第十話 手を取り合う者達
ドヴァリから逃げ出した俺は、素知らぬ顔でクランの拠点に顔を出した。
俺の行動については、もうスピカがチクっているだろう。現状、俺達は敵対しているとも言えるし、そうでないとも言える。まだ分岐点なのだ。姐御は正義感があるように見えるが、見方を変えれば不利益を嫌っているだけだ。俺と敵対しても損しかなく、手を組めば利益があると理解した時、天秤は傾くだろう。
一度は趨勢が決したものの、今の俺は我が神の力を得て、頼れる仲間も増えた。第二ラウンドを始めるのは今しかないのだと、俺は決意を持ってリビングに入った。
「おーっす。皆、元気してる~?」
敵意がないことを示すために明るい声を出しつつ、素早くリビングの戦力を確認する。
姐御、クラレット、ツバメ、スピカ。ここまでは予想通りだ。隅っこにロンさんも転がっているが、転がっているなら中身は不在だろう。あれは数に入れなくていい。気になるのはシャーロットさんもいることだ。わりと正義の人なので、どう出るか。普段はドライを装っているフシがあるように見えるが。
そしてもう一人。何故かソファーにトーマが座っていたので、俺はその隣に腰を下ろした。
「珍しいなトーマ。遊びに来たのか?」
親しげに笑って尋ねると、トーマは眉を下げて笑い、
「いや、困ってたらタルタルさんに誘われてさ。匿ってもらってるんだ」
俺は斧を抜いてトーマの脳天に振り下ろした。
だが姿勢に無理があり過ぎた。トーマは迫る斧を白刃取りしやがった。
「い、いきなり何すんだよ!?」
「うっせぇ間男! ここは俺の縄張りだぞ!
姐御とクラレットは俺の女なんだ……!」
白刃取りされたまま、さらに力を込める。この形になってしまえば、勝負を決めるのは技や反射神経ではない。単純なステータスだ。未だ上級職にすらなっていないトーマでは、いつまでも耐えられない。
へへっ、このまま潰れちまえよ……! 根無し草を花にジョブチェンジさせてやるぜ、真赤なお花によぉ!
血走った目で笑う俺に、トーマが叫んだ。
「た、たす、助けてぇ!? タルタルさーん!」
ちっ、止めてくれそうな相手を的確に選びやがって。
しかし何故か姐御は頬を赤く染め、目を逸らして言った。
「えーっと……その、ガウス君の言うことにも一理ありますよねー、って」
「なくない!? こいつの肩持つ要素、一つでもあった!? ねえ!」
理不尽だと訴えるトーマだったが、姐御は俺の味方らしい。これが長年の信頼関係というものだ。
それならクラレットはどうかなと目を向ければ、そちらも赤面して、
「う、うん。程々に……ね?」
やり過ぎなければオッケーとのお達しだ。ひゃっほう。
そうしている間にも斧は着実にトーマへと迫るが、俺はそこで斧を手放し、その場から飛び退いた。一拍を置いて、電撃が先程までいた位置に着弾する。トーマが巻き添えを食らっていた。
それはともかく、俺は次撃を警戒しながら術者――シャーロットさんに目を向けた。
「何のつもりだ、って聞いてもいいんスかね」
「いや、私はどうでもいいんだがな」
意外に冷めたお言葉。ということは、真の下手人は一人しかいない。
ツバメ。俺と彼女の視線が交錯し、火花を散らした。
「スピカちゃんから聞いたけど、やっぱり変だよガウス君」
言いつつ、ちらりと姐御とクラレットを見て、また視線を俺に戻す。
「なんか二人まで誑かされてるし……!」
「ち、違うよツバメ? そういうんじゃないよ?」
「そうです、そうです。ちょっとその、一理あると思っただけでして!」
「お黙り! 二人じゃ言いくるめられそうだし、ここからはあたしが仕切ります!」
むん、と胸を張って強く言い切る。
なるほど、こうなったか。姐御とクラレットは俺の味方になるかもしれない。そう考えたからこそ、スピカはツバメにもチクったのだろう。確かにそれは正解だった。
敵に回した時、実は一番厄介なのがツバメだ。眩しいほどに善性で、理屈よりも感情を――正義を優先する。やはり正義の敵は別の正義ということなのだろう。
彼女は力強い瞳で真っ直ぐに俺を見て、
「あたしの知ってるガウス君は、人のことを堂々と俺の女なんて言ったりしなかったよ」
「お前が見てないところで言ってたかもしれないぜ?」
「それはないね。だってガウス君、ヘタレだし」
こいつは俺のことを、どういうイメージで見ているんだ。
酷い偏見だと思うものの、反論するよりも早くツバメは言葉を続けた。
「甘やかしてくれる人には甘えるけど、それだけじゃん。
無自覚でやってることあるけど、人を口説くこともなかったし」
「よせ」
俺は腕を前に突き出し、身振りでもやめろと伝えた。
「反論したいのに反論の言葉が浮かばない。
自分でもそんな気がしてきたから、それ以上はやめてくれ」
「あ、うん……」
聞き分けがよくて助かる。精神攻撃は非人道的だよな。
コンセンサスが取れたところで、次は俺のターンだ。
俺はトーマをビシっと指差して、
「思い出せツバメ、諸悪の根源はあいつだ」
「俺ぇ!? ずっと状況に流されてるんだけど!?」
「俺が不在の時を狙って上がり込んだ、不埒者だぞ……!」
正義の敵は別の正義。それは確かなことなのかもしれない。
だけど俺は、身内だけでも大切にしたい。違う正義を掲げる相手であっても、ツバメが身内であることに変わりはない。だからその正義を――矛先を向ける相手をずらしてやればいい。
これからも仲良くするために俺は、
「頼むツバメ。トーマに騙されないでくれ!」
瞳をビカビカとピンク色に光らせた。
だが、そこで視線を遮る動きがあった。スピカだ。
ツバメを庇うように前へ出たスピカは、眉を立てて叫ぶ。
「させない! ツバメちゃんだけは、兄ちゃんの毒牙にかけさせないんだから!」
「誤解だ! ツバメをエロい目で見たことは一度もない!」
「……そうなの?」
「うん」
「そっかぁ」
納得してもらえたところで、風を切って剣が飛来した。
うおお、危ねぇ!? 油断してた! 大きく上体を反らし、ギリギリで回避する。誰が剣を投げたかなんて、言うまでもない。ツバメは表情を殺した顔で、口の端だけを歪ませて笑った。
「それはそれでムカつく」
「ご、ごめんなさい」
俺は何も悪くないと思うのだが、逆らっちゃいけない気がした。
しかし何ということだ。些細な一言をきっかけに、正義は悪に染まってしまった。……いや、俺が今まで、ツバメの良いところだけを見ようとしていたのだろう。
友達思いで、間違ったことが許せなくて、困っている人には手を差し伸べる。しかしその一方で、容赦がない奴でもあった。ウードン帝国との戦いでは、井戸に毒を入れようとした前科もある。さらにカルガモと同じく、面白さ優先で妙なことを口走る害鳥でもあるのだ。
……そう思ってみれば、こいつは話が通じないわけでもないんだよな。笑い話で済む程度の悪事になら加担するし、その方が面白いと思わせることができれば、引き込むことも不可能じゃない。
よし。俺はもう一度、トーマの隣に腰を下ろして、
「ま、話を戻すけどよ、諸悪の根源はこいつなんだよ」
「本当か? なあ、本気で言ってるのか?」
「こいつがいなければ、俺達が争う必要もなかったんだ……!」
「俺は気付けば修羅場に巻き込まれてて泣きたいんだけど」
律儀にツッコミを入れてくれるのは美徳かもしれないが、今は邪魔なだけだ。インベントリから剣を抜いて、いつでも始末できるように切っ先を向けると、トーマは物分りがよくなってくれた。
ぶっちゃけこいつが拠点にいたのは予想外もいいところだ。姐御が声をかけて匿ったということは、トーマを勇者にすることを最優先の目標に設定したのだろう。利益が欲しいだけなら、こいつを抱え込むデメリットは無視できないからな。
おそらく姐御は意図的に情報を伏せて、トーマを操る気だ。そのために匿って、外部の情報から遮断した。もちろんフレンドからのささやきなど、システム的に断てないものもあるが……遠くの親友よりも近くの知人だ。頼れる相手を自分達に制限するのも、狙いの一つだろう。
ならば俺は逆を行く。
俺の天才的なインテリジェンスは、それが正解だと訴えていた。
「いいかトーマ、よく聞け。そもそもの始まりは、お前がネジスキに目をつけられたことなんだ」
「……お前とナップさんが悪いってことだな?」
「結論を急ぐな。イエローブラッドの台頭、わらびもちの焦り、俺の借金……様々な要素が複雑に絡み合い、いつの間にか本当にトーマ派が生まれていた。分かるよな? でっけぇ獲物が現れた以上、俺達は無視できねぇ……! お前の存在が俺達を狂わせたんだ!」
「凄いなガウス。どういう人間性してたら、そういう結論になるんだ」
余計なお世話だ。俺が正しいということは、俺が確信しているので問題ない。
いよいよ本題だ。俺はガッとトーマと肩を組み、
「よく考えろトーマ。これはお前にとっても損じゃねぇ、ビッグビジネスのチャンスなんだ。ちょいと旗頭になってやるだけで、馬鹿みてぇな額の利益が転がり込む。ここ最近の問題も全部片付く。俺は誰にでもこんな話をするわけじゃない。お前だからこそ、一緒に儲けようと持ちかけてるんだ」
「トーマさん、兄ちゃんの話は無視して! 無視!」
「耳を貸す必要ないからね!」
スピカとツバメが喚き立てるが、甘い甘い。金の魔力に抗える奴なんざ、そう多くはねぇ……! 小さな額ならいいカッコしようと棒に振るかもしれねぇが、トーマは決して馬鹿でも無能でもない。俺の提案がどれほどの利益を生むかぐらい、察しが付く筈だ。
事実、トーマは頭の中で算盤を弾いていたのだろう。不自然に長い沈黙を経て、彼は笑った。
「悪いなガウス。考えてみたけどそれ、モブキャラの俺には荷が重そうだ」
こ、この野郎……! 今の言葉は嘘ではない。それぐらいは俺にだって分かる。
こいつは莫大な利益を生むと理解しながら、くだらない正義感とかで断ったのではなく、単にヘタレやがったのだ……! いや、マジでどうすんだよ。強引に巻き込んでも、いざとなったら逃げるぞこいつ。
雲行きの怪しさを感じ取ったのか、ツバメも焦りを感じさせる声で語りかけた。
「で、でも、このままだと、トーマさんも巻き込まれるんだよ?
ガウス君が一連の犯人だって明かして、立ち上がらなきゃ」
「ほとぼりが冷めるまで逃げるよ。熱くなってる連中も、その内に頭を冷やすだろ?」
「ええー……」
困ったようにツバメが俺を見る。このままだと、勇者に仕立てあげるのも無理だもんな。
こういう時は退路を断つのが一番なんだが、下手したらこいつ、ログインしなくなりそうだしな。だが退路が残っている限り、こいつは逃げる。論理パズルか何か?
ちっ、やはり我が神の力に頼るしかないか。
俺がそう判断した時、リビングにノックの音が響いた。
誰だと思って振り向けば、そこには開いた扉の前でスカしたポーズを取っているナップがいた。
「やあ、お取り込み中失礼。勝手に入らせてもらったよ」
「テメェ、どうしてここに」
「簡単な推理さ」
ナップは薄い笑みを浮かべ、
「トーマが行方を眩ました時、自分の意思ならうちを頼る筈だ。自慢じゃないけど、わらびもちからトーマを守れる戦力を有しているのは、うちだけだからね。
だけどトーマはうちに来なかった。それなら火中の栗を拾った人物がいることになる。そんなことをしそうで、なおかつトーマと繋がりがあるのは、タルタルさんとガウスぐらいだ。どっちが言い出したことであれ、俺はここに来ればトーマに会えると踏んだのさ」
……もっともらしいことを口にするが、トーマの交友関係の広さを知っていれば暴論だ。つまりこいつは推理したのではなく、ここにトーマがいると知っていたか、その可能性が高いと別の情報から推測したのだ。
なるほど。――裏切ったな、ヨーゼフ!
ナップが動いたのなら、奴からの連絡はあって当然だ。何の連絡もなくナップがここに現れたことが、事実を雄弁に物語っている。ヨーゼフはナップを抱き込んで、利益の独占を目論んだのだろう。
となれば、幹部陣も事情を把握している、か。……僥倖なのはデル2さんの件がおそらく露見していないこと。あれがバレていれば、ナップはPKと俺の繋がりぐらいは見抜く。その場合、有無を言わさずに俺を始末することを最優先にしていた筈だ。
そこまで考えて、俺は穏やかに微笑んだ。
「お前は友達思いだな」
ナップは照れたようにはにかんで、
「よせよ。別にトーマが心配だっただけじゃないんだ」
その返答で、俺達の意思疎通は完了した。
こいつに友情なんて殊勝なものはない。トーマに利用価値があるから利用したい。実にシンプルで、清々しいほどにクズな動機だが、だからこそトーマに悟られるわけにはいかない。
俺達の立場は似たようなものだから、裏側に渦巻く大人の事情を美しい友情に変換することで合意し、光と闇の共同戦線が成立したってわけだ。
だが本質的には敵同士。ナップはトーマを挟んで反対側に腰を下ろして、
「分かるよトーマ。色んなことが嫌になって、逃げたくなる気持ち。俺は支えてくれる仲間がいたから、何とかやれてるけど……クラン運営なんかしてると、逃げたくなることばかりだ。だからお前が逃げても、とやかく言わないさ。ただ、逃げ場所にうちを選んでくれたら……きっと守ってやる」
流石だ。理解者面して分かる分かると言っておけば、人間なんてちょろいもんだと熟知している。イエローブラッドに逃げ込めって本題と、論理的に繋がっていないのに説得力がある。相手のためを思って言っているように聞こえるから、当事者にはその穴が見え難いのだ。
しかし手口としては邪悪過ぎる。本当に理解してやるつもりはさらさらなくて、トーマの利用価値しか見ていない。こんな邪悪な生き物にトーマを渡してはいけないと、俺もトーマを説得する。
「逃げてもいいってのは、気楽な外野だから言えることだよな。そりゃあな、逃げていい場面もある。だけど逃げちゃいけない場面ってのも、確かにあるんだ。なあ、そうだよな姐御?」
「へっ、私ですか?」
急に話を振られて戸惑う姐御だったが、打ち合わせをしていないのだから当然だ。下手なことを言って俺に利用されても困るだろうし、踏み込んだ話はできない。姐御にできるのはどうでもいい一般論か、ごく個人的な意見を述べることだけだ。
そして忘れちゃいけないが、姐御もトーマを利用する側である。踏み込んだ話は避けつつも、トーマの印象をよくしようとするだろう。
少しだけ考え込んだ姐御は、すぐに俺の予想通りに動いた。
「まあ、ガウス君の言う通りですかねー。どうにもならない時は、逃げちゃってもいいと思いますよ? でも、ただの現実逃避は駄目です。意味もなく逃げ回ると、後で失ったものを取り戻そうとしたって、取り戻せないこともありますからー。
大人として言わせてもらいますと、そういうどうしようもない後悔こそ、避けるべきものです」
「タルタルさん……」
予想通りどころかガチで真面目な話をしやがった。
トーマも心を動かされた様子なのがまずい。ナップを選んでもそれはそれで利用できるが、姐御だけは駄目だ。火薬庫と化したトーマを預けた場合、姐御が苦労してしまう。
「まあ今回は逃げていいと思うぜ! それが一番だ!」
だから俺は方針を百八十度変えた。
「えぇ? ちょっと待て、逃げるなって話じゃなかったのか」
「そうは言ってねぇだろ。逃げちゃいけない場面もあるっていう一般論だよ、一般論。
つーか考えてみろよ。イエローブラッドに任せてりゃ、わらびもちもトーマ派も上手く解決してくれるぜ? ナップは利益がある限り、信用できる男だからな」
「そうだぞトーマ。お前の名前さえ借りられたら、俺はどうでもいいんだ」
俺の方針転換に合わせて、身も蓋もない本音をぶっちゃけやがった。
いや、どうでもいいってのは、俺へのメッセージか。トーマという利益を確保できるなら、俺の借金を不問にする。……最高の条件じゃん?
俺はトーマの肩を叩いた。
「うちとしても力になってやりてぇけど、イエローブラッドに頼るのが正解だぜ。
ネジスキと違って変な誤解はしてねぇから、お前だって気楽だろ?」
ナップも朗らかに笑ってトーマの肩を叩いた。
「クランに入れって話じゃないから安心してくれ。お前は何もしなくていいんだ」
そして俺達は、声を揃えて最高の笑顔で告げる。
「「皆で幸せになろうよ」」
「お、おお……? よろしくお願い、します……?」
理解が追いつかなくなったのか、トーマは混乱したまま身の振り方を決めた。
うむ、これでいい。収まるべきところに収まった、って感じだな。
「よし! それじゃあ早速、うちの拠点に行こうか!
あ、お邪魔しました」
ぺこりと頭を下げて、ナップはトーマの手を引いて駆け足で出て行った。
トーマが冷静さを取り戻して心変わりされる前に、既成事実を作ってしまおうと考えているのだろう。やはり邪悪な男だ。よりにもよって、トーマから逃げ場を奪ってしまおうだなんて。
ともあれ、二人がいなくなったところで、俺は皆に向けて言う。
「問題も解決したし、これで俺達の関係も元通りだな」
「……胡散臭い」
「兄ちゃん、まだ何か企んでるでしょ」
仲直りできると思ったのに、ツバメとスピカの視線が冷たい。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのか。
(兄さんがノリで生きてるからじゃないか……?)
我が神が的外れな託宣を下された。俺に限ってそれはない。
とりあえずいつものように、姐御とクラレットを手招きする。しかしすぐに仲直りは二人でも難しいのか、姐御はおずおずと遠慮がちに膝へ座り、クラレットも隣に座るものの若干距離があった。
悲しいがこれも現実だ、受け入れよう。
俺はハードボイルドに微笑んで、ぎゅっと姐御を抱き締めるのであった。




