第一話 夏の始まり
ひりつく炎天。ぞっとするほどに濃い影。
夏休み初日の天気はいかにも夏らしく、部活に来たことを早くも後悔していた。
我らが剣道部のインターハイは県予選であっさりと終わり、三年生も引退した。新部長になったのはテッシーで、早くも新人戦で雪辱を果たすのだと張り切っている。
しかし張り切っているところ悪いが、そんなやる気があるのは新部長様だけなのである。公立校の弱小剣道部なんて、個人戦にしろ団体戦にしろ、一回戦勝てたらいいよね、ぐらいの緩い空気なのだ。
なのでテッシーの練習に付き合った俺は、部長になったんだから後輩の相手もしろよと生贄を捧げて休憩中。体育館の横にある鉄扉を全開にして座り、ほとんど感じられないぐらい弱い風を浴びて涼んでいる。
グラウンドでは野球部が死にそうな顔をして練習中。陽炎に揺れるその光景は、果たして青春なんだか地獄なんだか、よく分かんねぇ趣がある。
つーか体育館の割り当ての都合があるとはいえ、昼から練習ってちょっとした体罰だぜ。顧問のキヨちゃんなんか練習の最初と最後に顔出すだけで、冷房の利いた職員室で籠城戦の構えだ。
こちとら座ってるだけで額に汗が滲むので、羨ましいったらありゃしない。
「守屋先輩、サボってないで助けてくださいよ」
ぼけーっとゾンビみたいな野球部を眺めていたら、後輩の河瀬君に声をかけられた。
注意していることにしてサボりたいだけだろうと思い、手招きして横に座れと促せば、文句の一つも言わずに座る河瀬君。実に素直な後輩である。
彼も俺と同じようにぼけーっと野球部を眺めて、
「野球部はいいっスよねー。まだ三年が引退してなくて」
「お。うちの新部長の批判か」
「っつーか、マジありえねーでしょ。何であんな元気なんですか、あの人。
うちの剣道部って、普通だったら俺みたいなのが中心じゃないすか」
言いたいことは分からないでもない。
公立校、それも部活動に力を入れてるわけでもない高校の運動部なんて、中学からの惰性で続けてたり、楽しければそれでいいと考える奴が大半を占める。
本気で勝ちたいなら、そもそも選択が間違っているというお話。
部活に青春を捧げる覚悟があるのなら、私立の強豪校にでも行けばいいだけなのだ。
お気楽にやってる中へ熱血野郎が混ざっても、お互い不幸でしかない。
「まあテッシーの場合、根が真面目ってのもあるんだが。
部長になったから部を引っ張らないと、って思ってるだけだろ。
いつもの空回りだし、夏休み後半には落ち着いてるんじゃねぇか」
「うげー。前半は地獄確定じゃないっスかー」
ばたんと背中を倒して、寝っ転がる河瀬君。まあ嫌がるだけで部を辞めようとか、そういう発想には至らないあたり善人でよろしい。地獄確定なんてのは、それでも部活に参加する気がある奴しか言えない嘆きなのだ。
しばしの沈黙。体育館には数少ない部員の声が響き、グラウンドでは野球部がヤケクソのように叫んでいて、屋内外を問わずに蝉がミンミンジャカジャカと鳴いている。
「せんぱーい。大会とか出ないんすかー」
寝っ転がったまま、河瀬君が話を変える。
俺が「んー」と、気のない返事をすると、河瀬君は言葉を続けた。
「先輩入れても男子四人なんで、団体戦は諦めてますけど。
個人戦だったら先輩、上の方狙えると思うんスよね」
「かもなー。でも、そりゃあ駄目だろ」
数合わせとして団体戦に出るのは構わないし、出るからには真面目に試合する。
だけど個人戦には出ないというのが、俺と剣道の距離感としては適切だった。
「そもそもが数合わせの幽霊部員だぜ、俺。
そんなのが個人戦に出たら、真面目にやってる連中に迷惑だ」
「そんなもんですかねー。もったいねーなー」
最初から真面目に誘っているわけではなかったのだろう、河瀬君はぼやきながらもすんなりと諦めた。
この物分りのいい後輩の心情は、何となくだが分かる。
高校でも惰性で続けるぐらいには剣道が好きで、かといって強豪校に行くほどの実力も才能もない。だから厳しい練習には文句を言うだけ言って、結局は真面目に取り組んでしまう。
胸の奥には未練が燻っていて、小さな諦めを繰り返し続けているのだろう。
「俺が先輩ぐらい上手かったら、大会で勝ちたいと思うっスけどねー」
「こらこら。目標にするなら俺じゃなくて、テッシーにしときなさい」
部長に選ばれたのは消去法だが、剣道の枠組みだと俺より上手いんだから。
しかし河瀬君は黙考してから、
「いや、あそこまで剣道に打ち込むのは、無理かなぁって」
公立校の平凡な運動部員らしい、実に腑抜けた返事をするのであった。
――季節は夏真っ盛り。
しかし俺達の夏は、早くも残暑感漂う気怠さが付きまとっていた。
○
夕方。練習を終えた俺は、手洗い場で行水して汗を流し、街に出ていた。
夏休み初日ということもあってか、街には若者の姿が多い。外に出なくても楽しいことはいくらでもある昨今だが、夏休みという開放感が狂騒に駆り立てるのか、これから夜遊びだぜといった感じで、テンションの高い連中もちらほらと見かける。
まあ治安の悪い街でもないし、警察だって深夜まで遊んでなけりゃうるさくはしない。でも生活指導の先生が見回りしているので、見つからないように注意しましょう。
電動スケボーに乗って到着したのは、駅から少し離れた高架下。ただの空き地なのだが、今日も今日とて暇人どもが集まっている。フェンスに囲まれたその空き地には、四十人か五十人か、若者を中心にそれだけの人数がいた。
まだ明るい時間帯だが、高架下を挟むように街灯が並んでいるため、日が落ちても暗いということはない。空き地の片隅では暇人相手の商売を目論んで、キッチンカーが焼きそばを販売していた。
……この時間にソースの焦げる匂いをさせるとか、犯罪ではなかろうか?
何も考えずに食べたいところだが、運動の前に食べると地獄を見る。
俺は焼きそばを泣く泣く諦めて、空き地の中央、ギャラリーが囲む場所を見た。
そこでは二人の若者が、芯の入ったウレタン製の刀を持って戦っている真っ最中だった。
撃剣興行の野試合だ。
武器はウレタン刀なので怪我の心配はないし、気軽に参加することができる。専用の電脳アプリを通してAR表示が行われ、攻撃がヒットすると派手なエフェクトが発生するので、素人にも勝ち負けが分かりやすいのが特徴だ。
また、観客は少額賭博用のアプリで選手に金を賭けることができる。それ自体は撃剣興行に限らず、他の賭け試合やeスポーツでも利用されており、熱くなって金を賭け過ぎるということもない。
選手も勝てば賭け金からファイトマネーを貰えるので、強くて人気のある選手なら、上手くすれば野試合だけでも食っていくことができる。
まあそこまでの腕があるなら、公式大会に出て賞金を狙うなり、スポンサーと契約してプロになるなりした方が儲かる。初心者から腕自慢まで、幅広い層の参加する野試合だが、プロレベルの達人なんてのは場違いなわけだ。
野試合は結局のところ、子供がやるチャンバラごっこの続きだ。将来の展望とか目指す高みとか、そういうのは頭から追い出して、チャンバラしたいから集まっているだけ。
スポーツと呼ぶにはギラつき過ぎで、賭博と呼ぶには爽やか過ぎる。
この何とも半端な空気感こそが、守屋幹弘の立つ試合場としては相応しい。
「お、入った」
試合では相手の面打ちを躱し、返礼とばかりに胸元を袈裟懸けに斬った選手が勝利する。音と光が散って、ガッツポーズ。観客は沸き上がり、敗者に罵声を浴びせる者もいる。
うーん。俺も試合して小遣い稼ぎをしたいのだが、あの勝った方に挑むのは駄目だな。まぐれはあるかもしれないが、俺から挑戦するには腕が悪い。剣道や剣術の経験もなく、撃剣興行だけで鍛えた典型的な芋侍だ。俺が挑んだら常連からのブーイングは免れない。
ちょうどいい相手はいないかなと探してみるが、タイミングが悪かったのか、目ぼしい相手は見つからない。そうこうしている内に、今度は三対三のチーム戦が始まってしまっていた。
ま、こういう日もあるか。
しばらくは観戦に徹しようと気分を切り替えて、屋台で焼きそばを買う。申し訳程度の肉とキャベツしか入っておらず、たっぷりの胡椒で色々と誤魔化した一品だが、美味いものは美味い。
適当な場所で焼きそばを食いながら、チーム戦を眺めてたまに野次を飛ばす。一対一じゃ弱っちい選手でも、チーム戦となれば輝くこともあるんだが、今やってるのは一対一を三箇所でやってるようなもんで、連携も何もあったもんじゃない。
ちゃんとチーム組んでるわけじゃなくて、その場のノリで集まった急造チームだろう。位置取りでプレッシャーかけるだけでも結構違うんだから、そのぐらいはやってもらわなきゃ。
なんて偉そうなことを考えていたら、
「そこだ、行け! 殺せ!! ……下がってんじゃないよ!」
お隣さんが物騒なことを叫んでいらっしゃった。
口の悪いお姉さんだなぁ、なんて思いながら、何となく顔を見る。
「――――あ」
見なかったことにしたい。
しかしうっかり声を出してしまったせいで、向こうも俺に気付いてしまった。
不機嫌を顔に出していた彼女は、俺を見てニヤリと肉食獣のように笑う。そりゃもう、まさにロックオンって感じ。美味そうな獲物を見つけたぜ、ってな笑顔だ。
カーキ色のジーンズに薄手のパーカー。ラフな格好が似合う女博徒は、釣り眼を細めて笑っているのに、眼光をこれでもかと鋭くして口を開いた。
「やあ守屋。いいところで会ったじゃないか」
肩に手を置いてぐっと掴まれる。
逃さないぞと主張するのは剣道部の元副部長、伊吹先輩その人だった。