第四話 星は西へ南へ
「ガウス君、ちょっとお話をしましょうかー」
死に戻りした俺は臨時広場に戻ったりせず、拠点に帰還していた。
突発的に計画を早めることになってしまったものの、流れは悪くない。まだ主導権こそ握れていないが、状況をコントロールすることは可能だ。何よりトーマ派を形にできたのは僥倖だった。
だが意気揚々と拠点に帰還した俺を出迎えたのは、とても笑顔の姐御だったのである。
「……話ぃ? 悪いけど俺、今夜は早めに寝ようかなって」
嫌な予感がしたので逃げようとした時、横から右腕を掴まれた。
誰かと思えばスピカだ。おいよせ、腕を抱えるな。だが抵抗虚しく、俺は引っ張られてリビングのソファーに座らされた。純粋な筋力では俺が有利なので強引に脱出することもできたが、そこまですると後が怖い。後ろめたいことなんて一つもないんだよ、とアピールするために従うのが最善なのだ。
だが俺の現状認識は恐ろしく甘かったのかもしれない。スピカの反対側、左隣りにはクラレットが座っている。それだけなら何もおかしくはないのだが、どうして手にナイフを持っているのだろう。
「な、なあ、クラレット。それは?」
震える声で問いかけると、クラレットは穏やかに微笑んで、
「ファッション」
「そっかぁ~」
ファッションなら仕方ないよなぁ~。
――今からでも逃げろ、お前は死地にいる。本能がそんな警告を発するが、逃げたところで未来があるとは思えない。死中に活を求めろ。それがこの場での正解だ。
表情とは裏腹に悲壮な決意を固めていると、改めて姐御が話を切り出した。
「さて、ガウス君。ちょっと小耳に挟んだんですけどー、臨時広場で騒ぎがあったみたいですね」
「へえ、そうなんだ?」
俺は知らないフリをした。
すると天井がパカっと開いて、逆さまのカルガモが生えてきた。
目を疑っていると、カルガモは表示フレームを投影する。そこに映し出されたのは騒ぎが起きる直前、ネジスキ相手に話している俺の姿だった。
「なんで?」
とりあえず疑問を口にすると、うむ、とカルガモが頷いた。
「先日の一件で俺も反省しておってな。隠密行動を磨いておるんじゃよ」
「殊勝だなぁ。――テメェ、身内相手に何やってやがる」
糾弾の声を上げると、カルガモはスッと天井裏に消えて隠し戸を閉めた。こんな面白ギミックを仕込んでいるあたり、昨日今日の思いつきではない。いつだ。いつからこいつは俺を監視していた。
少なくともヨーゼフとの繋がりはバレていない筈だ。それが露見していれば、俺に自由行動は許されていない。そこが計画の要なのだから、現状はまだ差し迫ったものではない。
そう推測することで落ち着きを取り戻した俺は、まだ言い逃れは可能だと判断した。
「ま、言うまでもないと思ってたんだが、ネジスキとちょっと言い争いになっちまってな。周囲には血の気が多い奴もいたみたいであんなことになっちまったが、これは俺個人の問題だぜ」
だから手出しは無用だと言外に訴えたら、脇腹に痛みが走った。
まさか。そう思いながら確認すれば、クラレットがナイフの先端を押し当てている。まだ切っ先が皮一枚貫いた程度だが、クラレットがやったならただの脅しではない。いや、今はただの脅しだが、やるとなればやる。クラレットは俺に甘いが、躾は厳しいのだ。
だがどうして、脅す必要があるのか。その疑問を視線で問いかければ、クラレットは答えた。
「ガウス、言ってたよね。ナップさん達から借りたお金とアイテム、踏み倒したいって」
そっかぁ、関連付けちゃったかぁ~。そういうことなら、俺個人の問題じゃないよなぁ~。
これから何をするつもりかは見抜けていなくても、もう疑われてたってわけだ。
「――へっ、バレちゃ仕方ねぇな! おうとも、あの騒ぎはそのための仕込みよ。
だがどうする? もうドミノ倒しは始まってんだから、今更手を引いたって止まらねぇ。俺の計画に乗っかって一稼ぎする方が、よっぽど賢い選択だと思うがねぇ」
俺はソファーにふんぞり返って、堂々と開き直ることにした。
ナイフの圧力が増す。やめろ、俺の中に入って来るな……!
脇腹を刺される激痛に耐え、意地でも大物ぶった笑みを崩さない俺に姐御が言う。
「まったく、目を離すとこれなんですから……真面目に狩りをして稼いで、足りない分はロンさんに頭でも下げればいいじゃないですか」
「あの守銭奴が俺のために資産を出すと思うか?」
「すみません、無茶言いました」
ぺこりと頭を下げられる。最近、ますますガメつくなってる気がするんだよなロンさん。
姐御は気を取り直すように咳払いを挟んで、
「ともかく、流石にちょっと暴れ過ぎですよー。私達の手には余る規模になりそうですし、早い内にごめんなさいして、真っ当な生き方をしてください」
「でもよぉ、姐御。リスクが大きいからリターンも大きいんだぜ」
天井がまたもやパカっと開いて、
「博打は火傷するから楽しいんじゃよな!」
「マーラよ去りなさい!」
天井裏の悪魔に向かって、姐御が光を放つ。ホーリーライト。司祭の攻撃魔法だ。
慌てて隠し戸が閉じられ、ぶつかった光が呆気なく散る。基本的にアンデッドとかにしかダメージを与えられないので、物理的な破壊は行われないのだ。まあ対人戦を考慮したのか、何故か人間にもダメージ入るけど。
悪が去ったところで、今度はスピカが俺の腕を引いた。
「あんまり兄ちゃんが恨まれると、一緒に遊べなくなるじゃん。そんなの寂しいよ」
可愛いことを言いながら、右肘の関節を破壊された。ぐおお……ッ! セリフで虚を突き、俺が悪足掻きしないように利き腕を潰すのが狙いだったか……!
予想外のことにたまらず悶絶するが、そこで張り合うかのようにクラレットも脇腹を抉った。
「私はガウスが悪いことしても許してあげられるけど、誰もがそうじゃないんだよ」
諭すような物言いだが、やっぱり狙いは俺のHPを削っておくことなんだろう。ヒールの使える姐御がいる以上、俺の瀕死を維持して無力化しておくのは容易いし、そうするのは理に適っている。
最早これまでか。
俺は微笑みを浮かべ、ナイフを握るクラレットの手を、包むように握った。
「そうだな……俺が間違ってたみてぇだ」
「ガウス……」
分かってくれたんだね、と。ほっとした顔をするクラレット。
姐御も心なしか警戒を緩めたようだが、スピカは右肩に手をかけた。実妹からの信用がない。
「すまねぇ。こんなことで詫びになるとは思わねぇけど――」
言って、俺はクラレットの手を強引に勢いよく引き、その手が握るナイフで腹をかっさばいた。
「――これが、俺のケジメだ、ぜ」
「ガウス……! そこまでしなくても!」
ナイフを投げ捨てて、喀血する俺をクラレットが抱き締めてくれた。
ああ、温かい……これが、人の温もり……人が愛と呼ぶもの……。
最後の最後で愛を知り、俺の体からは熱が失われた。
○
死に戻りを利用して、ひとまず逃げ出すことには成功した。
へっ、甘ちゃんどもめ! この俺が動き出した計画から手を引くわけねぇだろ……!
しかしまいったな。身内の連中を巻き込む気はなかったし、巻き込むとしても選択肢がない状況になるまでステージが進んでからのつもりだったが、こうも早く露見するとは思わなかった。
ぶっちゃけカルガモはクズなので、誘えば光速で俺の味方をするだろう。姐御も今はまだ良識が勝っているようだが、最後には俺の味方をしてくれる。そういうところが甘いのだ。
問題はクラレットか……クラレットの性質は、どちらかと言えば善だろう。俺と同じだ。しかし俺を止めるほど正義感が強いかと言えば疑問が残る。おそらくはツバメに配慮しての行動だ。
ツバメなら俺の悪事を見咎める。それがクラレットの天秤を傾かせる要素になったのだとすれば、買収するのは難しいだろうし、土下座して頼み込んでも躾を優先しそうだ。
となれば、スピカもクラレットの味方をするだろうし、三人娘が敵に回ったと見ていい。
ロンさんは簡単に買収できるが、買収する意味がないので放置。ウードンさんは長いものに巻かれがちなので、姐御が折れるまではあちら側に味方しそうだな。
読めないのはのーみんと緑葉さんだな……あの二人は最終的には姐御に同調しがちだが、自分の意思や趣味を優先することもある。下手をすれば、のーみんがただ引っ掻き回したいというだけの理由で、第三勢力を作りかねない。そうなる前に手を打って、味方に引き込んでおくべきだろう。
俺はそう判断しつつ、先にラシアからも逃げておいた方がいいかと考えた。
イエローブラッドへの工作はヨーゼフに任せてしまえる。ノノカの出番はまだ先だし、それなら俺は身を守るのが先決だ。ラシアをうろついて、わらびもちの連中に見つかるのが一番困る。他にもトーマや、うちの連中からも姿を隠さねぇとな。
そういった諸々の事情を考えると、ラシアに居座るのは悪手だ。少し不便ではあるが、他の街に潜伏しておいた方がいいだろう。
結論が出たところで、俺はまずラシアの教会に足を向けて、顔馴染みの司祭様に挨拶をした。
ちーっす、敬虔なる信徒のガウスでーす。すかさずお布施を袖の下で握らせ、略式でお祈り。司祭様が赦しの言葉を心で発し、音波という空気振動に頼った遅い言葉を全省略。司祭様ほどに徳の高い御方ともなれば、このぐらいの奇跡は朝飯前である。
「あ、しばらく俺、コーウェンに行ってますんで。戻ったらまた顔を出しますね」
「そうですか。また会える日を楽しみにしていますよ」
俺と司祭様は、金貨を挟んで握手を交わした。
それから教会を出た俺は、最寄りの駅馬車に乗り込んで行き先を告げる。
「御者さん、ドヴァリまでよろしく!」
司祭様にコーウェンに行くと告げたのは偽装工作さ……!
丁寧に情報を集めるような奴は、これで少しは足止めできるだろう。
クックック……馬車に揺られながら、俺は静かに笑った。
○
ラシアの西に位置する都市、ドヴァリ。
王国西部に広がる大森林の入り口――と言うよりは、半ば呑み込まれかけている都市だ。その立地条件から都市を拡張するのは困難らしく、どこへ行っても建築物は過密気味だ。
土地不足を少しでも解消するために、他の街ではあまり見かけない高層建築物が多いのも特徴だろう。基本的に木造なので独特の風情があるものの、街全体としてはとにかく雑然としている。
細い路地に、後から増築したような歪な建物。どの家の窓からも洗濯物を干すための綱が張られ、見方を変えれば都市自体が一つの大きな建物であり、大きな生き物のようでもあった。
この雰囲気を好むプレイヤーもいるにはいるが、どちらかと言えば少数派だろう。コーウェンのように便利な施設があるわけでもないし、ラシアの混雑を嫌うならクラマットに腰を落ち着ける。結果としてドヴァリはプレイヤー的には辺境となり、特定の層のプレイヤーが集まることになった。
そう――街自体が姿を隠すのに好都合だからこそ、ここはPKの巣窟と化しているのだ。
駅馬車から降りた俺は、まずは腰を落ち着けられる宿を探すことにした。
プレイヤー的には治安の悪い街だが、PKにとっては心安らげる街でもある。だからこそ街で騒ぎを起こしたくないという心理が働くのか、ただ歩くだけなら安全だとは言われていた。
噂を鵜呑みにするわけではないが、まあ街中でいきなり襲いかかるなんざ頭のおかしい奴のすることだ。俺もあまり警戒はせずに、大通りをのんびりと歩こうとしたら通りすがりのクズが声を上げた。
「うお、星クズじゃねぇか! ついにあんたもPKデビューか!?」
ああ、お前でな! 俺はインベントリから引き抜いた槍で、クズの顔面を貫いた。
ちっ、見知らぬクズにまであんなことを言われるとは。これが有名税ってやつか。だが俺はPKになるつもりなんてないので、安易な同類認定は死で償ってもらう。おっ、クズの死体が死に戻りによって消えたが、その場に硬貨が落ちている。ゴミ掃除の報酬として受け取っておこう。
こんな街でも善行をすると気分がいいものだ。硬貨をしっかり全部拾った俺は、意気揚々と歩みを再開する。そして新たなクズがさっと進路に立ち塞がり、渋い声で言った。
「はしゃぐなよ星クズ。ここは俺らのシマだ。
好き勝手するようだと、ランドルフ様が黙っちゃ――」
最後まで言わせず、引き抜いた斧で唐竹割りに処す。黙っちゃいられないなら黙らせてやる。
しかしどうやら、これが決定的だったらしい。ぞろぞろとクズどもが集まり、俺を包囲しようとする。なるほどな……どうやら俺は、ここでも穏やかに生きることを許されないようだ。
いいぜ、やるからにはとことんだ。俺は右手に剣、左手に斧という異形の二刀スタイルで、増え続けるクズどもへと高らかに宣言した。
「ランドルフを出しな! テメェらじゃ何人集まっても、俺にゃ勝てねぇぞ!」
ランドルフなんて聞いたこともないけどな!
そして挑発に乗せられて、クズどもは奇声を上げて突撃した。
○
まあ数の暴力に勝てるわけがないので、挑発に乗った単純な連中を蹴散らし、俺はさっさと駅馬車に逃げ込んだ。
ドヴァリは駄目だ。あの腐敗と悪徳の都市は、俺のような光の戦士には向いていない。
だからといってコーウェンにも行けないし、俺は仕方なくクラマットを訪れていた。
ここならそもそもプレイヤー人口が少ないので、クズも少ない。俺は適当な宿の部屋を借りると、ささやきで緑葉さんを呼び出すことにした。
将を射んと欲すればまず馬を射よ。のーみんの手綱をまがりなりにも握れるのは緑葉さんだけなので、味方に引き入れるなら緑葉さんからだ。
ささやきを送ると緑葉さんは不審がったが、とにかく大切な話があるから来てくれと手短に告げる。本題を話すのは面と向かってでなければ危ない。もし敵に回るのであれば、話だけ合わせて姐御達を引き連れて来る、なんてことも考えられるしな。
そんなわけで声をかけた後、しばらく待っていると宿の部屋に緑葉さんが顔を見せた。
「……来たわよ、駄犬」
「よう。わざわざ呼び出してすまねぇな」
まずは手間をかけさせたことを謝ったが、緑葉さんの様子が変だ。
何故か落ち着きなくそわそわとしており、表情も硬い。普段は意思の強さを感じさせる瞳も、どことなく不安そうに揺れているようだった。
「……どうした?」
本題を切り出す前に尋ねると、
「あ、あのね、駄犬。こういうの、よくないと思うのよ」
む……さてはもう、姐御達に何か吹き込まれてしまったか?
しかし妙だな。よくないと思うとか、そういう倫理面からの説得をするような人ではないと思っていたんだが。
「あんたの気持ちも、軽んじるわけじゃないけど……タルタルやクラレットの気持ちも、考えてあげて欲しいの」
「いや、そう言われてもな……」
妙な感じではあるが、やはり姐御達から何か言われているのだろう。
俺としても完全に無下にするのは避けたいが、状況が状況だ。納得はしてもらえなくても、後でフォローすればいい。
だから俺も緑葉さんを説得しようと口を開きかけたが、それを遮って彼女は言う。
「あんたの気持ちは嬉しいし、応えてもあげたいけど……私は応えられないわ」
……それは拒絶の言葉のようでいて、まだ望みのある言葉だった。
緑葉さんの性格を思えば、姐御達への義理立てを優先しつつも、説得されたがっている――そんなところだと判断して、俺は緑葉さんの両肩に手を置いた。
「だ、駄犬、何を……っ」
「聞いてくれ、緑葉さん」
必要なのは彼女をこちらへ転ばせる、強い言葉だ。
「姐御達を大切に思う緑葉さんの気持ちは分かる。俺だって、それを軽んじたくはない。
だけど、今はそうなるとしても、俺には緑葉さんが必要なんだ」
「ぅ……」
「酷いことを頼んでるって自覚はある。
それでも――どうか俺のために、筋を曲げてもらえねぇか」
「……ぅ、うん」
弱々しく頷いて、何故か緑葉さんは目を閉じた。
そして消え入りそうな声で、
「ごめんなさい……タルタル……」
……何か俺の心まで痛む反応だなぁ。
まあいい。説得を受け入れてくれたようだし、俺は努めて明るい声で言った。
「よし! 緑葉さんがこっちの味方をしてくれるなら心強いぜ!
そんじゃあ早速だけど、ヨーゼフとの計画について話そうか」
「…………ヨーゼフ? 計画?」
「おう。今回の件は俺とあいつが中心だからな」
そう答えると、緑葉さんは押し殺したような声で「ふふふふふ」と笑った。
何やら異様な雰囲気を感じて腰の引けた俺に対し、緑葉さんは満面の笑みを向けた。
「ええ、ええ。そういうことね。そういうことだと思ってたわ。
駄犬。何を企んで、何をやらかしたのか、キリキリ吐きなさい」
「あ、はい」
――口答えしたら死ぬ。
本能が発する警告に従って、俺は洗いざらいをぶちまけるのであった。




