第六話 パンデミック
古戦場から逃げられませんでした。
「こんばんはー! へっへっへ、皆さんにお話があります」
その夜のこと。溜まり場に俺、クラレット、姐御、スピカの四人でいたところに、まだ裏切りがバレてないとでも思っているのか、堂々とツバメが顔を出しやがった。
そしてゲスな笑みを浮かべたツバメは、俺をちらりと見てから話を続ける。
「あたし……ちょお~っと見ちゃったんですわ。
ガウス君がね? 駅前のザウルスで、制服デートなんぞしてるトコ……!」
うんうん、仕入れたネタはすぐにでも使いたいよね。分かる分かる。
だが残念だったな害鳥め! 変な風評被害で誤解されるよりはと、この面子には既に色々と打ち明けてある。何も知らずにのこのことやって来たお前の姿は、お笑い草にもほどがあるぜ!
――なので姐御がパチンと指を鳴らせば、俺とスピカが即座にツバメを拘束した。
「へ!? あ、あたし!? 待って待って、こんなのおかしい……!
いつもの流れだったら、ガウス君が痛い目に遭うパターンじゃん!」
「ふふふ。人を呪わば穴二つと、昔から申しまして」
笑顔の姐御が告げる。
「先に墓穴を掘ったのは、ツバメさんの方でしたねー」
はい、処刑宣告入りましたー。
顔を青ざめさせたツバメは、ここでようやく自分は失敗したのだと悟る。俺達が身内にこそ容赦しないことを熟知している以上、残された手段は頭を下げることのみだ。
「ち、ちょーっと悪ふざけが過ぎちゃったかな……。
ごめんなさい! 謝るんで許してください!」
「と言ってますけど、どうします?」
「誠意を見せてくれたらいいよ。リアルで」
「あ、あのー、ガウス君? あたしね、お小遣いにあんまり余裕が……」
「じゃあクラレット、悪いけど木材とファイアーボルト頼むわ」
「火炙りの刑はやめてー!?」
そんなこんなで、罪人は快くポテトを奢ることを承知して解放されたのであった。
ツバメはイタズラの代償が高くついたことに肩を落とすが、それ自体には関わりのないスピカが、にこにこと笑って声をかける。
「ね、私も一緒に行っていい? ご近所さんなんでしょ?」
「あははー……おいでおいで。あ、クラレットも来る?」
「えっと……うん。私も行こうかな」
そんな感じで、気付けば俺を置いてけぼりにして、日取りまで決め始める三人。下手したらこの三人娘が結託して、パワーバランスに変化を起こすのではないか。そんな未来を幻視してしまう。
姐御は人を呪わば穴二つなどと言っていたが、なるほど、先に落ちたのがツバメってだけで、こっちにもきっちり穴は掘られていたらしい。運命って実にクソ。
俺がこの運命の法則を呪い、新たに二つの穴を概念的に掘っていると、姐御がパンパンと手を叩いて皆の視線を集めた。
「はい、そこまでー。遊びに行くのは結構ですけど、先に話したいことありますからね」
「ああ、ツバメとカルガモが裏切った件?」
「待って待って、言い訳させて! あたしは裏切ってないから!」
おや? こいつのことだから、面白さ優先で裏切ったと見ていたのだが。わりと茶番だし、悪役プレイもそれはそれで楽しいので、俺達も本気で怒っていたりはしないし。
だがそうではないとツバメは否定し、リアルの方で事情を聞いていたのか、クラレットも追従する。
「私も聞いたけど、カモさんがおかしいみたいで」
「まともなことあったっけ?」
ズバっと切り込むスピカ。誰も否定できねぇ。
思わず数秒の沈黙が流れた後、こほん、と咳払いして姐御が言う。
「基本的に愉快生物のカモさんですが、いつもよりおかしいわけですね?」
「そ、そうそう! だからあたしもね、目を離しちゃいけないなって。
そう思ったからこそ、昨日は一緒に行動してたわけですよ!」
「ふーん。具体的にどう変だったんだ?」
「昨日さ、最初は予定通りにNPCの吟遊詩人探してたんだけど」
何があったのか思い出しながら話すツバメは、眉尻を下げて困惑を表し、
「二軒目の酒場で、ちょうど帝国のこと歌ってるところに遭遇してさ。
変な歌詞だなーって笑いながら聞いてたんだけど、聞き終わったカモさんが確かにそうだ、うどんは主食にするべきだって、なんか……そう、洗脳されたみたいになって」
「そのまま帝国に加わった、という感じですかー」
理解に苦しむといった様子で問うた姐御に、同じような顔で頷くツバメ。その様子だと、その後一緒に行動しても特に収穫はなかったのだろう。
しかし奇妙な話だ。
「あいつ、ラーメン派なんだけどなぁ」
それも唐辛子だれの入った、濃厚な豚骨ラーメン。たまにラーメンの話題になった時の話から考えると、最低でも週に二回は食べてるっぽいし、うどん派でも蕎麦派でもない。
あいつは平気で裏切るクズ野郎だが、己の信仰を捨てるとまでは思えないのだ。
裏切ったことよりも――そちらの方が異常事態だと言える。
「……それでね、私もおかしいと思ったことがあって」
自分を守るように、下げた腕の手首を掴んでクラレットが言う。
「私、お昼は学食で食べるんだけど、――多かったの。うどんを食べてる人が。
でも雨が降ってたから、温かいの食べたい人が多いだけかなって。
そう思ってたんだけど……晩御飯も、うどんだったの」
話の内容そのものには、それほどおかしなものはない。
だけど内蔵に触られたような、得体の知れない気持ち悪さがあった。
「うちはお父さんが、夜はしっかり食べたい人なの。
だからうどんだけだったら、麺類はすぐにお腹が空くとか、そういうこと言うんだけど……文句どころか、喜んでて。他はいつもと何も変わらないのに――別人、みたいだった」
「……まるでテッシーだな」
他はいつも通りなのに、その一点だけがまるで別人のようになっている。
いや、テッシーだけなら、あいつにもそんな一面があったんだな絶交しよう、というだけの話で済むんだが。クラレットの父親も明らかにおかしいのなら、話が変わってくる。
自然と俺達の視線は姐御に集まり、皆の脳裏に浮かんだ答えを彼女が口にする。
「――形は違いますけど、顔剥ぎセーラーの件に似ていますね」
そう言って俺に手招きするので、とりあえず肩車する。
肩の上で安楽椅子探偵のごとくふんぞり返り、姐御は言う。
「あれは信じられた結果、怪物が生まれたわけですけど。
今回の場合は……ゲーム内の出来事が、リアルにも影響してそうですね」
「ま、そうなるよな。どういう形かは、まだ分かんねぇけど」
現象としては、うどんを主食だと思うようになる、ってところか。
顔剥ぎセーラーと比べればえらく平和的だが、悪質さはこちらの方が上だろう。顔剥ぎセーラーがあくまでも物理的に危害を加えたのに対して、今回は思想を塗り替えてしまっている。
抵抗も許されず、別人にされてしまうのだ。
「でね、カモっちはどうしようもなさそうだしさ。
あたしも今日からは、こっちに合流しようと思ってたわけ」
「そうした方がよさそうですねー。
ツバメさんまで洗脳されちゃったら、大変ですし」
頷き、さてどうしましょうか、と姐御は皆を見た。
「おそらくウードンさんと、ウードン帝国が原因だとは思うんですよね。
うどんを主食にしたいなんて、いかにもウードンさんらしい発想ですし」
「タイミング的にも、クラン設立した直後だもんな」
だったらそこが無関係と考えるのは無理があるだろう。
まだ何か、別の原因もありそうな気はするが。
そう考えていると、不思議そうな顔でスピカが挙手をした。
「あのさー。これ、どういう話?」
「「「「あ」」」」
そう言えばお前だけは、顔剥ぎセーラーのこと知らなかったもんな……!
姐御は素早く俺から飛び降りると、両腕を突き出し、広げた両手をスピカに向けた。
「ターイム! 相談ターイム! ちょっと待ってくださいね!」
有無を言わせずに押し切り、そしてスピカを除いた俺達は距離を取って円陣を組んだ。
「どうするんですかガウス君! これ誤魔化せませんよ!?」
「あたし思うんだけど、このメンバーって隠し事下手だよね」
「他人事みたいな顔しやがって……!」
「でもどうするの? スピカちゃん、巻き込んじゃうけど」
「そこはどうでもいいんだけど、あいつ口軽いからなぁ」
「え? スピカさんに内緒にしてた理由、それだけなんですか?」
「お兄ちゃんとして心配とかは……?」
「おいおい待てよこの流れ、よくない流れだぜ。俺の人格を疑う流れだろ?
そうやって俺が悪いことにしたって、何も解決しないんだぞ!」
「あたしガウス君が悪いに一票。
で、どうしよ? もう全部話しちゃおっか?
「私も一票入れておきますねー。
もう半ば巻き込んでますし、話しちゃいましょう」
「入れなきゃいけない気がしたから、私もガウスに一票」
「多数決は最低の発明だと思いまーす!
マジョリティ聞こうぜマジョリティ、声なき声に耳を傾けろよ!」
「あのね、ガウス。わがままとマジョリティ、別物だと思う」
「はい」
聞き分けのいい俺はわがままを呑み込んだ。
結局、俺が話すと微妙に信用されなさそうという意見もあり、スピカにはクラレットとツバメから説明することになった。ちなみにツバメの意見なので、いたずらに俺を傷つけたということで害鳥ポイントを増やしておく。
その間に俺と姐御は、もう少し情報を整理しておくことにした。
「よく分からないのがカモさんなんですよねー」
唇を尖らせ、すっきりしない顔で言う。
「吟遊詩人の歌が原因で洗脳されたのかな、とも思ったんですけど。
それなら一緒にいたツバメさんが無事なのも変もですし」
「つーか俺も歌は聞いてるしなぁ。
あいつだけ心が弱くて洗脳された、ってのも違う気がする」
「……あ、それですかね?」
「いやいや、姐御だってあいつのメンタルの強さ知ってるだろ」
カルガモは島チャンで、まだ普通の女子のフリをしていた頃ののーみんに、知ってそうな気がしたから、というだけの理由でエロゲの話をした剛の者である。
あの瞬間、島チャンにいた連中は正気を疑ったし、好きなエロゲの話に食いついたのーみんにも目を疑った。思えばあの瞬間まで、のーみんは皆のアイドルだったのだ。
しかし姐御は首を横に振り、そうではないと否定する。
「それとはまた別で、免疫とか耐性とか、そういう感じですね。
ほら、ガウス君もツバメさんも、顔剥ぎセーラーの経験があるじゃないですか?
お二人が無事だった理由を考えると、そんなところかなと思いまして」
「あー……言われてみれば、そんな気もするなぁ」
少なくとも精神性において、カルガモは人間が到達し得る一つの完成形だ。
逆ならともかく、あいつだけが洗脳されたと考えたなら、俺とツバメに特別な何かがあったと考えた方が筋が通っている。
「けど、免疫か。まるで病気みたいだな」
「実際、洗脳と言うよりは感染みたいですよねー。
広範囲に影響が出ているのも、パンデミックみたいですし」
そこまで話して、姐御は不意に硬直した。
どうしたのだろう、と見詰めれば、頬を伝う冷や汗が一つ。
「……あ、あのですね。これ、最悪の想像なんですけど」
「おう?」
「ウードンさん達も、感染してません?」
「――――」
一昨日の夜。ログアウトしてグループチャットで話した時は、まだ正気だった筈だ。
だが誰が感染源かは知らないが、昨日の時点で感染者になったカルガモは、帝国に所属している。仮に帝国内部が無菌状態だったしても、感染者を迎え入れてしまっているのだ。
「もしもーし!! ウードンさん、聞こえるか!? 返事しろ!」
「緑葉さん、私です! まだ無事ですか!?」
俺と姐御は慌ててささやきを送る。が、返事はない。
届いている筈なのに無視されているのは、既に正気ではないからか。
「うう。何がまずいってこれ、戦争も茶番じゃなくなりますよ……!」
「それもだけど、緑葉さんに協力してもらえないのが超痛い!」
何だかんだで、あの人は顔剥ぎセーラー事件に関わった俺達の理解者なのだ。
現実離れした話を信じて、それとなく気を配ってくれていたし、おかしいと思ったことは伝えてくれていた。冷静な第三者というサポートを失ったのは、とんでもない痛手だ。
「つーかこれ、帝国は丸ごと染まってるってことだよな……?」
「たぶん……ああもう、リアルに影響あって当たり前ですよこれ!
一人一人が感染者になって、リアルにも持ち込んだんですよ!」
事態の深刻さが見えてくる。
リアルでも感染するのは疑いようもない。感染に必要な条件や、誰にでも感染するのかは分からないが、爆発的に広まっているのは間違いないだろう。
ひょっとしたらもう、国内には感染者の方が多い可能性まである。
「最悪ですね……早く解決しないと、大変なことになりますよ」
「あ、姐御? あんまり聞きたくないんだけど、どんな想像した?」
問いかけに、姐御は死んだ目で微笑んだ。
「うどんを主食だと思う人ばかりになったら、どうなると思いますかー?
ふふふ。――うどん不足で暴動起きても、おかしくないですよ」
大袈裟だとは、とても否定できなかった。
だって前例がある。米不足がどんな社会的混乱をもたらしたのか、歴史で習う。
他に食べ物はあったし、輸入米もあったのに、多くの日本人は我慢ならなかったのだ。
この米への情熱が、そのままうどんに置き換わったとしよう。
急激な需要の増大はうどん不足を引き起こし、人々は怒り狂う。もっとうどんを作れ、小麦粉を輸入しろと叫び、容易に暴動へと発展することだろう。
「……人死にが出るな」
絞り出すように呟いた結論は、恐ろしいほどの現実味を持っていた。
「とにかく、対処を急ぎましょう。
吟遊詩人を買収して、まだ感染してない人をレジスタンスに勧誘するんです。
少しでも感染を遅らせて、その間に打開策を考えないと」
ああ、と頷いて。
まずは資金調達だと、俺はダフニさんへ会いに行くことにした。
○
「感染……ですか」
路地裏で落ち合ったダフニさんは、俺の話を聞いて深刻そうに呟いた。
顔剥ぎセーラー事件の顛末はある程度話しているし、疑ってはいないらしい。この状況では信用できる協力者は一人でも多い方がいいので、ありがたいことだ。
「もしかして、ナップさんも?」
「可能性は高いと思う。いや、個人的には五分五分だけど」
あいつ俺達に影響されたのか、どんどんクズになってるし。
だがダフニさんの中では、まだ仲間を裏切るようなクズだとは思われていなかったらしく、彼女は決意したように表情を引き締めて言う。
「分かりました。私にできることなら、何でも協力します。
あの人を正気に戻せるのなら、どんな無茶だって平気ですから」
たまにあいつの人望バグってる気がしてならない。
まあそんなことを言って機嫌を損ねるわけにもいかないので、俺は手を差し出した。
握手だと思ったのか、手を伸ばそうとしたダフニさんを制し、
「とりあえず金貸してください」
「…………そういう約束でしたね」
一瞬、ゴミを見るような目を向けられたのは気のせいだと思いたい。
そんなわけで三十万ゴールド受け取った俺は、絶対にちゃんと返すとしっかり言って、インベントリに金を収納する。視線の温度が下がったのは何故だろう。超不思議。すげー謎。
ダフニさんは目を伏せて嘆息を洩らし、顔を上げてこちらを見た。
「それで、他には何を?
感染の話が事実なら、勧誘を急いだ方がいいと思いますが」
「あ、勧誘はこっちでやるよ。ダフニさんだけなら問題ないと思うけど。
ミイラ取りがミイラになるのは困るし、感染しないっぽい人だけで勧誘するべきだ」
「ああ、それもそうですね。確証がありませんし、私も避けておきます。
となると……何をしましょうか」
本音を言えば戦力を確保したまま、外部との接触を絶ってもらうのが一番ではある。
けど何もすることがないってのはストレス溜まるし、それなら戦力を少しでも上げるために狩りを……そう考えた瞬間、脳裏に閃きが走った。
「ダフニさん、そっちのクランで聖騎士になりたい奴っている?」
「へ? ええ、まあ。何人かは」
「よしよし。――じゃ、話を通しておくから聖騎士になってもらおうぜ」
聖騎士への転職を達成したのは、ゲーム内でもまだほんの数人だけ。
転職条件は謎に包まれたままだが、俺はふと思ったのだ。
偉い人とのコネがあるなら、聖騎士に推薦すれば転職できるんじゃないか。
そして俺は、オズワルドのフレンド……!
身分の壁を超えた信頼関係で結ばれた以上、ちょっと無理言ってもいいんじゃないかな!
「まあ上手くいくかは分からないし、とりあえず試すだけ試す感じで」
で、成否はどうあれ、戦力を上げるために狩りをするのなら、ちょうどいい相手がいる。
幸運に恵まれなきゃいけないが、上手くいけばこの状況に一石を投じられる筈だ。
「そんでさ、砂漠に大砂蟲っているじゃん? あれの乱獲お願い」
「大砂蟲ですか? どうして――いえ、まさか」
「そう。ホーリーグレイルを落とすのは、大砂蟲だ。
もし手に入れることができたら、クランを作って欲しい。
拠点はもちろん、ウードン帝国のすぐ近くに」
つまり、支配圏には支配圏をぶつけるんだよ作戦!
これが成功したら、ウードン帝国の妨害ぐらいにはなるだろう。
「分かりました。でも、クランマスターはどうします?
せっかくですから、そちらでクランを作った方がいいんじゃないでしょうか」
「いや、なんかピンハネみたいで悪いし」
「こちらで作っても、どうせ終われば解体しますよ。
クランマスターにはナップさんがなるべきですから」
おお、義理堅い。
「んー、じゃあお言葉に甘えて。
もし手に入ったらだけど、お礼はちゃんとするよ」
「何を言ってるんですか、ガウスさん」
ダフニさんは、いかにもおかしそうに笑って。
「――落とすまで狩るに決まってるじゃないですか」
「あ、はい」
やっぱガチ勢だわこの人。根っからだよ、根っから。
ドロップに対する考え方が、もう俺なんかとは全然違う。
ともあれ方針が決まり、ダフニさんは早速行動へ移るために別れた。
俺はオズワルドに連絡しなきゃと思いつつ、フレンドリストを開き――首を捻る。
気のせいだとは思うんだが、何かどうでもいいことを忘れているような……?




