第三話 悪夢からの脱出
ゲオルでは戦争後、クランが増えるにつれて、プレイヤーのできることも増えていった。
まずは上級職への転職。やはりクランに所属することが身分証明になるらしく、上級職になるプレイヤーが続出した。俺が聖騎士にスカウトされたことや、NPCへのコネを利用して推薦したのは、どちらかと言えば裏技と言うか、まあ一般的な方法ではなかったらしい。
俺はアタッカー向けの前衛ということで、闘獣士への転職を果たした。リアルで言えば剣闘士の一種で、前座として獣と戦う見世物だったらしいが、ファンタジー世界なここでは対モンスター戦闘のプロだ。対人戦もできないわけではないが、それに特化したスキルは持たない。
で、俺は現在、クラン秘跡調査団の拠点であるログハウスにいる。
もっと金を出せば屋敷になり、最終的には城になるらしいが、敵対しているクランがあるわけでもないので、この程度で充分だというのがクランの総意だ。そもそも金がない。
場所はラシアの北門から出てすぐの街道沿い。何だかんだで臨時広場がラシア南に定着したこともあって、ラシア北部は閑静な雰囲気となっている。歯に衣着せず言うと、寂れているわけだが。
そして俺は拠点のリビングで、ソファーに腰かけて話していた。
「――とまあ、そんなわけでのーみんが騒いでんだよ。
バレたら面倒臭いし、リアルのことは黙っとこうぜ」
「ガウス君、やけにのーみんのこと警戒するよね」
対面に座るツバメは、不思議そうに首を傾げた。
呪術士だった彼女は変な方向へ進み、今は修道士になっている。いわゆる僧兵に該当するジョブで、白兵戦用の攻撃スキルを持ち、自己回復、自己強化を得意とする。後方支援をしつつ、遊撃を行うようになっていたので、単独での戦闘能力を補強したらしい。
戦力的には頼れるようになったものの、まだまだ脅威、身内に潜む敵への認識が甘い。
「何が怖いって、あいつ自爆上等だからなぁ。
リアルで会おうもんなら、どんなネタを握られるか分かったもんじゃないぜ」
「弱みを握られる自信があるのが、ガウス君らしいと言うか何と言うか」
「手出しされちゃ困るって意味だと、お前も弱みなんだがなぁ」
自覚があるんだかないんだか、目を丸くした後で「まさかぁ」と笑うツバメ。
いや、弱みと言えばこんな害鳥よりも、と俺は隣に座るクラレットに目をやった。
「クラレットも油断すんなよ。のーみんは優しくすると、すぐ調子に乗るからな」
「優しくしなくても調子に乗るタイプだと思うけど」
よく分かってらっしゃる。あ、小声で「ガウスも同じだよね」と呟きやがった。否定したいが否定できる要素が何もないので、心の平穏のために聞こえなかったことにしておく。
だが顔には出てしまったようで、クラレットはご機嫌取りのつもりか、頭をぽんぽんと叩く。けっ、そんなので誤魔化されるほど子供じゃねぇぞ。俺は鼻を鳴らして寝っ転がり、クラレットの膝に頭を預けた。
額をぺったんぺったん叩いて抗議してくるが、その程度じゃ駄目だ。命に届くような一撃じゃあないと、飼い犬にはなってやれないぜ。
ちなみにクラレットは長所を伸ばすということで、賢者に転職している。尖った個性はないが一通りの属性魔法を扱うことができ、多少は支援もこなせるという汎用性の高い職業だ。
賢者様と呼ぶと恥ずかしがって怒るので、一日一回は賢者様と呼ぶことにしている。
「あたしとしては、のーみん達とも遊びたいけどなー」
お気楽な様子で危険なことを口走るツバメ。
ふと見上げてみれば、クラレットも同意の頷きを返していた。
「夏休みとか、そういう機会がないと難しいもんね。
ガウスはどうしても嫌?」
「いや、どうしてもってわけじゃないんだが」
姐御に会っちまったし、この二人は近所だから何度か会ってるし。
ネットの付き合いをリアルに持ち込まないなんてのは今更で、とっくに地続きになってしまっている。本来なら警戒心を持つべきは女の方なのだが、そこまで逆転している始末だ。
「けどなぁ。どうせ男が俺だけになっちまうから、居心地が」
「カモさんは……来ない気がするけど。ウードンさんやロンさんは?」
「無理無理。口止めされてないからバラすけど、ウードンさんプロゲーマーなんだよ。夏休みなんてイベントだらけだし、最近ログインしない日が多いのも、仕事が忙しいからだよ。
ロンさんに至っちゃアメリカ暮らしだからなぁ」
「ガウス君、さらっと衝撃の事実明かしてない!?」
「別に今更、態度変えたりしねぇだろ?」
「まあ、それはそうだけどさ」
そんなことより、問題なのは男が俺一人という状況なのだ。
気後れするというわけではないが、女の集団に男が一人だけ混ざるってのは、どうも居心地が悪い。二、三人ならあまり気にならないのだが、仮にスピカと緑葉さんが参加するとしたら五人で、姐御まで追加したら六人。幹弘君の心が病んでしまっても不思議ではない。
「せめて男がもう一人いりゃ、肩を寄せ合って耐えることもできるんだが」
などと話していたら、リビングの外からガショガショと金属音。
ややあって、リビングに鉄塊が顔を出した。
「やっほー、こんばんはー!」
鉄塊、もといスピカである。
重厚な黒鉄の鎧に身を包み、顔も兜ですっぽりと隠れているため、声が聞こえなきゃ妹だと認識すらできない。年頃の娘がそんな格好でいいのかという気がしないでもないが、本人はロボっぽくてカッコいいとお気に入り。ずるいよな、俺だってカッコいい鎧が欲しい。
ともあれ、兄として言うべきことは言っておかねばなるまい。
「お前、室内じゃ鎧は脱げって言っただろ。もっとちゃんとしなさい」
「…………うん」
素直に装備を解除したスピカだったが、何故か俺のことを味わい深い顔で見ていた。
むぅ。ちゃんとしなさいと言ってる側が、横になってるのは説得力に欠けたか。
さて、スピカは聖騎士にもなれたのだが、苦手意識が生まれてしまったらしく、普通の騎士になった。防御系のスキルを豊富に持ちつつ、前衛として頼れる程度には攻撃もできるジョブだ。
なんかもう存在が俺の上位互換になりつつあるので、クラン資産からの補助は俺よりもスピカが優先される。タンクの防具を充実させることはPT戦での生命線なので、まあ仕方ない。
スピカはツバメの隣に腰を下ろして、
「今日から夏休みだね! ねえねえ、今度どっか行こう!」
こいつ思考回路がのーみんと似てるのでは?
まあ俺達もリアルで遊ぼうって約束してるだけで、いつどこに行くかまでは決めてなかったし、ちょうどいいかもしれない。
「動物園行こうぜ、動物園。ふれあいコーナーとかあるとこ」
「ガウス、大きい動物好きだよね」
「おう。一番は馬なんだが、あの力強い肉体がいいんだ。
小動物は可愛いっちゃ可愛いけど、なんか違うな」
「えー? ウサギとか可愛いじゃん。
あ、そだ。あたしハムスター飼ってたことあるんだけど、小さくて可愛いよ」
「「ふーん」」
「この兄妹、まったく同じ興味なさそうな顔してる……!」
「えへへ。私もねー、虎とかがいいかなー。
バリバリご飯食べてるところとか、すっごくいいよね」
「肉食獣の魅力も捨て難いが、やっぱ大型草食獣だろ。
あ、クラレットは何が好き?」
「私は動物っていうか……トカゲ、かな」
おや、意外な趣味。爬虫類は苦手って人、結構多いんだけど。
クラレットはどこかうっとりした様子で、
「くりっとした目がね、可愛い。
肌触りも種類によって違うけど、そこも魅力」
「でもさー、トカゲって人に懐かないって言うじゃん」
「そこもいいの。でも懐く子もいるから、ツバメにはそっちの方がいいかな」
あ、わりとガチめだ。たぶん蛇とかも可愛いって思うタイプだ。
俺も恐竜は好きだが、トカゲみたいな小型爬虫類はいまいち食指が動かないんだよな。
しかしクラレットがそういう趣味なら、動物園よりももっといい場所がある。
「――ワニ園だな」
「へ? なに、ガウス君」
「いや、クラレットの趣味と俺の希望を考慮すると、ワニ園かなって」
「いつ行こうか。私、明日でもいいよ。泊まりになってもいい」
「あたし行きたくないんだけど!?」
「「えー」」
「うわ、クラレットが本気で残念そう……」
うーむ。クラレットには悪いが、ツバメが嫌がるならワニ園はなしか。せっかくの機会なんだし、少なくとも全員が楽しめる場所じゃないと駄目だろう。
しかしそうなると、どこがいいかなぁ。牧場とか俺とスピカしか喜びそうにないし。
「っていうかさ、もっと夏らしいところにしようよ」
「夏らしいってーと、海とか山か?」
「ううん、肝試し」
膝枕してくれているクラレットが、ビクンと震えた。
「学校で聞いたんだけど、花見台の方に出るって噂のトンネルが」
「あ、私も知ってる! 電波トンネルだよね?」
「それそれ! あそこで通話とかしてると、変な声が混じるって話」
あー、俺もどっかで聞いたような覚えがあるな。
細部まで思い出せないってことは、ローカルなつまらない心霊スポットだと思うが。
「やめとけ、やめとけ。俺らはいいけど、賢者様はそういうのがお嫌いだ」
「ガウスっ」
助け舟を出してやったというのに、賢者様はぺちぺちと顔を叩きやがる。
「ちょ、やめ、やめろって。
つーか真面目な話、車が通るだろ? ンなところで騒ぐと危ねぇよ」
「くっ、イカレてるクセに良識派だよね、ガウス君は」
失礼な、と拗ねながら体を起こす。確かに俺は思い切りがよかったり、悪ふざけが過ぎるところはあるかもしれないが、自分なりに守るべき一線は守るようにしているのだ。
それに心配なのは車のことだけじゃない。
「俺らが迂闊に心霊スポット行ったら、何が起こるか分からねぇってのもあるぞ。
忘れたわけじゃねぇだろ? 帝国事件からこっち、大きい事件こそなかったが、秘跡案件はあったんだから」
秘跡案件。俺達は不思議な事件のことを、そう呼ぶようになっていた。
信仰が引き起こすと予想しているそれは、おそらく都市伝説などの怪異と相性がよ過ぎる。
顔剥ぎセーラーがそうだったように――無責任な噂話が面白おかしく話され、広まり、感染していけば、信じる者は必ず現れる。
帝国事件の後、俺達が遭遇したのはゲオル内での都市伝説だ。発端は掲示板の噂で、見たこともないモンスターがダンジョンに現れたというものだった。
おそらくは見間違いか何かが原因なのだが、その話を信じてモンスターを探す者がいたし、噂が広まるにつれて尾ひれ背びれが生えて、いかにもそれらしい出現条件までできあがっていた。
俺達も半信半疑だったが探しに行き――そのモンスターと遭遇した。
どうにか倒すことはできたものの、それ以後、そのモンスターが現れることはなかった。沈黙を続けていた運営は、その頃になって特定条件下で設定がおかしくなり、本来現れる筈のないモンスターが出現したのだと発表した。
事件はそれで終わったが、その時に俺達は一つの推測を得た。
それは、
「……分かってるよ。あたし達が、秘跡案件を誘発するのかもって話でしょ?」
秘跡案件を確信するようになってしまった俺達は、ただの噂の段階でもそうかもしれないと思ってしまう。
その想像と信仰が、形のない怪物に形を与えてしまうのではないか、と。
「そういうこった。君子危うきに近寄らず、ってな。
わざわざ自分達から首を突っ込んで、事件を起こす必要もないだろ」
「そうだけどさー。たまにはスリルが欲しいじゃん、スリル。
っていうかあたし的には、クラレットを怖がらせたい」
「もう、ツバメ!」
こいつらの友情、たまに歪んでるような気がする。
そんな感想を抱いていると、スピカがふと思いついたように口を開いた。
「ホラー映画の上映会しよっか」
「やめてスピカちゃん。そういうのはツバメと二人でやって」
「はーい。じゃあツバメちゃん、うちにおいでよ」
「俺が巻き込まれる気がするから、ツバメの巣でやってくれ」
「家って言ってくれない?」
別に間違った表現じゃないと思うんだがなぁ。
顔剥ぎセーラー事件の時、俺がツバメに見舞いとして渡したサボテンがあるのだが、大きくなったよー、とツバメから画像が送られてきたことがある。
そこがツバメの部屋だったのだが、うん、わりとカオスだった。散らかってるというわけではないが、純粋に物量が酷い。あれはもう、部屋じゃなくて巣だ。
「つーかまた脱線してるって。どこに遊びに行くかの話だろ」
「むー。定番だけど、海か山かなー。
泳ぐだけならプールでもいいけど、うち、市民プールしかないもんね」
「俺は山がいいな」
「虫捕りでもすんの?」
「する。あと男一人で水着の女三人ってのは、許されない気がする」
一人は妹だが、そんなのは世間の皆様には関係ない。
これは六法全書にも載っていることだが、女を侍らせているように見えるだけで、男は天罰を受けねばならない。天が裁かぬというなら、人の手で誅を下すべきだとも。
……いや、でも待てよ? 一人は妹で、一人は害鳥だ。実質的には女はクラレットだけ。そう考えれば天罰が下るような所業ではないのかもしれない。
「やっぱ海でもよさそうだな」
「は、離してスピカちゃん! お願いだから!
こいつ絶対、絶対失礼なこと考えた! そういう顔してるもん!!」
「落ち着いてツバメちゃん! 私そんなことより海行きたい!」
「そんなこと!?」
はっはっは。スピカもツバメの扱いが分かってきたじゃないか。
よし、クラレットも反対するわけではなさそうだし、海に決定だな。
ええっと、たしか近くの海水浴場なら、電車で一時間ぐらいだったっけ。
「――いいですね、海」
いつの間に来ていたのか。
俺達が騒いでいたせいで気付かなかったが、リビングに姐御が入って来る。
「私も一週間ほどお休み取れますしー。
前回があんなだったので、皆さんと遊ぶために遠征するのも悪くないですね」
で。最悪なことに、その後ろにはのーみんと緑葉さんもいた。
「「話は聞かせてもらった」」
いい笑顔を浮かべてハモる二人。
俺は後で怒られてもいいやと開き直って、ナップにささやきを送った。
「海行こうぜ海! な! リアルで!」
『いきなりだなお前!?
あー、会うのが嫌ってわけじゃないけど、金がないからパス』
「貸すよ。メシぐらいなら奢ってもいいから」
『いや、夏の即売会に行くから、いくらあっても足りないんだ』
俺はナップをブラックリストに叩き込んだ。
あいつはどんなに誘っても来ない。そう確信したからだ。
俺が絶望の淵に立って世を儚んでいる一方で、女性陣は盛り上がっている。
場所は学生組に合わせようだとか、水着を買わなきゃだとか、どこのホテルに泊まろうだとか。
完全に置いてけぼりなので、まったく期待はしていないがカルガモにもささやきを送ってみる。
「カモ、海行くぞ」
『お? 海と言うと、コーウェンの海底洞窟かの?』
「ゲオルじゃねぇよ、リアル」
『……ふむ。時期によっては行けるが』
「え、マジで? お前来れんの? 実在の人物だったの?」
『夏は里帰りで、まとまった休みを取るようにしておるからの。
予定はいつじゃ? 今週でなければ合わせられるが』
「今相談してる。じゃ、お前も参加ってことで」
頼れるかどうかは別として、これで男が俺一人という悪夢のような状況は脱した。
まるで生きる希望を取り戻したような気分だが、カルガモの野郎が生きる希望ってのは吐き気がするので、もっと上手い表現はないものか。
とりあえずこのビッグニュースを、皆に伝えなければ。
島人時代から実在を怪しまれていた珍獣と、ついに会えるのだ――!
○
「あん?」
寝る前に電脳の通知を確認したら、メッセージが届いていた。
それ自体は別に珍しくないのだが、ただの匿名設定ではなく、外部サイトを経由して念入りに足跡を消している。当然、送信者の名前は空欄だ。
何だこれと思いながらメッセージを開くと、
【聖杯について、知っていることはあるか】
――という、奇妙な一文だけがあった。
聖杯……ホーリーグレイルのことか? けど、ゲオルじゃレアアイテムとはいえ、もう露店でも売ってるぐらいには出回っているわけで。
わけが分からん。ひょっとしてゲオルとは関係のない、新興宗教の勧誘だったりするのだろうか。
あ、うん。そんな気がするな。変なメッセージで気を惹いて、返信したらお誘いしてくる手口だ。
俺はこのメッセージをスパムに設定し、削除して寝ることにした。