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竜と信仰の奇譚  作者: 長月十九
第四章 兵どもが夢の跡
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第七話 辻斬り


 夕方と呼ぶにはまだ少し早い時間。日差しがいくらかマシになり、涼しくなったと錯覚するものの、焼かれたアスファルトはたっぷりと熱を含み、どこへ行っても陽炎に揺れている。

 それでも高架下のホームに顔を出せば、今日も今日とて暇人どもが――あれ? なんか空気おかしくね?

 試合をしていないのは、まだ観客が少ないからだろう。それならそれで、準備運動がてら軽く打ち込んでたり、それぞれに雑談でもしてるもんなんだが、全員で集まって話をしているようだ。

 見た感じだと選手が五、六人。そこに観客が数人ってところか。

 何を話しているのだろうと輪に入ってみれば、気付いた強面の顔見知りが声をかけてくる。


「守屋も来たか。お前、辻斬りのこと聞いたか?」


「ああ。ってか、マジな顔してどうした」


 雰囲気と話題からして察しはつくが、聞かなきゃ分からないこともある。

 彼はその強面を悔しげに歪めて、


「斬られたのな、富岡だ」


 富岡。去年はうちと似たようなレベルの野上の剣道部で、先鋒を務めていた男だ。

 先鋒を任されるだけあって実力は確かで、調子がいい時は俺よりも技が冴えている。どちらかと言えば我流、邪流の多いこのホームでは珍しい、正統派の剣士でもあった。

 その富岡が斬られたというのは結構なショックだが、疑問が先に立つ。


「あいつ、揉め事は起こさないタイプだよな?

 誰かがキレて富岡襲ったとか、そういうわけじゃないってことでいいのか」


「それなんだがなぁ……」


 強面の彼は、ちらりと目線を動かす。その先にいたのは見覚えのない少年で、どこか思い詰めたような顔をしていた。

 俺が視線で「誰?」と尋ねれば、他の奴が紹介する前に彼から口を開いた。


「自分、部の後輩で常磐っていいます。

 こっちでも事件のこと、騒ぎになってまして。富岡先輩、とりあえず命に別状はないってことで、世話になってた俺が見舞いに行ったんですよ」


 常磐の話によれば、富岡は重傷でこそあるものの、特に後遺症も残ったりはしないだろうとのことで、それを聞いた皆はひとまず胸を撫で下ろした。

 だが、常磐がわざわざここへ足を運んだのは、それを伝えるためではない。

 彼が足を運んだのは、公表されていない犯人の言葉こそが理由だった。


「富岡先輩、最初は声をかけられたらしいんです。

 ――あんたは富岡か、って。

 で、犯人の持ってた刀、暗いからウレタン刀と見間違えたらしくって。ああ撃剣興行の関係者かなって思って、そうだって答えたら、バッサリ斬られたみたいです」


 その話を聞く限り、この辻斬り事件は通り魔的なものではなく、明確に富岡を狙ったものだ。

 いや、それも正確じゃない。富岡の聞いた言葉が確かなら、この事件はまだ続く。

 声をかけて確認したのだから、面識はなかった筈で――


「――恨みがあって襲った感じじゃねぇし、撃剣興行の関係者なら誰でもよかったのかもな」


「やっぱ守屋も、そう思うよな」


「ああ。だって富岡、浪人してるだろ。個人じゃなくてグループを狙ったんなら、撃剣興行しかない」


 一応、私生活で友人とつるんで悪さをしていたとか、そういう線で復讐された可能性もあるが、常磐の前で言うことではないだろう。見舞いにまで行ってるんだし、富岡を慕っているのは確かだ。

 それに悪い噂を聞いたことがあるわけでもない。可能性として疑いはするが、撃剣興行の関係者だから狙われたと考えるのが本命だろう。


「けど、犯人が何を考えてんのか分かんねぇなぁ」


「腕試しってのはどうだ」


「微妙。辻斬りする理由になってねぇよ。普通に参加すりゃいいじゃん」


 そう否定するものの、納得がいく動機なんてそれぐらいしか思い浮かばない。

 あれやこれやと推測して意見が出るものの、どれも筋の通ったものではなかった。

 その後、俺達はひとまずの対策として、あまり遅くまで試合を続けず、人通りがある内に解散して帰ろうと話をまとめる。先に手を打っておかないと、警察がうるさいし。

 あとは一応、犯人の動機が腕試しだと仮定した場合。


「松本、守屋、内藤。お前らは特に注意しておけよ」


 上位陣は狙われる可能性があるということで、俺も他人事ではない。活動している時間的に大丈夫だとは思うが、そんなのは犯人の気分次第だ。

 それからは決まった話をまだ来てない連中に流したり、活動時間の変更を生活安全課にも伝えておこうといった感じで、慌ただしくなる。俺も念のため、伊吹先輩にメッセージを送っておいた。

 ……つーか腕試し目的なら、伊吹先輩なんて超狙われるんじゃねぇか? まだ名前は売れてないが時間の問題だろうし、あの人はちょっと心配になるな。

 けどまあ、これは顔剥ぎセーラー事件の時とは違う。人間の仕業である以上、警察に任せるのが筋というものだ。自分が被害者にならないように、注意しておくのは必要だが。

 今回の件に関して、守屋幹弘はそういうスタンスで傍観していればいい。

 そう結論したものの、どうにも腑に落ちない。

 ここの連中は気付いていないようだが、冷静になってから真面目に考えれば、誰かが気付くだろう。

 いや、だってさあ。無許可で日本刀なんざ持てる時代じゃあないんだぜ?

 警察だって無能じゃない。今日一日あれば、とっくに容疑者を絞り込んで、逮捕までしてたっておかしくないのだ。

 煙のように、どこかから刀が生えてきたのでもない限りは。


     ○


 その後、適当に数試合こなして帰路に着く。

 辻斬り事件のことは客の方にも広まっているらしく、警戒しているのかいつもの賑わいはなかった。選手の方はぼちぼち集まっていたが、どこか気もそぞろで身が入らない。そんな有様なもんだから試合も盛り上がらず、こりゃ稼ぎにならないなと早めに切り上げた。

 時刻は六時を過ぎたが、日没まではまだ余裕がある。西の空は夏らしい、輝くような黄金色。これだと夕焼けにはならず、徐々に暗くなっていくだろう。

 気温は気休め程度に下がっただけだが、風が少し吹いているので体感温度はもっと低い。涼しいと感じるほどではないが、少しでもマシになってくれたのはありがたい。

 四車線の国道沿いを、電動スケボーに乗って走る。

 時間帯的にも、道行く人は部活帰りの学生が多い。健全に汗を流した彼らの姿は、不健全な俺から見ても美しい。どれほどの熱意を部活に捧げているかは分からないが、それは優劣で語っていいものでもない。他人が推し量ろうだなんて、それこそ冒涜だろう。

 結果よりも過程が大事だとは言わないが、過程には過程にしかない価値があるのも確かで、それを尊いと思うからこそ、俺には彼らが眩しく見えるのだ。

 俺は彼らのようにはなれない。そのことだけは痛いほど分かっているつもりだ。


 中学の頃、俺は自分から剣道部に入った。

 動機は特別な憧れや、高い目標があったわけではない。単にチャンバラごっこが好きだったから、数ある運動部の中でも、剣道部が楽しそうに見えたというだけ。

 俺なりに真面目だったつもりだが、顧問とは反りが合わなかった。成果主義ってやつか、とにかく試合で勝つのが第一で、練習を楽しもうだとか、精神修養がどうだのは一切否定していた。

 練習はつらく苦しいもので、その厳しさに耐えて試合で勝った時、無上の喜びが得られるのだ、みたいな。

 その価値観を否定はしないが、押し付けられたって困る。

 俺にとっては日々の活動を楽しくするのが第一で、試合の結果なんて大切なものでもなかったのだ。

 それでも俺が平凡だったら、顧問にも嫌われるだけで終わっていただろう。しかし自分で言うのも何だが、半端に才能があった俺は、秋の新人戦であっさりと準決勝まで勝ち進んでしまったのである。

 そこで負けた時、悔しがっていれば話も違ったのだろうが、けろっとしているもんだから、俺と顧問の確執は決定的なものになった。

 無意味にしごかれ、事あるごとに叱責される。顧問はそれでもたぶん、本気で俺のためだと思っていたに違いない。厳しく指導していれば、いつか分かってくれる筈だ、と。

 こうなると部内の空気も最悪で、楽しさを求めて入った部活は、まったく楽しいものではなくなってしまった。

 結局、二年の夏には退部して、退部届を破り捨ててくれやがった顧問には蹴りを入れて、停学一週間と引き換えに晴れて自由の身となったわけである。ちなみにその顛末を聞いたテッシーは、練習中の事故と言い張って顧問の金玉を蹴り上げたが、バレバレだったので停学を食らった。

 いや、ムカついても玉はいかんよ玉は。俺でも同情したもん。

 ともあれ、高校でも部活をやるつもりはなかったのだが、テッシーに頼まれたので仕方ない。それがある種の言い訳だということは、きっとテッシーも分かっているだろう。

 俺は剣が好きなだけで、部活動が好きだったわけではない。

 しかし憧れのようなものは確かにあって、諦めた今でもその未練は燻っているのだ。

 だから本気でやることはないが、たまに顔を出して、憧れたものを眺めるぐらいがちょうどいい。この残火を消すのは惜しいが、燃え上がらせてもいけない。一度捨ててしまった以上、それは二度と手に入らないものとして、筋を通さなきゃ。

 憧れは憧れのまま。手の届かないところで輝いてくれ。

 俺は俺で、撃剣興行で楽しくやりながら、同じように未練を抱えた連中と遊んでるからさ。

 ……いや、そうか。未練か。

 例の辻斬りの動機。腕試しだとしたら、一番納得がいかないのはそれだ。

 斬られた富岡だってそうだ。浪人して、金がないからと言い訳して、バイトするでもなく撃剣興行をしているのは、剣に未練があるからだ。

 プロを目指すのではなく、単純にもっと剣に関わっていたい、チャンバラごっこしたいという未練が、富岡を撃剣興行という場に繋ぎ止めた。

 腕試しの獲物としては半端に過ぎる。

 だから犯人には、もっと別の理由が――執着があるような気がしたのだ。


「――――――」


 国道沿いから横道に入って、抜け道として使われる一本の長い道を走る。

 車はたまに通る程度。ナビ任せの自動運転なら、まず通らない。まだ明るい時間帯とはいえ、人気もない。真っすぐ伸びた道の先では、西日が息絶えながら燃えている。

 そして道の途中には、逆光を背負う影法師めいた誰かが、通せんぼのように立っていた。

 手には細長いシルエット。鞘に収められた刀だろう。そうと思えば威圧感があり、妖気すら感じる。人を斬った刀には、理屈ではない何かが宿るのかもしれない。

 俺は電動スケボーの速度を落としながら近づき、間合いに入る手前で止めて降りる。向き合ってみると、そいつは帽子を目深に被って目元を隠しているが、体格的には男だろう。男特有の骨張ったそれは、しかしまだ華奢で――体の出来上がっていない、十代半ばの少年なのだと気付いた。

 彼は消え入りそうな細い声で、


「――あんたは、守屋か」


 その問いかけに、背筋がゾッとする。

 常磐からの伝聞では知りようもない、生の感情。込められた情念は、粘つくような憎悪を感じさせる。

 本能が確信する。こいつは顔剥ぎセーラーの同類だ。

 人間かどうかなど問題ですらなく、その在り方が怪物のそれだ。いや、むしろ生きた人間がこうなったというのなら、その事実の方が恐ろしい。

 だってこんなの、あまりにも筋が通らない。

 ただの他人である筈の俺に、どうしてそんな憎悪を向けることができる。

 ……辻斬りはいつでも抜刀できるように、右手を刀の柄に添えている。俺が答えるか何かすれば、すぐにでも抜刀して斬りかかってくるのだろう。

 剣呑な雰囲気とは裏腹に静かなもので、鍔鳴りの一つもしない。富岡を斬ったことからそうだとは思っていたが、ちゃんと手入れした斬れる刀なのは間違いなさそうだ。

 正直に言えば、こんなものの相手をしないでさっさと逃げてしまいたい。

 富岡の仇討ちなんてガラじゃないし、挑まれて逃げるのを恥じだとも思わない。

 だが――この憎悪に背は向けられない。

 この恐怖に屈して逃げた時、俺の中の信念が一つ、永遠に失われてしまう。

 覚悟は決まった。

 俺は問いかけへ答えるように口を開き、その動きをフェイントに踏み込んだ。


「――――!」


 意表を突かれたか、辻斬りの抜刀には焦りがあった。

 鍛錬が足りない。剣術の心得はあるのかもしれないが、刀の扱いに慣れていない。抜刀なんて初歩にして極意。そもそも刀を抜かなきゃ斬れないのだから、反射的に行えるようになるまで繰り返すものだ。

 迎撃は居合斬りもどきの、水平に近い逆袈裟斬り。振り抜こうとする右手を叩いて止め――構うものかと、辻斬りは強引に振り抜いた。

 予想外の膂力に押される体。逆らわずに上体を反らすことで力を流し、迫る白刃には役割を終えた右腕を盾にする。ちょっと無謀かもしれないが、まあ、こいつの技量ならどうにかなるだろう。


「……っ」


 腕に食い込んだ刃は浅く、斬ると言うにはあまりに情けない体たらく。刃筋をちゃんと立てられていないから、ほとんど叩いたようなもの。皮も斬れたのではく、引っ張られて裂けたと称した方が適切か。

 それでもこの距離はよろしくない。俺は後ろに跳んで下がり、揉み合って事故で刀が刺さらないようにする。この程度の腕前だったら、気持ちよく振らせてやった方が安全だ。

 と、そんな判断をした俺に対し、辻斬りは愕然としたように口を開いた。


「イカレてやがる――あんた、怖くないのか。真剣だぞ」


「いや、そんなん言ったらお前、素手だって怖いだろ」


 こいつは何を勘違いしているのか。

 恐れるべきは殺意であって、道具ではない。そりゃあ刀と拳じゃ攻撃力は段違いなわけだが、殺すつもりで首でも殴れば殺せるだろう。その点に関しちゃ、とっくに俺も覚悟を決めている。

 噛み合わない会話。だからひょっとして、と俺は問いかける。


「まさかお前、殺されると思ってないのか?」


 だとしたら、流石に舐め過ぎというものだ。

 どんな獲物だって、殺されるかもしれないと思ったら抵抗する。一方的に殺していいんだったら、それは辻斬りじゃなくて斬り捨て御免ってやつだ。いや、なんか違う気もするけど。

 そうして勝手に腹を立てていると、辻斬りは舌打ちをした。


「ち――もういい。あんたはまた今度だ」


 警察にでも通報されるのを嫌ったのか、ここまでだと告げて納刀する辻斬り。

 そりゃあないだろうと、俺は踏み込んでその首をぶん殴った。

 骨を砕く手応え。よし、殺した。

 結局、こいつが何なのかよく分からないままだったが、憂いは断った。


「…………んん?」


 はて。殺したんだから、死体が転がってなきゃおかしいわけで。

 それなのに跡形もなく消え去っているのは、ちょっと不条理過ぎやしないか。


「えぇ……マジで顔剥ぎセーラーの同類かよ」


 また姐御の力を借りなきゃいけないのだろうか。

 今日の出来事を話すだけでも説教されそうな気がして、俺はしょんぼりした。

 ……つーかあいつ、本当に何だったんだ。

 腕前はお粗末なものだったし、気構えもてんでなっちゃいなかった。

 だけどあの粘つくような憎悪だけは、疑いの余地なく本物だった。

 さっさと殺すことに決めたのは、殺さなきゃ止まらないと確信したからでもある。

 だとすれば、ここで逃げられたのは痛かったかもしれない。

 神出鬼没の辻斬りは、また新たな犠牲者を求めるのに違いないのだから。

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