第十二話 動機
部活を終えた俺は、どうせ見咎める奴もいないので、手洗い場で行水して汗を流す。
さっぱりしたところで竹刀袋を肩に担ぎ、電動スケボーに乗って駅前を目指した。
「こんばんは、幹弘さん」
駅前のロータリー。待ち合わせ時間ちょうどに到着した俺は、茜に出迎えられた。
お目付け役と言うか何と言うか。撃剣興行に参加するなら茜を誘うことに決まってしまったので、昨夜の内に約束を取り付けておいたのだ。
「おっす。付き合わせちまって悪いな」
「気にしないで。幹弘さんは一人にした方が危なっかしいから」
なんて微笑む茜。そりゃ歳は一つしか変わらないが、後輩にこう言われる先輩はどうなのか。
茜は夏らしく薄着で、袖の膨らんだミントグリーンのブラウスに、薄く柔らかなデニムを穿いている。
「ん? そのデニム、変わった質感だけど麻とか混ざってるやつ?」
「あ、よく気付いたね。これ、バナナ生地なの。
涼しいし、汗かいてもベタつかないから、夏のお気に入り」
「へー。エコ繊維ってやつか」
有名なのは麻やイラクサ、コーヒーの繊維あたりか。栽培が環境に優しかったり、資源の再利用で得られる生地をそう呼ぶが、バナナって珍しいな。穿き心地も悪くなさそうだし、俺も夏用に一本欲しいかもしれない。
茜は髪もポニーテールにしてうなじを出し、全体的に涼し気な印象だ。
「……わりとしっかり、お洒落してんなぁ」
「そ、そう、かな?」
「ああ、よく似合ってるよ。俺も一度帰って、着替えた方がよかったかな」
せっかく可愛いのに、隣を歩くのが洒落っ気の欠片もない制服姿じゃ不釣り合いだ。
しかし俺の私服なんて、夏場は涼しけりゃいいやで、Tシャツとハーフパンツだらけ。いざお洒落しようと考えたら、服を買いに行くところから始めなきゃいけないのでは。
大真面目に考えていると、茜が言う。
「幹弘さんもおかしい恰好じゃないと思うけど」
「や、制服だとなんか気後れするなぁって」
「ううん。制服でいいと思う」
茜にしてはやけに強い否定。なるほど、この意図を察せないほど俺も鈍くないぜ。
ゲオル内で服を買うとなれば、コーディネートは基本的に茜へ丸投げしている俺だ。さては俺のファッションセンスを信じられないから、制服の無難さを推してるわけだな。
「ふん、お前が何を考えてるかなんてお見通しだぜ。その通りだ」
「……奈苗ちゃんに選んでもらうとかは?」
「あいつも似たり寄ったりだぞ。基本、ジャージばっかだし」
それを聞いた茜は仕方なさそうに苦笑して、
「リアルの服も私が見てあげようか」
「おう、よろしく頼むわ。俺、自分で買うとお洒落よりも、実用性しか見ないし」
それにほら。悲しくて認めたくない事実として、成長期の青少年でありながら、まだ中学時代の服を着れるんだよ。理由を作らないと、新しい服を買う必要がありません。将来性を見越して買った大きなコートは、未だにサイズが合わないほど。
中一の頃はまだ背が高い部類だった筈なのだが、一気に背が伸びるということはなく、さらに中三から今までで一センチぐらいしか伸びていないのであった。
ともあれ今度、服を買いに行こうと約束して、俺達は撃剣興行のホームである高架下に向かう。
その道すがら、俺は古橋さんから聞いた話を伝えておくことにした。
新しい犠牲者についてはいずれ知るところになっていたと思うが、重要なのは協力体制の方だろう。ゲオルで他の連中とも交流を持てれば、個人的な相談があっても俺を通さなくていい。
「まあ辻斬り対策はこれからだし、今のところは追っ払うしかなさそうだけど」
何にせよ、荒事は俺の担当ということで任せてくれ、と話す。
だが話を聞いていた茜は、そこで真っ直ぐに、射抜くように俺の目を見た。
「任せない。私も一緒に行くから」
「いや……気持ちはありがてぇけど、危ないぞ」
「危ないのは幹弘さんも同じ。ゲームと違って、死ねばそこまでなんだよ」
当たり前のことを、それでも言い聞かせるように。
誤魔化しや言い逃れを許さない気丈さで、茜は俺を追い詰める。
「幹弘さんが全てを背負う必要なんてない。
どれだけ力になれるか分からないけど、私にも背負わせてよ」
「待て待て。こんなの、俺は自分が納得したいからやってるだけだぞ」
「同じだね。私も、私が納得したいだけ。
もし知らないところで幹弘さんが死んだら、納得できない。
見届けることしかできなくても、私はそれを私の納得にするよ」
あー……こりゃ説得は無理か。
茜は普段、一歩引いたところがあるものの、気が弱いわけではない。むしろその逆で、一度決めたことは貫く方だ。
その気質は俺に近い。特に道理よりも、自らの納得を優先するところなんてそっくりだ。
だからこの意思は曲げられない。
言葉を選び過ぎて、言葉が足りなくなりがちな茜がこうまで言うのだから、何を言っても平行線になるだろう。
「だったら、仕方ないか」
平行線だが、並んで歩けないというわけではない。
二人で納得できる道を進めばいいだけのことだ。
「手の届くところにいろよ。それが条件だ」
「分かった。でも、手の届かないところに行かないでよ」
うん。心配すべきはそっちの方かもしれない。
だけどそれは、状況にもよると思うので。
「約束はできないけど、努力はするよ」
俺にはそう答えるのが精一杯だった。
茜は満足そうに、けれどほんの少しの諦めを滲ませて笑った。
「私も置いて行かれないように、頑張るよ」
頑固者同士の妥協案。
衝突してどちらか一方だけを通すよりも、平行線でもそれを見つけられたのは幸いか。
俺達はこんな風に、手探りで答えを見つけあっていけたらな、と思う。
自分を貫くということに関して、唯一絶対の正解なんてないのだから。
○
やって来た高架下のホームは、昨日にも増して空気が緊迫していた。
確認した限り松本のことはまだ報道されていないが、昼の時点で犠牲者が出たことはSNSに流れていたのだ。誰かが連絡を取って、松本かもしれないと不安になっているのだろう。
そんな空気なもんだから、試合もいつも通りとはいかない。選手の動きはどこかギクシャクとしたもので、観客も盛り上がれていなかった。
「普段ならもっと活気があるんだけどなぁ」
言い訳のように茜へそう言って、しばらくは見物してようかと二人で観客の輪に混ざる。
……うーん。気持ちは分からないでもないが、やはり精彩を欠く試合ってのは面白くない。
やると決めて剣を握ったからには、他のことは余分だろう。浮世のしがらみは忘れて真剣にやらなくっちゃ、剣に失礼というもの。あんな無様さじゃ、野次を飛ばす気にもなれやしない。
「お見合いしてないで、もっとガンガンいきなー! 恋に落ちたわけじゃないだろー!」
――で。そんな俺の気分や場の空気をガン無視して、元気に野次を飛ばす少女が一人。こんなクソ度胸の持ち主が二人もいるわけがなく、どう見間違えてもあれは伊吹先輩だ。
マナーはよろしくないが、枯れ木も山の賑わいというか。沈んだような場においては、ああいう野次も華やかに思えるんだから不思議なもんだ。
そんなことを思っていたら、苛立たしそうに試合を眺めていた幕末女が、観客をぐるりと一瞥。いい獲物はいないか探しているのは確実で、不機嫌な眼差しが俺をターゲットロックオン。
「うわ」
咄嗟に茜の陰に隠れる俺だったが、その程度で見逃しちゃもらえない。
肉食獣の笑みを浮かべて、伊吹先輩はずかずかと近付いてきた。
「やあやあ守屋。精が出るじゃないか」
お前だけは逃さないと目で語る。超怖ぇ。
子猫のように震える可愛い俺だったが、可愛いものはどうでもいいのか、伊吹先輩は俺から目を逸して、今気付いたかのように茜を見た。
「おや? 見たことないけど……守屋の彼女?」
「ち、違います!」
慌てて否定する茜。まったく、いきなり何を言うのかこの先輩は。
「そうです。彼女じゃなくて女神です」
「み!?」
奇声を上げて丸く開いた目で俺を見る茜。
何故か驚いている様子だが、女神を女神と呼ぶことに何の問題があろうか。
「つーわけで彼女とかではないので、神を卑俗化しないように」
「あ、ああ、うん。……あ、マジな目だわこれ」
信仰を疑っていたとは罪深い。茜を崇めるパワーが俺の中で渦を巻き、銀河を思わせる遠大な力の流れと化す。暗黒に輝く大渦の力を以ってすれば、この不敬者は瞬きの間にバラバラだぜ。
だがその力を解放する前に、伊吹先輩は我が神へと話しかけた。
「まあ友達か。こいつ変な奴だけど、悪い奴じゃないから仲良くしてやってよ」
「はい。いつも頼りにさせてもらってます」
好意的な反応。ふっ、許されたな伊吹先輩。その調子で俺の株を上げろ。
「けど、こいつモテないからね。勘違いさせたら可哀想だから、あんまり優しくしないこと」
唸れ暗黒の大宇宙。この女を素粒子になるまで分解せよ。
いよいよ俺が暴れるその寸前、しかし茜が首を傾げるのを見た。
「そう、ですか? 幹弘さん、人気ありそうですけど」
希望はここにあった……!
見ているか河瀬君! 俺はお前と違うんだ! テッシーも見てくれ! これがお前には得られない人徳だ! 俺の青春はお前らみたいな灰色じゃないんだ!!
心の中で身近な男二人に勝ち誇っていると、今度は伊吹先輩が首を傾げていた。
「いや、どうだろうね……人気はあるっちゃあるんだけど。
モテるのとは違うっていうか、見てて面白いけど、お近付きになるのは嫌、みたいな」
「あー」
納得したご様子の茜。女神が穢されてしまった。
だが神の意に反することはできないので、それが現状の評価なのだと甘んじて受け入れよう。伊吹先輩は命拾いしたことを天に感謝するがいい。
っと、それよりも一応は紹介ぐらいしておいた方がいいか。
「茜。この人は剣道部の先輩で、伊吹……下の名前、何でしたっけ?」
「風子」
「まあどうでもいいか。脳味噌が幕末思考だから、近寄ると危ないぞ」
「ははは。あんた死にたいらしいね」
「ははは。好き勝手言ってくれた意趣返しです」
俺のイメージのためにも、発言の信憑性は少しでも削っておかなくっちゃな!
「で、先輩。こちらが星華台の一年で、北上茜。女神です。崇めろ」
「幹弘さん! そ、その、さっきからそれ、やめて欲しいんだけど……」
「えー?」
恥ずかしがっている……いや、そんなまさか。照れるようなことじゃない筈だ。
だとすれば――そうか、女神であることを伏せたいのか。あくまでも一人の人間として、下々の者が気兼ねなく触れ合えるようにしたい……そうお望みなんだな?
その推測を目で語れば、茜も頷きを返す。やはりか。
「まあ女神ってのは言い過ぎかもですね。
でも優しくてしっかり者で、俺はいつも感謝してますよ」
我ながら完璧なフォローだ。これなら満足だろう?
そう思って茜を見れば、赤面して身を小さくしていた。これは褒められたのが照れ臭かったのか。
くっ、もっとさり気なく持ち上げるべきだったか。俺もまだまだ修行が足りないぜ。
そんな俺達を交互に見てた伊吹先輩は、
「なるほど、独特な関係なのだけはよく分かった」
何事かを納得し、一人でうんうんと頷いていた。
まあそれぞれの紹介も終わったということで、それからは雑談しながら試合を眺めることにした。
話題の中心は撃剣興行で、たまに剣道部のこと。茜には退屈な話かもしれないと心配もしたのだが、俺なんぞの日常にも興味を持ってくれたのか、楽しそうに耳を傾けてくれている。
だが楽しい話はいつまでも続かない。
撃剣興行のことを話題にする限り、あの事件について触れないわけにはいかないからだ。
「……そう言えば、また犠牲者が出たんだってね」
辻斬りについて、先に切り出したのは伊吹先輩だった。
彼女の表情は硬く、それでいて怒りが――義憤が洩れていた。
「守屋、あんたは何か心当たりある?」
「あったらこんなトコにいないで、警察行ってますよ」
嘘を吐くのは心苦しいが、まあ仕方ない。
この人は確かに腕が立つものの、ゲオルとも魔術とも関わりのない人だ。下手に事情を明かして、巻き込んでしまうのはよくないだろう。
「そう。まあそりゃそうか。……けど、案外ケロっとしてるねあんた」
僅かに、批難の色を見せて彼女は言う。
「身内に手を出した相手には、容赦しないタイプだと思ってたけど」
「あってますよ。つーか、ケロっとはしてません」
何やら勘違いされているようなので、ここはちゃんと説明しておこう。
「ほら、感情って冷めるじゃないですか。特に怒りって冷めやすいと思うんですよね。ずっと怒ってるのも疲れますし。
あと他人の前で怒ってても、空気悪くするだけでしょ」
それは何ていうか、もったいない。
せっかくの熱量を無駄に消費してどうするんだって話。
「だから俺、溜め込むんですよ。
ぶつけるその時まで、ちゃんと熱さを保っとかなきゃ駄目でしょう?」
「……あー、うん。私が全面的に悪かったよ、ごめん。
見た目じゃ分からないだけで、キレてるのは伝わった」
分かってもらえたようで何より。
と、剣呑な会話に引いてないかと不安になって茜を見るが、彼女は彼女で考え中だった模様。どうやら伊吹先輩の疑問とそれへの回答は、どうでもいいと思えるぐらいには分かり切ったことだったらしい。
やがて茜は眉根を寄せて、据わりが悪そうに口を開いた。
「やっぱり考えても分からない」
「何がだ?」
「動機。だって辻斬り、撃剣興行の参加者を狙ってるんだから、動機がある筈だよね。
でも見えてこない。動機がないなら、相手にこだわらなくてもいいのに」
「そんなの考えたって仕方ないだろ。他人には理解できない理由があるって場合もあるし」
「そうだけど……目的がないようには思えなくて。
だからそれが分かったら、対策もしやすいのに」
うーん。まあ、誰が狙われるかの目星はつけやすくなる、か?
俺は自分のやることを荒事に絞っているので、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。
まあ考えても損はないかと、より詳しそうな人に話を振ってみる。
「伊吹先輩はどうです? 人を斬ることに関しちゃ、一家言お持ちですけど」
「人を危険人物みたいに言うんじゃない!
まったく……ああでも、動機か。私の勝手な想像だけどいい?」
やだー、やっぱり想像できるんじゃないですかー。
なんて茶々を入れる前に、茜が返事をしていた。
「はい。聞かせてもらえますか」
「よし。まあ、本当に勝手な想像なんだけどさ。
この辻斬り、誰でもいいってわけじゃなくて、相手を選んでる感じでしょ?
逆に言えば何かしら条件があって、それを満たすなら誰でもいいって気もする。
つまりさ。殺すのは手段であって、目的じゃないと思うんだよね」
「……普通、殺すのって最終目的っスよね?」
「そだよ。でもこの辻斬りはそうじゃないから、結果だけ見ると動機が見えないんじゃないかって。
他に手があったかどうかは知らないけど、こいつは手段として殺人を選んだだけ。
動機としては、誰かへの見せしめとか……まあそんな感じかな」
自分でもしっくりこないのか、最後はやや自信なさげな伊吹先輩だった。
でもそうか。手段として選んだだけ。
それが見せしめだってんなら、見せる相手も撃剣興行の関係者だろう。
その関係者も特定の誰かではないのなら、あの辻斬りが見せた憎悪も何となく理解できる。
例えば撃剣興行そのものが憎くて、潰したいと思っていた。
手段として殺人を選んだのは、上位の選手を殺すことで関係者に圧力をかけて、効率的に潰すため。
雑な推測ではあるが、これならとりあえずは説明がつく。
「んー?」
何かが思考に引っかかる。
だとすれば、そもそも撃剣興行を憎んだ理由は何か。
そんな人物が、死に戻りなんて魔術を引っ提げて犯行に及んだのは何故か。
「――――あっ」
考え込んでいたら、俺よりも早く結論に達したのか、茜が声を上げていた。
何か閃いたのかと、俺と伊吹先輩が顔を向ければ、茜はもう少し悩んでから口を開く。
「あの、突飛な想像なんだけど……。
例えば撃剣興行で、治らないような怪我をした人がいて。それが何かの奇跡でよくなって、撃剣興行そのものに復讐したいと望んだら――今回みたいなことに、なるのかな」
「うーん……どうだろうね。よっぽどの大怪我なら、サイバネ化するだけだと思うけど」
そう口にする伊吹先輩だが、サイバネ手術は医療目的であっても金がかかる。手術費用そのものはともかく、その後の整備にだって金はかかるんだ。経済的な事情によっては、手術を断念するのも珍しくはない。
それに茜は奇跡と表現したが、それが死に戻りならどうだろう。ゲオルの仕様ではデスペナとして経験値が失われるが、肉体は完全回復する。
その奇跡が。障害を負った体を復元し、凶行に走らせたという可能性はある。
「――つーか普通にサイバネ化して、復讐に来たって可能性もありますね」
うん。実際に襲われた被害者としては、あいつサイバネ化してなかったと思うけど。
可能性の話としては、そういうこともあるだろう。
「もしサイバネ野郎だったらやばいんで、先輩も注意してくださいよ」
「あいよ。パーツにもよるけど、まあ生身じゃ相手したくないもんね」
出力が生身と段違いだもんなぁ。あと殴ったらこっちの拳が壊れそう。
話が一段落したところで、撃剣興行の試合も全て終わったようだ。他にやる奴はいないかと声が上がっているのを聞いて、伊吹先輩が俺を見た。
「――よし。せっかくだしやろうか、守屋」
「ま、いいですけど。茜にカッコいいところ見せたいですしね」
空気を読んで手加減してくださいと言外にお願いする。
撃剣興行では三度目となる伊吹先輩との試合は、俺がフルボッコにされて終わった。




