第十一話 光の影
「――で。勇者の件はどうするつもりだ?」
膝上の姐御を抱き締めていたら、呆れたようにシャーロットさんが問いかけてきた。
俺個人の問題はほぼ解決したものの、そっちは前進どころか後退したようなもんだしな。我が神からも、ここで手を引いたら面白くないとクレームが入る。文句を言うなら視聴料払え。
そしてシャーロットさんの疑問に、ツバメもハッとして続く。
「そうだよ! トーマさん、あれだと表に出て来ないんじゃないないの?」
「心配するな」
俺はニヒルに笑って安心させようとした。
が、ここで考えがあるとか、手は打ってあるとか言おうものなら、またツバメとスピカが敵に回るんじゃね? 成り行きで誤魔化せてるけど、そこも解決していないんだった。
危ねぇ危ねぇ……寸前で気付いた俺は、ニヒルに笑ったまま言葉を紡いだ。
「きっと、どうにかなるさ」
「何も考えてないだけでしょ!?」
「物は言いようだよな」
「自分で言うな! ……はぁ。どうしましょっか」
言い捨てて、ツバメは溜息を挟んでからシャーロットさんに問いかけた。
ツバメの中では頼れるクールな大人という認識なのだろう。しかしシャーロットさんの頬を、一筋の冷や汗が伝うのを見た。何とかしてやりたいが妙案はない。だが威厳は保ちたい、といったところか。
「ん……そうだな」
思案するように顎先に手を添え、もう片方の手で取り出したパイプを咥える。基本的に拠点は室内禁煙なので、考えているように見せかけるための小道具だろう。不自然に長い沈黙も上手く誤魔化せている。
やがてシャーロットさんはぼんやりと虚空を見上げて、
「カルガモ。この状況、お前はどう見る」
「――そうじゃなぁ」
パカっと天井が開いて、面白ギミックからカルガモが顔だけを出す。ずっといたのかよ。
シャーロットさん自身、ちょっと驚いているように見えるが、今は追求しないでおこう。
「俺としては様子見でいいと思うがの。イエローブラッドかわらびもちか……どちらが先に動くかは分からんが、両者の激突は最早避けられまい」
いいか? と、皆の理解を待って、カルガモは続ける。
「イエローブラッドがトーマを擁したことは、トーマ派を取り込むことによる勢力の増大を意味するだけではない。先にトーマ獲得に動いておったのは、わらびもちじゃなからな。しかも下っ端ではなく、クランのリーダーたるネジスキが直々に動いての勧誘じゃぞ。
即ち、イエローブラッドはわらびもちの面子を潰した。時間を置けば置くほど、わらびもちの権威は失墜する。近い内――それこそ明日か明後日にでも、奴らは戦争を起こすじゃろう」
「なるほど……私も同意見だ。しかし何故、様子見を?」
「下手に手を出せば、俺らの旗色が決まってしまうからじゃよ。開戦前に旗色が明確になれば、戦力として組み込まれる。そうはならずとも、敵対陣営に襲撃されるかもしれん。
冷静に考えて、秘跡調査団の規模ではそんなもの耐えられんぞ」
分析はまあ妥当なところだろう。愉快な殺戮兵器カルガモを酷使したり、非人道兵器ロンロンを投入すれば、大手クランが相手でも多少は戦えるかもしれない。だが先に音を上げることになるだろうし、わざわざ首を突っ込んでも得られるものがないのだ。
しかしさて、様子見をしてどうするのか。トーマをイエローブラッドに預けた以上、俺達が介入するには大義名分が足りない。義によって助太刀すると強弁してもいいが、目的はトーマを勇者にすることだ。なのにトーマを矢面に引きずり出したら、どんな義だよって話になってしまう。
俺ならどうすっかなぁ、と、何となく姐御の頭を揉みながら考える。姐御が「うみゃあ」と鳴いたが、それは気にせず、あえて敵対するのも手だろうかと思考を巡らせた。
結局のところ、最大の鬼札は俺になる。わらびもちに手を貸して、イエローブラッドの拠点に攻め込み、トーマを見つけたところで首謀者は俺だとゲロる。後始末どうすんだって点を無視すれば、とりあえずこれでトーマが逃げなけりゃ勇者になれるだろう。
いや、無理か。ネジスキが俺を信用するとは思えねぇ。ナップならクズなので、裏切られる前に切り捨てればいいと考えるから、化かし合いには持ち込めるのだが。
どうしたもんかと姐御の頭を揉み揉みしていたら、カルガモの目が俺に向けられた。
「こやつの動きも問題じゃな。――経験から言わせてもらうが、絶対にろくなことしておらんぞ。もう一つか二つ、手を残しておると考えて……それを明らかにするまでは、下手に動けんわい。
実際どうなんじゃ? 何をしておるのか、白状してみい」
「考え過ぎだって。ほら、見ての通りだ」
降参とばかりに、両手を上げて言う。
「ふむ」
頷きを一つ。カルガモはシャーロットさんの方へと首を回し、
「ま、トーマもおらんし、ガウスにできることもたかが知れておるか。
最初に言った通り、しばらくは様子見に徹するのがお勧めじゃけど」
「動きがあるのを待って、臨機応変に対処する、といったところか」
納得したようにシャーロットさんが言う。しかしこれでは、ほぼカルガモの意見を採用した形になる。それではツバメからの信頼を損なうかもしれないと思ったのか、彼女は間を置いて言葉を続けた。
「最低限、それからの方針は決めておいた方がいいな。少年とトーマを対峙させるように誘導できれば、それが一番楽そうではあるが」
「んー。でも、こっちからケンカ売る理由もないですよね」
理由があれば売っていいのか?
ツバメの呟きに内心でツッコミを入れていたら、ふと、彼女がこちらを見た。まさか心を読まれたのかと身構えるが、彼女は「あー」と、納得したような声を上げて、
「そっか。今日のもガウス君の仕込みだったわけだ」
うんうん、そうだね。今日は何もしてねぇよ。
だがツバメの色眼鏡には、どうやら俺は謀略家として映っているらしい。
「クラレットとタルさんを俺の女だ、なんて言ったの、不自然だと思ったけど演技だったんだね。ああ言っておけば、トーマさんにそういう理由でケンカを売れるから。
もー。悪役になるつもりなら、先に相談してくれたらいいのに」
「……敵を騙すには味方から、って言うだろ?」
ツバメの勘違いに、俺は全力で乗っかることにした。
ヨーゼフが裏切ったこともあり、今後の予定はほぼ白紙。それなら利益の追求を諦めて、ここらでうちの連中と歩調を合わせるのも悪くないだろう。
ただいま、皆。やっぱり俺には、日の当たる場所が似合うよね。
「――それはそうと少年。あの魔術だが」
話が丸く収まりかけたところで、シャーロットさんが蒸し返した。
ビクッと身構えたところに、我が神、いと高き御方から焦りの声が届いた。
(逃げろ兄さん! 流石にシャーロットには通じないぞ!)
ノノカ様は小物臭いなぁ。
俺はこちらを見詰めるシャーロットさんに、肩を竦めて笑った。
「視線を使った催眠術みたいなものさ。大それたことはできねぇし、シャーロットさんが心配するほどのもんじゃないっスよ」
手の内を明かせば、多少は安堵させることができる。警戒を解かせることはできなくても、すぐに敵対を選びはしないだろう。本当のことを言っているかどうか、迷わせることもできるからだ。
ノノカ様はまだ焦っているようだが、何も心配はいらない。ここは俺に任せてくれ。
「効果もシンプルっスよ。直前の言葉を信じさせることと、感情を増幅させることしかできない。相手が思ってもいないことは強制できないから、洗脳ってほどでもない」
「いや、充分に悪質だと思うが」
「ははは。俺もノノカ様にかけられてるけど、全然そうは思わないっスね」
安心させようと朗らかに笑って告げれば、シャーロットさんは腰を浮かせて叫んだ。
「君、洗脳済みだな!?」
「いやいや。不甲斐ない俺のために、あえて魔術をかけてくださったんですよ」
ね、そうですよねノノカ様?
しかし脳内には、滅茶苦茶後悔を含んだ声が響き渡った。
(調整ミスったぁ――――!!)
実はポンコツかこいつ。いや、よそう。我が神を疑うなど、不敬も甚だしい。弘法も筆の誤りと言うが、我が神に限ってそれはない。きっとまた俺が悪いのだ。元気出せよ。
(慰めんな……確かにさぁ、兄さんは術のかかり方が変だけど。っていうかこんな話をしてる場合じゃないよ、逃げろって兄さん!)
そう言われても、膝の上に姐御がいるからなぁ。いくら我が神の命令でも、飼い主を放り出すってのはよろしくない。ヒエラルキー的には神って飼い主の下なんだぜ?
「――お?」
のほほんとしていたら、いつの間にかスピカとツバメが詰め寄っていた。
「おいおい、どうした怖い顔して」
「ガウス君……頭おかしくなってるのは、ガウス君のせいじゃないって分かったけど」
同情しているような言葉でありながら、ツバメはにっこりと笑った。それは好意の表れなどではない。威嚇のための笑顔だ。
「感情の増幅とかが原因なら、結局、根本的にはガウス君のせいだよね?」
「俺、馬鹿だからよく分かんねぇけど、言いがかりじゃねぇかな」
「言い訳無用!」
シャキーンとインベントリから剣を抜き、ツバメはついに殺意を明らかにした。
やだ怖い。話が通じない。
俺は助けを求めてスピカを見るが、そちらは何故か、痛みや涙を堪えているような……痛切な顔をしていた。
「兄ちゃん、ノノカに誑かされたんだ」
「違う違う。その言い方はよくないぞ。――導いてもらったんだ」
「ふぅん」
返事を合図に、スピカはガシャーンと甲冑を装備する。こうなったら俺の攻撃力やスキルではどうしようもない、恐怖のフルアーマースピカだ。
運命を悟り、俺はよいしょっ、と姐御を隣に移動させた。それからクラレットの方を見て、
「どうせなら、お前の手で殺してくれ」
「えっと……死に戻りで逃げそうだから、駄目」
ですよねー。
ニコっと笑って、俺はこんなこともあろうかと、インベントリに入れておいた攻撃アイテムを取り出す。
「あっ、こら!」
ツバメが声を上げるが、もう遅い。瀕死にして拘束するつもりなんだろうが甘かったな……! 防具は解除してあるし、俺が死ぬのは誰にも止められないぜ!
攻撃アイテムを起動した俺は炎に包まれ、高笑いを上げて消えた。
○
まったく、面倒なことになったもんだぜ。ドヴァリの宿に戻った俺は、ベッドに腰掛けて嘆息した。
ヨーゼフは裏切り、トーマはイエローブラッドに奪われ、ノノカ様の暗躍も露見した。特にシャーロットさんにバレたのがまずいな。魔術に関しては、何かしらの対策をしてくるだろう。
とはいえ、悪いことばかりじゃあない。カルガモに接触できたのは幸運だし、あいつなら俺のメッセージもちゃんと受け取ってくれた筈だ。
(ん? 兄さん、カルガモの旦那と何か話してたっけ)
男同士、通じ合うものがあるとだけ言っておこうか。
我が神にして至高の御身たるノノカ様は不満そうであったが、全てを知ると面白くないだろう? 楽しませてくれと言ったのはそっちなんだから、ルール違反は駄目だ。
適当にあしらっていると、ノックの音が響いた。返事をする前にドアが開けられる。ノックの意味は?
部屋に入って来たのはのーみんだった。彼女ははにかみながら隣に腰を下ろすと、普段の様子からは想像もできないほど優しい声で、
「おかえり、がっちゃん」
背筋が……! 背筋がゾクっとした……!
「のーミッ」
名を呼ぼうとして、声が裏返る。即座の判断として、喉仏やや右の位置を斜めに殴打した。
ゲホゲホと咳き込む俺に対し、のーみんは眉を下げて苦笑すると、咳が落ち着くまでポンポンと背中を叩いてくれる。俺は最後に咳払いをして喉を整えてから、
「のーみん、そんなキャラじゃなかっただろ!」
「んー……」
叫びに考え込む素振りを見せたのーみんだったが、すぐに明るく笑って、
「がっちゃんになら、いいかなって」
何が……!?
目を閉じて意識を集中する。おい、聞こえているかノノカ! 助けてください! そりゃあ確かに魔術かけたけど、のーみんはこういう路線じゃないだろ!?
だが返事はない。いや、わざわざ「ごくり」と生唾を呑む擬音が届いたあたり、面白がっているのだろう。芸の細かさは褒めてもいいが、こいつの芸風はただの外道じゃないのか。
そうしている内にものーみんは体を寄せ、離れようと腰を引けば、逃さないとばかりに押し倒そうとする。
熱を帯び、蕩けた瞳。明らかに正気ではない。頑張れ俺の理性。
押し倒されまいと必死で抵抗をしつつ、隙を見て逃げようとドアの方に目をやれば、そこにはメザシの姿があった。
視線に気付いた彼女は赤面しつつも、やけに真面目な顔をして、
「あ、どうぞ。続けて続けて」
「ほらがっちゃん、続行許可も出たし……」
「あいつは俺の保護者でも何でもないけど!?」
ようやくのーみんを引き剥がし、ぜいぜいと肩で息をする。
……ノノカが俺を通して使っている魔術は、シャーロットさんに説明した通りのものだ。言葉を信じさせることと、感情を増幅させることしかできない。俺自身もその影響下にあるが、正常な思考は保てているように、人格を変えてしまうほど強力なものではない筈だ。
だとするなら、のーみんの変化は……ノノカの調整ミス、か?
そうだ、天然の巫女がどうだとか、もっと強く干渉した方がいいとか、そういうアドバイスがあった。のーみんには多少の耐性があり、それを突破しようとしてやり過ぎたのではないか。
推測に対し、ノノカは沈黙を保つ。都合が悪いとこれだよこいつ!
とにかく、のーみんとの接触は控えよう。特に一対一で会うのだけは避けた方がいい。
そう結論を出したところで、メザシがトコトコと近付いて来て、
「――感触、どうでした」
「大きいオパーイ表現にバイーンって擬音あるだろ。違うな。実際はこう、もいん……みたいな。字面としてのバイーンは確かにインパクトあるけど、あれは堅い。本物を伝えるには、もっと柔らかさと……まろやかさを表現する擬音であるべきだ」
「なるほど……勉強になります」
貧の者として見果てぬ夢を追うのか、メザシは生真面目に頷いた。
――で、俺はメザシの頭に拳骨を落とした。
「ふぎゃ!? な、何するんですかガウス様!」
「お前こそ何を言わせんだよ」
「がっちゃんってば鬼畜ー! ちっちゃい子にも容赦ないにゃー」
「うわ二重の意味で失礼だよこの人!」
気にし過ぎじゃないかなぁ。
呆れの視線を向けると、メザシは気を取り直すようにコホンと咳払いして、
「えーと、とりあえず報告するけど、工作は順調です。ランドルフさんが超張り切ってるんで、わらびもちもイエローブラッドも、ソロで出歩くのは腕に自信がある人ぐらいかな。どっちもどこの仕業かろくに探りもしないで、相手の嫌がらせって決め付けてる感じ。
秩序同盟も内側でいい感じにギスり始めてるし、ガウス様の想定より早いぐらいかな。あと一押しあれば、大戦争になりそうです」
「おー、頑張ってるなぁ」
呑気に感想を口にしてから、待てよ、と思い直す。
ランドルフほどの駒はほとんどいない。返り討ちに遭うPKも結構な数になると予想していたので、いくらランドルフが張り切っているとしても、物理的に時間が足りないような気もする。
その疑問を口にしたところ、
「たぶんわらびもちとイエローブラッドも、水面下で潰し合ってるんだと思います。うちの人員を派遣してないマップでも、PKされたって話が出てるし」
……ありえそうだが、本当にそうか?
少なくともイエローブラッドは、そうする可能性が低い。デル2さん達をランドルフが襲ったことで、警戒度はわらびもちよりも高くなっていると思っていい。
そんな状況で、PKの真似事に人手を割くだろうか。幹部クラスじゃないと対応できない相手がいると分かっているなら、守りを固めて、準備を急がせた方がいい。特に合理性しか考えないニャドスさんあたりは、きっとそういう方針で動く筈だ。
成果は喜ぶべきかもしれないが、俺にはどうしても違和感が拭えなかった。
「もしかしたら、第三勢力がいるのかもしれねぇな」
深刻な声で告げた言葉に、のーみんが小首を傾げた。
「それってあたいらじゃないの?」
「……第四、第五の勢力がいるのかもしれねぇな」
光あるところに影あり。
俺達の放つ強い輝きは、どこかで深い闇を生んでいるのかもしれなかった。




