第三話 怒ったり笑ったり
埋められた俺は皆の慈悲に縋って発掘され、打ち上げられた水死体のように砂浜へ転がっていた。
いや慈悲に縋ったと言ってもあいつら「これ幹弘さんの毒抜きだから。埋めると毒が抜けるって聞いたことある」「それフグ毒の話じゃろ」「迷信ですねー。でも埋めて発酵食品になれば毒も消えません?」という酷い会話を繰り広げていたので、最終的に奈苗にアイス奢るからと餌で釣ったわけだが。
その奈苗は俺を掘り出した後、百合を肩車して海に入っている。同じようにのーみんも朝陽を肩車しており、二組で騎馬戦のようなことやっている。ぽろりがあっても嬉しくない対決である。
りっちゃんはあまり泳ぐ気はないようで、波打ち際で奈苗達を冷やかしつつ、砂の城を建城中。カルガモはそれに対抗意識を燃やしたのか、その近くで砂山を作り、トンネルを掘っていた。
――つまり俺の側には、レジャーシートに座る茜しかいなかった。
「な、なあ、茜。お前は海、入んないのか?」
「荷物見てるから。いいよ。幹弘さん、行きたいなら行っておいで」
「ど、どうすっかなぁー」
ホントどうしよう。声にトゲがあるっつーか、ここまで怒るのも珍しいっつーか。
これが奈苗や朝陽だったら、適当に甘いもんでも渡せばイチコロなんだけどなぁ。百合なら土下座すればいいし、りっちゃんなら足でも舐めればいい。のーみんなら後が怖いけど放置だ。
しかし茜だけはどう対処したものか。普段、あまり怒ることがないし、多少のことは許してくれるので甘えがちだが、たぶん今回の面子でヘソを曲げたら一番厄介なのも茜なのだ。
つーか何で怒ってるのか分からなくて困る。
サイズを見誤っていたことはちゃんと謝ったのになぁ……ガン見されるのが嫌だとしても、それで怒るってのはおかしい。だって見られたくないなら、距離を置くのが普通の対応だろう。
いや、待てよ――逆に考えるんだ。距離を置かないということは、見られるのは構わないということ。ひょっとしたら、むしろ見て欲しいと思っているのかもしれない。
だとすれば、そうか。俺は茜に謝っただけじゃないか。
見て欲しいと望んでいるのなら、彼女が求めていたのは謝罪の言葉ではない。
普段は隠していたものをあえて見せる以上、褒めて欲しかったに違いないのだ……!
「――なあ、せっかくだし俺達も海に入ろうぜ」
声をかけながら立ち上がり、背筋を伸ばす。
これからの言葉は謝罪ではないと、姿勢で示して続ける。
「水着も似合ってるしさ。うん、やっぱセンスいいよな茜は。
俺が言っても説得力ないかもしれないけど、魅力を引き立ててるぜ」
水着とセンスを褒めるジャブから、本人の魅力を認める本命のストレート……!
どうだ!? これで上手くいかなかったら、百合に土下座してアドバイス貰う覚悟はあるぞ!
ちらりと顔を見れば、茜は頬をほんのり上気させつつ、満更でもなさそうに口元をほころばせた。
「……そう? そこまで言うんだったら……」
よし!! 俺の考えは間違ってなかった!
やっぱそうだよな! ちょっと迂遠な言い回しだったけど、魅力――オパーイを引き立てていると褒めて正解だった! 何せあのサイズだ。きっと密かな自信は元からあって、しかし恥じらいなどからアピールしていなかったものを、勇気を出して公開に踏み切ったのだ。
その勇気を汲み取って褒めるのが、正解だった。
彼女が怒っていると誤解したままでは、辿り着けない答えだった。
でも、もう大丈夫。俺は答えを見つけたよ。
穏やかな笑みを浮かべて、俺は茜に手を差し出した。
「行こう、茜。海の中なら、きっとさらに映える」
「う……」
おずおずと手を握りながら、しかし俯いて彼女は言う。
「今日の幹弘さん、ちょっと変」
「まあ、ちょっと舞い上がってるのは否定しねぇけど」
茜の反応はたぶん照れ隠しか。望んだとこととはいえ、照れるのは無理もない。
だから安心させるように、少し強く手を引いて、
「もっと胸を張れよ。お前の魅力は、ちゃんと分かってるつもりだ」
「……あの。確認するけど、その胸を張れって、……おっぱい関係?」
「ああ」
茜を手を振り払い、俺の背中に強烈な平手打ちを叩き込んだ。
「ぁ、ぐ――!?」
「そういうこと。おかしいと思ってたけど、そういうことなんだ」
「待て、何が逆鱗に触れたのか分かんねぇけど、褒めてるからな!?」
「褒めればいいってものじゃないの!」
おかしい。どうして怒ってるんだ。俺の出した答えは、またも間違っていたのか。
俺は怒る茜に「まあまあ」と両手を突き出し、時間稼ぎをした上で頭を捻る。
途中までは上手くいってた気がするので、発想はそう間違っていなかった筈だ。
つまり見られること、褒められることを望んでいるが、それはオパーイのことではない。
「どうしたの、不思議そうな顔して」
ムッとした様子で問う茜に、ああ、と頷く。
彼女は何を見て欲しかったのだろうと考えて、
「まあ、信用ならないかもしれないけど」
考えても分からなかったので、開き直ることにした。
「そういうの抜きに、茜は可愛いと思う。
嘘は言ってないから、そこは信じてくれ」
「…………そう」
微妙な間を置かれたのが怖い。
恐る恐る顔色を窺うものの、彼女は海に向かって歩き出し、顔を見せようとしなかった。
「もういい。行くよ、幹弘さん」
「あ、はい」
結局、機嫌を直してくれたのかどうなのか。
分からないが、もう怒ってはいなさそうなので、後に続くことにした。
……あれぇ? なんで俺、こんなにビクビクしてんだ?
○
「あたし、水泳教室通ってたから、泳ぎはちょっと自信あるよ」
海の中で、そう得意気に笑ったのは朝陽だった。
俺と茜が合流したことで四人は騎馬戦をやめて、水中鬼ごっこでもしようかなんて話していたら、鬼側でも逃げる側でも任せろと強気に出たのだ。
その発言を受けて、百合が不敵な笑みを浮かべて言う。
「奇遇ですねー。私もなんですよ」
スポーツ面はわりとへっぽこな印象なんだけど。
しかしのーみんは納得したように頷いて、
「水の抵抗は少なそうだもんにゃー」
「流線型とか言ったらしばきますよ」
そう言って咳払いを一つ。百合は誤魔化すように笑った。
「まあ小さい頃の話ですけどねー。泳ぐのは苦手ではないです」
「ははは、今も小さいじゃん」
「幹弘君、おすわり」
「ここでおすわりしたら溺死するよ!?」
「思ったコトそのまま言うよね、守屋先輩」
呆れ顔の朝陽だったが、反論できる余地がないので黙っておく。
いや、俺なりに空気は読むし、たまには沈黙を選んだりもするけど、基本的には考えるより先に口が動くというか。隙を見せた相手にはとりあえず攻撃しなきゃ、みたいな。
そんなことを言い訳のように考えている内に、水中鬼ごっこの開催が決定された。
まずは鬼を決めるためのジャンケンだ。俺は高らかにグーを出すと宣言した。
「ほう、心理戦ですかー。では、私はパーを出しましょう」
「じゃ、あたいはピストル」
チート宣言したのーみんに、皆で水をぶっかけた。
イカサマも駆け引きの範囲でいいとは思うが、チートを許容してはならぬ。
ぶーぶーと文句を言うのーみんを無視して、俺達はジャンケンを始めた。
「――――げ」
俺のグー宣言はハッタリ、と思わせて本当にグーを出す、と読んだ百合はパーを出す、と予想してチョキを出したところ、他の連中は誰もがグーを出していた。
「読み負けたか……!」
「ふふん。私がパーを出すと言えば、深く考えずにチョキを出すと見ました」
読みが浅いな!? 俺そこまで考えなしだと思われてんの!?
あ、他の連中も驚いた顔してない。そういう感じだと認識されてるわこれ。
「そんじゃがっちゃん、鬼よろしくー。
十秒数えたらスタートね!」
のーみんが告げて、皆はバラバラに俺から離れていく。
逃げ方にも個性が出るもので、余裕ぶっこいて犬かきしてるのが奈苗。追いかけたら本気出して泳ぎそうなので、あれは放置しておこう。いきなり体力勝負は後が怖い。
こちらに目を向けて警戒したまま、海底をトントンと蹴って距離を置くのは茜とのーみんだ。茜は慎重さから、のーみんは追われるスリルを求めてのものだろう。
で、なんかぴくりとも動かず、仰向けに浮かんで波に流されるままの百合。正直アホかと思ったが、波間に隠れて見失いかけたので、あれはあれで立派な作戦なのだろう。
そして――盛大な水飛沫を上げてバタ足する朝陽。たぶん歩いた方が速い。
……自信満々にしていたのは何だったんだ。まさかあのバタ足はブラフで、追いかけたら華麗にバタフライでもするのか。あ、見てみたい。
十秒数えた俺はクロールして、普通に朝陽の肩へタッチした。
「えぇ……」
「くっ、泳ぐの上手いね先輩。あたしは波に翻弄されてたのに」
それ以前の問題だと思うよ。
ちょっと考えて、俺は皆に聞こえるように声を張り上げた。
「鬼がこいつだけだとアレだから、俺も続行して鬼二人なー!」
はーい、と返事をする皆。朝陽は愕然とした顔をした。
「なんで……?」
「身の程を知ればいいと思うよ」
ハ、と笑い捨てて、俺は次なる獲物に向かって泳ぎ始めた。
位置的に近いのはのーみんだが、リアルでの身体能力や運動神経は未知数。どうも追われたがっている感じがするし、情報がないままに追うのは怖いところだ。
故に俺は位置関係を頭に入れると、大きく息を吸って体を沈める。潜水だ。腕は体の側面へ貼り付け、足は小さく強く水を蹴る。いつでも腕を動かせるようにしながらも水の抵抗をなるべく減らし、魚雷のように突き進む。
何を隠そう、普通に泳ぐのは人並みだが、この潜水泳法は得意……! プールの授業で数々の男子の海パンを脱がせて、海坊主と渾名されたのは伊達じゃない!
海底スレスレを潜行した俺は、急浮上して獲物へサメのように襲いかかった。
「ひゃー!?」
「ブはぁー! ハッ、はぁ……げ、は……!!」
ぜいぜいと息をしながら、百合の腹をぺちんとタッチ。
ふっ、水面に浮くことで波間に隠れるのはいい作戦だったが、水中からの攻撃には弱かったな。やはり暴力……! どんな知恵も、暴力には勝てないのだ……!
「……あん?」
息を整えていたら、何故か百合が俺の肩にしがみついていた。
いや、そうか。
「百合……足、届かないんだな」
「……見逃してあげますから、そこで壁になってください」
ああ、蹴伸びしたいから壁になれってことね。
分かったと頷けば、百合は体勢を入れ替え、俺の胸元を使って蹴伸びした。
……速いって言うほどじゃないけど、ちゃんと泳げてるな。距離にもよるけど、俺といい勝負じゃなかろうか。そう考えると、体格的には速い方なのかもしれない。
しばらく見守っていると、朝陽と協力して追い込むことにしたのか、二人で挟み込むようにのーみんを狙う。
あー、のーみんはこれ失敗したな。直線的に逃げたら追い詰められるが、しかしどう逃げればいいのか迷っている。じわじわと距離を詰められ、最後には百合が上手く誘導して、朝陽にタッチされていた。
さて、鬼になったのーみんの動きは――あれ? 泳ぐの上手いけど、あいつ浜辺に向かってね?
何がしたいんだろう、と眺めていたら、のーみんは波打ち際で砂遊びをしていたりっちゃんを強襲した。
押し倒され、砂だらけになるりっちゃん。立ち上がり、ぷるぷると震えた彼女は、のーみんの頭をパシーンと叩いて快音を響かせた。
そして何かが吹っ切れたのか、海に入って鬼ごっこへ参加する。彼女は犠牲者を求める暗い笑みを浮かべて、茜をロックオン。猛烈な速さで泳ぎ出した。
ってか速ぇ――!? あの細い体で、どうやったらあんな……いや、おかしいぞ。確かに力強いフォームだが、力任せに過ぎる。そんなゴリ押しで速度を出すのは、体格的に不可能だ。
一体どうやって。そう疑問に思っていたら、一瞬、光の反射ではなく、明らかにりっちゃんの髪が銀色に輝いた。それはゲオル内で見慣れた、緑葉さんの髪色だ。
ま、まさかあの人、魔術でアバターの体を再現してんのか……!?
純粋に凄いと思う反面、遊びで何やってんだとも思う。大人気なさ過ぎる。
そんなのを相手に逃げ切れるわけがなく、茜はあっという間に捕まってしまう。
何をされたのか、ある程度は分かっているのか、茜は苦い笑みを見せる。おい、若い子に仕方ないなぁ、みたいな態度取られてんぞ。満足そうに笑ってんじゃねぇぞ、りっちゃん。
――っと、眺めていたら、百合がこっそり接近していたので距離を取る。油断も隙もあったもんじゃねぇ。
気付かれたことで百合は狙いを変え、次はどうやら奈苗を狙うようだ。
その奈苗はと言えば、りっちゃんの大人気ない行動に目を丸くしつつ、茜の動きを警戒している。百合がこっそり動くもんだから、そっちは意識から外れてしまっているらしい。
となれば結果は分かり切った話で、茜ばかり見ていたところへ、背後からタッチ。悔しそうに、しかしどこか楽しそうに笑って、奈苗は――あ、りっちゃんに挑みやがった。
何となく、フリスビーを追いかける犬を連想する。
あれかな。強敵であればあるほど、挑みたがるみたいな。
そんなことを考えていたら、茜がかなり近くまで寄っていることに気付いた。
なるほど、俺に狙いを定めたか……だがそう易々と捕まってやるわけにはいかない。あまり遠くへ逃げるのもどうかと思うので、大きく円を描くように逃げ、距離を保つことにする。
「ちょ、こっち来ないでよ先輩!?」
そうしたら、進路が朝陽とかち合ってしまった。
身の程を知ってしまったのか、朝陽はすっかり及び腰だ。
だがちょうどいい。このまま朝陽とすれ違えば、茜の狙いはそちらに向くだろう。
俺は悠々と平泳ぎで朝陽の横を、
「あ、テメェ! くっつくな!」
「いいから泳いで泳いで! あたしのエンジンになるのだ……!」
くっ。振り払うのは簡単だが、距離を取る前にまたくっつかれるのがオチか。
仕方がない。俺は動きやすいように朝陽を背負う体勢になると、腕で波を掻き分け、海底を強く蹴る。泳ぐのは難しいので、水を乗り越えるようなイメージで体を流す。
当然、こんなもので逃げ切れるわけがない。
だが後ろから追う茜には、背中の朝陽が盾として機能するってわけよ……!
――しかし回り込まれてしまった。
なるほどね? 狙った獲物は逃さないってわけか。がっでむ。
「奈苗ちゃんもあっちで頑張ってるし、兄妹で鬼になってもらうね」
「ま、待ってくれ! 見逃してくれたら朝陽を好きにしていいぞ!」
「いらない」
「これ友情なのかどうなのか、あたし気になるんだけど……!?」
真実は時に残酷だから、気にしない方が幸せになれるぞ。
結局、朝陽は生贄としては使えず、俺はタッチされてまた鬼になってしまった。
………………。
「なあ、朝陽。こういう場合、お前にタッチしたら鬼交代になんのかな」
「一心同体ということで手を打ちませんか」
「何か違うゲームになってる気がすんだよなぁ」
そう首を傾げたところで、茜は逃げたりせず、朝陽の首に両腕を回して組み付いた。
「茜?」
「ちょっと、楽しそうだなーって。……駄目?」
「いいけどさぁ」
あったよな、こういうゲーム。スネークゲームだっけ? エサ食ったらヘビが長くなるやつ。
ま、一人引っ張るのも、二人引っ張るのも似たようなもんだ。
こうなったらハイスコア、全連結を目指して頑張るか!
その後、百合とのーみんを捕まえることには成功したが、奈苗とりっちゃんは無理だった。
りっちゃんは分かるよ? だって魔術使ってるもん。あんなん追いつけるわけがない。
でもあれと素でいい勝負してる奈苗は、ちょっとおかしいと思います。
ひょっとするとあいつも、見た目じゃ分からないだけで魔術を使ってたりするんだろうか。
その内聞いてみようと思いつつ、りっちゃんを追いかけるのに皆が疲れ果てたので、一度海から上がって休憩しようということになった。