第二十話 突入
『ガウス様、聞こえてるかな? イエローブラッドが動いたよ』
しばらく待ち続けた後、メザシからのささやきが届いた。
押し殺したような声になっているのは、周囲に口の動きを悟られないようにしているせいだろう。その場にいてもささやきでの発言は他人に聞こえないようになっているが、不審に思われる要素は排除して損はない。
『庭は制圧。編制を大雑把に整理して、今、突入し始めたところ』
「相手の対応は?」
『ごめん、ここからじゃよく見え――あっ、嘘ぉ!?』
驚きの声が上がるが、まあ、予想の範疇だ。
メザシも噂ぐらいは聞いているかもしれないが、初めて目撃した光景を、恐怖すら通り越して――ただ呆然とした声で伝える。
『――カルガモがいる』
「わらびもちからの支援はあるか?」
『え、うん……他にも人が……でも、嘘。あんな簡単に、イエローブラッドが殺されて……』
いまいち要領を得ないが、勢い任せの先陣は呆気なく壊滅させられたのだろう。
あいつがどこまで本気を出してくれるか不安だったが、この様子なら遠慮も大人気もなく全開だ。
トッププレイヤーと呼ばれる上澄み中の上澄みであっても、所詮はプレイヤーという同じ枠組みの中の存在。掛け値なしに一騎当千の大剣豪から見れば、十把一絡げでしかない。
勝ち目があるとすれば、数で押し潰すことだけだが……わらびもちの支援を得られているのなら、その難易度は跳ね上がる。俺なら絶対に勝てないと諦めるだろう。
(待て待て兄さん! あの旦那がどうして参加してるんだい)
焦ったような思念がノノカ様から届くが、あの害鳥が何もしないと考えるのが間違っている。
あいつは以前、俺がまだ一つか二つ、手を残しているだろうと問いかけた。
それに対して俺は両手を上げ、見ての通りだと返した。
降参だと明言したわけではない。だから見たままに、手は二つあると解釈するのが正解だ。
迂遠な伝え方と、その後で明らかになったノノカの魔術。
カルガモなら俺がノノカを欺こうとしているのだと、気付いてくれるだろう。
ノノカに引っ掻き回されたら、着地点がどこになるかも予想できない。楽しませるという建前で欺き、俺が主導権を握るのは必要なことだった。
実際にどうなるかは読めなかったが、今日、カルガモが俺を起こした通話で確信に至る。あいつは俺の考えを正しく理解し、とりあえず味方をすることにしたのだ、と。
(……いや、そこまではいい。いいけど、どうしてだい。
旦那がどんな行動に出るかまで、分かっていたのは)
そりゃあ俺の目的が伝わったからだ。
ナップを殺すだけなら、他にいくらでも手段はある。だが確実な手を選ばず、イエローブラッドに襲撃をかけたのなら、目的は奴ら全体の足止めだと言ってるようなもんだ。
そこまで分かれば、カルガモは足止めを引き継ぐ。
他に望むものを示していないのだから、あいつはそれが正解だと確信してくれるだろう。
(感心を通り越して気持ち悪い……!
兄さんと旦那って、恋人同士より心が通じ合ってんじゃないか)
気持ち悪いことを言うな。マジで言うな。
つーか心が通じ合ってるんじゃなくて、お互いに理解してたらこんなもんだろ。
性格的にもカルガモは静観しない。どこかのタイミングで、何らかの形で介入するのは確実だった。
そして俺がノノカを欺こうとしていることまで伝われば、俺の味方をしてくれる。
(えぇ……? 旦那に恨まれる覚えはないんだけどねぇ)
いや、考えたら分かりそうなもんだけど。
あいつは剣を極めようとして、寿命が足りないからって諦めたんだ。
人の身で届かないものを目指すよりも、人のままであることを選んだんだよ。
俺もあいつじゃないから、確かなことは言えねぇけどさ。
あんた、ほとんど人間辞めてるだろ?
あいつから見たら、あんたみたいなのって虫唾が走るんじゃねぇかな。
(――――ああ、そうか)
すとんと、腑に落ちたようにノノカは呟いた。
ただ納得だけがあり、感情の抜け落ちたその声は、何よりも彼女らしい。
ノノカが何故、魔術師として高次元を目指したのかは知らない。
けれど多くの魔術師が悲願としていた領域に手が届いた時、彼女は何を思ったのだろう。
何となくではあるが。
達成したという事実を以て、忌み嫌われることも納得したのではないか。
だからまあ、それを失念していたのがあんたの落ち度だ。
人間でいられなかったあんたが、人間のように振る舞い続ければ、そういうこともある。
『あのー、ガウス様? ボクはどうしたら……』
おっと、ノノカに構い過ぎてしまったか。
困ったようなささやきを送るメザシに返事をする。
「お疲れさん。バレないように、適当なところで引き上げてくれ。
こっちも仕上げに移るよ」
指示に了解の返事をして、メザシがささやきを終える。
それから近くで待機しているランドルフ達にも、ささやきで指示を出しておく。あいつらの役割はほとんど陽動だが、欲をかかなければそれなりの成果は得られるだろう。
――イエローブラッドの拠点に残るのは、あくまで最低限の防衛戦力。ただしそれは、以前のイエローブラッドを基準とした場合の話だ。
現在、トーマ派を取り込んだイエローブラッドは大きく膨れ上がっている。玉石混交の彼らは、おそらくわらびもちへの襲撃には参加していない。ひょっとしたら乗り気な奴が何人か参加しているかもしれないが、ログイン中の大多数は防衛に回されているだろう。
彼らを兵隊として、本来のイエローブラッドメンバーが指揮を取る。攻撃に惜しげもなく戦力を投入しているからには、防衛体制はそうなっている筈だ。
これならランドルフ達でも戦える。質では大差なく、対人戦の経験があるだけむしろ有利。
無理に砦を落とそうとせず、略奪して素早く引き上げれば、収支はプラスで終わるだろう。
タイミングとしてカルガモを待ったのも、わらびもちを攻めている本隊の判断を迷わせるためだ。優勢ならある程度はこっちに援軍を送りそうだし、庭を制圧した直後でもそれは同じ。
予想外の反撃に混乱し、立て直しを強いられている時がいい。援軍を派遣するにしても、判断を下すのは遅れる。その猶予が俺達の自由に動ける時間だ。
……ま、トーマ派の連中にはとんだ貧乏くじだが、巻き込んだ責任はイエローブラッドにある。受け入れた以上は損失だって補填するのが筋ってもんだ。
最後に俺はフレンドリストを開いて、トーマの名前を確認する。
表示はオンライン。お飾りとはいえトーマ派のトップである以上、いきなりログアウトして逃げるとは思いたくないが……あいつはいざとなったら、マジで逃げそうだからなぁ。
逃げられないように急いだ方がいいな、とフレンドリストを閉じた。
「おっし。こっちの協力者から連絡があった。
そろそろ仕掛けるぞ」
ささやきを送っていたのは、口の動きで分かっていたのだろう。
クラレットと夕陽の二人は頷き、
「――ん? そういやよ、テメェの協力者って何者なんだ?」
「この世で三番目ぐらいに強い絆で結ばれた仲間さ」
夕陽の疑問ははぐらかしておく。
PKと手を組みましたと言っても、この二人なら気にはしないと思う。が、ツバメとスピカは怒りそうだからなぁ。ちなみに一番強い絆は血の繋がりで、二番目はたぶん愛。そして三番目は金だ。
そんなことよりも、と手順を確認する。
「つーわけで、これから協力者達が砦を攻撃してくれる。
俺達は目立たないように、こそっと端の方から砦の中に入るぞ」
「あいよ。しっかし、堂々と正面から行く方が性に合ってんだけどな」
「駄目だよ夕陽。派手にやり過ぎたら、困るのはツバメだから」
「へーい」
分かってるんだか分かってないんだか、夕陽は適当な返事をした。
ある程度親しくなけりゃ、ツバメと夕陽を見分けるのは難しい。もしも夕陽が派手に暴れたら、プレイヤーとしては存在しない以上、風評はツバメに向けられてしまう。
ま、流石に夕陽も考えなしに暴れはしない……って、信じていいよな?
若干の不安を残しつつ――その時は訪れた。
ランドルフ率いるPK集団が姿を現し、砦を囲むように散開したまま突撃を開始した。
やり方は任せていたが、人数的にはとても包囲と呼べるようなものではない。ただ散らばっているだけと言った方が正確なぐらいだろう。
だがそれでいいのかもしれない。防衛側から見れば、このタイミングでただ略奪しに来たとは考えない筈だ。
なるべくなら一人だって通したくはない。そのためには連携を放棄してでも、広範囲へ対応するしかないのだ。
ランドルフ自身の発想か、誰かの入れ知恵か。たぶん後者だと思うが、悪くない戦術だ。戦闘も半ば個人戦を強いるような形になるため、倒した相手の装備を剥ぎ取る余裕もある。
――何より、三人で動く俺達には有利に働く。
イエローブラッドは見張りが即応しつつ、迎撃のための戦力を砦から吐き出した。
数ではランドルフ達をやや上回る。しかし敵の大半がトーマ派だとすれば、実質的にはランドルフ達の方が上か。
乱戦に巻き込まれないよう、少しだけ待っていると、
「……あの人達、どこかのクランって感じじゃないよね?」
何に違和感を覚えたのか、クラレットが俺に疑惑の眼差しを向けてきた。
いや、そうか。砦に乗り込んで、あわよくばホーリーグレイルを壊してやろう、という意図を感じられない行動。ただ単に敵を倒せればいいという動きが、不自然なのか。
だが問題ない。居心地の悪さを我慢すれば、沈黙を貫ける。
後ろ暗い取引があるのだとしても、クラレットなら許容してくれる筈だ。
「白状するけどあいつらPKだよ」
まあ我慢できないんだけどな……!
クラレットはじろりと半目で俺を見て、
「目を離してたら、そういう友達まで作っちゃうわけだ」
「勘違いすんなよ。ほら、資源の再利用って大切なことだろう?
――俺はPKというゴミどもをリサイクルしただけさ」
「曇りのない目で言い切れる神経だけは、マジで尊敬するわ」
「お前はどっちの味方だよ。恥を知れ恥を」
「テメェがな!?」
恥という概念は知っているので問題ない。
「ま、この話は後だ。――行くぞ」
そろそろ頃合いだと思って告げれば、
「うん、後で話そうね」
「……うん」
死刑の予約が入った気がするが、未来の俺に頑張ってもらいたい。
ともあれ、俺達は目立たないようにこそこそと走り出した。
俺と夕陽なら砦を守る城壁を乗り越えることも不可能ではないが、ステータス的にクラレットへ同じことを要求するのは酷だろう。つーかこの状況だと、城壁を登ってる最中に攻撃されちまうし。
だから正門を目指すしかないのだが、そんな馬鹿正直な動きをすれば、こそこそするのにも限度がある。
まずは前衛らしき敵が二人、進路へと立ちはだかった。
――敵の表情に特筆すべきものはない。見覚えもないし、俺を俺だと認識していないのなら、イエローブラッドの正規メンバーではなくトーマ派の兵隊だろう。
これなら簡単に蹴散らせる相手だと、インベントリから大戦斧を引き抜き、
「ファイアーボール!」
攻撃に移るよりも早く、クラレットの放つ火球が二人をまとめて吹き飛ばした。
それは今までとは違い、投球のスキルエンハンスを用いない、ごく普通の魔法だった。
未練の証でもあった投球を失った火球は、しかし今まで以上の熱量で、炎を渦巻かせていたようにも見える。
今なら頼ってもらえるぐらい上手く使えると豪語していたが、それは正しかったのだ。
スキルエンハンスという言わば補助輪に頼ったものではなく、確信と信仰による魔術として魔法を操っているに違いない。
……その向上した火力を、躊躇なく叩き込める精神性が超怖い。
俺も手が早い方だとは自覚しているが、攻撃のために一瞬の思考を挟んだ。
クラレットはそれすらなく、反射とも言える速さで魔法を放っている。
見届けると決めた彼女は、その覚悟を果たせる場所まで辿り着くために、一切の迷いを捨てたのだ。
頼もしいっちゃ頼もしいんだが――うん、夕陽がおっかないって言うのも納得だわ。
今のクラレットには、どんな傷を負っても死ぬまで止まらない怖さがある。
痛みをどれだけ感じても、それが止まる理由にはならない。
まるでそれは、鏡に映った自分を見ているかのようでもあった。
――だから、彼女に何を思っても、それは俺が足を止める理由にならなかった。
危ういと思ったし、そんな生き方はしなくていいとも思った。
だけど困ったことに、俺自身がそうなのだから、彼女を止める気にはならない。
いつか破滅するのだとしても、彼女のように見届ければいいとさえ思ってしまう。
だから、置き去りにしない程度に加速した。
彼女の前を行くことで、見届けてもらえばいいと。
失敗して、破滅するところを見せて、判断してもらえばいい。
その上で何を選ぶかは、彼女の自由だ。
(厳しいような、激甘なような……)
ノノカが悩むように脳内で言うが、人間の心の複雑さを思い知るがいい。
魔術で人の心を好きにできるなんて、思い上がりに過ぎないんだ……!
(でもさぁ兄さん。先に魔術で心を操ってくれって言ったの、兄さんだぜ?)
…………。
そんなの覚えてませーん! だから責任もないでーす!!
(あ、ひっでぇ! 私はちゃんと私のルール守ってるんだぞ!
兄さんが言い出したことだから、そういう方針で力を貸してやったのに!)
冗談で言ったことを本気で実行されても困るんだよぉ!?
つーか今忙しいから、構ってる暇ないの! 帰ってノノカ様!
(ええー)
不満そうではあったが、忙しいという主張は通ったのか、律儀に思念が消える。
そして半ば現実逃避的に、俺は敵を薙ぎ倒して走り続けた。
元々、外にいる連中を突破するだけなら、クラレットに頼るまでもない。
イエローブラッドの正規メンバーは確かに強敵だが、幹部クラスじゃなけりゃ負ける心配はない。
順調に敵を蹴散らし続け、ついに俺達は砦の中へと乗り込んだ。
「――――おん?」
入ってすぐの場所は小さなホールになっていたが、怪訝そうに夕陽が声を上げた。
「どうなってんだこりゃ? ――誰もいねぇぞ」
「……ちょっと変だね」
クラレットが同意し、俺も同感だと頷きを返した。
外にいる連中が全戦力なわけがない。特に精鋭は中を守らせるべきだろう。
要所に戦力を集めているのだとしても、ここを最初から放棄するってのは不自然だ。
てっきり中に入った途端、攻撃されるものだと思っていたが……。
これじゃあ拍子抜けもいいところだが、実際には不気味さから緊張が増していた。
「……慎重に進むしかないか」
呟き、屋内で振り回しやすいように武器を片手剣に変更する。
それを見た夕陽も拳を打ち鳴らし、
「こっからはあたしもやらせてもらうぜ。この状況、どう考えたって普通じゃねぇだろ」
「そうだね、何かが起きてると思う。夕陽がいてくれてよかった」
「ハ。おだてたって何も出ねぇぞ」
それでも嬉しそうに笑って、夕陽が先頭を歩き出した。
その背中に続きながら、俺は言う。
「とりあえずホーリーグレイルを探そう。あれなら誰かが守ってる筈だ」
「そこに誰もいなけりゃ、いよいよ洒落になってねぇけどな」
嫌な冗談だが、笑い飛ばせるような根拠もない。
こんな時こそノノカの助言が欲しいところだが、内心の呟きに応答はなかった。




