第十四話 神域の独占
英気を養う手段と言えば、食事か睡眠の二択になるだろう。
俺もわらびもちとイエローブラッドの戦争を目前に、英気を養うべく深い眠りに落ちていた。夏休み中ということもあって、部活やバイトがなければ邪魔する者もいない。夜に備えて、今日もたっぷりと眠るつもりだった。
しかし睡眠中の俺を通知音が襲う。電脳の着信だ。
基本的にアプリの通知は切っているが、通話だけは急用かもしれないので通知を切っていないのが仇になった。ぼんやりと意識が浮上して、うるせぇ黙れと着信を拒否する。
平穏を取り戻したことに満足して、微睡みの淵へ落ちていく。――再度の着信。諦めの悪さに殺意が湧くものの面倒さが上回り、もう諦めろと着信を拒否する。
そして三度目の着信と同時に、電脳から擬似的な痛みが発され、全身の神経で暴れ回った。
「ひぎぃ!?」
過去の俺を呪う。一度や二度じゃ起きない場合を想定して、三度目で痛みを流す設定にしておいたのだ。これならどんな急用でも安心だよネ、みたいな。馬鹿か俺は。
痛みで無理矢理に覚醒させられた意識は自らを悪罵する。電脳から生体脳へと送られた情報は、霞む視界の中でもくっきりと浮かび上がる表示枠となり、発信者が誰であるかを告げていた。
表示された名はカルガモ。……この時点で剣呑な気配を感じ取る。
あいつが通話をかけてくること自体が珍しい。大抵はメッセのやり取りで済まそうとするから、よっぽど急ぎの用があるのだろうなと察する。
俺は電脳を操作して、未だ鳴り響く通知音を止めるためにも、通話に出ることにした。
「――もしもし?」
問うた瞬間、プツッ、と通話を切る音がした。
こちらから通話をかけ直す。コール音すらなく、自動応答の機械音声によって、俺がカルガモにブロックされている旨が告げられた。
俺は重い息を吐くと、ベッドの上で上体を起こす。さらに深呼吸を二度、三度と重ねてから、枕に八つ当たりの打ち下ろしの右。念入りな嫌がらせだぜ、あの害鳥め……!
(あの旦那も暇人だねぇ)
お前も暇人だろ。おはようからおやすみまで眺めるつもりか?
ノノカからの思念にそう思考を返すと、彼女は悪びれた様子もなく答える。
(私もそこまで暇じゃあないさ。兄さんが起きたみたいだから、ちらっと覗いただけ)
そういうのを世間一般では暇人と呼ぶんだぜ。
相手をしても疲れるだけだと気を取り直し、電脳で時刻を確認する。
……おや、正午を過ぎたところか。思った以上に爆睡してたな。
母さんは放任主義というか、俺のライフサイクルをどうでもいいと思ってるところがあるからなぁ。うるさく言われないのはありがたいけど、できれば昼には起こして欲しかった。
ともあれ、この時間なら何をするにしてもまずはメシだ。今なら母さんが作ってくれるかもしれないし、そうでなくてもご飯だけはあるだろう。
俺は手早く着替えて、おかずは何かなと考えながら部屋を出た。
○
――昼食後、ゲオルにログインした俺を待っていたのは、開戦の報告だった。
動いたのはイエローブラッド、及びそれに同調した秩序同盟所属クランの約三割。戦闘に参加できる人間の数はそれらだけでも、大雑把に見積もって三百人を超えるだろう。
さらに昨日の今日とはいえ、取り込むことのできたトーマ派も上乗せされる。他、傘下クランなども合わせると果たして何人に膨れ上がることやら。おそらく五百は下回るまい。
この急襲にわらびもちが即応できたのは、既に準備をほとんど終えていたからに違いない。迎撃に動いたのはわらびもちに加えて、秩序同盟所属クランの約五割。その中にはこれまで旗色を明確にせず、中立を嘯いていたクランもあったが、ネジスキも仕事をしていたということだろう。
これに傘下クランも合流すれば、総数ではイエローブラッド側を上回る。だが実際には攻勢に出ているのはイエローブラッド側であり、わらびもち側は早くも籠城戦の構えとなっていた。
「――現状はそんなところだ。どう思う?」
ドヴァリの宿でランドルフから報告を受けて、俺は無言のまま思案する。
今日は平日の昼間だが、どうしてこいつはログインしていたのか。アバターの見た目は参考にしかならないが、声の感じからして歳上……いや、よそう。掘り下げたって誰も幸せにならないことだ。
そして俺が黙り込んでいると、ランドルフとセットで来ていたメザシが口を開いた。
「ボクはこのままなら、イエローブラッドが押し切りそうだなって予想してるけど」
「ふっ、甘いな。――数はわらびもちの方が多い」
確かにそれは真理だが、そんなカッコつけて言うようなことでもない。
つーか数で上回れば絶対に勝てるってんなら、イエローブラッド側も仕掛けない。奴らなりに勝算があるからこそ、行動を起こしたわけだ。
その根拠となるものは何だろうかと考えれば、
「連中が動いたのって、正午でいいんだよな?」
確認の問いかけに二人が頷きを返す。
時間としては俺がカルガモに起こされる少し前か。ゲーム内での体感時間はその三倍になるので、開戦からは二時間ぐらい。それだけあってわらびもち側が籠城しているのなら、この展開はイエローブラッド側が狙ったものだろう。
「なるほど。たぶんランドルフが思ってるほど、数の差はねぇぞ」
「どうしてそう言い切れる。お前を疑うわけではないが」
「時間だよ時間。平日の昼だから、すぐに動ける奴ってのは限られる」
社会人なら仕事、学生でも部活なりバイトなりがある。わらびもち側の連中は動員可能な最大数では上回っているかもしれないが、今動けている実数では劣るのだろう。だからこそ籠城して耐え凌ぎ、増援が来るのを待っているのだ。
「正午に動いたのも、メシでログアウトする奴が多い時間帯を狙ったからだろうな。
イエローブラッド側はおそらく、夜までには終わらせるつもりだ」
敵が数で上回るなら、数の利を発揮できない電撃戦を挑めばいい。
戦略としてはニャドスさんとデル2さんの折衷案ってところか。ニャドスさんならトーマ派を取り込む時間をもう少し欲しがりそうだが、決行を今日に決めたのはデル2さんだろう。万全で挑むことはできなくとも、相手がそれ以上に準備不足なら勝てると見たか。
そのあたりの意図も含めて説明すると、ランドルフが理解の頷きを示した。
「つまり、――お前の計画通りということだな」
「買い被り過ぎじゃね?」
「ふっ、謙遜も過ぎると嫌味になるぞ」
話が通じないんですけどこいつ。
助けを求めてメザシに目を向けるが、その瞳からは光が消え、嘘みたいに薄い笑みを浮かべている。処置なしってことなんだろうな、と俺を諦めさせるのに充分な説得力があった。
まあランドルフのことはどうでもいい。昨夜の時点では、俺はわらびもちと組んでイエローブラッドを攻めるつもりでいた。トーマを勇者へ仕立て上げるのには、それが最低条件だからだ。
首尾よく拠点の制圧ができれば、手駒――PK連中を煽動して、土壇場でわらびもちを裏切る。あとは適当にトーマとの確執を口走っておけば、奴も立ち上がるしかないだろう。
しかしそれは不可能になった。ただ利益が欲しいだけなら、現段階では勝ち馬に乗るのが一番だろう。即ちわらびもちを裏切り、イエローブラッドに味方して略奪するべきだ。
問題は二点。イエローブラッドが勝者になる以上、下手をすれば借金などの話を蒸し返されてしまうこと。もう一つはこのままでは順当過ぎて、トーマの出番がまったくないこと。
……ああいや、問題はもう一つあるか。
(その通り。予定調和って感じで、いまいち面白味に欠ける)
わざわざ自己主張する程度には、ノノカのお気に召さない展開らしい。
(兄さんの足掻く姿だけでも、まあ充分に楽しめてるんだけどねぇ。
どうせなら最後には、熱いドラマが欲しいじゃあないか)
実にクソみたいなお言葉だが、そう望まれた以上、断ることはできない。
ノノカが求める熱いドラマは、言ってしまえば逆転劇だ。予定調和に後ろ足で砂をかけるかのごとく、敗者が勝者に一矢報いる光景を欲している。
彼女はその盛り上がりが見たいのであって、結末までは気にしない。どっちに転んでも、面白いものが見れたらそれでいいのだろう。
だから俺は思案して、
「ここからわらびもち側が巻き返せば、泥沼になるな」
味方するのはそちらだと言外に告げ、裏クランの連中にもその方が好都合だろうと考えた。
PKは殺して奪ってそれでおしまいバンザイ、なんて楽な稼業ではない。奪われたものを取り戻さんとする復讐者を叩き潰して、ようやく枕を高くして眠れるのだ。
だから獲物は弱っていればいるほど都合がいい。イエローブラッド側もわらびもち側も、余力を残さないほど泥沼の戦いを繰り広げてくれたら、まさに言うことなしだ。
そのために俺達が取るべき行動は一つしかない。
俺はランドルフを見据えて、
「露払いは俺らが引き受けてやる。――お前がナップを仕留めろ」
「頭を叩く、か。……正しいな。そして何より面白い」
意図を理解しているのか若干の不安はあるが、彼は逞しく笑った。
「イエローブラッドの首魁ならば、相手に取って不足はない」
「念のために聞いておくけど、勝つ自信はあるんだな?」
「……ふっ。完璧を求めるのはお前の悪い癖だ」
ホント話が通じねぇなこいつ……!
まあいい。実力だけは確かなんだ。ナップに周囲と連携させなきゃ、相性的にもたぶん勝てる。
それでも不安は残るので、俺はメザシに視線で訴えておいた。
「……うん。ランドルフさんのことはボクに任せて」
「すまんな」
外付け思考回路メザシがいれば、ランドルフも妙な失敗はしないだろう。
問題があるとすれば、基本的に裏クランの連中との連絡はメザシを介していたので、処理能力がパンクするかもしれない点か。まあ経験、経験。メザシには今後のためにも頑張ってもらおう。
とりあえず方針が決まった以上、後は動くだけだ。
「よし、行くぞ。すぐ動ける奴も集めてくれ」
大勢を率いて行く必要はない。ランドルフをナップの下まで、送り届けられればいい。
俺達がこれからやるのは救援なんてカッコいいものではなく、ほとんど自殺特攻なのだから。
○
戦場は各地に生まれていた。
イエローブラッド側の急襲は数的優位を覆すものだが、無闇に攻めればいいというものではない。自分達の拠点に守りを残す必要もあるし、敵はわらびもち単独でもないのだから。
わらびもちに同調したクランやその傘下クランなど、それらの拠点にもまた攻め手は押し寄せている。ただしこれは各個撃破を狙ったものではなく、敵戦力を各拠点に貼り付けるためのものだ。
各地での緩い包囲は拠点を落とすには足りず、さりとて守りを疎かにすれば落とされてしまう塩梅。この動きによって主戦場は、わらびもちの拠点になっていた。
堅牢な小城はイエローブラッド側の主力部隊に包囲され、城門はほぼ半壊。本来の門は砕かれ、今は積み上げた瓦礫をその代わりとしている。城壁の上で必死に射撃するバリスタも、既に半分以上が破壊されてしまっていた。
孤立無援というわけでもない。ここにイエローブラッド側の主力部隊が集まっている以上、外からわらびもち側の増援が来るだけの隙もある。それでもなお、数的優位はイエローブラッド側にあった。
「思った以上にピンチだな……」
離れた場所から戦場を観察して、俺は感想を口にした。
わらびもちならもう少しマシな状況だろうと思っていたが甘かった。おそらく原因はあれだろうな、と城壁に目を向ける。どうやったかは不明だが、何箇所か城壁の根本が破壊されていたのだ。
本当にただ壊しただけなので、人が通れるような穴ではないが、破壊はその上部の回廊も崩壊させる。そのせいで使えなくなっているバリスタもあるだろう。
何よりあんな真似ができる戦力は放置できない。城壁という最大の防御を破壊できるのなら、それは戦術を根底から覆すことも可能だ。その懸念は大きな圧力となっているに違いなかった。
「――あ、見っけ」
戦場を眺める俺の横で、メザシが口を開いた。
狙撃手である彼女には視覚補助のスキルも揃っており、
「正面、城門を攻めてる部隊のちょっと後ろ。あれが本隊かな? ナップさんはそこ」
俺には個人の判別なんてできない距離だが、彼女ならそれも可能だ。
そして、
「よし」
頷き、悠々とランドルフが出撃しかけたので、その背中に蹴りを入れる。
流石に吹き飛びはしなかったが、振り返ったランドルフは不満顔で、
「痛いじゃないか」
「露払いは俺らがするって言ってんのに、テメェが先陣切ってどうすんだ」
ノリで動かれると作戦もクソもないので、本当に勘弁してもらいたい。
どうにか掻き集めた裏クランの連中は、ほんの二十人ほど。正直、露払いの務まる数ではないが、足りないところは俺が補えばいいし、多少はランドルフ自身に突破させてもいい。
ともあれ、狙う首の在処が分かった以上、俺達のやるべきことは一つだ。
「行くぞ野郎ども! 料理の下拵えだ!」
張り上げた声に、おお、と野蛮な雄叫びがいくつも重なる。
その勢いを借りるように走り出し、俺達は一塊の集団となって戦場へ飛び込んだ。
飛び交う矢と魔法が、動くものをとりあえず殺せとばかりに、俺達を標的に加える。セオリー通りなら大盾持ちのタンクを前に出しての突破だが、裏クランにそんな人材はいない。魔法は各自でどうにかしろと叫びつつ、正面から降り注ぐ矢は剣で切り払う。
それでも全ての矢を落とせるわけではない。一人、また一人と矢を受けて速度を落とすが、死ななければいい。半数以上が速度を保ったまま、俺達は敵部隊の後背へ突撃した。
それは前線の交代要員も兼ねた、敵増援に備える部隊だったのだろう。激突の前に気付き、迎撃の構えを取るが、防御の陣としては薄い。倒すことに拘らず、勢い任せに弾いて突破する。
後続は流石に足を止められてしまったが、そこで敵を引き付けているだけでも充分だ。俺達は振り切るようにまた速度を上げ、ナップを目指して次の部隊へと突き進む。
――その進路上に、新たな敵集団が出現した。
「スケルトン……!?」
誰かが驚きの声を上げる。
進路上に突如として現れたのは動く白骨死体。それもただのスケルトンではなく、武器や盾、兜で武装したスケルトン・ウォーリアーだ。
彼らは眼窩に魔力の瞳を光らせ、波濤めいて押し寄せて来た。
避ける余裕はない。激突する。
「――ハ! なんだ、こいつら大したことないぜ!」
スケルトン・ウォーリアーの強さは恐れるようなものではなかった。レベルで言えば三十もあれば楽に倒せるだろうし、動きも単純で分かりやすいものだった。
だから恐れることはないと、嘲るような言葉を発する者がいるのは無理もない。事実、鎧袖一触に蹴散らせているのだから、強さを恐れる必要だけはないのだ。
しかしその余裕も、同数のスケルトン・ウォーリアーが追加されるまでのこと。いかに弱くとも、これでは動く壁だ。
「死霊術師がいるようだな」
後ろからランドルフが言う。その通りだ。
上級職の一つである死霊術師は、スケルトンやゾンビといったモンスターを使役して戦うジョブだ。他の魔法職と違い火力には劣るものの、集団戦においては無類の強さを発揮する。
そして今、このスケルトン・ウォーリアーの軍勢を使役しているのが誰であるかなど、分かり切った話だ。ナップの片腕にして、ゲオルでも随一の死霊術師と言えば、ニャドスさんしかいない……!
「こうなったら強引にでも――」
完全に足が止まる前に、突破してしまおうと言いかけた時だ。
白骨の軍勢の奥で、巨人が起き上がるのを俺達は見た。
「……おいおい」
思わず呟く。その威容は、プレイヤーのスキルとして扱えていいものなのか。
白骨の巨人は頭蓋だけでも人の背丈ほど。自重に負けているのか背骨は湾曲してしまっているが、それは立ち姿の迫力を増すばかりで、愛嬌の欠片もない。
そして無造作に振るわれた腕が、スケルトン・ウォーリアーごと俺達を打撃した。
「――――……ッ!!」
弾くような薙ぎ払い。攻撃範囲の広さが回避を許さず、大質量を叩き付けられる。
ただの一撃で危険域まで目減りするHP。吹き飛ばされ、転がりながら見る視界の中、生き残った者は何人いるのか。
俺は敵を――イエローブラッドを甘く見ていたのかもしれない。
奴らは唯一、神獣の討伐を成し遂げ、レベルキャップの開放を果たしたクランなのだ。
まだ成長の途上ではあっても、その他のプレイヤーの上限を超えた強さを得ている事実を、もっと重く見ておくべきだった。
彼らは神域に踏み込んだ偉業を、独占しているのだから。




