第一話 夜空を駆ける流れ星
最近、俺には悩みがあった。
どう解決すればいいのだろうかと、拠点のリビングで考え込む。下手の考え休むに似たりなんて言葉もあるが、休みながら考えれば効率二倍なのではないか。まさに天才的発想である。
このインテリジェンスならばきっと、どんな難題も解決できるに違いない。
そんな風に自画自賛していると、リビングにカルガモが顔を出した。
「ウードンはおるか? 武器の修理を頼みたいんじゃが」
どうやらソロで狩りかクエストをした帰りらしい。基本的に短剣を使うカルガモだが、短剣は他の武器と比較して耐久度に劣るという欠点があり、壊れていなくてもある程度使ったら修理するのが常識となっている。
問いかけに対して、俺は寝転がったまま顔だけ上げて答えた。
「しばらく前に狩りに行ったよ。緑葉さんとのーみんも一緒。
ありゃ経験値稼ぎじゃなくて、鏃に使う鉱石を集めるのがメインじゃねぇかな」
ついでにウードンさんも、自分で使う鉱石を補充するつもりだろう。先日の顔剥ぎセーラーとの戦いのために、ウードンさんは鉱石類のストックを大きく減らしてしまっていたし。
「むぅ……となれば、戻るのは夜か。待つしかないのぅ。
リアルになったのはいいかもしれんが、面倒なもんじゃよ」
――そう、ゲオルは先日のアップデートにより、時間の概念が導入された。
正確にはそういうことになっている、と言った方が正しいか。
原因はノノカが無茶をやらかした、あの数日間のことだ。ノノカがどういう処理をしたのかは知らないが、なかったことにはできないとか言ってたし、あの一連の出来事のデータは、きっちり反映されていたのである。
さらに他のプレイヤーもあの期間のことに関しては、ぼんやりとそんなこともあったなぁ、と捉えているようだが、そこには昼夜などの記憶もある。ある程度は整合性を取らないと、魔術としてのゲオルギウス・オンラインまで破綻しかねないから、運営としては無視できなかった。
その結果、一日を体感で六時間に短縮した時間の概念が導入され、プレイヤーにも汚れや空腹といったものが適用されるようになった。……まあ食事に関しては規制もあって、ほとんど味のしない物体を無理にでも食べるか、料理をアイテムとして使用するという形になっているが。
「酒を飲んでも美味くないし、酔えもせん。まったく規制はクソじゃな!」
酔えたら電子ドラッグじゃね?
倫理観に欠けることを言いながら、カルガモはソファーに腰を下ろした。ウードンさんを待つ間、ここで休憩するつもりなのだろう。しかしそれは嫌だと訴える者がいた。
「ンだよ、ここに居座る気かよテメェ。つーか横に来んな」
剣呑な声を出したのは、横に座られてしまった夕陽だ。彼女を挟む形で、カルガモの反対側にはツバメもいるのだが、その態度を咎めることなく苦笑している。
夕陽はここ数日でクランにも馴染み始めているが、あくまでもプレイヤーではなく、ツバメの操る能力みたいなものだ。出歩くぐらいならともかく、狩りに参加するのはよろしくないだろうということで、結果的に姿を見せるのは拠点の中だけになっている。
そんな夕陽はわりと露骨にカルガモを嫌っているのだが、まあ、先日の件で戦闘中、カルガモが煽り倒したもんなぁ。そりゃあ嫌われたって仕方ない。
俺も煽った側ではあるが、夕陽は俺ならともかく、カルガモには勝てないと思っているのだろう。その実力の差が決定的な違いとなり、カルガモだけが嫌われている。言い換えると俺は舐められているのではないかと思うのだが、嫌われるよりかはマシなので抗議はしていない。
なお、カルガモは嫌われていること自体を楽しんでいた。クソ野郎である。
「そう邪険にするでない。それとも構って欲しいのかのぅ?」
「ンなわけあっか! ああもう、いいから黙ってろよテメェ」
「うむ。……ところでおぬしに土産があるんじゃよ」
一秒も黙ってないのは流石だよな。
カルガモはやけに親しく笑って、インベントリから何か――服を取り出した。
それは、まあ、なんだ。肩や胸元が見えるデザインの、黒を基調としたゴシックドレス風のワンピースだった。好んで着る人もいるにはいるが、大抵の人には厳しいと思う。
当然ながら夕陽はカルガモの顔面を殴ろうとしたが、やはり当然のように避けられる。顔は駄目だよ顔は。座ってても結構動けるんだから、狙うならボディーにしなきゃ。
「ふざけんなよテメェ!? あたしにこんなの着ろってか!?」
「嫌ならいいんじゃよ、嫌なら。……店員さんと一緒に選んだんじゃけどなぁ」
「ぬぅ……」
情に訴えるカルガモ。夕陽には効果抜群だが、そいつには情がないことを思い出せ。
ちなみに夕陽はセーラー服姿をやめて、今はタンクトップにカーゴパンツという格好をしている。もう顔剥ぎセーラーではなくなった以上、服装だって自由にできるのだ。
そして躊躇っている夕陽に、俺を膝枕してくれているクラレットが声をかけた。
「夕陽ちゃんスタイルいいから、そういうのも似合うと思う」
「そ、そうかぁ? ……クラレットが言うなら仕方ねぇな、貰っておいてやるよ」
「おぬし、ちょろ過ぎんか」
「細けぇこと言うなよ、おっさん」
一瞬、カルガモが切ない顔をしたのを、俺は見逃さなかった。
そして夕陽が服を受け取る横で、何故か照れたように笑うツバメ。……ああ、なるほど。クラレットが夕陽のスタイルを褒めたもんだから、間接的に自分も褒められたと受け取ったのか。
咳払いを一つ。俺は冷めた目をツバメに向けて口を開いた。
「勘違いすんなよツバメ。夕陽のスタイルはわりと自由自在なんだから。
具体的に言うと、座高はお前の方が高い」
「くっ……密かに気にしてたことを……!」
「あー? どうせあたしの体は作り物なんだから、あんま気にすんなよ。
脚が長ぇのだって、その方が動きやすいからだしよ」
どうでもよさそうに言って、夕陽はカルガモから服を受け取った。
それから立ち上がった彼女の手から服が消え、その服装がゴシックドレス風のワンピースに変わる。データを取り込んで着替えたのだろう。このあたりはゲームの装備と似たようなものだ。
「んー……ちっと腰がスカスカして落ち着かねぇな」
呟いてウェストのあたりを一撫ですると、リボンが追加されて帯のようにラインを引き締めた。……なんか気軽にやってのけたけど、立派なデータの改竄だ。
夕陽は満足そうに笑うと、その場でくるりと回って、
「へへっ、どうよ。似合ってるかい?」
「きゃー! かっわいいー!」
と、真っ先にカルガモが黄色い悲鳴を上げた。
夕陽はくるりと、なんて可愛いものではなく、ギュンッと回って勢いをつけ、カルガモに蹴りをぶち込んだ。
その岩でも砕きそうな蹴りに対し、カルガモは動じずに右手を添える。打ち払うのではなく、手首を軌道に置いて、骨の強度と曲面で力を滑らせたのだ。
「なんっで、そうなんだよ!!」
納得がいかないのか、苛立たしげに吼えて夕陽は蹴りを連続させる。技術でどうしようもなく負けているのに、正面から挑んじゃいけません。
カルガモは蹴りの嵐を難なく捌いて、
「風が心地いいのぅ。扇風機の真似事か?」
「殺す! 絶対殺す……!!」
夕陽が必殺の誓いを口にしたところで、ツバメがパンパンと手を鳴らした。
「こーら夕陽、部屋の中で暴れないの。カモっちもだよ。
まだ続けるなら表に出てやりな!」
「よし! 表に出ろおっさん、今日こそ一発入れてやる!」
「ファファファ。どれ、生意気な小娘に教育してやろうかの」
仲がいいのか悪いのか。二人は連れ立って外に出て行った。
二人の背中を見送るツバメは、味わい深い顔で誰ともなく言う。
「やめろって意味で言ったんだけどなー……」
言葉がそのまま伝わったら、誰も苦労しないよな。
カルガモは積極的に曲解するクズだから別として、夕陽にだって伝え方は考えなくちゃいけない。あいつはわりと馬鹿なので、表でやればオッケーとしか思っていない筈だ。
そんな分析をしていたらクラレットが口を開いた。
「でも夕陽ちゃん、あの服似合ってたね」
「あ、うん。あたしが言うと自画自賛みたいになっちゃうけど、可愛いよね」
「ツバメもああいうの着てみたら? 双子っぽくていいと思う」
「う……興味ないことはないけど、ちょっと勇気がないデス」
がっくりと肩を落とすツバメ。まあハードル高いよな。
ややあって、彼女は気を取り直したように顔を上げて言った。
「ところでさ。ガウス君、いつまでゴロゴロしてんの?」
「怠けてるんじゃなくて、考え事してるんだよ」
「ホントぉ?」
どうして疑いの目を向けられるのか、これが分からない。
だが戸惑う俺に構わず、ツバメはクラレットに問いを向けた。
「クラレットもさ、ずっと膝枕してて疲れたりしないの?」
「平気。今はやることもないし」
答えて、あやすように右手で俺の頭を撫でる。
以前よりもぎこちない手付きだったが、その事実はあえて意識から追い出した。
「――ま、考えもそろそろまとまってはいるんだが」
ゆっくりと体を起こして、でもなぁ、と続ける。
「相手の出方が読めねぇから、出たとこ勝負になりそうなんだよな」
「っていうかさ、何を悩んでんの?」
「ん? そんなの決まってんだろ」
何を今更、と俺は当たり前のことを言う。
「ナップ達から借りた金と武器を、どう踏み倒すかだよ」
クラレットが無言でチョップをした。
ツバメが「教育に悪い!」と叫んだ。
俺はただ、悲しげに「くぅ~ん」と鳴いた。
○
――実際のところ、状況はかなりややこしくなっている。
ノノカの後始末がザルだったとまでは言わないが、もっと丁寧にできなかったのかと文句を言いたい。だから文句を言いに行ったら、苦笑した次の瞬間にはログアウトして逃げやがった。
高次元に到達したお偉い魔術師様とやらは、まったくもって役に立たない。
ともあれ、状況がややこしくなっている原因は、プレイヤーはあの数日間の出来事を、ぼんやりと覚えているということだ。
細かく突き詰めれば矛盾に気付くかもしれないが、大抵は自分の思い違いだろうと記憶を修正してしまう。運営側に随分と都合のいい結果だが、おそらくノノカの仕業だろう。
ノノカは一時的に協力しただけであって、味方ではない。俺達だけに肩入れするのはフェアじゃないとか、自分の都合で迷惑をかけるのはよくないとか、とにかくそういった理由で、運営側にも都合のいい形になるような後始末をしたと思われる。
そこで厄介なのが、顔剥ぎセーラーと戦うために借りた武器の扱いだ。
連中が忘れているならパクってしまえばいいのだが、きっちり覚えていやがる。いや、きっちりというのは正確じゃない。ぼんやりと覚えていやがるのだ。
ナップを通してイエローブラッドの連中から武器を借りただけなのに、あいつらは俺に武器を貸したという事実がぼんやりして、何をどれだけ貸したか覚えていない。
それなら悪用できそうなものだが逆だ。だからこそ、あの数日間に失ったものまで俺に貸したと認識してしまっている。
ふざけるなと叫びたかった。真実を明らかにすべきだとも思った。
しかし俺一人が真実を訴えたところで、何の意味もない。どんなに間違っていても、大勢が真実だと訴えれば、それが真実になってしまうのだから。世の中も人間もクソだよな。
さて、そうなると困ったことになる。武器を持ち逃げできないのは残念だが、素直に返すだけでは終わらない。借りてもいないアイテムまで、返せと言われてしまうのだから。
今は「修理してまとめて返すから、もう少し待て」と誤魔化しているものの、それも限界が近い。いよいよ俺は追い詰められようとしているのだ。
――そんなわけで、夜を待ってからイエローブラッドの拠点である砦に潜入した。
いつもは馬鹿正直に正門から訪ねるせいで、見張りとの戦闘になってしまう。だが俺一人なら裏手に回って、何の工夫もない城壁を越えるのは朝飯前だ。
昼夜の概念が導入されたのも好都合だ。ゲーム内での精鋭揃いとはいえ、所詮は素人の集まり。夜闇に紛れて動く俺を見つけるのは、至難の業だろう。
俺は物陰に隠れながら砦の中を進み――あ、やべ、見つかる。死ねオラァ! よし、セーフ。顔は見られなかったし、悲鳴も上げさせなかった。完璧な隠形だ。
そうこうして、俺は目的の場所に辿り着いた。
幹部に割り当てられている個室の一つだ。
ここまで予算を回す余裕はなかったのか、安っぽい扉を蹴り開けて乗り込む。
「よーう、ご機嫌いかがかな?」
「な……が、ガウス殿!?」
部屋の中では鍛冶用のハンマーを握ったヨーゼフが、驚愕に目を見開いていた。
そりゃそうだ。一度は敵対したようなものなのに、まさか平和な用件だとは思うまい。
しかし俺は両手を広げて敵意がないことを示し、笑顔で歩み寄った。
「邪魔して悪ぃな。鍛冶仕事の最中だったか? ま、手を止めて聞いてくれや」
そして、この手を取れと願いながら、俺は続けた。
「あんたなら俺の事情は正確に分かってるよな?
へっへっへ――ヨーゼフさぁん、でっけぇシノギがあるんだよ。乗ってみねぇか」
目を白黒させていたヨーゼフだったが、やがて彼はニヤリと笑った。
「大した肝だ。私がビジネスパートナーになれると思うのかね?」
「なれるさ。あんたは利益があるなら、悪魔の誘いにだって乗るタイプだぜ」
「ふっ……」
そして俺達は、固く握手を交わした。
「まずは話を聞かせてもらおうか。私を釣る餌は用意してあるようだ」
「へへっ、損はさせねぇよ。――無敵のタッグの誕生だな」
人間、話せば分かり合えるものである。
世の中はクソかもしれないが、人間はまだまだ捨てたもんじゃないよな!




