第二一話 道を行く
違和感は積み重なり続けていた。
走って不意打ちでもされたら困るので、俺達はゆっくりと歩を進めていたが、相変わらず人影を見かけない。守りに適していそうな場所や、物資を保管している倉庫でもそれは同じだった。
これが平時であれば、クラン総出で狩りでもしているのかと思ったかもしれない。不用心だなと苦笑して、ついでに少しばかりアイテムを失敬しておしまいだった。
だがイエローブラッドとの戦争中にこれはありえない。外に出ているのが全戦力で、実は張子の虎だったと言われた方がマシだ。
「――あ、駄目だこれ」
先頭を行く夕陽がそう言ったのは、無人の廊下でのことだった。
何の変哲もない石造りの廊下。採光用の窓から差し込む光だけでは、やや薄暗い。左右の壁には燭台があるものの、昼間の内は火が灯されることはないだろう。
人影はおろか罠らしいものもないが、足を止めた夕陽は顔だけを向けて言う。
「こっから先、世界がグッチャグチャ。見てくれは綺麗に整えてっけど、中身の処理が間に合ってねぇんだな。うっかり踏み込んだら、床の中で溺れちまうぜ」
言って、示すように片足で床を叩いてみせた。
水音。正確に言えば、血に濡れた肉を叩くような音だった。
石造りの床はコールタールのように糸を引きながら飛沫を上げ、不気味に泡立つ。膨らんだ泡は表面にノイズを走らせ、点滅めいた動きで消失と出現を繰り返していた。
「――――」
隣でクラレットが息を呑む。確かに初めて見たら、目を疑うだろう。
だが俺は初めてではない。同じ現象なのかは分からないが、こんな光景には見覚えがある。
つい先日のことだ。ノノカが顔剥ぎセーラーを隔離するために用意した、現実世界のバックアップを流用して作られた並行世界。あれが崩れる時と、この光景は酷似していた。
「……どういうこった。ここはゲームの中だろ?」
「あたしに聞かれても分っかんねぇよ。別に知識があるわけじゃないんだぜ?
ただまあ、能力っつーか体質か。この目で見れば、多少は世界の内側も視えるってだけだ」
まあ、夕陽にちゃんとした知識を期待するのはお門違いか。
能力を持って生まれただけで、魔術やそれに関連することを教わったわけでもないんだし。
それでも戸惑う俺とクラレットに対し、夕陽はだけど、と言葉を続けて、
「何が起きたっておかしくねぇ世界だとしても、これは誰かの仕業だぜ」
「……うん。私達が砦に入ったタイミングを狙った、ってことだよね」
同意して、引き継ぐようにクラレットは推測は述べた。
「やりそうなのは、ヨーゼフさんかな。知識も技術もあって、私達と敵対しそうなのはあの人ぐらいだけど」
「どうだろうな。あんまりあいつっぽくねぇけど」
あいつは俺を裏切ったから敵対しそうも何も既にしてるんだけど、手口がらしくない。
別に肩を持つわけではないが、ヨーゼフは違うと思う根拠を口にする。
「あいつ、罠張ったり暗躍したりはするけど、ここぞって場面じゃ顔を出すタイプだと思うんだよな。卑怯者のクズだけど、最低限の仁義は通すっつーか」
「そっかぁ? 卑怯者ってのは納得だけどよ」
「……私は分かるかな。ちょっと知恵の回るガウスみたいな感じ」
「あー」
何を納得してやがる。
そもそもヨーゼフの仕業だとしたら不自然なことがあり、
「つーか、ヨーゼフならメリットがねぇだろ。俺の動きを読んでたら、適当な増援を送っとけばそれでいいんだから。あいつは身銭切って魔術を使うほどお人好しじゃねぇぞ」
「ハ、そりゃ確かに。あのおっさんは得にならねぇことはしねぇよな」
「でも――だったら、誰が」
そう問われると、答えに窮するのも確かだ。
ダフニさん達も多少は事情を知っているとはいえ、そこから自力で魔術に辿り着けるかと言えば怪しい。ナップに至っては何も聞かされていないまであるぞ。
いっそこれもノノカの仕業だったら簡単なんだが、それも違う。連絡が取れないのもいい証拠だ。
あいつは半ば一蓮托生だってのに、手足になって動く俺を切り捨てるわけがない。
だから有力な容疑者はいないと、そう結論するしかないわけだが。
「――ま、考え込んでたって仕方ねぇ。探索を続けようぜ」
そう言った夕陽が踵を返し、来た道を戻ろうとする。
しかしその手を掴んで、クラレットが待ったをかけた。
「待って、そっちじゃないと思う」
「んぁ? ……この先に行けってか?」
嫌そうな顔をして、夕陽は顎で廊下の先を示した。
見た目はもう元に戻っているが、まともに歩ける場所でないことは証明済み。それどころか夕陽の目には、この場所が本当はどうなっているのか、その実態が見えている筈だ。
わざわざ危険を冒せと言われたら嫌がって当然だが、
「意図的、だと思う。私達をどうにかしたいだけなら、ここまで歩けるようにしなくていい筈だから。
そうできない理由があって、でもこの先には通したくないから、わざとやってるんじゃないかな」
「……一理あんな。けど、どうやって通るつもりだよ?
あたしがテメェらを担いで跳ぶにしても、その先も安全とは限らねぇぞ」
夕陽は意外と慎重っつーか、俺らのこと案じてくれるんだよな。
そのあたりはツバメの影響だろうかと思いつつ、俺はインベントリから大戦斧を引っこ抜いた。普段はあまり使わない、文字通り刃が立たない相手を叩き潰すためのものだ。
そんな俺を夕陽は怪訝そうに見るが、クラレットは察したような顔をする。これは夕陽が意外と常識人だからだろう。決してクラレットが俺に毒されたわけではないと思う。
ともあれ俺は大戦斧を夕陽に差し出して、
「壁ぶっ壊して迂回しようぜ!」
「あー……あー、なるほどな? 相手がまともな奴なら、そんなことするとは思わねぇもんな。名案だよ。冴えてるって褒めてやってもいい。でもよぉ、ガウス」
大戦斧を受け取り、しかし不満そうに夕陽は言う。
「見ろよこの細腕。力仕事はあたしよりも、テメェの役目なんじゃねぇの?」
「……片手で持ってるように見えるが?」
「そういう問題じゃねぇよ!」
えらくご立腹のようだが、意味が分からん。見た目とは裏腹のパワーを発揮するドリーム筋肉の持ち主なんだから、それを誇りゃあいいだろうに。
首を傾げる俺に、苦笑を浮かべてクラレットが言う。
「夕陽は女の子扱いして欲しいんじゃないかな」
「ちっげーよ! ンなもん、期待してねぇし望んでもいねぇ!」
「違うの?」
「違う! ……ただまあ、それはそれとして力仕事担当っつーか、あたしが一番適任だろって扱いもこう、微妙にムカつくんだよ。分かるか? 分かれよ」
脅すような物言いに、クラレットの苦笑も困惑の色を増す。
誰の影響かは知らないが、中途半端に乙女心をインストールしているのだろうか。
だがいつまでもこんな話をしているわけにもいかないので、
「今度ラーメンでも奢ってやるから、ここは頼む」
「ちっ、仕方ねぇな貧弱ガウスめ」
ぶっきらぼうに答えつつも、口角が上がっているあたり実に分かりやすい。
大戦斧を構えた夕陽は、適当な掛け声を上げて壁に向かってフルスイング。炸裂した威力が砕けた壁を吹き飛ばすが、ハリボテでももうちょっと慎ましやかに壊れるんじゃないかって勢いだ。
「ま、ざっとこんなもんよ」
「おー。凄いね、夕陽」
得意気に笑う夕陽に、たぶん本心から拍手を送るクラレット。
俺達は壁に空いた大穴を通って、部屋の中に入る。夕陽が止めないところを見るに、とりあえずは安全に歩ける場所なのだろう。
「そんじゃ、次はこっちの壁を頼んだ」
「へいへい。行けるトコまで行ってやりましょーかね」
答えて、夕陽はまた壁を吹っ飛ばす。先に斧の方が壊れてしまわないか不安になるが、最悪、別の斧か大剣を渡せばいいだろう。
そんな調子で何度か壁を破り、いくつかの部屋を抜けると、また廊下に出た。
この場所はもう大丈夫なのか、夕陽は特に警戒もせず外に出て、
「――っ、ガウス!」
俺の名を叫ぶと同時、身構えた夕陽の体が真横へとぶっ飛ばされる。
射撃だ。スキルを乗せた矢が、そのノックバック効果によって夕陽を吹き飛ばしたのだ。
どんなステータスでも耐えられない。耐性装備など、専用の対策がなければ抗えない世界のルール。しかし理解の範疇にある攻撃手段だったからこそ、敵が何者かを察することができる。
俺は剣を片手に飛び出し、追撃として放たれた矢を切り払う。
視線の先、廊下に立つのは見覚えのない集団――トーマ派のプレイヤーだ。
「待った! 俺はトーマの味方だ!」
だから咄嗟にそう声をかけてみるものの、奴らは怯まない。
前衛一人を壁にする形で弓手二人、魔道士系一人の布陣。威力よりも速度を優先したか、魔道士は詠唱のないアイスボルトを選択。氷の矢を飛ばし、俺への追撃とした。
飛び出そうとするクラレットを左手で止め、剣を盾にアイスボルトを受け止める。ろくな魔法防御のない俺ではダメージはほぼ素通し。削れたHPは二割ほどか。
直後、一拍の間を置いて飛び出したクラレットが、ファイアーボルトで反撃する。敵前衛も盾で受け止めるが、やや焦りを感じる表情を見せたのは、思った以上に火力が高かったせいだろう。
焦りは伝播するものだ。弓手二人は息を合わせるのではなく、ただ急かされるように矢を放った。
連射となって降り注ぐ矢を切り払う。流石に半分も落とせないが、スキルが乗せられていなければ多少は持ち堪えられる。ただの射撃で俺を殺そうと言うのなら、十秒は用意しておくべきだった。
射撃から三秒と経たず、体勢を立て直した夕陽が爆裂のような勢いで疾走した。
邪魔になるだけだからか、既に大戦斧は捨てている。
疾走から到達までは秒にも満たぬ刹那。振り払うように敵前衛を薙ぎ倒し、踏み込みながら返す拳が弓手の一人に突き刺さる。比喩ではなく胸板を貫通し、一撃で戦闘不能へと追い込んだ。
その後を追って踏み込んだ俺が、もう一人の弓手の首を刎ねる。
ようやく反撃しようと魔道士が動いた時には、既に夕陽が追撃の拳でその頭部を粉砕していた。
俺は残る前衛に剣の切っ先を向けて、ダメ元でホーリーグレイルの置き場所を吐かせてみようと考えるが、口を開くよりも先に前衛が動く。
顔に憤怒を浮かべた彼は、剣が突き刺さることにも構わず、相打ち上等で襲いかかったのだ。
「ファイアーボルト!」
咄嗟に反応したクラレットの魔法が、彼を焼き落とす。
しかし戦闘不能になる寸前、彼は深い憎悪を込めた声で言う。
「女神の狗め……!」
誰が狗だ。ムカついたので、さくっと剣を刺して殺しておく。
確かにノノカは神かもしれないが、俺は心まで売り渡したわけではない。何より俺は人間としてクラレットと姐御という飼い主を持つのだから、やはり狗という評価は侮辱でしかない。
まったく失礼しちゃうよね、と血糊を振り払ってから、あれ、と首を捻る。
「血糊って、こんなべったり付いたっけ?」
「あたしに聞くなよ。テメェと違って、こっちは日常的に殺人なんてしてねぇんだからよ」
「俺は平和主義者だって言ってんだろ、ぶっ殺すぞ」
しかし俺が平和に生きるには、あまりにも世の中にはクズが多いだけなのだ。
まあそんな些末なことはさておいて、疑問を真面目に考える。
このゲームはわりと血飛沫舞う方だが、表現への規制だってあるし、血なんて本来ならすぐに消えるものだ。それが残り続けるというのは、ゲームの仕様から外れた動作だと言えた。
「――あ、そっか。ノノカがやらかした時と同じなのか、これ」
「何か分かったの?」
問いかけてくるクラレットに頷きを返し、俺は疑問の答えを話す。
きっとこの場所はもう、ゲームの中ではないということ。
ゲーム的なシステムがまだ――おそらくは魔術として機能しているだけで、現実寄りの場所になっている。そうでなければ、血なんてとっくに消えている筈なのだから。
トーマ派の奴が妙なことを口走っていたのも、ノノカがやらかした時と同じで、プレイヤーではなく冒険者としての記憶しかないのだと考えれば、そうおかしなことではない。
そういった考えを話すと、クラレットは僅かに息を詰め、真っ直ぐに俺を見た。
「だとしたら、ログアウトできる保障もないかも」
ここが現実寄りの世界だというのなら、絶対的な逃げ道であるログアウトは機能しないかもしれない。それどころか、ひょっとしたら死に戻りだって機能しない可能性まであるだろう。
安全を第一に考えるのなら、砦の外へ逃げてしまうべきだ。
しかしクラレットの視線は、そんな選択肢はないと物語っている。
もう気付いているのだろう。
トーマ派の奴が冒険者としての記憶しか持たないのだとしても、それだけではあんな言葉は出ない。
何かを吹き込んだ人物が――運営側の人間がここにいるのだ、と。
だから俺は何でもないように笑って、
「全部片付けて、ログアウトできるようにすりゃいいだけさ」
言葉に、クラレットは一瞬だけ瞳を揺らして、
「たぶんだけど……ガウスはこれから、間違えに行くよ」
「見届け役は任せたぜ」
ある程度の予想はもうできている。
それでも俺には、ただ終わらせることしか選べない。
その選択が間違いだと分かっていても、他に選択肢がないのだから仕方ない。
逃げずに待ってる奴がいるんだから、せめて向かい合うのが筋ってもんだ。
俺達はまた夕陽を先頭に進軍を再開する。
目指すは最早ホーリーグレイルではなく、根無し草の生えている場所だ。
体調不良! 腰痛! スランプ! あとゲーム!
そんなこんなで遅れましたが、ようやく続きをお届けです。




