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竜と信仰の奇譚  作者: 長月十九
第二章 顔剥ぎセーラーの怪
33/134

第十七話 一緒に死んであげる

予約投稿のつもりで普通に投稿しちゃいました。

仕方がないので、このまま次話も投稿します。


「――たぶんカモさん、海外住みですよ」


 あちこちに百合を案内して、午後四時過ぎ。茜達と合流する前に、休憩がてら軽く何か食べておこうということで、半分居酒屋のようなカフェで食事をしている最中のこと。カルガモも来てくれたら安心だったんだがと話す俺に、百合はあっさりとそう言った。

 彼女はプッタネスカをフォークで巻き取りつつ、


「わりとお祭り好きじゃないですか、あの人。それなのにオフ会に来ませんし。

 いつも深夜まで活動しているのも、基本的なライフサイクルが違うからですよ」


「海外ねぇ……? まあ時間の都合とかは、そう言われると納得できるけど」


「それに、何だかんだ言って薄情な人ではありませんから。

 こういう時、助けられるなら助けてくれる人ですよー」


 薄情かどうかは議論の余地があるが、貸しを作れるなら作るタイプではある。

 しかし海外住みだなんて言われると、疑問が浮かんでしまう。


「だけど仕事とかどうしてるんだ?

 言っちゃ悪いけどあいつ、剣術馬鹿やってた期間長いだろ」


「さあー? 口は達者ですから、貿易関係なんて似合いそうですけど」


「最初はよくても後々、国際問題になりそうだな……」


 あいつの話術は基本、相手を騙すことに特化している悪質なものだ。

 ビジネスに役立たないってことはないと思うが、商人と言うよりも詐欺師だ。そんなのを送り込めば、最終的には破綻するのがオチである。

 何よりも、あいつが話術に頼って仕事している姿が想像できなかった。

 俺は自分のピッツァを頬張って飲み込み、


「ま、どうでもいいか。あいつプライベートは結構、秘密主義だし。

 推測しようにも材料が足りてねぇよ」


「私には結構、重要なんですけどねー」


 嘆息した百合は、一度、間を作って言う。


「カモさんが使えるなら、現地のガイド雇わずに旅行できるんですよっ」


「へー」


 すげぇどうでもよかった。

 つーか百合の場合、現地の古い建物が目当てなんだろうし、ガイドってあんまり必要ではない気がするんだが……一人旅だと危ないから、安全確保ってところか。

 ――あれ? 友達と行くって発想がないの?

 気付いてしまった俺は、切り分けたピッツァを差し出した。


「ほら、これ……お食べよ……」


「わっ、いいんですかー? えへへ。こうやって分け合うのも、楽しいですよねー」


 やめて! それ以上は俺の心が耐えられない!

 屈託のない笑顔を見せる百合。この笑顔を守るためなら、俺は鬼にも悪魔にもなれる。百合自身が悪魔とかのお仲間ではないかという疑念はあるが、それなら魂を差し出すまでだ。

 そんな俺の決意は露知らず、百合は幸せそうにピッツァを食べる。で、プッタネスカを巻き取り、食べる。一緒に頼んでおいたチョリソーを突き刺し、食べる。……よく食うな。

 この体格であれだけ食って、栄養はどこに行っているのか。失礼な話、胸だって大きくはないし。まあ健啖家ってのは見てて悪い気がしない。よく食べるのはいいことだ。

 うんうん、もっとお食べと、ピッツァをもう一切れ渡す。俺は半分ほど食えばいいのだ。満腹にはならないが、この後は運動するんだから、軽く満足するぐらいでちょうどいい。

 そうしてテーブルに並んだ料理をあらかた食べ終えたところで、百合が話を切り出した。


「そう言えば幹弘君、学校はどんな調子ですかー?」


「あん? ……なに、どういう話?」


 何を尋ねられているのか分からなくて、困ってしまう。

 百合は苦笑いを浮かべて、


「勉強とか、友達付き合いとか。そういう普通のお話ですよー。

 幹弘君の日常は、ネットがウェイトを占めてますから。疎かになっていないかな、と」


「あー。心配されるような感じじゃあないと思うぜ?

 勉強はそこそこだし、友達だってそれなりにいるし」


 まあ友達の方はテッシーが積極的に絡んで来るのもあって、遺憾ながら親友ポジションはテッシーになってしまっているが。普通に話したり、たまに遊びに行くような連中だって、それなりにいるのだ。

 返事を聞いた百合はしみじみと頷き、安心したように笑った。


「大丈夫そうですねー。幹弘君は意外と、気配りもできる子ですし。

 私はちょっと失敗しちゃいましたので、ちょっぴりお節介を、と思いまして」


 少し恥ずかしそうに言うが――そうか、百合はヴェーダ・オンラインに青春を捧げてたんだよな。

 話に聞いた限りだと、一番熱中していたのは高校時代。それはリアルを、成績や友達付き合いを犠牲にするほど、のめり込んでいたのかもしれない。

 百合のことだから、取り戻せるものは取り戻したのだろう。この人は自分で失敗に気付いて、立て直せる人だ。しかし犠牲にしてしまった以上、取り戻せないものだってあった筈なのだ。

 今、百合の姿に後悔している様子は見受けられない。

 けれどそれを正しかったとも言い切れないから、俺を心配してくれたのだろう。

 ありがたい話だ。でも。


「俺よりも、クラレットとツバメの方を心配した方がいいんじゃないか?」


 俺はほら、わりと放置してても平気なタイプだと思うんだよな。

 百合の視点からだと、自分を重ねるべきはあの二人ではないだろうか。


「うーん、それはそうかもしれないんですけど」


 困ったように笑って、


「一緒に遊ぶ友達がいるなら、きっと大丈夫ですよー」


「…………そうだね」


 だから! 自分にはいなかった、みたいな! そう受け取れる表現やめろよ!!

 こんなんじゃ俺、百合を守りたくなっちまうよ……!

 涙が浮かびそうになっているのは、きっとチョリソーが辛かったからだ。

 そうに違いないんだよ……。


     ○


 カフェを出て、のんびりと駅前に向かう。茜達と合流するためだ。

 待ち合わせは五時なのでまだ少し余裕はあるが、こういうのは時間までに到着しておきたい。なお、昼間もそうだったが、移動中は百合がやたらときょろきょろして危なっかしい。特に見るべきものなんてない、つまらない町並みだと思うのだが、百合にはそうでもないらしかった。


「あ、幹弘君。あそこあそこ、映画館じゃないですか?」


「あー、あれな。一度金払えば、閉館まで居座れるっていうレトロな映画館」


「ほほー。まだ生き残ってたんですね、そういうの」


 この通り、ちょっと古臭いものを見つけては興味を示すのである。

 レトロ趣味なのか、それとも死にかけの何かが好きなのか。まあ絶滅危惧種は、そうと知って見る分には心が弾むのも確かだ。シーラカンスでも見せれば、判別できるのかもしれない。

 そんな感じで寄り道をしつつ、駅前に到着。待ち合わせ場所は百合の時と同じく、ロータリーの端だ。

 するとそこには、既に茜と朝陽の姿があった。


「おーっす。早いな、二人とも」


「やっほー、先輩。タルさんもこんにちはー!」


「こんにちはー。こちらでは初めまして」


 と、軽く挨拶をしたところで、邪魔にならないように道の端へ寄って話をする。

 大雑把な予定はもう決まっているので、話すのはその確認だ。


「幹弘さん、この後はガード下に向かう……で、いいんだよね」


「ああ。他の場所にも出るとは思うが、あそこは実績あるしな」


 茜の問いかけに頷く。顔剥ぎセーラーの出現場所は、噂では決まっていない。だからどこに現れてもおかしくないが、あのガード下では朝陽が襲われ、俺も襲われた。

 たぶん、あそこは出やすい場所なのではないだろうか。いわゆる心霊スポットみたいな、不吉な場所。何かしらの理由や条件があって、居場所になっている気がするのだ。


「出なかったら引き返して、時間潰してから再挑戦ですねー」


 そう言う百合は、でも顔剥ぎセーラーが本物だったらですけど、と付け加えて。


「――たぶん、一回か二回で出ると思いますよ」


「えー? 牧野さん、何でそんなの分かるのさ?」


 妙に確信めいた物言いに、朝陽が首を傾げて追求する。

 それに対して百合は胸を張って、


「ほら、逢魔が時ってあるじゃないですか。魔物に遭遇しやすい時間。

 あれって夕方ですから、顔剥ぎセーラーにも遭遇しやすいと思うんですよねー」


「聞いたことはあるが……現代の都市伝説にも、そんなの通用するのか?」


「どうでしょうね。けど、まったく影響しないってこともないと思いますよー?」


 百合は右手の人差し指を立てて、それをピコピコと振りながら説明する。


「今までも現れたのって、夕方と夜だけじゃないですか。

 時間をまったく気にしないなら、別に朝でも昼でもいいわけで。

 ――怪物が現れるなら夕方や夜だって、無意識に皆考えてると思うんですよ」


 言い換えればそれは、自覚のない信仰。

 信仰から生まれた怪物は、そんなものにまで縛られる。

 言われてみるまで不思議に思わなかったぐらい、俺達まで縛られている。


「ですから一回か二回で、出ると思うんですよね。

 戦うのは幹弘君ですけど、お二人は危ないと思ったら逃げてくださいねー」


 なんて、和やかに告げる百合。

 平常運転のまま、いざとなったら見殺しにしろと、平気で言ってしまえるのが百合だ。

 とはいえ安全を考えれば、それは最低条件のようなもの。俺が返り討ちになりそうなら、どうしようもないのは分かり切った話。むしろ逃げてもらわなくちゃ困る。

 これに関しては理詰めの話なので、朝陽は不承不承ながらも頷いた。

 ならば当然、茜も――と思ったが、彼女は同意する前に問いを発した。


「あの……その時、牧野さんは?」


「え? 私は幹弘君と一緒にいますよー?」


 おかしな質問だ、とばかりにきょとんとする百合。


「流石に幹弘君が死んじゃったら逃げますけど。

 どんなに劣勢でも、私が先に逃げちゃったら幹弘くんが困るじゃないですか」


 百合には顔剥ぎセーラーが姿を消した時、霊体看破で見破るという役割がある。

 それを果たすのはそういうことなのだと、彼女は当たり前のように言った。


「それにこれは、あくまでも万が一の時の話ですからー。

 幹弘君に任せておけば、きっちり殺してくれますよ」


「……ごめん、百合さん。私、そこが分からない。

 幹弘さんのことは信じてる。でも、相手は怪物なんだよ」


 勝てる保証があるというわけではないと、茜はもっともな心配を口にする。

 うん、我が事ながら同感である。その不安があるから、俺もカルガモを頼りたかったんだ。

 しかし百合は明るく笑って、


「大丈夫ですよ。幹弘君、相手が人の形をしてたって、気にする人じゃありませんから。

 私は幹弘君の、そういう頭がイカレた部分を信用してるんです」


 え、泣きそう。そう思われてんの俺。

 従順なペットとして仕えて来たのに、なんて言い草だこのコロポックル。


「いやいや、人の形をしてるかどうかなんて、気にすることじゃないだろ」


 当たり前のことでイカレてるとか言われても困るので、慌てて口を挟む。


「気にするのは敵かどうかであって、他のは余分だろ」


 そこを見誤ってしまったら、殺せるものも殺せない。

 それだけのことなのに、ちょっと待て皆の衆。どうして一歩下がってるんだい?

 解せぬ、と首を捻っていたら、呆れたように茜が嘆息した。


「はぁ……幹弘さんのこと、まだまだ牧野さんには敵わないな」


「根は単純で良い子ですから、上手く誘導するのがコツですよー」


 ……よく分からないが、何事かを納得したようなので気にしないでおこう。

 とりあえず話はこのぐらいにして、移動しようということでそれぞれのスケボーを起動する。

 自然と会話がなくなったのは、やはり緊張があるからか。気負ってもいいことはないし、もっと気楽に構えていいと思うんだが、これが百合の言うところの、人の形とやらの影響だろうか。

 顔剥ぎセーラーは人間ではないが、人間の形を獲得している。

 それを殺すということは、殺人を想起させてしまい――心の傷になるのかもしれない。

 ま、終わったら美味いメシでも食いに行こう。俺にはよく分からない感覚だから、俺にできるアフターケアはそれぐらいが関の山だ。

 そんなことを考えていると、ふと想像していなかった可能性に思い至る。

 いや、殺すのはいいんだが……顔剥ぎセーラーって、死体残ったりすんのかな?

 変な騒ぎになっても嫌なので、信号待ちで足を止めた時にその懸念を相談してみる。


「んー。出たとこ勝負ですけど、たぶん残らないんじゃないですかね」


 そう答えたのは百合で、彼女なりの推測を口にする。


「実体があると言っても、真っ当な物質ではないと思うんですよねー。

 もしそうでなければ、現れるたびに原材料が必要になっちゃいますし」


「それじゃあ、あいつは触れるエネルギーの塊みたいなもんなのかな」


「あ、そのニュアンス近そうですね。

 うん、エネルギー生命体……そんなモノなのかもしれません。

 それが死ぬということは、エネルギーを使い切って消滅するということでしょうし」


 なるほどなぁ。そんな視点で考えたことはなかった。

 らしい話だな、と納得していたら信号が青になったので、話をやめて進み出す。

 相談しておいてあれだが、些末なことだ。

 結局のところは百合が言ったように、出たとこ勝負なのは変わらない。あれこれと相談するのはもう終えているし、後は予定通りに行動するしかない。

 ――そうして俺達は、目的のガード下に到着した。

 あの夜と変わらない、重く湿った空気。

 無機質なコンクリの壁は、何かを閉じ込める監獄めいている。

 日の沈み切らない黄昏の中、街灯は白々と輝いていて。

 見知ったセーラー服姿が、その下に佇んでいた。


     ○


「――――百合、頼んだ」


 短く告げた言葉に応じて、百合から電脳の接続許可が飛ぶ。ノータイムで許可を与えれば、一瞬のノイズを伴って視界が入れ替わる。

 視界の正面に捉えるのは俺の背中。自らの視界を捨てて、百合の視界を電脳経由で獲得する。

 霊体看破が有効であっても、俺に見えなければ意味がない。それを解決する苦肉の策がこれだ。

 まるでTPS――三人称視点ゲームのような視界だが、体を動かすことに支障はない。違和感は無視できないレベルであるが、全身で操作する端末だと思えばいいだけのことだ。

 直後、開戦の合図も何もなく、俺の体はスケボーから跳んで踏み込んだ。

 さあ答え合わせの時間だ、顔剥ぎセーラー。

 顔剥ぎセーラーが身構えるよりも早く、振るった拳がその胸元に突き刺さる。

 あの時と同じ、確かな感触。殴り飛ばされた顔剥ぎセーラーは、地面を削るように踏ん張り、腰を落とした姿勢でこちらに顔を向ける。顔の(もや)さえなければ、睨んでいたのかもしれない。

 ここだ。以前と同じなら、奴は姿を消している。その確認のために、あえて俺の視界を戻す必要はない。


「先輩、消えてる!」


 響く朝陽の声に、通用した、と安堵する。

 今、朝陽と茜の視界ではあの夜のように、顔剥ぎセーラーは消失している。

 それが見えているのは霊体看破の効果であり――信じれば殺せると、証明されたことに他ならない。

 確信を得た以上、もう何も恐れる必要はない。

 相手は握力が強いだけで、身体能力も動作も人間離れした点などない。逃げられる前にこのまま押し切れと、接近して拳打を重ねた。

 顔剥ぎセーラーは腕を振り回して抵抗するが、掴まれてしまったら致命傷に化ける。そんな愚は犯さないよう、回避を優先してコンパクトな振りで拳を、隙があれば蹴りを叩き込む。

 それでも全てを躱すのは無理があったか。視界の違いは見切りの精度に誤差を生む。奴の指先が掠めた腕や肩などに、小さな裂傷が増えていく。指先の力だけで皮が持って行かれて、裂けてしまっているのだ。

 だが問題ない。この程度なら、急所にさえ触れさせなければ大丈夫だ。スタミナにも余裕があるし、弱らせたところで首を折るなりして確実に殺せばいい。

 そうして攻防がしばらく続いたところで、後ろから声が飛ぶ。


「――幹弘さん、また見えた!」


 注意を促す茜の声。顔剥ぎセーラーの姿が見えたということか。

 俺には分からないが、姿を消すのはやめたらしい。それだけ余裕がなくなったということだろうか。そうだとすれば、決着の時は近い――その考えを粉砕するかのごとく、右腕が振るわれた。

 迸る影は肥大化し、あの靄のようなものが腕を覆っている。

 禍々しい変貌を遂げたその腕は、これまでにない速度を誇って振り抜かれる。


「…………ッ!」


 咄嗟に飛び退ったはいいものの、掠った爪先が胸元の肉を抉る。あと数センチも深ければ致命傷だったことは疑いようもない。

 灼けるような激痛。一拍遅れて、脳内麻薬が危険信号を黙らせる。

 こうなっては命に関わると、俺は本来の視界に切り替えて顔剥ぎセーラーを見据えた。

 ――ああ、それはまさしく怪物だった。

 肥大化した右腕こそは信仰の結実。この怪物を成り立たせるのは人の形ではなく、顔を剥ぐという機能。そう在れと望まれたからには、それを果たせるように形を変えるなんて当然だ。

 人の形なんてどうでもいいと思いながら、思考をそれに囚われていた失策。

 怪物がいつまでもこちらに合わせてくれるなんて、そんな保証はどこにもなかったのに。

 そして、顔剥ぎセーラーが踏み込む。

 この愚鈍な獲物を殺せと、凶器と化した右腕が嵐となって荒れ狂う。

 視界を戻したと言っても、今までと比較すれば段違いの速度。紙一重で見切れるようなものではなく、隙を晒すのは承知で大きく動いて躱し、それが無理な時は拳を当てて逸らす。

 百合はこの怪物をエネルギー生命体と評したが、確かにと痛感させられる。今、眼前で獣のように暴れるこいつは、おそらくリソースの使い方を変えた。

 自らを殺さんとする敵に対し、そのままでは抗せないと悟ったのか、姿を消すという機能を廃止した。浮いたリソースは右腕に注ぎ込まれ、それを活かすために何かを犠牲に、身体能力まで底上げしたのだ。

 そんな分析をしたところであまりに遅い。

 最早、防戦一方のワンサイドゲーム。どうにか耐えられているだけで、一度でも判断を誤れば殺される。そうはならないのかもしれないが、そうと信じさせられてしまう。

 ――思考がマイナスに傾き過ぎている。

 それはよろしくないと、後ろに跳んで距離を開ける。逃げるなら逃げろ。このまま続けるにしても、頭を冷やすだけの時間が欲しい。

 下がった俺を追わず、かといって逃げる素振りもなく、顔剥ぎセーラーは虎視眈々と隙を窺う。まるで猛獣だ。背中を見せた瞬間、あの右手は(あぎと)となって襲いかかるのだろう。


「くそっ、とんだ化物だ」


 八つ当たりのように吐き捨てた言葉に、顔剥ぎセーラーが反応を示す。

 奴はほんの僅か、視線を上げるように頭を動かして、


「――わたしは、顔剥ぎセーラーだ」


 自分は化物ではないと、自らの言葉で否定した。

 今時古臭い、電子合成のような女の声は、そう在れと願う祈りの声にも似ていた。

 ……待て待て、どうなってる。これはちょっと、前提がひっくり返るぞ。

 俺は顔剥ぎセーラーを、現象のようなものだと考えていた。たまたま生物のようなカタチになっただけで、考えることのない自動式。都市伝説そのままに動くだけの、傍迷惑な現象なのだと。

 それがおい、返事しやがったよあいつ。ひょっとして自我があるのか。

 だとしたらダメだ、筋が通らない。そんなのを一方的に殺すなんて、非道にもほどがある。

 会話ができるならまず話して、殺すかどうかなんてのはその結果で――――


「――――、あ」


 自分の馬鹿さに愛想が尽きる。

 殺し合ってる真っ最中に呆けるようでは、殺してくださいと懇願しているに等しい。

 事実、俺が隙を見せたと気付いた顔剥ぎセーラーは、あっという間に踏み込んで、その魔手で顔面を掴んだ。

 指先が突き刺さり、肉どころか骨ごと皮を剥がされる。

 自分の潰れる音に混ざり、誰かの悲鳴が聞こえた気がする。

 死の間際。欠けた脳味噌は、こいつを殺せるカタチを思い描いた。


     ●


 手繰り寄せる記憶は近いものが望ましい。

 遠い記憶は曖昧で、不鮮明で、不確実に過ぎる。

 人のカタチに拘泥する必要はない。

 役割を果たせる機能があればいいと、奇しくもアレが証明した。

 ならば削ぎ落とせ。守屋幹弘の信じる強さとは、そういうものだ。

 余分を捨てて捨てて捨てて、リソースを回せ。

 脳髄が沸騰する。

 人の身に余る所業を為すならば、代償を払うは必然。

 故に人の身を捨てることで、代償を踏み倒せばいい。

 祈れ(さけべ)祈れ(さけべ)祈れ(さけべ)

 願いよ(のう)に届け、アレに可能ならばこの身に不可能である筈がない。

 理屈も原理も必要ない。

 そう在れかしと祈ったからには、奇跡は起こる。

 守屋幹弘は咆哮(こえ)を上げて、その異形を誇った。


     ●


 突然の変化を、牧野百合は呆然と夢のように眺めることしかできなかった。

 顔剥ぎセーラーに幹弘が掴まれ、その顔面を剥がされた瞬間のことだ。幹弘の全身が、今、顔剥ぎセーラーの右腕がそうであるように、黒い靄へ包まれた。

 かろうじて人型を保つそれは、まるで影絵の怪物。膨れ上がった巨躯は人よりも、むしろ獣に酷似していた。


「――――――――!!」


 獣が吼える。振るわれた爪の力強さは、この世の全てを紙屑のように断ってみせるだろうと確信させる。そのたった一振りで、顔剥ぎセーラーの右腕は半ばから呆気なく千切れ飛んだ。

 当然だ。紛い物であっても、その一撃は神に届き得る刃。たかが都市伝説の怪人ごときが、抗えるようなものではない。

 禍々しくも神々しいその姿を、百合は以前にも目にしたことがあった。


「ザルワーン……」


 それはゲオルギウス・オンラインで遭遇した、狼のボスモンスター。

 あれを黒い靄で構成したならばこうなるだろう、という姿がそこにあった。

 獣はさらに爪を振るう。突き刺し、引き倒す動きだ。顔剥ぎセーラーは声を上げることもできず、地に縫い付けられる。手足を振り回して足掻くが、何の意味もない。

 無慈悲に叩き付けられた手が、顔剥ぎセーラーの頭部を潰した。

 そればかりか、念入りに。頭を失った体を文字通りの八つ裂きにしたところで、その肉片は黒い靄となって消滅した。

 ――幹弘の変貌から決着まで、十秒もかかったかどうか。

 理解が追いつかないものの、顔剥ぎセーラーは死んだと確信できる。あんなざまにされても蘇るなどとは、到底思えない。

 だから終わった、終わったのだと自分に言い聞かせて。

 百合は震える声で幹弘に呼びかけた。


「あの、幹弘君……体、大丈夫ですか?」


 呼びかけに獣が振り返る。

 その眼光に敵意はなく――ただ、剥き出しの殺意だけがあった。


「――――――――!!」


 獣は吼える。次なる獲物がいると歓喜して、本能のままに走る。

 死んだな、と。百合は諦めるでもなく、当然のこととして受け入れた。

 別に恨みはしない。こんな結末は予想していなかったが、身の危険は覚悟していた。もしもの時、自分にできるのは一緒に死んであげることだけだと、最初から受け入れていた。

 だからちょっと驚いたけれど、まあ、仕方がない。ペットがやんちゃをしたなら、飼い主が責任を取るだけのこと。自分が殺されている間に、茜と朝陽も逃げるでしょう。

 百合は微笑みながら、唇の動きだけで「おいで」と告げて、


「――バインド!!」


 絶体絶命の窮地を、獣を絡め取る鎖が救った。

 誰の仕業かなど問うまでもない。この土壇場で、朝陽が奇跡を起こしたのだ。

 現実世界にゲームの魔法を持ち込み、できると信じて悲劇に抗ってみせた。

 ……ならば自分にも、まだ何かできることがあるのではないか。

 百合がそう考えた時には、茜が歩み出ていた。

 彼女は恐れた様子などなく進み、両手を伸ばして獣の顔に触れる。

 その姿に。百合はどうしてか、泣きそうになってしまった。


「お疲れさま、幹弘さん。――全部、終わったよ」


 夢が覚めるように、奇跡が終わる。

 獣の異形を保っていた黒い靄が、ぼやけるように霧散して。

 後には何が起こったのか分かっていないらしい幹弘が、とぼけた顔で立っていた。

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