第十七話 ナップ
地球は守る。市民は守らない。
そんなゲームに夢中になっていたのです。
VRMMOに限らず、VRゲー全般にはリアルチートという概念がある。
リアルで培った技術などを活用して、ゲーム内で他者よりも優位に立つことだ。
それはリアルチートの持ち主が優れていると認める言葉であり、同時に何か卑怯だと喚く負け犬の遠吠えでもあった。
だって彼らは相応の努力の結果として、技術を身に着けているだけに過ぎない。それを卑怯と誹られるのは心外だろうし、悔しいなら同じだけの努力をしてみろって言いたいだろう。
だけどこれは感情の問題だ。
正論で納得できるようなら、最初から卑怯だのチートだのと言いはしない。
こういったユーザーの感情に対し、ゲーム会社もあれこれと手を打っては来た。
リアルと同じように体を動かすのではなく、動作のほぼ全てを思考入力によって実行する、通称マリオネット型ゲーム。
身体能力をデフォルトで超人にすれば影響も抑えられると考えた、通称スーパーマン型ゲーム。
いっそ人間の形を放棄すればいいと開き直った、通称ケンタウロス型ゲーム。これは後に規制された。
とにかく色々とあったわけだが、しかし結局、リアルチートという概念が廃れることはなかった。
それなりのリアリティーがあった方が遊びやすい、特異な操作形態は人を選ぶ、といった理由もあるが、ユーザーがどこかでリアルチートを――特別な誰かを肯定したからかもしれない。
そしてゲオルギウス・オンラインに限った話ではなく、操作面で特異な点のないVRMMOは、トッププレイヤー層に少なくない数のリアルチートの使い手を抱えることになった。
逆に言えば、リアルチートの使い手でなくともトッププレイヤーになれる。
その実例が、目の前にいるナップという男だった。
「――どうしたガウス! 逃げ回ってばかりじゃないか!」
調子に乗って大剣を振り回すナップに対し、悔しいが俺は逃げ回ることしかできていなかった。
仲間を生贄に捧げて漆黒のオーラを噴き上げる大剣は、どう控え目に見てもオーバーキル間違いなしの馬鹿火力。リアルと違ってゲームだからこそ、掠り傷でも即死しかねない。
防戦すら成立しない状況で俺が死んでいないのは、ナップが凡庸な男だからというのも大きかった。
例えばその太刀筋は雑で、術理なんてあったもんじゃない。慣れている分だけ素人よりはマシだが、ひやりとさせるような鋭さとは無縁だ。
体捌きにしたって思い切りがいいだけで、これならダフニさんの方がずっと上だろう。
それでもイエローブラッド最強の男はこいつだ。
技術で勝てないのなら、装備の差で勝てばいい。
同水準の装備を揃えられたら、強力なスキルに頼ればいい。
次元こそ違うが、俺はカルガモのように鍛錬を積み重ね、己の技量を武器とする。しかしナップはそんな暇があればゲームをする。あるいはそれは、祈りにも似た真摯さで。
膨大なプレイ時間は、ゲームでの立ち回りに特化した戦士を育て上げる。
事実、神官を経て暗黒騎士となったナップはマルチタンクとして活躍しているが、そのビルドを真似する者はほとんどいない。正確に言えば、真似できる者が少ないのだ。
タンクとしてのステ振りを基本としながら、ヒーラーとしてもアタッカーとしても成立するステ振り。装備やスキル込みで練られたそれは、しかし普通は中途半端に終わるものだ。
当たり前だ。他の役割を十全にこなせたら、本職の立つ瀬がない。
そしてナップのビルドをただ真似るだけでは、中途半端にしかならない。
ナップがマルチタンクとして成立するのは、その立ち回りがあってこそなのだ。
今は俺が相手だから、ナップはアタッカーを主体として立ち回っている。だが相手に応じてナップは立ち回りを変えるだろう。集団戦ならばタンクを主体に。戦況によってはヒーラーを主体に。劣勢を覆す必要があれば、好機にアタッカーとして飛び込んでみせる。
莫大な経験を背景として、取捨選択を間違えることなく、常に自分の長所をぶつける。
それこそがナップの本質であり、生粋のゲーマーの恐ろしさだ。
認めよう。剣士としては俺が上でも、ゲーマーとしてはナップの方が上なのだ。
「――げっ」
呻く声は果たしてどちらのものだったか。
避け切れずにナップの剣閃を剣で弾いた時、手にした剣は代償として容易く砕かれた。
目に見えた結果ではあったが、本当に一撃で砕かれるとマジかと思ってしまう。決して安くはない剣だ。何せ俺の懐具合では手が出せない、イエローブラッドの連中から借りた一級品だというのに。
自分達の資産をその手で砕いたことに動揺したか、ナップの動きに躊躇いが生じる。
次撃を放たれる前に新たな剣をインベントリから左手で抜き、ついでに右手で瓶に入ったミルクを取り出す。ただの食材アイテムだが、俺はそれをナップの顔面めがけてぶん投げた。
咄嗟に大剣でガードしたナップは、割れて撒き散らされる液体の正体に気付き、嫌そうに眉を寄せる。
「何でも投げればいいってもんじゃないだろ、手癖悪いな!」
「ばっかお前、乾いたら臭いんだぞ。立派な攻撃だ」
「攻撃じゃなくて嫌がらせって言うんだよ!」
もちろんただの嫌がらせではない。
これまでの武器投擲もあって、ナップは攻撃アイテムを警戒したからこそガードしたのだ。
俺にとっては確認作業であり、同時にアイテムの投擲もあるぞと示すための行為だ。
狙いはただ一つ、思考のリソースを奪うこと。
俺の取れる選択肢を分かりやすく増やし、ほんの少しでもいいから思考を鈍らせる。負荷によって対処を間違えるほど甘い奴ではないと思うが、攻撃の手が僅かでも緩めば充分だ。
――と、俺がそう考えていることを、当然のようにナップも考える。
だからナップは踏み込んだ。
小細工を警戒するのは思うツボ。いっそ多少のダメージは覚悟して、火のように攻め立てるべき。それが正解だとすぐさま判断して、己の長所を――俺が小細工に頼ってでも遠ざけようとした火力を、ぶつけることを選んだのだ。
だから俺は構えた。
お前ならそのぐらいは読んで来ると信じて、罠を張らせてもらった。
狙いを読んだと思い込ませることができれば、思考はそこから先へ進まない。
ナップは最速最強の一撃を答えとし、応える俺は左の剣を捨てつつ、右手で槍を抜いた。
両手で持って支えるその槍は普通のものではない。重く頑丈な馬上槍だ。
俺の筋力でも振り回すのは難しいが、ナップの進路に穂先を置いておくだけなら余裕だ。
最速最強の一撃を引き出したのならば、その力で自滅させればいい……!
「――――!!」
瞬間、ナップが吼えた。
スキルではない、ただ気合を発するための雄叫びだ。
止まれる筈のない勢いで突っ込み、しかし強引に足を踏み変え、己の体が馬上槍へ至る前に大剣を振り下ろす。
「……っ!」
あまりにも無茶な動きだ。
先人の研鑽に、術理の積み重ねに、唾を吐き捨てるかのような愚行。
だがどうだ。リアルならば砕けてもおかしくない足首は、ゲームのステータスを以て耐えた。
そして振るわれた刃は、鉄塊と呼んでも差し支えない馬上槍を、粉砕せしめたではないか。
悲鳴のように雄叫びが上がる。
最大の好機を逃さず、返す刀が跳ね上がり、刃筋も立てずに殴殺しようとする。
――その刹那、間延びしたような時間の中で、俺は反射的に動いていた。
武器を新たに抜く暇はなく、死を避けられる道はない。
俺はここで死ぬ。その確信を抱きながら、跳ね上がる刃に左足を乗せた。
押し勝てるものではない。粘るような時間の中、ただ末端から破壊されるだけ。
しかし力が命に届くまで、この力は俺のものだ。
潰されながら押し上げられ、体を駆け抜ける力を逆端、右拳へと導く。
振るうと言うよりも発射された右拳は、確かにナップの顎を撃ち抜いてみせた。
「ぎ……っ!?」
上げた苦鳴はそれこそどちらのものか。
一拍遅れて大剣は振り抜かれ、拳を支えとして力は胴を圧潰した。
崩れ落ちた体は表面こそ人の形を保っているものの、中身はさぞや悲惨なことになっているだろう。
だがナップもその威力を全てではないにしろ、受け止めることになったのだ。
サクリファイスでHPが削れていたし、相打ちには充分なダメージが通った筈。
死体から幽体になって起き上がった俺は、しかし目を疑うことになる。
ダメージが通った筈なのに、ナップはなおも平然と立っていたのだ。
「……ああクソ。やっぱ最後まで油断できないよなぁ、お前。
保険を減らされるとまでは思わなかった」
ぼやくように呟いて。
俺の死体を見下ろしたナップは、不敵に笑った。
「でも、今回は俺の勝ちだ」
……そうだ。結果を見れば確かに、そういうことになる。
だがどういうことだと首を傾げれば、奇妙な光景が目に映った。
えーっと、サクリファイス・ネバーダイだっけ。あいつのスキルエンハンス。
あれの影響でイエローブラッド側の何人かが、HPを削られたのは確かだ。しかしその影響があったとはいえ、全体的にイエローブラッド側が劣勢になってねぇか、この戦場。
………………いや、まさか。そういうことか?
あいつのスキルエンハンス、日本語にするなら生贄は死なずってところだが、あくまで使用者のナップが生贄だとすれば、本命はむしろ、奴を死なないようにすること。
だからネバーダイに参加した連中は、ナップの致死ダメージを肩代わりさせられて死んだ。
そう考えればナップが生きている理由も、連中が劣勢になっている理由も分かる。
分かるけど――これ、実質的にはお前の負けじゃねぇの!? なあ!
なんか勝ち誇ってるけど、俺を倒す代償に仲間を何人犠牲にしてんだよ!?
ああいや、けど戦略的には微妙なところか。
大将首が奪られたら士気も下がるだろうし、そっちを優先したと思えば、まあ。
でも納得いかねぇなこれ!?
よし。ナップがいかに悪逆非道であるかを吹聴しよう。
そう決心して、俺はセーブポイントへ死に戻ることにした。
それに結果としては悪くない。
ナップを殺せはしなかったが、かなりの犠牲を強いることができた。これならわらびもち側も押し切られず、立て直すことはできるだろう。
戦いを長引かせるという、最大の目的は達成することができたのだ。
○
(んー……どうにも妙なんだよねぇ)
死に戻った後のこと。
戦いそのものは楽しく観賞していたノノカだが、何やら気になることがある様子だった。
まあ妙だよな。ナップのスキルエンハンスが強過ぎる。対策できないってわけじゃないが、あれはちょっと異質だ。
(いや、それは別にどうでもいいんだけどね。
ナップ君は才能ありそうだし、自力でもあれぐらい使いこなせるさ)
そんなもんなのか。普通の発想じゃないと思うんだけどなー。
だがノノカとしては気になるのはナップではなく、
(あのデル2君だけど、兄さんが言うように術のかかり方がちょっと変でねぇ。
まあ、それ言い出すと兄さん経由でかけた術、基本的に全部効果おかしいんだけど)
おい待て、さらっとやばいこと言ってないか?
内心で冷や汗を流すが、ノノカは安心させるためか、笑うように脳内で言う。
(心配ないさ、おかしいと言っても想定より効果が弱いってだけだから。
本当ならもっと兄さんに心酔するんだけど、そうなってないだけ)
ランドルフは?
(あれたぶん、兄さんが素でハートキャッチしたんじゃねぇかな……。
ま、想定より弱いと言っても効果はあるし、私と兄さんの相性が悪いのかと思ってたんだけど)
そういうわけではない、と。
(そう。デル2君のかかり方は、そもそも術が歪んでるって感じだった。
こうなると例によって、兄さんに原因があるんじゃないかと私は思うわけだ)
おおっといきなり脳内裁判。ですが裁判長、被告人は正義に属するので無実です。
つーか何が起きるか分からないからおっかねぇし、シャーロットさんに怒られそうだしで、魔術は積極的に練習とかもしてないから、俺に何かできるとは思えないんだよな。
実際、シャーロットさんに会う以前だけど、手に余ると思ったから手放したし。
(ちょい待った。兄さん、それ初耳。何やったのさ?)
わ、悪いことはしてねぇよ!
ただその、言霊信仰だっけ? そんな感じの魔術が使えるようになったけど、絶対手に余るじゃん。だからそれ使って、言霊は二度と宿らないって自分自身にだな。
(アホかー!? 信っじらんねー! なんでそう、極端なことするかな!?)
だって冗談で死ねって言った相手が死んだら嫌だろ!?
その時はまだ魔術とか全然知らなかったし、俺の判断は間違ってなかったと思うね!
(そうかもだけど、確定だよ! その悪影響だよ!)
ヤケクソのように声を荒げて、ノノカは脳内で叫び立てる。
(兄さん経由で使ってたのは、視線と言葉――言霊を使った魔術なんだよ!
なのに言霊が機能してないんだから、そりゃ歪むわ! だって普通、そんなの想定しないだろ!? 見落とした私じゃなくて、兄さんが悪い! 私は悪くない!!)
こうまで取り乱されると、逆に冷静になるよな。
なるほどなー。ノノカは意外と想定外の事態に弱くて、自分が一番悪いってポジションにはなりたくない感じか。小悪党タイプかな?
そんな納得をしつつ、ノノカにちゃんと伝わるよう、言葉を強く意識する。
どうだい、予想外だったろ。楽しんでもらえたかな?
(……っ! ああもう、これ煽ってるんじゃなくて、私のせいか!)
楽しませてくれって言われたからなー。俺は悪くない、きっと悪くない。
しかしこうなると、魔術をかけた相手が気になるな。今まで表面化していなかっただけで、魔術が歪んでいた以上、他の連中も何かしらおかしくなっているのかもしれない。
そこんところどうよと疑問を投げかけると、ややあって、
(うーん……特に問題はないとは思うんだけどねぇ。
緑葉さんとのーみんさんは、ちょっと素直になっただけっぽいし)
ほほう。それで、事が終わって魔術を解いたら俺、どうなると思う?
(そこはほら、兄さんに自助努力をしてもらうってことで……)
使えねぇなクソが!
脳内で吐き捨てると、何がご不満なのか怒りの思念を飛ばされる。意識の片隅に苦しむダミーの俺を用意して、影響を切り離す。ほらほら、そっちでお人形さん遊びでもしといてください。
しっかし尻拭いはしてくれると思っていたのに、その気はないってことか。
ノノカの悪質さと、俺の今後を思うと目眩がしてくるが、まあ、土下座の用意はできている。土下座して靴でも舐めて、俺も洗脳されていたんだと訴えればいいだろう。
結論が出たところで、俺は作業へ戻ることにした。
ラシアで通行人を捕まえては、ナップがいかに悪逆非道であるかを吹き込むお仕事である。
ぶっちゃけ計画とは何の関係もないが、溜飲は下げておかねぇとな……!
そんなことをしていると、メザシからささやきで報告が入った。
わらびもちの城壁が、ついに破壊されて突破された、と。
 




