第十一話 牙を鳴らす
話があると古橋さんに呼び出されたのは、午前中のことだった。
俺も相談したいことがあったので、渡りに船とばかりに応じる。例の辻斬りは魔術関係、それもゲオルの絡む秘跡案件だと見ているが、あくまで俺達の知識で推測した結果だ。専門家がどう判断するか聞きたいところだし、どうであれ対抗策がないかも聞いてみたい。
そんなことを考えながらやって来たのは、駅前の大通りから少し外れた位置にある喫茶店。先に来ている筈の古橋さんを探すと、壁際のテーブル席で朝食代わりか、パスタを食べているのを見かけた。
「ども、おはようございます」
「ん、来たか。……制服? 学校に行くの?」
「午後からっスけどね。何事もなけりゃ部活に出るつもりですけど」
まずかったですかね? と確認しながら席に座ると、古橋さんはどうでもよさそうに首を振った。
「別に。余計なことに首を突っ込まなければ、君にも関わりのない話だ。
しかし……直感というのかな。どうも君は関わっている気がしてならん」
言葉の後半は露骨に刺々しく、俺を見る目つきも睨んでいると言った方が正確だ。
肉食獣とはまた違う、捕食者の眼光。生き物で言えば猛禽類だろうか。草食系男子の俺としては怖くて仕方がない。俺の肉なんて不味いと思うので、そのパスタで満足して欲しい。
古橋さんは怯える俺へ不快そうに鼻を鳴らし、フォークで巻き取ったパスタをがぶりとやって言う。
「どうせ知っていると思うけど、辻斬り事件のことだ。
あれ、うちの預かりになったから」
「あー。いや、そりゃそうだろうな、とは思うんですけど。
どういう事情でそうなったんですか?」
事件の詳細――というより、犯人が可能とする魔術について知れば、そうなるだろう。
だがそれをどうやって知ったのかという疑問があるし、うちの預かりと言うからには、警察とも関わりがあるのだろうか。
「簡単な話だ。別に私に限ったことじゃなく、警察と魔術師は仲良くやってるんだよ。
魔術関連の事件なんて滅多にないが、いざ事が起きれば、素人の手には余る。その調査や解決を引き受けることで便宜を図ってもらったり、金をもらったりという関係だな。
まあ金の面ではボランティアみたいなものだが、今回もそういうルートでの話だ」
ふむ……? 古橋さん自身は魔術も含めて、超常現象を解決して潰したい派だったか。となれば警察に協力するのも見返りを求めてのことではなく、協力を依頼されること自体がメリットなのだろう。
警察としても対処に困るものを放り投げられるわけで、確かに仲良くできそうだ。
「それは分かりましたけど。辻斬りが魔術絡みってのは?」
「ああ。街中の防犯カメラを調べていたら、犯人らしき人物が文字通り消える瞬間を捉えてね」
見る? と、表示フレームを投影する古橋さん。
一瞬、不用心じゃないかと焦ったが、俺にしか見えないように限定公開モード。それならいいかと頷けば、古橋さんは映像を再生した。
映像は平凡な住宅街の通りを映したもの。カメラが設置されているのは、どこぞのマンションか。
時間帯は夜。街灯のぼんやりした明かりだけが頼りなことから、きっと深夜だろう。何の変化も起きない、静止画かと疑いたくなる光景がしばらく続いた後、ようやく通りの奥に人影が現れた。
てくてく歩いてくるその人影は、俺が遭遇した辻斬りと同じく、手には細長いシルエット。途中でぴたりと足を止めたそいつは、暗くて確信は持てないが、どうやら防犯カメラを見ているらしい。
で、消失。暗がりに消えたとかではなく、本当に消えてしまった。
「――とまあ、こういうわけだが。驚かないのか、少年」
「まあ……一度見てますんで」
「――――――」
くっ、視線が痛い。やっぱり首を突っ込んでいたんだなと言わんばかりに、呆れと諦めが混じっている。俺だって被害者だというのに、身を案じる様子なんて欠片もない。
何か言い訳した方がいいんじゃないか、でもどう話せばいいかなぁ、なんて考えていたら、下手なことは言わなくていいとばかりに睨まれた。
「……私から聞いた方がよさそうだな。少年、君も辻斬りに襲われたんだな?」
「うっす。あ、でも、あいつ腕前はヘボですよ。
刀持ってるのはおっかねぇですけど、それだけっつーか。素人よりゃマシですけど、撃剣興行に放り込んだら中の下って印象ですね」
「私に分からん基準を持ち出すな。――で、勝ったのか?」
「はい。首を折ってやったんですけど、さっきの映像みたいに消えました。
こっちの仲間と相談して、たぶん死に戻りの魔術化じゃないかって推測してますけど」
「死に戻り?」
やっぱり普段ゲームしない人なのか、眉根を寄せる古橋さん。
それがどういうものなのか説明しつつ、俺達――主にロンさんの推測も伝えて、そういう理屈の魔術なのではないかと話す。
死に戻りの説明にちょっと苦慮したが、理解してくれたらしい古橋さんは腕組みをする。
「なるほど……システムは神話や伝承と置き換えればいいのかな。
大勢が当たり前だと思っているシステムは、それ自体が強固な信仰基盤だ。死に戻りという現象がリアルでも起こせると確信できれば、他者の信仰によるバックアップを受けて、魔術は成立する。
うん。満点の回答だよ。他にも条件などはあるかもしれないが、筋が通っている」
満足そうに、しかし苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「さて――事実上の不死身か。どうしたものかな、これは」
「魔術を封じるとか、そういうことってできないんですか?」
「不可能ではないが、今回は難しいだろうね」
答えて、古橋さんは複数の表示フレームを投影する。
それらは仏教や神道といった宗教の名前や、各地の神話の名前を大きく表示していた。
「いいか少年。魔術を使う上で必要となる信仰基盤がこれだ。
魔術は大衆が持つ信仰を利用する。何故なら人間一人の信仰よりも、大勢の信仰を利用した方が強力だし、そういった強い力を用いなければ、魔術の実在を否定する信仰に押し負けるからだ。
故に魔術とは宗教的、神話的な逸話を元にして編み出され、そのルールに縛られる。特定の魔術を封じるのであれば、同じ信仰基盤の魔術で対処するのが最も効果的だ。
しかし――――」
新しい表示フレームが投影される。
そこにはゲオルギウス・オンラインの名があった。
「この最も新しい神話の場合、そう簡単にはいかないだろう。
ゲームという新しい信仰基盤を利用しながら、プレイヤー人口という数の暴力で強固なものにしている。そして死に戻りというシステム。プレイヤーならば疑いもしないものを魔術にすることで、遥か遠き神代の魔術さながらの奇跡を、現実のものとしているわけだ。
これに対抗しようと思うのなら、同じぐらい強固な信仰から生じた魔術でなければならない」
突き付けられた条件に、改めて難易度の高さを思い知らされる。
ゲームの中でなら誰でも使えて、疑いもしない。常識と言っていいレベルの何かで、死に戻りを封じる。そんな都合のいいもの、俺には見当もつかなかった。
「……身元特定して、捕まえる方が楽なんじゃないですかね?」
「まあね。私もそうしたいところだが、捕まえていられる保証がない。
それにこいつは、野放しにしておけない事情もあってね」
投影されていた表示フレームを一度消して、新しいものを投影する古橋さん。
表示されたのは人間の写真だ。見覚えは……どうだろうな。変わり果てたというか、人間だったものに切断されているせいで分からない。
「これが昨夜の被害者で、名前は松本亮介。撃剣興行の参加者だったらしい。
最初の事件とは違い、遺体は執拗に斬り刻まれている。身元の発覚を遅れさせるためというよりは、念入りに殺したのではないか、というのが鑑識の見方だ」
松本亮介――ああ、そっか。あいつ、殺されたのか。
遅れを取るような腕ではなかったと思うが、まあ、そういうこともある、か。
「報道はまだ伏せているが、時間の問題だろうな。
それよりも少年。この辻斬りは人を殺すことを躊躇わない。どんな目的があるのかは分からないが、それを果たすまでは何度でも、ハイペースで繰り返す。
こういう手合は、私達が何に代えても始末しなければならない」
「……正義の味方ってわけですか」
半ば自虐のように返した言葉へ、古橋さんはきょとんとして、
「なにそれ。冗談じゃない。……いや、少年がそういうものを目指すのは構わないけど」
「俺だって冗談じゃないです。でも、だったらどうして」
「人様に迷惑かける同類は、きっちり始末しなくちゃ駄目でしょう。
そうしないと魔術師は、排斥される側になってしまうからね」
ああ、なるほど。正義のためじゃなくて、自衛のため。
そういうことなら納得できる。社会性を持つ生き物として、すごく正しい在り方だ。
「とりあえず対策は考えるから、少年は見回りをするように。
狙われているなら好都合。囮になって返り討ちにして、妨害でもしてくれたらいいよ。
……いや、その前に正式に協力を頼むのが筋だったか」
「いいですよ、そのくらい。頼まれなくてもやるつもりでしたし」
自分が狙われているのも、動機としてはあるけれど。
友人と言えるほど親しかったわけではないが、松本が殺されたと聞いて黙ってはいられない。
魔術というこちら側の領域で、身内に手を出されたんだ。報いを受けさせるのが筋というもの。
守屋幹弘が動く理由として、復讐は筋が通っている。
「でも警察への協力ってことで、金一封とかあると嬉しいです」
「…………まあ、いいでしょう。タダ働きはよくないしな。
それじゃあ見回りの前後には、私に連絡を入れること。君が襲われた時間を考えたら、夕方だけでいいよ。どのみち、しないよりはマシなだけの時間稼ぎだ」
「うっす。分かりました」
これで話は終わり。俺は何も注文せずに店を出るのもどうかと思い、店員にアイスコーヒーでも頼もうか、それともいっそ昼飯もここで済ませてしまおうか、なんて考える。
そうしていると、思い出したように古橋さんが言い出した。
「ああそうだ。前にも話したけど、私もアカウントを作ったから」
「? 何の話ですか?」
「馬鹿、ゲオルギウス・オンラインのことだ。調査するにしても、アカウントはあった方がいいだろう。それならフレンド登録しておこうと言い出したのは君だぞ」
はて。そんな話をしたような、しなかったような。
ここ数日の出来事が濃密だったせいか、それとも世間話と受け流してしまったのか。まあ、あっちでも古橋さんの協力を得られるのなら、悪いことではない。
「じゃあ今夜にでも。昼は部活ですし、その帰りに見回りがてら、撃剣興行にも顔を出すんで」
「分かった。ま、調査目的とはいえ、不便じゃない程度にはレベル上げ? とかもしておきたいからね。そちらも手を貸してくれるなら、正直なところ助かるよ」
これで今度こそ話は終わり。
本音は結局、隠したままではあったものの、俺は動機を抱えて事件に挑むことを許された。
まずは死に戻りをどうするか考えなくちゃいけないが、結末は決まっている。この事件はあの辻斬りが誰であっても、殺すことでしか解決しないだろう。
自分の中の獣が、ガチリと牙を鳴らした気がした。
○
ミンミンジャカジャカ。
相変わらずの蝉時雨は、本物の雨でも降れば少しは静かになるのだろうか。
空は雨の気配なんてちっともない快晴で、そういえば今年の夏は雨が少ないとかニュースでやっていたような気がする。それなのに湿度はしっかり高くて、辟易とさせられる。
何だかんだで真面目に部活へ参加している俺ではあるが、やっぱりこの暑さだけは堪える。昨年の夏休みも、日中は暇だからと部活に顔を出していたが、七月が終わる頃にはサボり始めていた記憶がある。
新部長テッシーもペース配分を考えないとまずいと気付きかけているのか、今日は準備運動がてらに切り返しを二十分ほどやった後、掛かり稽古を軽く三十分やって休憩。それから地稽古をみっちり行って、また休憩。この段階で休憩挟めばいいってもんじゃねぇと、俺がキレた。
再び地稽古をしたがっていたテッシーだが、他の部員もバテていることを理解して、じゃあ交代で試合をしてみようということになった。あくまで練習だが、審判も主審に加えて副審二人を出す、ちゃんとした形式のものだ。
公式大会ならいざ知らず、他校との練習試合では自分達が審判を務めるしかないので、これも必要な練習だ。自分の試合なら感覚で分かっていることでも、客観的に見て一本かどうかを判断するのには経験がいる。
そんなわけで試合を始めることになったのだが、三年生が引退した今、部員は男子四人、女子三人という少なさ。男女で分けることなんて無理なので、試合は男女混合で行うことになる。
俺は審判役として居座りたかったのだが、テッシーがちゃんとローテーションを組みやがった。あいつこういう時だけ知能が上昇するの、どうかと思うよマジで。
そんなこんなで、俺も嫌々ながら試合に参加する。と言っても、俺より上手いのはテッシーだけ。他はまあ、油断さえしなけりゃ負けるってことはない。
ないのだが――――
「……いつの間にか強くなりやがって」
河瀬君との試合を終えて、後輩の成長を素直には喜ばない俺がいた。
試合そのものは俺が勝ったものの、一本だけ取られてしまった。技術では負けなかったが、まさかの力押し。当たり負けて、ふらついたところへ面を決められたのだ。
「へっへっへ。いつまでも幽霊部員にゃ負けてられませんよ」
なんて、勝ち誇った顔で笑う河瀬君。超がっでむ。
技術で負けたのなら俺も素直に成長を認めたかもしれないが、力押しってのは許せない。そりゃ多少の個人差はあるが、筋力ってのはつまるところ体格に依存するものだ。
この後輩は生意気にも俺のフィジカルを上回りつつあるということであり、来年あたり身長も追い抜かれていそうでがっでむ。超がっでむ。ふぁっきんじーざす。
せめて少しでも縮めてやろうと、今後はこいつの面を叩きまくることを決意した。
「二学期の身体測定を楽しみにしてろ……!
ミリ単位だとしても、絶対に縮めてやるからな」
「うわ、体だけじゃなくて心までちっちゃいなこの先輩」
「――――――!!」
バーサクモード入った俺は、河瀬君を押し倒してアキレス腱固めを極める。
小僧め、調子に乗った代償を思い知るがいいわ……!
「いだだだ!? ちょ、ま、俺が悪かったですってば!」
「振りほどいてみろよ、ご自慢のパワーでなぁ!」
「ギブ、ギブギブ! これパワーの問題じゃ、あっだ!?」
泣きが入ったところで勘弁してやる。俺も鬼ではないのだ。
しっかし、改めて見ても河瀬君、背が伸びたって感じはしねぇな。
「さてはこいつ、こそこそと筋トレを……?」
「別に隠してないっスよ。ほら、夏場って肉落ちやすいじゃないですか。
筋力維持のために筋トレしてたんスけど、むしろパワーアップしたみたいで」
「そんな付け焼き刃で得た偽りの筋肉で、俺に勝ったと思うなよ……!」
「面倒臭ぇなこの人!」
いやいや、これは俺の心が狭いとか、そういう問題ではないのだ。
筋トレは確かに効果があるが、スポーツのための筋トレには注意がいる。ぶっちゃけ不要な筋肉も結構あるので、最適解は人によって違うものの、がむしゃらにパワーアップしたら逆効果ってこともあるのだ。
だからちょっと筋トレしたぐらいで筋肉を得られて羨ましいとか、そういう気持ちはない。ないったらない。
さて。あんまり騒いでいたらテッシーに睨まれるので、俺達は壁際にこそこそ移動して座り込む。
他の部員の試合をのんびりと眺めていたら、河瀬君がやけに真面目な顔をして口を開いた。
「――先輩。また被害者が出たって話、聞きました?」
「あれ、もうニュースになってたっけ」
「まだですけど、SNSじゃ出回ってますよ。ここが現場だー、って血痕べっとりの写真まで上げてる奴もいますし」
本当に報道しか伏せられてないじゃん、古橋さん。
いや、古橋さんを責めるのはお門違いか。つーかこのご時世、電脳でいつでもどこでも撮影可能だし、いつだってネットに繋がれる。本気で報道規制をするには、事件がハデ過ぎたか。
「詳細はまだ分かんねぇっつーか、ガセやら憶測やら混じっててあれですけど。
今度こそ死人が出たってのは、間違ってないと思います」
「おっかねぇな」
「ですねー。先輩も撃剣興行なんて、辞めちゃったらどうですか。
わりとシャレになってないっスよ、マジで」
「うん。そりゃもっともだ」
しかし身を案じてくれる河瀬君には悪いが、今更引き返すのも駄目だろう。
俺がやらなくちゃいけない義務があるわけでもないが、そも俺は義務感で動くわけではない。自分が納得して、後悔しない関わり方は何かと考えた時、俺はこの手で解決することを望む。
「けど、伊吹先輩あたりは言っても聞かねぇ気がするんだよな。
目を離すのも怖いし、しばらくは見回りがてら続けるよ」
「はぁ。言っても聞かないのは、守屋先輩も同じじゃないっスか」
「悪いな」
いいですけどねー、と。拗ねたように呟いて。
「剣道なり剣術なりがしたいだけなら、部活でもいいじゃないっスか。
引退したからって、部活に出ちゃいけないってわけでもないですし。
俺、先輩達が撃剣興行にどうして拘るのか、そこがよく分かんねぇっス」
「俺は金だけど?」
「……そりゃあ、重要っスね」
だろ、と笑って。
俺は腰を上げて、可愛い後輩にもう一試合するぞと声をかけた。
心遣いのお礼として、脳天をぶっ叩いてあげようじゃないか。
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