
ちなみに現在地はラシアの武具屋である。店主がすげぇ迷惑そうに俺達を見ている。
あんまり居座って、衛兵案件になってもそれはそれで困る。俺のカルマ値はまだ余裕があると思うが、カルガモはジョブのせいでマイナス補正入ってそうなんだよなぁ。あんなのでも仲間だし、街での活動を制限されたら面倒臭い。
よし、仕方ない。ここは俺が妥協案を出してやろう。
「まあまあ、落ち着けよお前ら。金に困るなんて今だけの話さ。
狩りをすれば安い装備ならすぐに揃えられるだろうし、本当に少しだけ我慢すりゃあいいんだ。
けど装備ってのは重要だよな。いや、性能だけじゃないぜ? 見た目もだよ。
強そうな見た目だったら、あいつにケンカ売るのはやめとこう、って思うだろ?
そう、それが重要なんだよ。このゲームにはPKの危険性があるんだ。
リスクを避けるためにも、ハッタリ用に誰か一人は装備を充実させた方がいい。
誰が相応しいかって? そりゃあもちろん、PTリーダーの俺だぶべぁっ!?」
は、話の途中だってのに、二人して殴るなよ!?
よろめく俺に、しかし二人は冷たい目を向けて言う。
「リーダーは最年長の俺が相応しいじゃろ?」
「二人とも問題児なんですから、リーダーは私ですよ?」
「「………………」」
そして睨み合う二人。どう見てもリーダーの適正があるようには見えない。
ククク、だが話題の誘導には成功したぜ……!
俺は内心でほくそ笑みながら、表面上は残念そうに言う。
「俺は別にどうしてもリーダーをやりたい、ってわけじゃねぇけどさ。
そもそもお前ら、リーダーの資質って何だと思う?」
「権力じゃろ?」
「力」
どっちもどっちだが、強いて言えば姐御の意見がやばい。
俺は鼻で笑いながら肩をすくめて、
「分かってねぇな。リーダーに最も必要なのは、寛容さだぜ」
「むっ……」
「……へぇ。そういうコト言いますか、ガウス君」
ああ、分かっただろう? 俺は新たな選択肢を用意してやったのだ。
リーダーになるなら寛容さを示せ。具体的には自分の装備を諦めろ、と。
しかも誰がリーダーになったところで、俺達は別に従わない。とはいえリーダーとして認めるのは確かだし、リーダーになった者には優越感が発生する。でかい顔できるってのは、充分な魅力なのだ。
問題があるとすれば、この作戦を打ち出した俺はリーダーになれないし、そんな理由でもない限りはカルガモと姐御の対決になるということ。自分から降りるのは、負けを認めるのと同じだからだ。
「……俺は姐御ならば、リーダーが務まると思っておるよ」
しかしここで、カルガモが相手を褒める!
「常識的な立ち居振る舞いができるし、何だかんだ言って責任感も強いからのぅ。
戦闘面でも、後ろにいるヒーラーが指揮官を兼ねるのは合理的じゃ」
随分と持ち上げる。だが、これは布石だ。
カルガモは少し間を置き、鋭い眼光を向けて口を開いた。
「――じゃが、リーダーになるという覚悟はあるかの?」
問うた瞬間、姐御の右フックがカルガモの側頭部に突き刺さった。
「へぐっ!?」
「カモさん、カモさん。私、さっき言いましたよね」
地に伏したカルガモへ、姐御は――たおやかな笑みを浮かべ、言った。
「力こそ正義」
「「言ってないよ!?」」
思わずハモる俺とカルガモ。だが姐御は気にした素振りもなく言葉を紡ぐ。
「私が言ったと言えば、言ったんですよ。ねー?」
酷いゴリ押しを見た。だがこれは、言葉に頼ったカルガモへの見事なアンサーだ。
意見を主張し、貫くこと。それもまたリーダーに求められるものだ。それをこれ以上なく強力に示してみせた姐御は、誰の目から見てもリーダーに相応しい。ここに恐怖の支配が幕を開けたのだ。
……っていうかまあ、間違ってもカルガモにリーダーを任せられないと思ったんだろうな。実に正しい判断なので、強引なところもあったが俺としては姐御を支持しよう。
そうして姐御は俺達を見て、
「では装備を決めましょー。ガウス君が武器と盾、カモさんが武器。
少し余りますけど、それで回復アイテムを買いましょうね」
「「はーい」」
なんて冷静で的確な判断なんだ。
やはり、姐御をリーダーに選んだ俺の目に狂いはなかった……!
「少し稼いだら、ちゃんとした服も買いましょうねっ」
やっぱり狂ってたかもしれない。
○
そんなわけで、俺はハンドアックスとバックラーを購入した。
どちらもそのカテゴリーの中では一番安いものだが、バックラーがあれば立ち回りが便利になるし、ハンドアックスもナイフと比較すれば段違いの攻撃力を誇っている。武器はクラブ――いわゆる棍棒でもよかったのだが、鈍器は魔法職寄りの武器になっているようで、補正が俺とは相性が悪かった。
あえて斧を選んだ理由としては、他のゲームで斧や鈍器を使い慣れているというのもあるが、素人が剣や槍を持っても使いこなせないからだ。何もかもをリアルと同じように考えるわけにはいかないが、剣を扱うには技術がいる。槍も大人数で突き出すだけならともかく、ちゃんと扱おうと思ったら剣以上に技術が必要なのだ。
その点、斧なら叩きつけるだけでいい。威力も高いし、フォルムも美しい。無骨で重々しい外見だが、そこには真理が宿る。必要な機能だけを突き詰めればこうなるという、圧倒的な機能美があるのだ。よく斧はダサいとか不遇だとか言われるが、俺に言わせれば何も分かっちゃいない連中の戯言だね。腕力で振り回し、叩きつける。その姿のどこがダサいのか。その雄々しさを美しいと讃えるべきではないのか。不遇だという言も、VRゲームに限って言えば的外れだ。扱うのに技術を必要とせず、工具としても使うことができる。これほど恵まれた武器は他にないのだ!
……いかんいかん、つい熱くなってしまったぜ。
さて、カルガモもダガーを購入してご機嫌である。別に装備制限はないから剣でもいい筈だが、スキルとの兼ね合いでナイフ系が望ましいとのこと。リアルでの剣術経験をドブに捨てている。
その後、俺達は道具屋に寄って回復アイテムを購入した。一番安いライトポーションでも二個しか買えなかったので、俺とカルガモが一個ずつ持つことにした。
で、今はまた狩りに行こうかと街を歩いているのだが、俺はふと思い出した。
「そういや戦士ギルドで、クエスト受けられるかも」
「どういうことじゃ?」
「転職した時に、仕事を紹介して欲しかったら来いって言われたんだよ」
「ふむ……戦士ギルドなら討伐系のクエストかのぅ」
「それっぽいですねー。カモさん、盗賊ギルドはそういうのありました?」
「あるにはあったが、あれはソロ向けじゃの」
カルガモの語るところによれば、NPCの動向調査やアイテム配達などのクエストがあったらしい。確かにそういったものならソロでやった方が効率もいいし、内容的にもPTで受けるクエストではなさそうだ。
何より盗賊ギルドのクエストだもんなぁ。カルマ値に悪影響がありそうで困る。
「教会も奉仕しなさいとか言ってましたねー。
仕事を手伝うクエストなんでしょうけど、性質的に神官や生産職向けっぽいですね」
「奉仕と聞くと見返りが薄そうじゃが……何かしらありそうじゃな」
「カルマ関連じゃね? 調整に使えると見た」
「神官は上級職への転職にも関わってきそうですから、いつかこなしておきたいですねー」
とはいえ、金策に使えそうなものではない。
神の愛をいくら説かれても、今の俺達に必要なのは現世利益なのだ。
「それでは戦士ギルドに行って、クエストを確認してみましょうかー」
そういうことになった。
俺達はてくてくと戦士ギルドまで移動し、建物の中へと入る。相変わらず飲んだくれの多い場所だが、逆に考えれば飲んだくれていられるほど稼げるってわけだ。わぁい、夢が広がるぅ!
で、クエストを受けるならここだろうと、カウンターにいる眼鏡の青年に声をかけた。
「よう兄弟、何か仕事はあるかい?」
すると顔を上げた青年は俺を一瞥し、次にじろりとカルガモを見た。
「薄汚い盗賊か……兄弟、友人は選んだ方がいいぜ」
「だよなァッ!!」
頷きながら斧をカルガモの脳天に振り下ろす。しかしカルガモはダガーを抜く勢いで斧を打ち払い、金属のぶつかり合う耳障りな音が響いた。ちっ、完璧な不意打ちだった筈だが、ありゃあ抜刀術の応用か?
縁切りに失敗して歯噛みする俺とは対照的に、カルガモは不敵な笑みを浮かべると青年に向けて口を開く。
「流石は戦士ギルドじゃな。犬の躾がなっておらん」
「……うちの若いのが無礼をしたな」
なんか俺が悪いみたいな流れになってる。解せぬ。
雰囲気が険悪になったところで、仲裁をするように姐御が前に出た。
「まあまあ、二人の躾は私もやっておきますのでー」
「ほう、神官様か。あんたが飼い主なら大丈夫そうだな」
ペット扱いされた俺とカルガモは、二人で悲しそうに「くぅ~ん」と鳴いた。
いやまあ、今更だけどね? 俺らの手綱を握るという意味で、姐御が飼い主と呼ばれるのはよくあることだ。
とりあえず受付の青年は安堵したようで、
「さて、兄弟。テメェらの受けられる仕事は、今のところこれだけだ」
と、俺の前に表示フレームが投影される。こういうゲーム的な表現は、NPCでも当たり前のように使うのか。
他の二人にも見えるように表示フレームを拡大して、内容を確認していく。やはりと言うか、モンスター退治がほとんどだ。商人ギルドからの依頼で馬車を護衛しろ、というようなものもあるが、俺らにはまだ時期尚早だろう。
「やっぱりこれですかねー?」
姐御が指したのはウルフ退治のクエストだ。
指定地域で規定数のウルフを倒せば、報酬が支払われるというもの。数にもよるが、ウルフならば問題なく倒せるだろう。少なくとも未知数の敵を相手にするよりは、ずっと無難だ。
特に異論も出ず、俺は表示フレームを操作してクエストを受諾。続いてクエストを個人で行うか、PTで行うかの確認が表示されたので、こちらもPTに設定しておいた。
一連の操作を終えると、受付が笑みを見せて言う。
「決まったな? それなら西の街道沿いだ、頑張って稼いできな」
「あいよ。また来るぜ兄弟」
そうして俺達は出発――しようと思ったのが、ここでふと、俺は思いついたことを実行に移した。
受付に対してフレンド申請を送る。通常、そんなものは通らないと思うのだが、こいつは表示フレームなどのシステム機能を使いこなしていた。だからひょっとして、と思ったのだ。
結果は申請拒否。僕らはお友達になれなかった。
「くぅ~ん」
「何を鳴いておるんじゃお前は」
この悲しみが分からないなんて、お前は心がないんだな。
慰めてもらおうと姐御にすり寄ったら、頭を撫でてもらえた。わぁい。
「元気出して、クエスト頑張ってくださいねー」
「おう!」
はて。しかし姐御は、俺がどうして落ち込んだのか気にしないのだろうか。
気付いてはいけないことに気付きそうな気がしたので、浮かび上がった疑問を隔離。脳内の封印庫に放り込んで凍結し、永久封印。なんかよく分からないけど、姐御が頭を撫でてくれたぞ! 頑張ろう!
こうして俺は、意気揚々と戦士ギルドを後にするのであった。
○
再びラシア西街道。
クエストを受けた俺達は、ウルフ退治を順調に進めていた。実際のところ、ウルフは適正レベルの相手ではないのだが、三人PTでヒーラーもいるおかげで戦えている。ゲーム、特にMMORPGではこういった行為を背伸び狩りと呼ぶ。本来は格上の相手を戦術や工夫で倒し、効率よく経験値を稼ぐ狩りだ。
結果として俺達のレベルも上がり、俺はキャラレベル十二、ジョブレベル七にまで達していた。これによりステータスが増し、スキルの取得や成長を行ったことで、ウルフはもう苦戦する相手でもなくなっていた。
「うむうむ。やはり序盤は成長の早さを実感できるのぅ」
などと語るカルガモ。スキルは未だにスティール一点突破である。正気を疑う。
もうちょっと火力に繋がるようなスキルを……と思わないでもないが、これでも我がPTのメインアタッカー様である。一撃の威力で言えばスキルを使った俺の方が上なのだが、やはりプレイヤースキルの差は大きい。戦いが長引けば長引くほど、総ダメージではカルガモが上回るのだ。
「でも、そろそろ効率落ちてきましたねー。もっと先に進んでみます?」
この人はどこまで突き進む気なんだろう。
そんな姐御は無難にヒールを伸ばし、新しいスキルとして一定時間、被ダメージを減少させるプロテクションを取得していた。ウルフ相手ではプロテクションはまだ必要なかったが、さらなる強敵と戦う時には必要となるだろう。
ただMP消費が厳しいらしく、MPの増える知力にステ振りを集中させるべきか悩んでいるようだ。
「先に進むのもいいけど、その前にクエスト終わらせちまおうぜ。
報酬とドロップ売った金を合わせれば、装備も充実するだろうしさ」
「それもそうですね。ではカモさん、またお願いしますー」
「うぃうぃ。行ってくるわ」
命じられて索敵に向かうカルガモ。釣りと呼ばれる戦術の一つだ。
形式は色々とあるが、釣り役がモンスターを本陣まで連れてくるというのは共通している。釣りを行う理由としては、不意の遭遇戦と違い万全の態勢で待ち構えられる点が大きい。そうすることで狩りの手順を定型化し、安定させることができる。特定のモンスターだけ倒したい、逆に特定のモンスターを避けたい、という場合にも釣りは有効だ。
釣り役の適正はゲームによって違うが、耐久力のある者や、移動力に優れる者が選ばれやすい。今回の場合、耐久力だけを見れば俺が相応しいのだが、俺には挑発があった。
カルガモがモンスターを釣って戻った時、ダメージを負っていれば挑発によって引き剥がすことができるが、役割が逆では成立しない。俺が耐久力に優れると言っても、今はまだHPが少し多いだけ。大きな違いではないので、釣り役はカルガモに一任されていた。
しかしステ振りの方針、どうすっかなぁ。このままPTの壁役という路線に進むのであれば、体力を重点的に伸ばすべきなのだろうが、俺としてはアタッカーの方が性に合う。っていうかぶっちゃけ、タンクって下手なんだよな。
他のゲームでの話だが、俺は目の前の敵に集中し過ぎるところがある。もっと視野を広く持つべきだというのは分かっているが、分かっていてもできるとは限らない。さらに言うと、ヘイト管理も苦手だったりする。
そんなわけでタンクとアタッカー、どちらを目指すべきか姐御に相談してみた。
「うーん。正直に言えば、タンクがいてくれた方が助かりますねー」
ですよねー。VRMMOだとタンクって不足するんだよな。
基本的には痛覚カットがあるものの、痛みをゼロにすることはできない。誰だって痛いのは苦手だし、攻撃を受け止めるのだって怖い。ゲームと分かっていても、そこを克服できる奴は少ないのだ。
同じような理由で、前衛アタッカーもどちらかと言えば少ない方だろう。まあ細かいこと考えずに暴れられるので、こちらはタンクほど不足することはないのだが。
しかし俺がタンクなぁ……ううむ。
悩んでいると、でも、と姐御が言葉を紡いだ。
「これは自由と信仰のVRMMOですから。
ガウス君の信じる道を歩めばいいかなって、そう思いますよー」
「……俺の信じる道、か」
言われて、何となく想像してみる。
タンクとして戦う俺と、アタッカーとして戦う俺の姿を。
どちらにも違和感があるわけではない。下手とはいえ、タンクもそれなりにこなせると思う。アタッカーは生き生きとしているかもしれないが、特別上手いと言うほどでもない。
だからどっちを選ぶにしても、俺の歩む道には敗北がついて回るのだろう。
そうなった時――後悔しないのはどちらだろう。
これで負けるなら仕方ないと、自分を信じられるのはどちらだろう。
「――ほら、見えてきたでしょう?」
「おう。サンキュー、姐御。俺はやっぱ、アタッカーにするわ」
タンクを選んで敗北したら、俺がちゃんと仲間を守れていたら、と後悔する。
それはダメだ。誰かを背負えるほど、俺は強くも傲慢でもない。
死んでも後は任せたと、無責任に言ってしまえる方が俺らしい。
「ちなみに姐御は信じる道ってあんの?」
「世界中の人を幸せにすることですねっ」
「…………ああ、うん」
「ちょっと、なんですかその顔! もっと私を信じましょうよ!」
いやいや、無理だって。心にもないこと言ってるのがバレバレだもん。
姐御はいかにも心外だといった様子で小突いてくるが、あんたそういうキャラじゃないし。俺、知ってるんだぜ? あんたが昨年のクリスマス、デートがあるとか言っておきながら、Thousand Swordにログインしてたこと。
あれもわりと古いゲームだけど、よくフリープレイで配布されてるし、ゲーム性がシンプルで人口多いんだよな。
そんな感じで姐御とじゃれ合っていた時。
――時間が止まった。
ゲオルの不具合でも、電脳の不具合でもない。
ゲーム内の本来の時間から切り離され、一時的に猛烈な加速を見せる体感時間。
俺は――俺達は、木立ちの向こうから現れる怪物を目撃した。
それは毛先に緑を帯びた銀狼。年老いながらも衰えず、重ねた齢がそのまま力となったモノ。虎や獅子を一回り、いや二回りは大きくしたような巨躯は、それでいて鈍重さを感じさせない。
ああ、これは至高の芸術品だ、と。
自然が育んだ生命の極致であると、恐れよりも感動が上回った。
そして俺達の脳内へ、女の声でナレーションが入る。
『其は千の歳月を超えて、神の域へと踏み込んだ獣。
全ての同胞を愛し、人界の繁栄より森を守る王』
視界が強制的に銀狼へ固定され、その名が示される。
【深き森の王 ザルワーン】
ザルワーンが遠吠えを奏でる。
長く尾を引く声は、どこか哀切に満ちているようでもあった。
――その遠吠えが途切れた時、時間の流れが戻る。一連の現象はゲームとしての演出なのだろうが……演出といい存在感といい、これはもう間違いない。
「ボスモンスター……!」
MMORPGには必ず存在すると言っていい、規格外の強さを誇るモンスター。無論、ボスの中でも格差はあるし、場合によってはHPが多いだけであまり強くないボスも存在するが、ザルワーンはそんな可愛いものではないだろう。
その威容こそが何よりも明白に物語る。こいつはエンドコンテンツだ、と。
「逃げますよ!」
勝ち目がないことを悟り、姐御は逃げることを選ぶ。それは正しい判断だった。
問題があるとすれば、奴に俺達を逃がす気なんて毛頭ないことだろう。
だって、全ての同胞を愛しているんだろう?
逃がすわけがない。その同胞を乱獲していた人間なんて!
「行ってくれ!」
だから俺は、姐御の後を追わずにそう告げた。
単純な損得勘定の結果。二人揃って殺されるよりも、俺が足止めして少しでも姐御が逃げ切れる可能性を増やした方がいい。それがこの怪物に対する正解だ。
意を汲んでくれたのか、姐御は躊躇も見せずに走り出す。……単に見捨てただけだったら後で泣く。
だが今は、泣いてる場合じゃない。
俺は斧と盾を構えて、犬っころの親玉へと絶望的な戦いを挑む――――。