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竜と信仰の奇譚  作者: 長月十九
第四章 兵どもが夢の跡
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第四話 不純物


「――お金貸してください」


 今日は部活も休みなので朝からごろごろしていると、奈苗がそう言って頭を下げてきた。

 奈苗は倹約家というわけではないが、基本的に無駄遣いはしない方だ。月々のお小遣いだけでやりくりして、ゲオルに課金したり、雑貨を買ったりと、これまでは問題なく過ごしていた。

 それが借金の申し入れである。何か事情があったに違いない。

 つまり隙があるということなので、


「冷たいお茶が飲みたいなぁ~!」


「はい、ただいま!」


 うむ。打てば響くとはこのことか。

 しばらくして、ちゃんと氷まで入れた麦茶を持って奈苗が戻って来る。コップを受け取った俺は一口だけ飲むと、それを横に置いて本題へ入ることにした。


「で、金か。何に使うんだ?」


 貸すのは別に構わない。こいつは律儀に返してくれる奴だ。

 しかし何に使うのかぐらいは、聞いておかないと駄目だろう。

 問われた奈苗は、どこか気まずそうに目を逸らしながら、


「新しい水着買いたくて。学校の水着で海行くのは、恥ずかしいし」


「あー、それもそうだよな。つーか俺も海パン買わねぇと」


 ここ数年、海もプールも行ってなかったからなぁ。

 そう考えて、あれ、と。おかしなことに気付いた。


「なあ、奈苗。お前、去年も水着買ってなかったか」


「……背、伸びたから」


 成長期ってすごいネ。

 俺は麦茶を一息で飲み干して、


「っぷはぁ。おうおう、いいですなぁ大きくなって!

 今、何センチだ? ん? 言ってみ。兄ちゃんに言ってみ」


「そ、そんなのどうでもいいじゃん。

 女子の数値を知りたがるのは、デリカシー足りないよ兄ちゃん」


 奈苗からデリカシーという単語が飛び出て爆笑した。

 そして蹴り倒された。


「ちくしょう、ちくしょう……! パワーが絶対的に違う……!

 これが体格の差……俺は、持たざる者なのか……」


「大袈裟。流石に力は兄ちゃんの方が強いでしょ」


「むぅ。でも背が高いって、それだけで才能だからなぁ」


 基本的にスポーツや格闘技なんてのは、大きければ大きいほど有利になる。技術を競うことが中心の競技であっても、体格によって出力が違うんだから、あって損することは滅多にないのだ。

 そういった意味では奈苗も才能の塊だろう。楽しくスポーツできればいいってタイプだが、その気になれば名門校だの強豪校だのに入って、活躍できたのかもしれない。

 まあ身長に対して胸は控えめというか、均整が取れた感じで、色気には欠ける。天は二物を与えずと言うが、これで胸まで大きけりゃお兄ちゃんは溺愛してましたよ。


「目つきがやらしい……」


「複雑な感情が渦巻いただけで、お前にゃ死んでも欲情しねぇよ」


 まったく失礼しちゃうぜ。幹弘君はジェントルだと俺の中で大評判なのに。

 ともあれ奈苗の用件――金の使い道は分かったし、優しい兄としては快く貸してやろう。


「んじゃ、金は口座に送金しとくよ。五千円もありゃ足りるか?」


「うん、大丈夫だと思う。ありがとう兄ちゃん!」


「おう。あ、これから買いに行くのか?」


「そだよー。暑くなる前に行こうって、朝陽ちゃん達と」


 ああ、なるほど。あいつらと一緒に行くのか。

 同級生ってのもあるだろうけど、すっかり仲良くなっちまって。だが朝陽はどうでもいいとして、茜と俺よりも親密になっていたらどうしてくれよう。どうもしないけど。

 つーかこのクソ暑いのに、怒ったり嫉妬したりする元気なんてありません。いや、そもそも人間関係ってのは、当事者以外が何か思うことさえ筋違いなんだから、気にしても疲れるだけだ。


「そっか、あいつらによろしくなー。迷惑かけたり、迷子になるんじゃないぞー」


「兄ちゃんに子供扱いされたくないなぁ」


 そうは言っても、子供っぽい性格してると思うがなぁ。

 奈苗はその後もぶつくさ言っていたが、さっさと行けと部屋から追い出した。

 さて、それじゃあ忘れない内に送金しておいてやるか。

 俺は電脳に意識を切り替え、電子マネーを管理しているアプリを起動する。現金も多少は持ち歩くようにしているが、現代社会の決済は基本的に電子マネーなので、まとまった額を渡そうと思ったら電子マネーを送金するしかない。

 とりあえず五千円を奈苗に送金して……残額を見ると、ちょっと心もとない額だった。

 うーん。秘跡調査団としての活動もあって、バイトも撃剣興行も減らしてたからなぁ。すぐに干上がっちまうってわけじゃないが、ある程度の額は保っておかないと不安になるというか。

 それに海へ行く話、大人組は泊まりのつもりだったもんな。俺は日帰りのつもりだったが、あっちに合わせてどこかへ泊まることになったら、もう少し余裕が欲しいところだ。俺と奈苗の宿泊費ぐらいはどうにでもなるが、そのために貯金をほとんど吐き出すってのは嫌だし。

 しかし夏休みである。学生バイトは大幅に数を増やし、俺が世話になってるところでは仕事の奪い合い。となれば、撃剣興行で数をこなすのが一番だろう。


「でもなぁ……」


 窓から空を見る。

 午前中なのが嘘のように輝く太陽。差し込む日光だけで、充分に日焼けできそうなほど。

 今日の最高気温はたしか、三八度だったか。貧弱な現代っ子様としては、冷房の利いた部屋から一歩も出たくない。できるなら夜まで自堕落に過ごしたいと願うのが、今時の高校生というものだ。

 まあでも、正午過ぎてから外に出るよりかはマシだろう。

 俺は渋々と腰を上げると、ウレタン刀の入った竹刀袋を持って家を出た。


     ○


 撃剣興行はスポーツであり、ギャンブルでもある。

 そのため純粋にスポーツとして楽しみたい人もいれば、稼ぐために卑怯な手を使う奴もいる。言わばアスリートとアウトローの共存する競技なのだが、意外と棲み分けはちゃんとできていたりする。

 まあそれも当然で、ファイトマネーが賭け金から払われる以上、強くても嫌われた選手は稼げなくなる。なのでアスリートはアスリートの、アウトローはアウトローのホームで試合をするのだ。もし遠征をするなら、そこの流儀に合わせるというのが暗黙の掟である。

 で、この街にもいくつかのホームがあり、俺が普段通っている高架下のホームはアウトロー寄り。と言っても、固いこと抜きに楽しもうぜ、みたいな軽いノリのところだ。

 その性質上、あそこは夕方から夜半にかけて人が集まるので、日中の稼ぎには使えない。

 ――というわけで本日やって来たのは、だだっ広い中央公園である。

 芝生の敷かれたその空間は、端の方へ申し訳程度にベンチが置かれているだけで、他には街灯ぐらいしかない。とにかく広さだけはあるので、飼い犬と遊びに来ている人も多い場所だ。

 ここも撃剣興行のホームの一つで、アスリート寄りの健全なところだ。日が昇り切る前の涼しい時間帯にやろうと、今日も朝から剣士達が腕を競っている。顔触れ的には夏休みの学生が半分、仕事やバイトが休みの社会人が半分、そしてプロ志望が一握りといったところか。

 見物している客はあまり多くないが、それでも二十人ほど。小銭を賭けての暇潰し目的が大半だと思われるが、()を気取る老人も混じっているあたり、実入りは悪くなさそうだ。

 俺は行われている試合を眺めつつ、適当な選手に声をかけて試合のお誘いをしてみる。


「うぃーっす。空いてたら俺とやりませんか」


「ああ、構わないよ。見ない顔だけど、経験は?」


「そこそこですかね。今日は遠征なんで、お手柔らかに」


 下手に出て笑ってみるが、声をかけた兄ちゃんの眼光がわりと鋭くて困る。

 警戒されたくないので正直に話したが、遠征ってのは道場破りみたいな面があるので、あちらさんとしては「いい度胸だ。ぶっ殺す」ってなもんだろう。

 だが俺としても負けるつもりはない。ほどほどに勝った負けたを繰り返して、細く長く稼ぐという手もあるにはあるが、このクソ暑い中、だらだらとまどろっこしいことはしたくない。

 つまり最初の一人をハデに倒して、仇討ちだと盛り上がった連中を返り討ちにする荒稼ぎプラン……! 悪いが兄ちゃん、あんたは俺の楽しい夏のために犠牲になってもらうぜ!

 ――そして普通に負けた。

 いや、善戦したよ? っていうか実力的には、ギリギリ俺が上だったよ?

 でも慣れない足場って怖いよね。芝生で足が滑って転んで、呆気なく負けちまった。

 兄ちゃんは微妙に引きつった笑顔で「いい勝負だったな」と爽やかに言ってくれたが、ありゃまぐれで勝てたと分かってる顔だ。嫌われ者でもない限り情報共有はするだろうし、最低でも今日一日はここのホーム全体から警戒されるだろう。

 うむ、荒稼ぎプラン失敗。額に汗して稼げってお天道様が言ってるんだな。がっでむ。

 仕方がないのでチーム戦に混ぜてもらったりして、地道に稼ぐことにした。

 そうして一時間も動き続けていると体力も切れて、俺は汚れてもいいやと、少し離れた芝生の上に寝っ転がった。


 稼ぎは時給にして六百円ぐらい。思っていた以上に実入りが悪いのは、アスリート寄りのホームだけあって選手のレベルが高いからだ。特にプロ志望の連中は、正面からやり合うと分が悪い。

 そもそもの話、撃剣興行は全体で見れば技術のある奴は少ない。アウトロー寄りのホームだと特にそれが顕著で、勝つために小手先のテクニックを体得してはいても、土台となる基礎の技術まで磨いているのは剣道や剣術の経験者ぐらい。体格に頼った力押しをする奴の方が多いのだ。

 だがプロ志望ともなれば、基礎を疎かにはできない。何も特別なことをしているわけではなく、素振りや型を繰り返して動作を最適化し、動きを体に覚え込ませるだけのこと。祈りにも似た反復練習。その果てに人体は、余人よりもコンマ数秒だけ速くなれる。

 それは愚直であれば誰もが到達できる世界だ。自分にとって自然な動きを覚えて、繰り返すことで贅肉を落とし、筋肉を付ける。この基礎スペックを比較すれば、俺は下から数えた方が早いだろう。

 それでも俺が渡り合えるのは、カルガモとの経験が大きい。もっと遥かな高みを知っているというだけで、対応できる幅が広がる。才能があるわけじゃない俺でも、天才の真似事を武器にできる。

 ――逆に言えば、プロ志望と言ってもその程度のレベルだという話でもある。

 プロを目指していると言いながら、地方都市で燻り続けている。本当に才能があるなら、こんなところで勝った負けたを繰り返してないで、凡人からの羨望も嫉妬も置き去りに、大舞台へ上がっているだろう。

 自覚があるのかないのか。叶うことのない夢にしがみついて、足掻き続ける敗残兵。

 その報われないひたむきさは、俺からすれば随分と眩しい。

 や、だって楽しいことよりも、苦しいことの方が多いと思うんだよな。

 結果を出せないことに、それでも打ち込めるってのは、それはそれで才能だと尊敬するよ。


「………………」


 思考が変な方向へ行っている気がするのは、暑さのせいだろうか。

 芝生に寝っ転がっていては、打ち上げられた魚のように焼かれるだけ。脳が茹だる前に起き上がって、木陰にでも避難した方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えるが、だるくて動きたくない。地面は日差しに熱されて、芝生の青臭さと土臭さが蒸気のように漂っている。吐き気がするほど濃厚な夏の匂いだ。

 このまま寝てるんだか死んでるんだか、よく分かんねぇ有様になるまで転がっているのも悪くないのかもしれない。

 などと思っていたら、脳天に軽い衝撃。


「――少年、生きてるか?」


 日差しに目を細めながら見上げれば、サマーニットにジーンズという格好の女が立っていた。

 年齢は二十代半ばから後半。背丈は高いわけじゃないが、背筋がピンと伸びているので凛として見える。化粧っ気が薄いのはそういう主義なのか、それとも汗で崩れるのが嫌だからか。緩くパーマをかけたミディアムヘアーは亜麻色で、光の加減によっては金髪のように見えた。

 ……脳天の衝撃は、どうやら彼女が爪先で蹴ったものらしい。


「うっす。へばってるだけで生きてますよ」


「そうか。熱中症かと思ったが、余計なお世話だったか。

 ついでに言うがね、君。休むなら休んでいると分かるようにしなさい。生きてるのか死んでるのか分からない格好は、生きた人間がしていいものじゃない」


 そんなもんですかね、と生返事をして。ぼんやりしたまま、思考のギアを一段上げる。――いや、何でだよ。我ながら脈絡のない反射に困惑しつつ、とりあえず上体を起こした。

 一方、女の方は立ったまま、視線を撃剣興行の試合に向ける。選手のようには見えないし、暇潰しに来た観客なのか、それとも通りがかっただけか。

 彼女は何の感動もない目で、斬り結ぶ選手達を眺めて口を開く。


「少年。あれは何が楽しいんだ?」


 通りがかっただけの人だったらしい。

 まあ何が楽しいのか、改めて聞かれると困っちまうのも確かだ。楽しい娯楽は他にいくらでもあるし、わざわざ炎天下でやらなくてもいい。今時、あんまりにもアナログ過ぎる。

 ただまあ、あくまでも俺の個人的な感想を述べるなら、


「本能っスよ、本能。VRゲームでも同じことできますけど、人間、生身を動かしたいって欲求もありますから。

 それを満たす手段が色々とあるなら、あとはもう好みの問題じゃないっすかね」


「そういうものか。……いや、言い方が悪かったな。彼らを馬鹿にしてるわけじゃないんだ。

 うん。遊ぶことが目的で、その手段としてあれを選んだなら、理解できる」


 健全でよろしい、などと妙に生真面目な顔で言って。

 彼女は俺と、傍らのウレタン刀に目を落とした。


「少年もそういうタイプか?」


「いや、どうっすかね。ちょっと不純なところもあるっつーか、小遣い稼ぎしたいっつーか。

 ここの連中よりかは純粋じゃないと思いますよ」


「何が不純なんだ。目的があって手段として選んだなら、同じでしょうに」


 あ、そういう考え方する人なのね。

 俺も別に卑下するわけじゃないけど、あいつらはプロになりたい、強くなりたい、ってのがメインなわけで。稼ぎたいのがメインな俺は、そこに混ざった不純物みたいなものだろう。

 とはいえ、こんなことを話しても仕方がない。


「ま、俺とあいつらじゃタイプが違うってことで。

 大雑把に見たら同じでも、細かく見たら違うってよくあるでしょ」


「分からないでもないが……まあいいよ。追求しても面白くなさそうだ。

 それで、話は変わるんだけどね。君、返事はちゃんとしなさい」


 ん? 無視とかしてないけど?


「おかげで上がうるさくてね。直接会って話を聞けとお冠だ。

 まったく。私は使いっ走りじゃないんだけどな」


「んん? 待った待った、何の話だ」


「何って、メッセージを送ったでしょう。聖杯についてだ」


「――――悪い。スパムだと思った」


「やはりそうか。ま、いいよ。迂回策を取ったこちらの落ち度でもある」


 気にした様子もなく、彼女はジーンズのポケットを探って電子タバコを取り出した。

 口に咥えたそれを吸引し、白い息を吐いて彼女は言う。


「可能性があるというだけで、どうせ何も知らないだろうしね。

 わざわざ出向いたが、こんなのは働いた証拠を作りたいだけだ」


 アリバイ工作みたいなものだよ、と苦笑する。

 だが――少しだけ迷ってから、俺は意を決して口を開いた。


「率直に聞くけど。俺が聖杯に何を願ったか、って意味でいいんだよな」


「――――は」


 彼女は目を丸くして、


「おい、少年。それは()()()()()()()()()()()()願ったものか」


「そうだよ。ゲオルギウス・オンライン――ゲームの中の話だけど」


「……いや、それだ。そのことだ。

 くそ、まさかの大当たりだ。与太話だと思っていたんだがな」


 眉間に皺を寄せて、舌打ちを一つ。


「君、何を願った」


 視線だけで殺せるんじゃないかってぐらい、睨みつけてくる。

 その圧を受け止めながら、この人何者なんだろうと思いつつも答える。


「そっちがどこまで把握してるのか知らねぇけど。

 聖杯が原因っぽい変なことが起きてたから、二度と願いを叶えるなって」


 途端、彼女は声を上げて大笑いした。

 撃剣興行の連中が何事かとこっちを見るぐらい、大きな笑い声だった。

 ひとしきり笑った彼女は、目の端に浮かんだ涙を拭って言う。


「素晴らしい。君が欲のない馬鹿で助かった。

 皮算用をしていた業突く張りどもは、全てがご破算になったというわけだ」


「はあ。えーと、それで。結局、お姉さん何者?」


「ん、ああ。そう言えば名乗っていなかったか。

 私は古橋晶。しがない魔術師だよ」


 そう名乗って、彼女は――古橋さんは俺に手を差し出した。


「君だってもう、こちら側の人間だろう。

 歓迎するよ。馬鹿とハサミは使いようだと言うからね」


 さっきからずっと、理解を超えているのだが。

 暗に俺を馬鹿だと言っていることだけは、よく分かった。

 それでも差し伸べられた手を振り払うことは、できそうにない。

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