第十三話 至らず
距離を開けたカルガモは、様子を窺うように自分から動くことはなかった。
警戒しているのは俺ではなく、クラレットとツバメだろう。
あいつがどんなトンデモ剣士だとしても、魔法までは斬れない。だから本音としては、初太刀で俺を仕留めたかった筈だ。前衛に守られていない魔法職なら、距離を詰めるだけで殺せるのだから。
逆に言えば、俺は壁としての評価しかされておらず、脅威だと思われていない。
正しい判断だ、と思う。
いつものケンカなら、まだ勝負になる。しかしそれは、カルガモのステータスが趣味に走ってるせいで貧弱なのと、普段は短剣を武器にしているから、どうにか成立しているだけだ。
今、剣を持ったカルガモは武器の攻撃力で貧弱さを補い、短剣では発揮し切れない剣術を自在に操る。武器のせいで使えなくなったスキルもあるだろうが、そんなのは些末なことだ。剣術それ自体が、百のスキルにも勝るほどの脅威なのだから。
「ボルト系で行く」
沈黙を続ける俺に、クラレットが方針を伝える。
正直、話している余裕がないので助かる。ほんの少しでも意識が逸れてしまえば、今度こそ殺されるという確信があった。
ボルト系で攻める判断も正解だ。流石に直撃しても一発では倒せないが、詠唱を必要とする他の魔法では発動する前に潰される。この戦いにおいては、速度こそが何よりも価値を持つ。
だが方針が決まっても俺達は動けなかった。
イメージができないのだ。
何をどう仕掛けたところで、通用するというイメージを持つことができないでいる。
それが一歩を踏み出す勇気を鈍らせる。
それでも、いつカルガモが動いてもいいように、最大限の警戒をしていた。――していたつもりだった。
だがその初動を、俺どころか全員が捉えられなかった。
――再度の縮地。動いたと気付いた時には、剣の間合いまで一歩のところにいる。
反応は遅れてしまったが、警戒していた分だけ余裕がある。今からでは回避も防御も間に合わないが、ならばと俺は自ら踏み込んで突きを放った。
しかし計算が狂う。
カルガモの踏み込みに合わせた、相打ちも覚悟の突きだというのに届かない。
その原因はカルガモが自然に行った、縮地による急加速からの減速だ。踏み込んだ足先で地を擦り、緩急をつけることで目測を誤らせたのだ。
伸び切った腕を戻す暇もない。カルガモは斬撃のために身を捻る動作のついでに、肩でこちらの剣を押し上げて体勢を崩す。力の入らない腕では、抗える筈もない。
常よりも詰められた間合いで選択された斬撃は、胴への薙ぎ払い。左脇腹から刃を滑らせ、腰の回転と速度で斬る一刀だ。
「…………っ!」
勢いに逆らわず、同方向への腰の回転で受け流す。
リアルだったら致命傷かもしれないが、ゲームなら耐えられる。
大きく削れるHP。痛みに歯を食い縛りながら、この距離ではカルガモが有利過ぎるとバックステップ。あいつには密着状態でも使える技があるが、俺には素人拳法ぐらいしかない。
追撃するかと思われたカルガモだったが、そうはせずにあちらもバックステップで距離を取る。そうした理由は、攻防の間に側面を取ろうとクラレット達が動いていたからだ。
手堅過ぎて嫌になる。マンガやアニメと違って、実際の人間は側面や背後からの攻撃に弱い。気配――音や風で攻撃のタイミングを掴めても、対処は難しい。仮に対処できたとしても、その行動に時間がかかり、結果として隙を生んでしまうからだ。
だからカルガモは下がった。俺達全員を、なるべく正面で捉えるためだ。
回復したいところだが、回復薬の手持ちはスピカに渡してしまったので残っていない。いや、そもそもダメージが大き過ぎないかと、俺は今更ながらに疑問を覚えた。
隔絶した技術のせいで忘れそうになるが、ゲームキャラクターとしてのカルガモは攻撃力が低い。ステータスは敏捷重視で、次に筋力、器用と続く。対する俺は筋力重視だが、体力もある程度は伸ばしているのだ。
首などの急所に当たったのならともかく、スキルも使っていない攻撃でここまで削られるのは変だ。
何より姐御を一撃で仕留めたことからして、カルガモの筋力ではあり得ないことではないのか。
思考が結論を出す前に、だったら確かめに行けと、俺は自分から踏み込んだ。
「クラレット!」
援護を望めば、即応してアイスボルト――氷の矢が飛ぶ。
得意とするファイアーボルトにしなかったのは、実体を持つが故に斬り払えるからだろう。避ける以外の選択肢を持たせることで、カルガモの思考に負荷をかける狙いだ。
だが魔法は避けると決めていたのか、カルガモは迷いもせずにサイドステップ。迫る俺に牽制のつもりか、袈裟斬りの軌道で剣を振る。
――先程の動きを真似る。
俺は踏み込んだ足で地を擦り、速度を落として牽制の一撃を空振りさせる。その動作と同時に振り上げていた剣で脳天を、
「ぁ――――?」
間の抜けた声は、目の前で起きた現象が理解を超えていたせいだ。
俺が剣を振り下ろすと同時に、しかし確かな差を持ってカルガモの剣が翻り、逆袈裟の軌道で手首を一閃した。
骨まで断たれた感触。ゲームとしての仕様で、死亡演出以外での部位欠損は発生しないが、それに守られていなければ手を失っていた。
半ば放心する俺に対し、引きながらの面打ちを放つのが見える。思考は混乱したまま、生存本能が反射的に体を突き動かした。
避けるのは諦める。決死の思いで一歩を強引に踏み込み、打点をズラす……!
「ぃ、つ――」
刀身の半ばより下。斬ると言うよりは叩くように刃が当たり、額を割る。
知ったことか。生きているなら動けと、腰を捻って蹴りを放つ。しかしカルガモは既に間合いから脱しており、爪先が掠るだけに終わった。
これがゲームでよかったと、改めて感謝する。
リアルなら何度殺されていたか分からない。HPはレッドゾーンに突入し、もう何を受けても死にそうだが、HPが残っているなら動ける。まだ戦える。
それに――まったく収穫がなかったわけでもない。
「らしくねぇぞ、カルガモ」
何となく、感覚で分かったことがある。
カルガモのやけに高い攻撃力の正体。
それは、
「お前、何でも斬れるとか思ってるだろ」
剣に向けられた、あいつの信仰だ。
言葉を受けて、カルガモは悪戯がバレた子供のように笑った。
「なんじゃ、もう気付きおったか。
いつか気付くとは思っておったが、決め手は?」
「無駄が多過ぎる。普段のお前なら、俺ごときに駆け引きなんてしねぇだろ。
斬れると思った時に斬る。それだけで充分なんだから」
強いて言うなら、決め手は手首を斬られたあの時だ。
あれは最初からそうすると決めていた動きだ。わざと空振りして攻撃を誘い、振り下ろされた手首を斬る。言葉にすれば複雑ではないが、実現するには長い鍛錬が必要になるだろう。
しかしそれは、かつてカルガモが語った理想とは遠い。
不要なものを削ぎ落とし続けることで、剣を極めようとした男の姿ではない。
そうさせているのは何か。
それを考えた時、何となくだが、あいつは剣に信仰を向けている気がしたのだ。
「どういう心境の変化があったかは知らねぇ。
でも、お前が使ってる手品はそういうことだ。
何でも斬れると信じて、攻撃力を高めている」
その意識と過信が、本来の在り方から遠ざけてしまっている。
「うむ。まあスキルエンハンスの応用技みたいなものじゃよ。
ゲームとしての仕様かは、ちと怪しいがの」
仕様、ではないだろう。
正確には仕様外の仕様とでも言うべきか。
ホーリーグレイルのように。顔剥ぎセーラーのように。あるいはリアルでスキルを使えた、姐御やツバメのように。
このゲームに仕込まれた未知の何かが、それを可能としている。
ただ――そんなものに頼るのは、やっぱりカルガモらしくないのだ。
そのせいかは分からないが、駆け引きなんて無駄なことをしている。
過剰な武器も技も余分だからと、削ぎ落とし続けた求道者としてあまりに無残。
断言しよう。
何でも斬れる剣を持ったカルガモは、それ故に弱くなっていると。
「――ふざけんなよ、カルガモ」
その真相に辿り着いた時、驚くほどに冷たい声が出た。
いや、だって、そんなのは駄目だろう。
「お前の理想って、そういうのじゃないだろ」
素直に認めるのは嫌だが――
「何でも斬れる剣なんか持って、どうすんだよ。
そんな重荷を増やして、どうしたいんだよ」
――最強はお前だと、信じていたのに。
お前が目指したものを、お前が捨てるのは間違っている。
「そんなものに、斬られてやる価値なんかない」
「随分と偉そうに言うのぅ。だが実際はどうじゃ?
おぬしの腕前では、嫌でも斬られることになると思うが」
「試してみろよ。その剣が、また届くと思うのなら」
「ふむ……」
カルガモが黙考したのは、これが挑発かもしれないと疑ったからだろうか。
それならそれで、と。
数秒の沈黙を経て、カルガモは俺を試しに来る。
踏み込む一歩は縮地――ではなく、そうと見せかけて裏をかく、腰を落としての一歩。縮地を想定していたら感覚を狂わされるが、無駄な小細工だ。
どうせ縮地は捉えられないし、小細工に対応できる腕もない。
だから無駄なんだ。選択肢を並べられたら、俺には何もできない。この状況が出来上がった時点で、何もせず普通に踏み込むだけで充分なのに。
そうして迫る白刃を、
「その剣は届かない」
拒絶の言葉で迎え撃ち、言葉に身を任せば腕は自然と動いていた。
剣と剣が激突し、火花を散らせる。
防御の動きに怪訝な顔をしたカルガモは、ならばと鍔迫り合いでこちらを押す。体勢を崩したところへ、下がりながら狙うのは右小手への斬撃だ。
その剣が届くよりも速く、手首を返して剣の根本で受け止める。
そのまま距離を取ったカルガモの表情は険しい。
奴は睨むように俺を見て、
「――そうか。こちらの信仰を削ったか」
「お前一人の信仰なら、俺一人の信仰で打ち消せるのが道理だろ」
何でも斬れると信仰してバフをかけるなら、何も斬れないと信仰してデバフをかければいい。
しかしカルガモは、即座にもう一つの手品にも気付いた。
「いや、それだけでは説明できんな。
届かない、と。そう言葉にしたのは自己暗示、自らへの信仰か」
「実力だよ」
「おぬしにそんな腕があったとは」
はっはっは、とわざとらしく笑い合って。
「言霊信仰の一種じゃな。声にした言葉が実現するという信仰。
おぬしの場合、実現手段として動作を自動化するわけか」
実際にはそうなれと願い、届かないと確信しただけだ。
カルガモの分析が正しいかは分からないが、俺に起きた現象としては正しい。体は勝手に動いて防御を行い、カルガモの攻撃を防いでみせた。
そしてカルガモは苦笑を浮かべ、
「単純馬鹿め。よくもまあ、一言でそこまで思い込めたものじゃな」
「安心しろよ。使いこなせる気が全然しねぇ。
けど、今のお前にだけは、使いこなせる自信があるぜ」
応じるように、俺もまた笑みを浮かべて。
「――俺が斬られていいのは、お前の理想とする剣だけだ」
「――逆説的に、理想に届けば斬れるわけか」
カルガモから笑みが消える。
目は光を失い、あれだけ充溢していた剣気が霧散する。
総毛立つ。
全てを余分と切り捨てた、人の形をしているだけの剣鬼がそこにいる。
届かないと知って、ようやく己を取り戻した男が。
「悪い。横槍なしで頼む」
クラレット達にそう告げて、剣を構え直す。
二人が何か言ってる気がしたが、もう聞こえない。
理想が目の前にいるのに、他のことへ意識を割けるわけがない。
間合いは既に充分だが、俺はさらに下がって助走距離を取り、口を開いた。
「行くぞ、カルガモ」
お前の強さにどこまで迫れるか、俺の強さをぶつけさせてもらう。
弾丸のように走り、祈るように言葉を紡ぐ。
「走れ。速度を力に、剣を振るえ」
響く言葉が体を突き動かす。
これは技術の比べ合いではない。理想と理想、信仰と信仰のぶつけ合いだ。
俺は理想のカルガモを思い描き、奴はその身を以って理想を体現する。
俺の信じる理想が勝てば、この身に剣は届かず。
奴の信じた理想が成れば、この身は剣に倒れる。
「祈れ。足りない言葉を、補うために」
言葉にするには距離が足りず、言い表わせないものもある。
それを補えと祈れば、周囲に光が散った。
文字列だ。
語れぬものを語る道具として、祈りは光の文字として具現化した。
それは俺が信じる理想とは何か、かつてカルガモが語った理想とは何かを並べ立てるもので、この場における理想とは何かを定義していく。
以って、全ての準備は終わった。
【理想を示せ】
その文字列が躍った瞬間、体は最高速に達してカルガモへ肉薄する。
技は不要。武器は斬れるなら充分。
挑む度胸さえあるなら、力任せに速度を叩き付けろ。
カルガモから学んだことを体現するなら、俺の理想はそういう形になる。
対するカルガモは踏み込まない。
力を乗せるための一歩さえ、余分と削ぎ落とす境地。
構えているのかも怪しい構えで、突進に合わせてそっと腰を沈める。
刹那、銀光が一閃するのを見た。
速くはないが遅くもない一太刀。
攻撃の瞬間に差し込まれたそれは、見えているのに反応を許さない。
切っ先は俺の速度を利用して、支える力だけで首筋を斬り裂いた。
「――未熟。やはりまだ、至らんか」
カルガモの独白には、今の一太刀を悔やむような色があった。
一つ一つの動作には何の技術もない。
それでもきっと、斬るために動いたことさえ余分だと、そう思っているのだろう。
理解が及ばない。その領域は最早剣術ではなく、哲学だ。
理想は成らず。されど示され、体現せんとした理想は、俺が描いたものを超えた。
故に勝者はカルガモであり――俺が倒れるのは当然の帰結だった。
「だが、そうか。……妙な感覚があったのは、そういうわけじゃな」
納得したように呟いて、カルガモは振り返って俺を見下ろした。
「本能的に避けておった、と言うべきか。
俺が本気を出せば正気に戻ると、分かっておったのか?」
「ハ、買い被んな」
そんなのはただの偶然だ。
悔しいから言わないが、俺は本気で勝つつもりだったんだぞ。
うどん至上主義になる洗脳効果は、分類するなら精神へ働きかけるものだろう。しかし精神や心といったものを削ぎ落とすことで、カルガモは正気を取り戻していたのだ。
俺は即死こそ免れたものの、出血でもうすぐHPがゼロになる。
だから死ぬ前に託そうと、カルガモに伝えておく。
「ホーリーグレイルを壊せ。あれが元凶だ」
「うむ、分かった」
頷くカルガモ。――そこへファイアーボルトが飛来した。
「ぬふぅ!?」
炸裂する炎。背後からの魔法はどうしようもなかったのか、苦鳴を上げて耐えるカルガモ。
あ、しまった。正気に戻ったのがクラレット達に伝わってねぇわ。
どうしようかと思ったが、どうにもできないままHPがゼロになって死んだ。
死に戻る直前。最後に見えた光景は、ツバメがテュルフィングぶっぱでカルガモを両断するところだった。
クラレットが足止めして、ツバメがトドメを刺す新戦術か。
役割をいつでも交代できるのって強いなぁ、と他人事のように感心した。
ここ数話のプロット。
・突入して放火。スピカ無双。
・階段前廊下で緑葉戦。スピカ落ちる。
・ファイナルカモ。強く当たって流れで負ける。
過去の自分にもっと細かく考えろと言いたい。