第十五話 蝕む信仰
カルガモとの会話は、嫌な感触だけを残して終わった。
正直なところ、怪物としての顔剥ぎセーラーが実在しているとは、今でも信じられない。しかし超常現象だと思ってしまった方が、何かと納得がいくのも確かだ。
いいや、はっきり言ってしまえば――守屋幹弘こそが顔剥ぎセーラーを生んでしまったのだと。城山さんの実在を知ったことで、間接的に存在証明を行ったのが原因だという推測は、直感的に正しいと感じてしまっている。
……そもそもゲオルで城山さんと出会ったのも、出来過ぎなんだ。あれも偶然ではなく、三日以内に顔剥ぎセーラーが現れるという話が原因の、歪んだ必然なのかもしれない。
あるいはクラレットやツバメと出会ったのも、何かしらの縁があったからか。疑い始めてみると、偶然の積み重なりがどれもこれも必然に思えてしまう。
まあ、世の中の全てが科学で説明できるわけじゃない。不思議なことの一つや二つ、あったところで不思議ではないさ。重要なのは、そうだとすればあれは目的のない怪物だということだ。
最初にネットへ書き込んだ人物も気になるが、コントロールできるような性質のものではないだろう。あれは原因を作っただけで、その後にまで大きく関わっているとは思えない。顔剥ぎセーラーは噂話の通りに、そう在れと望まれた形で暴れているだけだ。もしもこの先、他にも目撃者が増えるようなら、それはすぐに被害者の増加へと変わるだろう。
俺には――発端の一人である俺には、それを止めなきゃいけない義務がある筈だ。
誰がどこで死のうと構わないが、俺に巻き込まれて死ぬってのは正しくない。そんな筋の通らない終わり方、俺じゃなくても納得できるわけがないのだ。
「つっても、どうすりゃいいんだか……」
ベッドで仰向けに寝転がり、虚空を力なく睨む。
目指すべき解決は、二度と顔剥ぎセーラーが現れないようにすることだ。
しかしどうすればそれが可能になるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
だってそうだろう? 相手は噂話から生まれた怪物だ。殺そうにも殴れば消える、煙みたいな奴だ。不思議な存在を殺せる不思議な技なんて、流石に俺も心得がない。
特に妙案が浮かんだりすることもなく、時間ばかりが過ぎていく。
……うん、こんな風に思い悩むってのは俺らしくない。それは守屋幹弘が自分に定めた在り方として、相応しくないものだ。思考放棄はよくないが、考えてダメなら行動するのが俺という生き物だ。
顔剥ぎセーラーを退治する方法はちっとも思い浮かばないが、もう遭遇したらぶん殴ればいいや、と割り切っておく。指の力には凄まじいものがあったが、動きはてんでなっちゃいなかったし、あの程度なら何度襲われたって殴り倒せるだろう。
「ん?」
半ばヤケクソのようなことを考えていたら、閃きが走る。
そうだ。勝手に推測して、そういうことなんだろうと納得していたが、確かめたわけじゃない。
思い立ったら行動だ。俺は城山さんに通話をかけて、話を聞こうとする。
出ない。長い昼寝……いや、あの人ナップと組んでるわけだし、休日ならゲオルか。仕方ない。時間を取ってもらえるかは分からないが、俺もゲオルへログインすることにした。
○
どうせナップを殺す気がしたので、ログインした俺はまず教会へ向かった。
先にお布施をしておくことで、功徳を積んでおこうという作戦である。とはいえ有効かどうかは分からないので、ちょっとした悪さをこれで見逃してくださいと、司祭に言い添えておいた。
司祭からはゴミを見るような目を向けられたが、これも生きる知恵だ。何ら恥じることはない。もし有効だったら、生命保険とでも名付けて掲示板に書き込んでおこう。
ついでに礼拝堂で祈りも捧げて、実は敬虔な信者なんですよアピール。神を信じる気なんて毛頭ないが、人からどう見えるのかって大切だよね!
そんな一連の工作を終えたところで、礼拝堂の長椅子にドカっと腰を下ろし、フレンドリストを開く。お、緑葉さんとのーみんがログインしてる。二人だけで狩りになるとは思えないし、臨時PT……いや、のーみんが地雷過ぎる。知力極振り戦士ってただのゴミだぞ。ってことは二人で狩りしてるか、何かしらの素材集めか……それとも臨時広場でキワモノばっかり集めて、PT組んでるってところか。
さて、そんなことよりも本命のダフニさんだが、やっぱりオンライン表示されている。ナップも同様なので、ペア狩りかクラン狩りしているのだろう。
俺はリストからダフニさんを選び、ささやきを飛ばす。
「ちわーっす、ガウスです。ちょっと話あるんだけど、時間ある?」
『あ、こんにちは。今ならラシアで休憩中ですから、大丈夫ですよ』
ナイスタイミング。それじゃあ会って話そうということで現在地を聞くと、噴水広場の北、プレイヤーがあまり通らない路地裏が溜まり場になっているそうで、そちらまで移動する。
到着した場所は大通りの裏手で、人通りは少ないが各施設へのアクセスは悪くない。地面は土が剥き出しで、道の端には木箱が積まれていたりと、見た目以上に狭い場所だ。
そんな場所にダフニさんとナップ、そしてクランメンバーらしい人が他にも二人いた。
「あっ、ガウス!」
顔を出した俺に真っ先に気付いたのは、木箱に腰かけていたナップだ。
腰を上げた彼は笑顔で俺に近寄り、
「二回」
と、笑顔で告げる。言うまでもない、衛兵に殺された回数だろう。
俺は朗らかな笑みを浮かべて、
「数を覚えてる内は、まだまだ甘いぜ」
「ふっ、流石だなガウス……俺も思い知ったよ、下には下がいるってね」
はっはっは、と笑い合った俺達は、次の瞬間には武器を抜いてぶつけ合っていた。
「お前のせいだぞガウス! 俺はパラディンとか目指してるのに!」
「どうせいつか、手は汚れてたに決まってんだろ!」
理不尽な八つ当たりに言い返すが、ちょっとまずいな。こいつまたレベルが上がったようで、筋力でもギリギリ負けている。力押しではどうにもなりそうにないぞ。
疲れるから嫌なんだが、こうなったら未来視を――などと思っていたら、クランメンバーの人から魔法が飛んで、ナップが吹き飛ばされていた。
魔法を放った人物は緑髪の男だった。長い前髪で片目を隠している彼は、苦笑を浮かべて言う。
「うちのリーダーがスマンな。ケンカ友達ができて、はしゃいでるんだよ」
「あ、あー……いやまあ、こっちこそいきなり暴れてすまねぇ」
大人な態度にちょっと鼻白む。周囲にこういう、真っ当な感じの大人っていなかったからなぁ……おっといかん、挨拶ぐらいしなければ無礼だ。
「あ、俺は戦士のガウス。そちらさんは?」
「俺か? 魔道士のドンナニャドスだ、よろしくな」
…………うん?
「も、もう一回」
「ドンナニャドス。ああ、気軽にニャドスと呼んでくれ」
と、爽やかに言ってくれるのはいいんだが。
俺が困惑していると、そこでダフニさんが助け舟を出してくれた。
「ニャドスさんは、キャラの名前が適当な人なんですよ。
その名前もネットのジェネレーター回して、選んだそうですから」
「語感は悪くないと思うんだがなぁ」
不思議そうに首を傾げているが、なるほど。ジェネレーターでランダム生成したのか。わりと普通の名前を出すジェネレーターも多いが、変な文字列を生成するのもあるからなぁ……。
独特のセンスの持ち主っぽいが、まあ欠点ってほどでもないか。
そんなことを考えていると、ふと思い出したようにニャドスさんが言う。
「ああそうだ、せっかくだから彼も紹介しておこうか」
そう言って目で示したのは、木箱に腰かけたまま黙り込んでいる最後の一人だ。
粗末な鉄の防具に身を包み、腰には長剣を帯びた黒髪の男。その雰囲気は歴戦の勇士を思わせるが、彼はこちらを一度だけ見ると、すぐに視線を逸らしてしまった。
「彼はデル1。無口だけど悪い奴じゃないし、うちの切り込み隊長なんだ」
「どーも、ガウスだ」
デル1さんから返事らしい返事はなく、よく見なければ分からないような動きで、小さく頷いていた。
うーむ。癖の強い面子な気もするが、ニャドスさんとダフニさんが上手く回してる感じなんだろうか。まあガチ勢なんて多かれ少なかれ、癖があって当然だ。他にいくらでも娯楽があるってのに、時には楽しさを犠牲にしてでもゲームする人種なんだから。
そうやって勝手に納得していると、ナップが走って戻って来る。つーか静かだと思ったら死んでたのか。
「ふぅー。それでガウス、何か用か?」
「ああ、ちょっとダフニさんに話が」
「なっ、引き抜くつもりか!?」
「違いますよ」
早とちりして焦るナップの後頭部を叩いて、ダフニさんが否定する。痛みに蹲るナップを無視して、ちょっと場所を変えて話そうと提案していたら、ナップが顔だけ上げて言う。
「ああちょっと待てガウス。クラン作るのに必要なアイテム、分かったぞ」
「お、マジで?」
「入手法までは分かってないけどな。
アイテム名はホーリーグレイル。日本語だと聖杯だ」
「聖杯ねぇ……まあいいや、もし先に見つけたら入手法は教えてやるよ」
聖杯ってーと、たしかキリスト教のアイテムでいいんだったかな。アーサー王伝説のイメージが強いけど、詳しいことは姐御にでも聞けばいいだろう。
そんなわけで俺とダフニさんはこの場を離れて、さらに奥まった路地へと移動した。
わざわざ二人きりになったのだから、どんな話をするのかはダフニさんも分かっているのだろう。いざ向かい合ってみると、その表情は硬く――どこか怯えがあるようにも見えた。
だがこればかりは配慮しているわけにもいかない。確認しておくべきだったことを、俺は改めて問いかけることにした。
「ダフニさん。顔剥ぎセーラーのことなんだけどさ」
「何か……あったんですね」
頷く。彼女が言いたくないことに踏み込むのだから、隠し立てするのは不義理だ。
変に不安がらせないよう、これまで黙っていたことであっても、明かす義務がある。
「昨日、顔剥ぎセーラーに襲われた。
ARを使ったイタズラだと思ってたんだが、顔を掴まれちまった」
「……っ、大丈夫だったんですか!?」
あ。この言い方だと、怪我でもしたように聞こえるか。
慌てて手を振り、心配はいらないと笑って答える。
「平気、平気。すぐに蹴っ飛ばしたから。
ただまあ、その後ぶん殴ったら、手応えはあるのに消えちまってさ」
だから打つ手がない。俺には顔剥ぎセーラーを倒せない。
あの怪物はまさしく、この世の理の外にいる。
「そんでどうしたらいいか、あれこれ考えてたら思い出してさ。
ダフニさん――そもそもあんた、どうやって顔を剥がしたんだ?」
俺の想像では、必死に抵抗したら爪で肉を削いだとか、その程度のものだった。
しかし真実、顔剥ぎと呼ばれるほどに皮を剥いだのなら、それは人間業ではない。何か超常の力が働いたのであれば、それは顔剥ぎセーラーを倒す手がかりになるかもしれないと思い、問いかけた。
ダフニさんを己を抱くように右手で左腕を掴み、表情の暗さを増す。そこには怯えと、自身への嫌悪が見て取れた。だがそれを振り切るように、瞳に力を込めて彼女は言う。
「……あの時、後ろから抱きつかれたんです」
顔剥ぎセーラーの発端となった、顔を剥がれた変質者……痴漢のことだろう。
そいつはダフニさんに後ろから抱きついて、
「怖くて、悲鳴も上げられなくて。でも、抵抗しなきゃと思って。
だけど叩いたりしても、全然、ホント、全然意味なくて」
痴漢が屈強だったのか、それとも彼女がひ弱だったのか。
必死の抵抗は意味を為さず、
「その時、頭のどこかで思ったんです。これがゲームだったら、って。
ゲームだったらこんな奴、やっつけられるのにって」
「……それで?」
「そしたら――振り回した手が、あいつの顔に当たって。
嘘みたいに、皮が、めくれて……肉が、飛んで……」
「分かった。それだけ聞ければ充分だ」
涙を浮かべ始めた彼女の言葉を遮り、そう告げる。
襲われたことそのものへの恐怖もだが、彼女は自分が引き起こしたことを呪っている。こうして話しているだけでもつらいだろうし、これ以上は深い傷になってしまうかもしれない。
何より、俺にはその傷を癒やすことなんてできない。
彼女が負ってしまった傷は、彼女が自分で癒やすしかないのだ。
「ありがとうな、ダフニさん。おかげで少し、どうしたらいいか分かった気がする」
だから俺にできるのは、今も彼女を不安にさせる顔剥ぎセーラーを倒すことだけ。そこから先は何もできないし、俺がどうにかしようなんて思い上がりだ。
だけどせめて、関わった者としてお節介ぐらいは口にしておこう。
「約束するよ。このふざけた都市伝説は、必ず終わらせる」
正義感なんて大袈裟なものではない。
彼女が苦しみ続けるのは気に食わないという、ただそれだけの話だ。
俺はもう一度ダフニさんにお礼を言うと、機会があればまた遊ぼうと誘ってログアウトする。
しかし……そんなことじゃないかと思ったが、ちゃんと話を聞けたのはよかった。
――自由と信仰のVRMMO、ゲオルギウス・オンライン。
その信仰は、リアルを蝕み始めているのかもしれない。
○
「あー! 兄ちゃん、どこ行ってたのさ!」
夕方。帰宅した俺を出迎えたのは、ご機嫌斜めの奈苗だった。
はて。晩飯には間に合うように帰ったのに、どうして怒ってるんだろう。
奈苗は奈苗で部活の練習があったから、俺が家を出た時にはまだ帰っていなかった筈だが。
「なんだ、用でもあったのか?」
「ゲオルのこと。昨日、私が入ったらもういなかったじゃん。
スキルどれがいいか相談したかったのに」
「あー。けどお前、俺に相談するより掲示板とか見た方がいいぞ。
アタッカーとタンクじゃ、同じ戦士でもスキル構成違ってくるし」
立ち回りの基礎ならともかく、スキルは実際に使った人間の話を聞くのが一番いい。
テキストには強そうなこと書いてるのに使い勝手が悪いとか、そういう落とし穴だってあるし。
そんなことを話しながら自室に戻ると、何故かついてくる奈苗。まだ何か用があるのかと尋ねれば、そういうわけじゃないけど、と前置きして。
「兄ちゃん、どこ行ってたの?」
「どこって、あー、駅前の古本屋。漫画が充実してるって聞いてさ」
朝陽がよく行くという店のことを思い出しながら答える。
それを聞いた奈苗は何も答えず、数秒、俺の顔を見てから口を開いた。
「嘘。兄ちゃん、何かやってるでしょ。危ないこと」
「――――――」
普段アホっぽいのに、どうしてこういう時だけ鋭いんだこいつ……。
実際には昨日のガード下へ見回りに行っていた。しばらく待っても何も起きる気配がなかったので、今日は出ないのかと、見切りをつけて帰って来たわけだが。
しかしこんなことに、奈苗を巻き込むわけにもいかない。だから俺は、奈苗にデコピンをした。
「ぎゃっ!?」
「決め付けんなよ。マジで古本屋行ってただけだし」
「でもさぁ」
額を押さえて、唇を尖らせた奈苗が食い下がる。
「昔っからそうじゃん。兄ちゃん、黙って危ないことばっかして。
自分のこと、ちっとも考えたりしないし」
そういうところが心配なのだと、奈苗は言う。今も何をしているかは分からないが、不穏な気配を感じ取っているから。
ああ。昔から俺のことを見ているんだから、そのぐらいは分かって当然なのかもしれない。
特別な出来事や、環境のせいではない。
ただ生まれついた時から、俺という人間はそういう奴なのだと、奈苗は理解している。自分が納得するためならば、それこそ自分の命も勘定に入れない馬鹿なのだと。
「――まあ、なんだ。心配させんのは、申し訳ねぇとは思ってるんだ」
そんな俺の例外が、家族や友人だ。俺のわがままのせいで、危険に巻き込んだり、ずっと心配させるってのはダメだ。
それは筋が通らない。
勝手をするのなら、勝手にできる範囲のことじゃないといけない。だから他の何よりも優先して、さっさと終わらせるべきだ。
「明日か明後日か。そのぐらいには片付けるから、もう少しだけ見逃してくれ」
「はぁ……やっぱり何かやってるんじゃん」
呆れの吐息を洩らし、奈苗は笑った。
「いいよ。兄ちゃん、約束は守る方だし、待ってあげる。
でも諦めの悪いことしてたら、お父さんに言うからね」
「お、おう」
それはマジで勘弁してもらいたい。親父、基本的に細かいこと言わない人なのはいいんだが、説教の代わりに拳で語るっつーか、反省してても罰は必要だろう、なんて考えの人だからなぁ。
そのくせ奈苗には甘い。めっちゃ甘い。もっと長男を愛せ。
まあ男親なんてそんなものなんだろう、たぶん。
何にせよ、親父にチクられる前に解決しなきゃいけなくなったので、もっと焦ろう。
「こういう時、上からビシッと言える人がいたらよかったんだけどねー」
用は済んだとばかりに出て行く奈苗が、立ち去り際に言う。
「例えばほら、クラレットさんみたいなお姉ちゃんとか」
ごめんな。そいつ、お前の同級生なんだわ。
俺は哀れな妹に手招きすると、近寄ったところで優しく頭を撫でてやった。
「大丈夫。お前にはお前の良さがあるよ」
「すごい馬鹿にされた気がするよ!?」
精一杯の思いやりが通じなかったので、妹なんてやっぱりクソだと思いました。まる。
○
晩飯の後、諸々を済ませてゲオルにログインする。
一瞬、どこだここと戸惑ったが、ダフニさんと別れた路地裏だと思い出す。そういやここでログアウトしたんだったな。ここからだと教会へは――いや、今日は先行懺悔してあるから必要ないか。
大手を振って表を歩ける幸せを噛み締めつつ、溜まり場に移動する。
隅っこで置物が虚空を見詰めているが、中身はたぶん入ってない。他には姐御、クラレット、ツバメ、そしてのーみんがいる。……えぇ。のーみんいるのぉ?
回れ右して帰ろうかと思ったが、そうする前にのーみんが目敏く俺を見つけやがった。
「おっ、来たねがっちゃん! おいでおいで!」
両腕を広げて、飛び込んで来いと待ち受けるのーみん。その胸には抗い難い魔力があるが、馬鹿正直に飛び込むと他の女性陣の目が怖い。俺は命知らずかもしれないが、死にたがりではないのだ。そんな見え見えの罠に飛び込むほど、危機感に欠けているわけでもない。
それにさぁ、実際にこうして抱きついても柔らかくないんだよね。ゲームとしての規制があるせいで感触を楽しめないから、精神的な満足感はある反面、やっぱり本能が満たされないわけだよ。いい匂いはするし、温もりも感じられるけど、それだけじゃ画竜点睛を欠くってもんさ。
「はっ」
気付けば三人が俺を白い目で見ている。馬鹿な、何故だ。
これはどういうことかと、抱きついているのーみんの顔を見上げる。
「がっちゃんは相変わらず、オパーイ大好きだねぇ」
「ああ!」
力強く頷いたところで離れて、姐御の前に移動して俺は言う。
「飼い主には包容力も必要なんじゃないかな?」
「なるほど、一理ありますねー。でも死ね」
姐御がパチンと指を鳴らし、クラレットとツバメの魔法が俺を吹き飛ばす。
ふっ、こうなることは分かっていたさ……後悔はない、ぜ。
死に戻った俺はダッシュで溜まり場に帰還し、イスに腰を下ろして姐御を膝の上に乗せた。
「最近思うんだけど、俺の扱いってカルガモより悪くね?」
「カモさんはあれで、一応は空気を読む方ですからー」
ちっ、害鳥のクセに猫被ってんじゃねぇよ。
内心で毒吐いていると、ツバメが俺の方を見て、何事かをクラレットに話している。
きっと俺の扱いについて相談しているのだろう。リアルでも頼れる先輩としてアピールしているのだから、やっぱり殺すのはダメだと考えたに違いない。そうであってくれ。
「そういや、そのカルガモは?」
「緑葉さんの案内中ですねー。矢を作れるお店を教えるそうで」
「あー。買うより作った方が安そうだもんな」
「みっちゃん今、マジでお金ないからね。あたいもだけど」
このゲーム、最初の装備を揃えるだけでも大変だからなぁ。
……いや、俺達の場合は余計な出費が多かったり、ドロップ運が悪いのも原因だけど。
「ふーん。で、この後の予定とか決まってんの?」
そう尋ねると、クラレットが答えてくれる。
「のーみん達とはレベル差があるから、別行動だけど。
こっちから一人、誰か手伝いに行った方がいいんじゃないかって相談してたところ」
さり気なく呼び捨てなのは、クラレットがのーみんをゴミ扱いしているから。ではなく、のーみんが敬称を嫌うからだ。確かに「のーみんさん」って、語感が妙だもんな。
しかしこっちから手伝いねぇ……。
「いいのか? のーみんも緑葉さんも、パワーレベリングって嫌いだろ」
「ふっふっふ。あたい達のステ振りだと、手伝ってもらわないと死にます」
「自業自得過ぎる。つーか緑葉さんも?」
「あの子も筋力に極振りしてました。大砲型だって言ってました。
あたい、思わず真顔になりました。みっちゃんまでネタに走ってると思わなかった……!」
いや、緑葉さんの場合はネタじゃなくてガチだと思う。
しかしそういうことなら、と考える。
「こっちから助っ人出すとして、姐御とクラレットは無理だよな。こっちの要だし。
サポート主体のツバメも微妙だし……」
「うん。だから前衛の誰か、カモっちかスピカちゃんがいいかなって話してたんだよ」
ツバメの言葉になるほど、と頷く。
のーみん達に合わせた狩り場なら、アタッカーは俺よりもカルガモの方が適任だ。逆にアタッカーを緑葉さんに任せるなら、タンクのスピカも悪くない。
そのまま俺も混ざって相談を続けていると、やがてスピカが溜まり場に顔を出し、緑葉さん達も戻って来る。初顔合わせの面々で自己紹介しつつ、これからの予定を決める。最終的には緑葉さんが自分の手で敵を倒したいと主張したため、そちらの助っ人にはスピカを出すことが決まった。
「私達はどうしましょうかー。またピラミッド行きます?」
で、三人を送り出したところで、じゃあこちらはどうしようかと姐御が問う。
レベル的にはそろそろ他の場所にも行ける筈だが、ピラミッドは上の階もあるわけだし、まだあそこで狩り続けるのも選択肢に入る。奇襲され難いという点でも、ダンジョンでの狩りは楽だし。
ただしスピカがいないので、今日は上の階に行くのは選択肢に入らない。俺もカルガモもスピカというタンクがいる前提でステ振りをしているので、上の階ではPTがジリ貧になってしまう。
それならゴブリン狩りはどうか、という話になる。もう少し奥まで進みつつ、木材を中心に素材集めをしながらの狩りなら、ちょうどいいのではないかと。
そういうことで話がまとまり、準備をしようとなったところで、俺は皆を引き止めた。
「あ、ちょっと待ってくれ。相談したいことがあるんだ」
「なんじゃ? 懺悔費をPT資産から工面して欲しいとかか?」
「それはそれで頼みたいけど、そうじゃなくて。
顔剥ぎセーラーのことで、新しく分かったこともあるから相談したいんだよ」
俺の言葉にカルガモは目を細め、クラレットとツバメは表情を強張らせる。
そして何も知らない姐御が、何のことかと不思議そうに目を丸くしていた。
「……あ、本命っつーか、一番力を借りたいのは姐御でさ。
別に話しても構わないよな?」
確認の問いかけをすると三人は頷き、
「あのー。ひょっとしてこれ、私だけ今までハブられてましたか……!」
姐御は仲間外れにされてた怒りを、俺の太腿にぶつけていた。やめろ、つねるな。
お怒りの姐御の頭を撫でて落ち着かせ、まずは事情の説明からする。
始まりの事件と、その後に広まった都市伝説。そしてツバメや俺が遭遇した、本物の怪物としか思えない顔剥ぎセーラー。時折、他の人にも補足してもらいつつ、話を聞き終えた姐御が言う。
「むぅ。VRとかARとか、技術系の話はちょっと詳しいですけど。
聞いた限りですと、どうにも本物っぽいですねー」
「タルタルさんも、やっぱりそう思う?」
「はい。映像を実体のように見せかける方法は、あると言えばあるんですけど。
どちらかと言えば手品の領域で、結構大掛かりな舞台や装置が必要になりますからー」
それに、と姐御は指を立てて続ける。
「カモさんの言う、信仰が実体を与えたという説ですね。
オカルト的に考えると、これはこれで信憑性があるんですよー。
ほら、昔の人はよく分からない現象に遭遇すると、名を与えて妖怪にしたじゃないですか?
名付けられ、信じられることで妖怪が生まれたとするのなら、これもそういうパターンですよ」
姐御の話だと、分かりやすい例はカマイタチだろうか。
今では冷えた皮膚が変性して裂けたり、風が巻き上げた小石などで切れるのが原因だと判明しているが、そういった科学的な説明がなければ超常現象であり、妖怪の仕業になってしまう。
昔の人は皮膚が裂けた現象からカマイタチを想像し、名付け、それを信じた。
顔剥ぎセーラーも、形式としてはそれに酷似している。
「んー? でもさ、それって信仰が力を持つって前提でしょ?」
その前提条件を鵜呑みにはできないと、ツバメが首を傾げる。
そこへ口を挟んだのはカルガモだった。
「まだ仮説ではあるが、信仰――意識が力を持つというのは、おかしな話ではないんじゃよ」
これは量子論の話じゃが、と前置きして。
「二重スリット実験については、聞いたことがあるかの?
二つのスリットを通った電子が壁に激突した痕跡を見て、電子の性質を調べる実験なんじゃけど。
細かいことは省くが、この実験では観測という意識的な行為が、結果に影響を与える。
科学者の中には意識が何らかの力を持ち、物質に干渉していると主張しておる派閥もあるんじゃよ」
「聞いたことあるような、ないような……?
えーと。カモっちはそれ、どう思ってるの?」
「俺も知っておるだけで、専門ではないんじゃがな。
もしそうだとすれば、物質世界の根源には意識の力があるんじゃろう。
個人的には、ある程度正しいのではないかと思っておるよ」
と、カルガモが話したわけだが、さっぱり分からん。
いや、俺も二重スリット実験のことは聞いたことあるんだけど、全然理解できなかったのだ。見てるだけで結果が変わるとか、存在する確率がどうこうとか、俺の脳味噌では無理。
だから俺は、まだ語ろうとするカルガモを止めて言う。
「本題に戻るけど、こっからは新しく分かったことな。
本物――って言うのも妙だが、本物の顔剥ぎセーラーさんから聞いた話だ」
ダフニさんから聞いた話を思い出す。
あれを素直に受け止めたら、
「顔を剥がした時、その人は必死で抵抗して、これがゲームだったらと考えた。
ゲームなら痴漢をやっつけられるのにと考えて――顔を剥がした」
「……む、そういうことか」
理解した様子のカルガモに頷きを返す。
「願い、祈り、信仰……まあ言葉は何だっていいか。
要するに彼女はできると信じて、人間業ではない力を振るったってことさ」
ちなみに彼女はゲオルのプレイヤーだということも言い添えておく。
そこまで言えば、皆も俺と同じような結論に至る。
「まるでスキルエンハンスじゃな。
――リアルでもできると確信すれば、ゲーム内の力を扱えるということか」
「実際にどこまで可能かは分からねぇけどな。
で、怪物の方の顔剥ぎセーラーには、彼女の意識も影響してると思うんだよ。
これがゲームだったら、っていう」
言ってしまえばそれはルールのようなもの。
顔剥ぎセーラーという形を成立させる上で、どうしても組み込まれてしまう制限だ。
俺は膝の上に座る姐御の肩に手を置いて、
「ぶん殴ったら消えちまったわけだけど。
霊体看破がリアルでも使えたら、どこにいるか分かるんじゃねぇかな」
「あ――ひょっとして私、めっちゃ期待されてません?」
だから最初に言ったじゃん。
一番力を借りたいのは姐御だ、って。