第十四話 神はどこから来るのか
土曜日。休みだってのに昨夜は早く寝たもんだから、早朝に目が覚めてしまった。
家族はまだ寝ていたが、起きてしまったのは仕方がないので朝食を……と思ったら納豆がない。幸いなことにご飯だけはあるのだが、おかずがない。
仕方ない。カツオ味の沢庵が一本あったのでさいの目切りにして、ごま油と醤油で炒める。それを電子レンジで温めたご飯に混ぜれば、沢庵メシのできあがりだ。
俺は料理が得意ってわけじゃないけど、こういうお手軽な料理のレパートリーだけは豊富にある。夜遅くまでゲームやってると腹が減るわけで、さっと作れる夜食は何かと重宝するのだ。
朝食を済ませて食器を洗い、時刻を確認してみればまだ六時を過ぎたところ。特にやることもないので、ジャージに着替えてランニングへ出かけることにした。
電脳経由のVRゲームにリアルの肉体スペックは関係ない。が、体を動かす感覚はリアルのものが反映されるのだから、リアルで鍛えておけばいくらかは糧となってくれる。
例えば同じ性能のアバターで徒競走をしても、やはりリアルで走り慣れた人間は速い。逆に言えばリアルでは運動不足で走るのが苦手なんて人は、VRゲームでも足は遅い。
だからプロのeスポーツ界でも、VRと非VRは部門が明確に分かれていたりする。VRはどちらかと言えば肉体派、非VRは頭脳派といったところか。
それはただのゲーマーにも無縁ではなく、俺のようにVR中心のゲーマーもいれば、非VR中心のゲーマーもいる。どっちが上だなんてことはないが、何となく棲み分けというか、縄張り意識のようなものがあるのだ。
そんなことを考えながら、いつものランニングコース――河川敷を走る。
河川敷には健康のために走っている人や、犬の散歩をしている人など、それなりの人影がある。たまに顔見知りと挨拶しながら走っていると、実に爽やかな気分になってくる。
おや、そこを行くのは落合さんトコの和真君ではないかね。シニアで大活躍して、強豪校からのスカウトも来てると近所で評判だよ。だが所詮は中学生、上には上がいると証明してやろう……!
勝手に張り合って速度を上げると、プライドを刺激されたのか、和真君も速度を上げる。おっと、その勝ち誇った笑みは無礼じゃない? 引き離されないように必死で食らいつき、肩を並べたところで唸れ電脳! 近距離通信で秘蔵のエロ画像を汝にプレゼント!!
「…………!」
目を見開いた和真君は一度俺を見て、目を伏せ、自嘲気味に呟いた。
「流石、兄貴だぜ……」
そして普通に走り去って行った。無理無理、本気でスポーツしてる子には勝てねぇって。
激しく息切れする俺はゆるゆると速度を落とし、ランニングはこんなものでいいか、と帰ることにした。
○
帰宅してシャワーを浴びたりした後、自室に戻ってカルガモに通話してみる。
予想通りに繋がらない。まあ深夜でも普通に活動してる以上、この時間は寝てるんだろう。けっ、不良社会人め。一体何をしてるんだか、話を聞いてみたかったんだが。
あいつの場合、単に趣味で都市伝説を調べてるだけだとは思うんだが、実は社会の裏側で魑魅魍魎と戦ってますと言われても驚かない自信がある。だってあいつが魑魅魍魎の類だもん。
ま、しかし。魑魅魍魎であっても、睡眠を必要とする程度には人間を辞めていないらしい。
もしかしたら仕事してんじゃねぇか、だったらマジで睡眠不要なんじゃねぇか、という怖い想像をしてしまったが、まあなんだ。人間としての形を保ってるなら、人間扱いでいいだろう。
だが寝ているなら仕方がないので、起きたら連絡しろとメッセージだけ残しておく。
さて、これから何をするか……ゲオルやってもいいんだが、この時間だと誰もいないだろうしなぁ。顔剥ぎセーラーの件を調べるにしても、ネットの情報は昨日と大差ないだろうし。
ああいや、一応確認しておいた方がいいこともある、か?
不安がらせるのもどうかと思って連絡は控えていたが、事情が事情だしな。俺は城山さんに、顔剥ぎセーラーが出現したが何か知らないか、といった内容のメッセージを送った。
返信はすぐに届く。健康的な生活をしているようで何よりだ。
やはりと言うべきか、城山さんは何も知らなかったようで、詳細を尋ねてくる。が、遭遇した俺でさえよく分からないので、とりあえず変なことしてる人がいるよ、怖いね、とお茶を濁しておいた。
つーか昨日はあんまり考える余裕もなかったけど、落ち着いて考えると奇妙な話だ。
ARに実体がある――それだけで充分に奇妙なわけだが、そこは考えても仕方ない。俺が奇妙だと思ったのは、あの顔剥ぎセーラーの外見についてだ。
セーラー服姿の少女で、黒い靄に覆われた顔。
何て言うか……記号的過ぎるんだよな、あれ。
掲示板で見た話を元にしているのだとしても、それにしては細部が甘い。飛び降り自殺した少女の霊ってことにしたいんなら、手足の一本ぐらい折れてたっておかしくないし、血も出てなきゃおかしい。
だけど体は綺麗なもんで、都合よく顔だけは隠している。
そもそもの発端を知っているのなら、顔だけでも城山さんに似せておくのが自然だろう。プライバシーに配慮してるなんて素敵な理由かもしれないが、だったら最初から演じるなって話だ。
だから繋がらない。城山さんは顔剥ぎセーラーの生みの親と言えるかもしれないが、俺が遭遇した顔剥ぎセーラーは城山さんを知らない。知らないから、モデルにすることができなかった。
そう考えると城山さんは、当事者ではあるけど、既に事件の中心からは外れた人物だと言えなくもない。いや、そうだとしても配慮しないってわけじゃないんだが、城山さんの周辺や星華台高校を探っても、手がかりは見つからない可能性が高そうだ。
つーか犯人の目的も分からねぇんだよな。愉快犯的なイタズラかと思っていたが、実体のあるARだぜ。あんな謎技術を投入して、やることが通り魔ってのはどうなんだ。
んー……偽装っつーか隠蔽? 自分が犯人だとバレないようにするため、とか?
いや、それはそれでおかしいか。バレたくないなら、もっとこっそりやらなきゃいけない。俺と朝陽はともかく、テッシーなんて普通に逃げ切ってるもんな。
やっぱりどう考えても、チグハグで気持ちが悪い。まるで謎技術を使って通り魔をすること、それ自体が目的のような気持ち悪さ。目的と手段が入れ替わることはあるけど、これは入れ替わる余地もなく、最初からそうだったような感じ。
「ま、下手の考え休むに似たり、ってな」
うん、さっぱり分からん。
たぶん情報が足りてないんだろう。足りないまま推理するから、気持ち悪い答えになるのだ。
これ以上は新しい情報がないと進めそうにない。世の中、足踏みすることに耐えられない気質の奴もいるが、俺はどう足掻いても仕方ないと分かれば、足掻けるようになるまで足踏みするのも許容できる。
果報は寝て待てと言うし、寝るだけでいいんなら誰にでもできる努力だ。
さて、しかし本格的にやることが何もない。
朝陽のお見舞いと言うか、退院の出迎えに行くという案もあるが、流石に時間が早い。
うーむ。何か適当なゲームでもしようか。そういやのーみんから貰った、と言うか押し付けられたクソゲーがあった筈だから、それをやれば暇潰しぐらいにはなるだろう。
そうして電脳のゲームライブラリを開いていると、通話が入る。カルガモが起きたのかと思ったが、表示された名前は南條。完全に別件だ。
「おーっす。こちら守屋」
とりあえず通話に出ると、同年代の男の声が返る。
『うわ、起きてた。珍しいな守屋さん、あんたが朝に起きてるなんて』
「ははは切るぞテメェ」
『待て待て、俺が悪かった。だから最後まで聞けって。
ヘヴィレインの調整やってんだけど、面子足りなくてさ。来れる?』
む。何の用かと思ったらバイトのお誘いか。
稼げる時に稼いでおきたいのが本音だし、誘いに乗るのも一興か。
「何時間ぐらい? 二、三時間なら付き合うけど」
『二時間もありゃ終わるんじゃねぇかなぁ。
試合前の連携確認だから、長引いても昼までには終わるぜ』
「オッケー。そんじゃあ繋ぐから、指示はそっちで」
通話を切って、俺は指定されているグループチャットの部屋に繋ぐ。
南條はいわゆるプロゲーマーで、プロチームに所属して賞金試合にも参加している人物だ。
プロチームは当然ながら練習をするわけだが、野良試合では練習にならないことの方が多い。なので、そこそこ腕の立つゲーマーをバイトとして雇い、練習相手にするということがよくある。
特定の戦術を練習したり連携を確認したりと、やりたいことを要求できるので、所属人数の少ないプロチームは俺のようなバイトを確保しているのだ。
ぶっちゃけ時給は安いのだが、指示通りにゲームするだけで小遣い稼ぎができると思えば悪くない。
プロになるための下積みとして参加している人もいるが、俺の場合、単に南條が中学の後輩で、ゲーム仲間というだけの繋がりだったりする。
島に誘ったこともあるが一度も顔を出さなかったので、プロゲーマーになるような人種は、根本的に俺とは何かが違うのだろう。たぶん。
○
南條のチームの練習に付き合った後、朝陽に連絡して予定を聞いてみる。
少し検査をして昼前には退院するとのことだったので、じゃあ出迎えに行ってやろうと画策する。手土産もなしというのは寂しいので、花屋に寄ってから病院へ向かった。
朝陽が入院していたのは市立病院で、俺は混雑しているロビーを避けて、正面玄関の前で朝陽を待つことにする。二十分ほど待っていると、母親らしき人物を伴って朝陽が出て来たので、そちらに向かった。
「よう朝陽、退院おめでとう!」
満面の笑みで挨拶する俺と、何考えてんだこいつ、といった感じの驚いた顔をする朝陽。母親はちょっと目を丸くしてから、にやにやした笑みで娘に目を向けていた。
俺は持っていた紙袋を朝陽に渡して、
「これ、一応お見舞いな。大丈夫そうで安心したよ」
「あ、ありがと……?」
戸惑いながらもお礼を言って、紙袋の中を覗く朝陽。中身は小さな鉢植えに植えられたサボテンだ。
「なんで!?」
「それ、花が咲くんだぜ」
「花だけ買えばいいじゃん!」
これ嫌がらせなんだなと気付いて、朝陽はローキックをしてくる。
そんな娘を咎めることもなく、あらあらうふふと微笑んだ母親が言う。
「わざわざごめんなさいね。ひょっとして……彼氏?」
「いえいえ、ただの先輩と後輩ですよ。――今は」
「あら」
「ぎゃー! 変な言い方すんなー!?」
病み上がりとは思えない元気さで、あらん限りの暴行を働かんとする朝陽。おいやめろ、サボテン振り回すな。それ立派な凶器だから。マジやめ、や、やめろって!? 刺さるんだよぅ……!
病院の前で怪我するとかアホ過ぎるので、わりと本気で逃げ回る俺。そんな光景をしばらく見守っていた朝陽の母親が、不意にポンと胸の前で手を叩いた。
「朝陽。お母さん先に帰るから、のんびりしてらっしゃい」
「は!? 待って待ってママ、可愛い娘をこんなのと一緒にする気!?」
どういう意味だテメェ。
ムカつきつつも、隙を見せたので手首を取って引っ張り、腕挫腹固なんぞを極めてみる。
「あだだだだ!? た、助けてママー! 娘が乱暴、乱暴されてまーす!」
「晩御飯までには戻って来るのよー」
助けを求める娘を笑顔で見捨てて、立ち去るお母様。うーん、素敵な家族だ。
その背中を見送ってから、俺は朝陽を解放した。
「おおっふ……マジで帰ったよママン……」
「三千里ほど歩けば追いつくよ、頑張れ」
「無茶言わんでください。っていうか先輩、どういう風の吹き回し?」
「うん? 暇だったから嫌がらせに来た」
「そこは嘘でも心配だったとか、顔が見たかったとか言おうよ!」
愛が足りないとお嘆きの朝陽だが、まあなんだ、まったく心配していなかったわけでもない。
大丈夫そうだとは昨日の会話で分かっていたから、顔を見たら一安心して、遠慮なく嫌がらせを実行したわけだが。そういうところで手を抜かないのが、俺の信条だ。
「けどまあ、お詫びの気持ちも少しはあるんだぜ。巻き込んだのは俺だからな。
そういうわけでメシ行こうメシ。何か奢ってやるよ」
「お、太っ腹。あたし回ってないお寿司が食べたい!」
「馬鹿、そんな金があるわけねぇだろ。こちとら清貧に喘ぐ学生だぞ」
普通の男子高校生にそんな余裕はないのだ。テッシーなんかはボンボンだから意味不明なぐらいに金持ってたりするが、うちの親は脛をかじると怒るタイプだ。
そんなこんなで、ご不満の朝陽を説き伏せて近所の中華屋に移動する。まだ昼食には少し早い時間帯なのもあって、店内には数えるほどの客しかいなかった。
俺は炒飯セットを注文し、朝陽は奢りだからと遠慮なく激辛麻婆豆腐にエビチリまで頼みやがった。
「あたし辛いのって結構好きなんだよね」
などと言いつつ、幸せそうに麻婆豆腐を食べる朝陽。ここの激辛麻婆豆腐は四川風の本格的なやつで、常人が食えばまず辛さに苦しみ、翌日、肛門を苛むという食のエンドコンテンツである。
エビチリも結構辛いんだが、それを箸休め感覚で食べるあたり、本物の辛党らしい。
「茜もだけど、友達がこういうトコ付き合ってくれないから、先輩には感謝、感謝。
スイーツも嫌いじゃないんだけど、パンチが足りないよね」
「そりゃあ、スイーツにパンチ求める奴は少数派だろうしなぁ」
つーか初めて聞いたわ。
俺も辛いのは苦手ってわけじゃないが、激辛料理はダメだ。こいつをメシに誘う時は、こっちで店を選ばないと人外魔境に案内されかねないので、今度からはちゃんと注意しておこう。
「ところで先輩、あの件って何か進展あった?」
「ん。いや、今のところは特にないな。
犯人が何考えてんのかも分からねぇし……ああでも、そうか」
「お、なんか閃いた?」
「閃いたっつーか、あんな手当たり次第みたいに襲ってたら、話題になってるかと思って」
冷静に考えると、昨日だけでも朝陽と俺達で、二回も犯行におよぶアグレッシブさだ。他にも襲われた人がいるかもしれないし、襲われずとも目撃した人はいるかもしれない。
そう考えて早速SNSを検索してみるが、それらしい情報はヒットしなかった。
「……むぅ、空振りか」
「実は先輩と、その関係者だけが狙われてる説。動機は痴情のもつれ」
「朝陽。俺な、モテたことないんだ」
荒涼とした砂漠のような目で見詰めて言う。激辛麻婆で汗ばんでいた朝陽は、悪寒に襲われたかのように身を震わせて、反論するでもなく静かに頷いていた。
しばしの無言。空気をなごますために、朝陽がわざとらしく笑って言う。
「そ、それじゃあ、あたしが付き合ってあげよっか」
「は。いや、お前に同情されるとダメージでかいから遠慮するわ」
「ホント失礼ですね先輩! 可愛い朝陽ちゃんではご不満だと申しますか!」
「顔はともかく中身がなぁ」
「む。ま、まあ、可愛いと思ってるなら許してあげましょう」
褒めたわけじゃないんだよなぁ。
このまま付き合ってると延々と脱線しそうなので、話を本題に戻す。
「とりあえずこっちは、引き続き調査してみるよ。
あとカルガモにバレたから、話聞いてみる予定」
「ふーん……うえっ!? カモさんにバレたって何!?」
「いや、それがな。昨日、うっかりゲオル部屋で茜とそのまんま話しちまってさ。
そのログをカルガモに見られたんだよ」
「あー、そういう……まあ仕方ないっか。
けどカモさん、こういう話って詳しいの?」
「ほら、あいつも怪人だし」
「……すっごい失礼な気がするけど、どうしよう。否定できない」
まだ出会って一週間と経っていないのにこの評価である。
「カモさんは人間臭いところが逆に変っていうか。
あの人、ガチの天才だよね。頭の出来じゃなくって、剣の腕前の方。
ああいう人種ってこう、もっと達観してるって言うか、人間離れした空気だと思うんだけど」
そう在るべき筈なのに、俺達と楽しく遊んでる人間臭さが奇妙に映る。イメージと実態がズレていて、それでいて害があるわけでもないから、怪人と評価する。
うんうん、流石は朝陽さん。容赦のない人間分析だが、ちょっと詰めが甘い。そこまで分かってるのに踏み込まないあたり、実に善人で大変よろしい。
だけど俺は善人ではないので、こちらも容赦なく補足してしまう。
「いや、あいつはお前の想像通り、達観してるし人間離れしてるよ。
ただほら、達観したと言っても、そこってゴールじゃないだろ。
ある程度まで行ったらそうなるってだけで、まだその先がある」
現代社会において剣術なんぞを極めようとして、仙人の領域を目指した馬鹿は、才能と努力でとうとうその領域へと踏み込んだ。
そしてその才能は、理想とする境地へ辿り着けることを確信すると同時に、辿り着くには時間が――寿命が何百年、何千年という単位で足りないことも確信してしまったのだ。
不世出の天才は、そうして遥か遠くで挫折したのである。
「あいつはその先を見て、引き返して来たんだよ。
人間臭さを拾い直して、もう一度人間になろうとしてるだけさ」
「うーん……? 分からなくもないけど、それ、怪人だってことに変わりはないよね」
「ごもっとも」
在り方を取捨選択する時点で、人間らしさなんて欠片もない。
俺の悪友は結局のところ、口が裂けても真っ当な人間とは呼べないのだった。
○
メシを食って朝陽を送り届けた後、少し街をぶらついて帰宅する。
時刻はもうじき午後二時で、流石にそろそろ起きているだろうと、カルガモに通話を入れた。
『ん……なんじゃ、ガウスか……』
眠そうな声。思わず俺も声のトーンを落として返す。
「まさか寝起きかお前」
『休みの日ぐらい、ゆっくり寝てもよかろうに』
「そういう台詞が許されるのは、正午までだと思うけどなぁ」
『俺のライフサイクルは一般人とは違うんじゃよ。
――それでガウス、顔剥ぎセーラーの件じゃな?』
おう、と頷いて。
「とりあえず先にこっちの状況とか話すわ。
ネット中心で調べてるんだったら、こっちの方が詳しいからな」
そんなわけで城山さんの名前だけは伏せつつ、ここしばらく俺の関わっている事件について話す。
そろそろ当事者と言えなくもない気もするが、立ち位置はまだ外野から関わったり、たまたま巻き込まれただけなので、核心に迫るような情報は何もないが。
で、一通り話し終わると、カルガモは憂鬱そうに――同情を含むため息を洩らした。
『ずばり言うがな、おぬし立派な当事者じゃろ』
「うーん。そう言われると、まあ否定はできないんだけどさ。
いつでも投げ出せる立ち位置だってのを考えると、まだ第三者感あるよなって」
『ほいほいと事件の渦中に踏み込んでおるんじゃから、それは通らんじゃろ』
などと切り捨てて、呆れた様子でカルガモは話を変える。
『ま、想像の範疇ではあったか。気になる点はいくつかあるが』
「? なに。もしかしてお前、あの実体のあるARとか知ってんの?」
『いや、それは初耳じゃがな。
噂になっておるのに、中身のない怪物じゃとは思っていたんじゃよ』
中身のない怪物。その言葉は、顔剥ぎセーラーを的確に表した言葉だ。
城山さんという確かな正体を持ちながら、噂話を元にした亡霊のように現れる怪物。
カルガモはそこまでは知らないものの、実際の事件と繋がらない噂からそう思ったのだろう。
『しかしなぁ……他に目撃者がいれば、もっと噂になっておると思うんじゃが』
「そりゃあ、俺もそう思うけどさ。まだ他にいないだけかもしれないぜ」
『そうではなく。――はっきり言えば、おぬしと関わった者しか見ておらんのではないか?』
「――――いや、それは」
可能性がないとは言わないが、それこそおかしな話だ。
俺の目が節穴で、実は城山さんが口封じを目論んでいるとかなら、話は別だが。
だって俺やその周囲を狙う理由なんて、そのぐらいしかない。
「百歩譲って、そうだったとしてもさ。
テッシー……さっき話した、俺のクラスメイトはどうなんだ?
あいつに調べてくれって頼んだのは、あいつが襲われた後なんだぜ」
『そこが不自然なんじゃよ。何故そやつだけが、特別に襲われた?
何の理由もなく襲うのであれば、他にも被害者がいなければ変じゃろう』
言われてみれば、そうなのだろうか。
テッシーの件は偶然で、他に目撃者や被害者がいないのは、まだいないだけ。
そう思っていたが、それがそもそもの間違いで。
俺と関わったことで襲われた、最初の一人と見るべきなのだろうか。
「まあテッシーが襲われたのが俺のせいだとしても、胸は痛まないからいいんだけどさ」
『鬼かおぬし!?』
「あいつはこう、俺のせいでも気に病まなくていい枠だから」
自分の身ぐらい自分で守れと、突き放してもいい相手なのである。
「つーか俺のせいってのが、やっぱ納得いかねぇんだよな。
話した内容考えたら、ツバメの方が先に襲われてなきゃおかしいし」
『ふーむ……では、おぬしのせいではないとして、じゃな。
そのテッシーとやらが、被害者第一号になった理由は何か思い浮かばんか』
「そんなん言われてもなぁ。
テッシーも姉から噂を聞いたってだけで、俺もその話、を……あれぇ?」
『なんじゃ?』
「いや。話し始めたところで、それ知ってるわ、みたいな感じで。
あいつの話っつーか、あいつの口から噂の内容は聞いてなかったなぁ、と」
『それは……ひょっとして、あれか?』
カルガモも同じことに思い至ったのだろう。
ネットの掲示板に書き込まれていた、顔剥ぎセーラーの元となった話。
それを締め括る、この話を聞いた人のところへも、彼女は三日以内に現れるという一文。
「そう、あれ。……こういうのってさぁ、大抵、誰かに話せば助かるパターンだよな」
『うむ。で、悲しい質問なんじゃがテッシー君、友達は』
「察して」
『…………そっかぁ』
何とも切ない空気になってしまったが、そういうオチでいいのだろうか。
聞いた噂話を他の人へ話さなかったから、テッシーは襲われた、と。
でもなぁ。筋は通るんだけど、そうだとしたら困ったことになる。
「これ、マジで怪物として実在してるってことにならね?」
『い、いや待て、それはそれとしてじゃな。
そういうことであれば、今度はツバメが襲われた理由が分からんじゃろ』
「むぅ。確かにそっちを説明できるのは、俺とその関係者が狙われた説だけか。
怪物として実在してて、偶然で襲われたって方が安心できていいんだけど」
それだったらツバメやクラレットが襲われる心配はしなくていい。
運が悪かったというだけの話にできるのだから、それはもう、交通事故のようなものだ。
「とはいえ、実在説でもやっぱり不合理か。
テッシーの件が本当にそういう理由なら、顔剥ぎセーラーには理屈があるってことになっちまう」
『……なあ、ふと思ったんじゃが』
ぽつりと。カルガモは根拠のない閃きを口にする。
『おぬしやツバメが、特別襲われる理由があると考えた場合じゃけど。
二人だけが顔剥ぎセーラーの実在を、信じておったからではないか』
「いやいや、俺もツバメもAR使ったイタズラだと――」
『――そっちではなく、本物の方じゃよ。
噂の元になる事件を起こした少女を知っておったんじゃろう?
意味するところは違うが、顔剥ぎセーラーはいると、おぬしらは信じておった。
そう、言わばその信仰が、噂だけの怪物に実体を与えたのではないか』
無から有は生じない。
その逆はあれど、無から有を生むのは神の奇跡に他ならない。
ならば神はどこから来るのか、という話。
そう在れと望まれた信仰は、都合のいい形を編み上げて受肉する。
――カルガモの閃きは、証拠もないのに俺を納得させるだけの説得力を持っていた。