第四話 クラマット観光
砂を踏み締めて歩く。一歩ごとに足が沈むその感触は、慣れていなければ大変だろう。
俺は他のゲームで経験があるので少しマシだが、完全に適応できているというわけでもない。クラレットとスピカも難儀しているようで、クラマット周辺のエリアで戦う場合、この地形こそが最大の敵かもしれないと思わせられた。
つーか二人とも普通に転びそうになったりで危なっかしい。仕方ないので、それぞれの手を引くことにした。
「う……ごめんね、ガウス」
「なに、こんなの大したこっちゃないさ」
「良かったね兄ちゃん、両手に花だよ」
「一輪しか見当たらねぇぞ」
「もー。そんなこと言って、クラレットさんに失礼でしょ!」
いやお前だよお前。花を自称するとは不遜に過ぎる。
お仕置きとばかりにスピカを軽く振り回して、
「ほら、花なんだろう? 散ってしまえ」
「わー!? ストップストップ、待って兄ちゃん、こけ、こける!」
「安心しろよ。それでもこの手を、絶対に離さないから」
「やめてー!? 離してー!?」
そろそろ頃合いか。あんまりやり過ぎて、また通行人に通報されても困る。
振り回すのをやめてやると、スピカは目を回してふらふらとしていた。
「うぅ……も、申し訳ありませんでした……」
「分かればよろしい。いいかスピカ、花ってのはクラレットのような奴のためにある言葉で、お前じゃないんだ」
自覚を促してやっていると、クラレットが眉を下げて笑い、
「そんなことないよ。スピカちゃんも甘えてるだけで、可愛いと思う」
「わぁい! ありがとう、クラレットさん……!」
喜びを全身で表現したいのか、クラレットに抱きつこうとするスピカ。
おいやめろ馬鹿、間に俺が挟まっちまうだろ。それはよろしくないので、再びスピカをぶん回して阻止。なんか舌打ちして睨んできたが、花と形容できないのはそういうところだぞお前。
「兄ちゃんが私とクラレットさんの仲を引き裂こうとする……」
「おうおう、後から出会った分際で傲慢じゃねぇか。
俺とクラレットの間に割り込もうたぁ、いい度胸してやがるぜ!」
などとノリで言っていたら、照れているのかクラレットが顔を逸らしていた。
お? と俺とスピカが足を止めて見詰めると、どのような葛藤を経たのか、彼女は困惑した表情で空いている片腕を広げて、
「……おいで?」
「わぁい!!」
まったく躊躇せずに飛び込むスピカ。挟まれないよう、俺は咄嗟に一歩下がる。
その動きに連動して二人も引っ張られ、バランスを崩したスピカが俺に激突。足場の不安定さもあってそれを支え切ることができず、クラレットにまでぶつかる玉突き事故が発生。
二人分の体重と勢いをクラレットに支えられるわけがなく、もうぶつかるものがないのだから、俺達は絡み合うように倒れ込んだ。
「いったぁ……! 兄ちゃん、何してんのさ!」
「元はと言えばお前が――ああっと、すまんクラ……レ……」
おや、クラレットと繋いでいた手が、不思議なことに彼女の胸元へ。その膨らみに五指が埋まっていた。
大丈夫、まったく柔らかくない。いや、そういう意味ではないし、どちらかと言えば大きい。だからこれはゲームとしての規制だ。胸とかは他人が触ろうとしても、その触感が反映されたりしない。なので大丈夫、規制は正常。実質ノータッチ。
「――――――」
クラレットの目が丸く見開かれ、俺の顔を真っ直ぐに見た。
その唇が震えながら開かれた瞬間、彼女が何か言うよりも早く、俺は繋いだ手を離して勢いよく立ち上がった。
勢いの反動で片足スピン。また崩れそうな体勢は捻りを入れて立て直し、最後に腕を振って慣性を逃がす。
「ガウス、今」
ビシッとポーズを取ったような形になった俺へ、クラレットが言う。
何を言われても仕方ないと思うが、事故だとは主張しなければ。
「すまんクラレット! わざとじゃない、わざとじゃないんだ!」
「…………まあ、事故だし」
伝わった。そうだよな、同じ人間なんだ。話せば分かり合えるに決まってる。
クラレットは静かに立ち上がり、無言で砂を払い落とす。……異様な緊張感に満ちているのは何故だろう。彼女も事故だと納得してくれた筈なのに、やはり人間の感情はままならないものなのか。
「に、兄ちゃん。ちゃんと謝った方が」
「待てよ奈苗、落ち着け。兄ちゃん今、どうしたらいいか分からない」
「兄ちゃん名前、名前っ」
「ンなもん今どうでもいいだろぉ!?」
「逆ギレしたよこの人!?」
だが、騒ぎ出したところでクラレットが腕を伸ばした。
迷いのある緩慢な動きで、目で追ったその先端、手は俺の胸元を軽く叩いた。
「……じゃ、これでおあいこで」
……独特な解決方法だなこれ。え、いいの? こんなんでいいの?
思わず首を傾げてしまうと、さらにもう一度胸を、今度は強く叩かれた。
「そういうことだから! ……いいね?」
「あ、はい」
やだ、押し切られちゃった……。
何とも微妙な空気になってしまったが、これはもう引きずるなってことでいいんだろう。
俺はとにかく違う話題を、と考えて、通りに見える店を指差した。
「おお、あんなところに店があるぞ! 行ってみようじゃないか!」
「うん、行こう。早く行こう」
クラレットも乗ってくれたので一安心。再びその手を引いて、店に向かう。
あわよくば置き去りにしてやろうかと思ったスピカは、慌ててクラレットの空いている腕にしがみついた。
「わっ。スピカちゃん、ちょっと危ないかも」
「でも私、兄ちゃんの手よりこっちの方がいい」
「……じゃあ仕方ないね」
仕方ないらしい。
「うちの小動物が申し訳ねぇ。あとでシメておくよ」
「ちょっとちょっと、人間扱いしてよ」
人間扱いされたけりゃ、人間らしく振る舞って欲しい。
とまあ、そんな感じでぐだぐだとやりながら店に入る。外からは何の店か分からなかったが、中に入れば一目瞭然だ。申し訳程度に武器や防具が壁に飾られており、奥には金床や炉が見えていた。
「鍛冶屋……かな」
「そんな感じだな。装備の強化とかできるっぽいけど」
たしか掲示板情報によれば、装備ごとに対応した素材を持ち込むことで、装備を強化してもらえる施設だ。もちろん手数料はかかる。あと、下級の素材なら販売もしているって話だったか。
俺達が物珍しげに設備を眺めていると、横手からしわがれた声が響いた。
「お客人、うちに用かね?」
休憩中だったのか、そこにはイスに腰かける老人がいた。
生まれつきか、それとも鍛冶仕事で熱を浴び続けたからか、その肌は暗い赤銅色だった。服はこの辺りの民族衣装らしい、丈の長い貫頭衣にベルトを締めたもの。外では長袖の人が目立ったが、火を扱う仕事だからか、この老人の服には袖がなかった。
顔立ちは穏やかながらも眼光は鋭く、俺はやや怯みながら口を開いた。
「ああその、用ってほどじゃないんだけど……ちょっと相談というか」
何の店か知らないけど入ってみただけ、なんて言ったら怒られそうな気がした。
でも鍛冶屋なら聞いてみたいことはあったので、俺はインベントリから自分の斧を取り出した。
「今、こんなの使ってるんだけど、買い換えるのと鍛えるの、どっちがいいかと思って」
「ふん? ……お客人、これは武器と言うより工具だな」
ですよねー。一番安いハンドアックスだもん、どう見ても戦闘用じゃなくて工作用だ。
鍛冶師の老人は呆れたように鼻を鳴らして、
「鍛えられんこともないが、もっとマシな武器を買った方がいいだろう。
こんなものは鍛えたとしても、切れ味が少し良くなる程度だ」
「やっぱそうだよなぁ……鍛えて使えるなら、安上がりかと思ったんだけど」
「武器は戦士の魂だろう。お客人、それを安く済ませるのは賢いと言えんな」
はい。分かってますんで、お説教は勘弁してください。
へいこらと頭を下げていたら、老人は満足したように頷いた。
「分かればいい。……しかしお客人、新しい武器をお求めか」
「ええ、まあ」
「ならば鉄鉱石を持って来るがいい。充分な数があれば、斧を打ってやろう」
お。これはひょっとして、店売りではない武器を入手できるチャンスか!?
ちょっと期待に胸を膨らませつつ、鉄鉱石はどこで手に入るか尋ねると、この辺りのモンスターが稀に落とすとのこと。なんでモンスターが鉄鉱石持ってんだよと思わないでもないが、まあゲームだもんな。
ついでに防具も作ってもらえるか確認すると、そちらも可能だそうで、いよいよ夢が広がる。
そんなことを話していると、クラレットからも質問が飛んだ。
「魔道士の杖なんかも、作ってもらえますか?」
「む……それは難しいな。打撃用の杖ということであれば、問題はないが」
それは魔道士には必要ないだろうなぁ。筋力を伸ばしてる変人なら欲しがりそうだけど。
「魔法を補助する杖であれば魔道士ギルドか、工房を持つ魔道士に頼むといいだろう。
いずれにせよ、素材は持ち込みになると思うがな」
「そっか……分かりました、ありがとうございます」
なるほどなぁ。魔道士には魔道士で、そういった路線で装備を調達する手段があるわけか。
ってことは、猟師の弓なんかも独自ルートありそうだな。何が素材になるかは分からないが、モンスターのドロップアイテムもただ店に売るだけじゃなくて、素材になりそうなものは残しておいた方がいいかもしれない。
……しかしスピカの奴、妙に静かだな?
疑問に思って視線を巡らせると、スピカは店の片隅に置いてあった鎧に釘付けになっていた。
「それ、気に入ったのか?」
「うん!」
確かにカッコイイ。重厚ながらもどこか優美さがあって、騎士の鎧という感じだ。
スピカは声を弾ませて、
「お爺さん、これいくらかな!?」
「四万ゴールドだ」
現実の世知辛さを知り、へっ、と吐き捨てるように笑った。
つーかお値段もそうだが、レベルやステータス的にもまだ装備できないんじゃねぇかなぁ。ゲオルはジョブによる装備制限こそないけど、レベルとステータスで装備できるものが決まるシステムだし。
俺達はまだまだ駆け出し冒険者なのだと、実感させられる店だった。
○
鍛冶屋を出た俺達は、それからも街並みを楽しみつつ、いくつかの店を回った。
店の数で言えば、やはり首都であるラシアの方が多かったが、品揃えはかなり違ったのが印象的だ。武具屋では曲刀が充実していたし、こちらの風土に合わせたのか、服系の防具も多かった。
道具屋では消耗品の品揃えがイマイチな印象だったが、その代わりか、何かに使えそうな素材アイテムも売られていた。その中にはクサリヘビの毒というものがあったので、砂漠と言えば毒蛇だよな、などと納得したり。
施設というわけではないが、街の中央にはオアシスがあり、飛び込めばさぞかし気持ちいいのだろうなと思わせられた。俺でさえそう思うのだから、クラレットとスピカも同じように思っていたに違いない。砂混じりの風はやはり気になるし、特に髪の長いクラレットは大変そうだ。
まあオアシスの周辺には武装した住民――自警団らしきNPCの姿もあったので、飛び込んだら殺される気がする。衛兵がいない代わりに、彼らが街の治安を守っているのだろう。
……ちっ。衛兵がいないと喜んでたらこれだよ。
水を飲むぐらいは問題なさそうだったので、オアシスで喉を潤した俺達は観光を再開した。
丸い屋根の教会もあったが、ここなら姐御が絶対行ってるだろ、ということでパス。
他には服屋かと思ったら仕立て屋があり、ここも素材を持ち込めば民族衣装を仕立ててもらえるとのこと。ただのファッション用なら店売りすればいいのだから、何かのクエストに絡むのではないかと睨んでおく。
と、そんな感じで楽しんでいたら――――
『お楽しみのところ失礼しますー』
PTチャットを通して、姐御の声が響いた。
『ツバメさんが自警団に殺されたので、ラシアまで迎えに行って来ます』
「何やったのツバメ……」
顔を両手で覆って、げんなりとした声を出すクラレット。
うんうん、分かるよその気持ち。身内がまさか、みたいな感じだよね。すっげー分かる。
『あははー。オアシスが気持ち良さそうだったから、つい』
まったく悪びれていないツバメの声。ああ、あそこでやらかしたのか。
ちょっと飛び込むぐらいなら――そう思ったのかもしれないが、自警団の連中をよく観察していれば、あの殺気立った雰囲気には気付いていた筈だ。これはツバメが甘い。
『まあ当然の話じゃよな。あれはこの街の生命線なんじゃから。
余所者が何かすれば、殺されても文句は言えまいて』
自警団の行いについて、カルガモからフォローが入る。
現代人の感覚ではちょっと理解し難いが、クラマットの人々にとって水はとても貴重なものだ。それをいたずらに汚したのが余所者であれば……というわけか。
納得しつつ、俺はカルガモに問いかける。
「けどよ、自警団にしてはやり過ぎって気もしないか?
俺も殺される気はしたけど、普通なら捕まえるだけなんじゃねぇかな」
『それは衛兵がおらんことからも分かるように、クラマットは自治都市なんじゃよ。
自警団と言っても、その実態はこの街の軍人なんじゃろう』
ふーむ。つまり衛兵がいないからって、好き勝手することはできないってわけだな。
しかし自治都市……ピラミッドはかつての王朝の墓ってことだし、ここはセルビオス王国に征服された過去を持つ街なんだろう。自治を認められているのは降伏の条件あたりか。
そのあたりの事情、深く首を突っ込めば何かクエストがありそうだな。ソロの時にでも暇潰しがてら、探してみるのも面白そうだ。
それから俺達はPTチャットでツバメを煽りつつ、時間的にもキリがいいのでピラミッド前で集合することになった。
街の北側にそびえるピラミッドはPT向けのダンジョンだということで、そちらに向かう街の出口には商人プレイヤーが露店を出していた。品揃えは少し割増した消耗品で、街で買い忘れたものがあればここで買っていけ、ということらしい。
露店を出せるMMOでは定番の金策だよなと思いつつ、別に買うものはないので素通りする。
しかし……クラマット大ピラミッドか。名前に大と付くだけあって、近付けばその大きさに圧倒される。高さだけでも百メートル以上はあるんじゃねぇかな、これ。
ピラミッド周辺には俺達と同じように、狩りに行くらしいプレイヤーの姿がぽつぽつとある。待ち合わせ中のPTが二つか三つ、ってところか。ここを狩り場に選べるプレイヤーが、まだ少ないことの証左だろう。
入り口の前には先に到着していたカルガモがいたので、合流して姐御達を待つことにする。
「おう、来おったな。観光はどうじゃった?」
「色々あったが、注目は鍛冶屋だな。鉄鉱石を集めて行けば、装備作ってくれるらしいぜ」
「ほほう。掲示板にはそんな情報はなかったが……あれ観光プレイヤーの書き込みじゃしな」
調べが甘かったってことだろうな。
ひょっとしたら装備強化について、軽く聞いただけで鍛冶屋を出たのかもしれない。
「私は市場が楽しかったかな。並んでるフルーツも美味しそうだったし」
俺らが食ったところで美味しくはないんだけどね!
ま、眼福と言うか、ああいうのって見てるだけでも楽しいもんな。
「カモさん、ちょっと報告があります」
――と、何故か改まった様子でスピカが言い出した。
カルガモがほう、と続きを促すと、スピカはちらっとこっちを見て、
「兄ちゃんがクラレットさんを穢した……!」
「言い方ぁ――!!」
叫びながら、俺は容赦なくスピカを蹴り飛ばした。ゲーム内なので暴力行為はセーフです。
砂の地面を転がったスピカは、だがしぶとくも起き上がって抗弁する。
「だって兄ちゃん、カモさん大人なんだから、報告しとかないと」
「そいつアバターが老けてるだけで二十代だぞ」
細かい年齢までは知らないが、三十路って言ったらマジギレするお年頃なのは間違いない。
スピカは何かショックを受けたような顔をして、
「頼れる大人いないじゃん!」
「頼ってもいいんじゃよ?」
ナチュラルに頼れない扱いされたカルガモが、さり気なく傷ついていた。
それを笑っていると、クラレットが微笑みながらスピカに手招きした。
「スピカちゃん、おいで」
「わぁい!」
何かの条件反射なのか、喜んで駆け寄り飛びつこうとするスピカ。
クラレットはその首をガッと掴んで、キュッと締めた。
「蒸し返すの、やめようね」
微笑みを崩さず言う姿に、俺とカルガモは自然と「くぅ~ん」と鳴いた。
この逆らっちゃいけない感、キレてる時の姐御に匹敵する……!
死ぬ前に解放されたスピカは、平謝りしながら抱きついていた。すげぇ、あの殺気に怯えてない。
いや、恐怖を好意が上回ったのか……? あいつよく分かんねぇけど、懐いた人には甘えるからな。
「……で、ガウスよ。実際どうだったんじゃ」
聞こえないように、小声でカルガモが問いかけてくる。
俺はそれに苦笑して、
「ただの事故だよ。わざとやってたら、俺は今頃ここにいない」
「さもありなん」
通報されてここにいないのか、殺されてここにいないのか。
何となく後者のような気がして、今更ながらに背筋が冷えるのであった。




