第十六話 そしてまた夜がくる
カルガモが戻らない。
午後もかなり過ぎ、一通りの準備を終えたところで、俺達はようやくそれを問題視した。
収穫がなくて意地を張っているだけだろうと予想しているが、ささやきにも返事をしないのが少し不穏だ。普段からささやきを無視する奴ではあるのだが、状況が状況なだけに気になるのも確かだった。
「どうしましょうかねー」
困り顔で姐御が言うものの、深刻さはない。たとえ何かに巻き込まれていても、カルガモなら大丈夫だという信頼があるからだ。忌々しいことに、並大抵のトラブルではあいつの命を奪えないだろう。隕石でも落ちねぇかな。
星よ落ちろと祈ってみたら、表から水音がした。風呂に水を張ってあるので、何かが落ちたのだろう。
そして姐御の言葉へ応えたのは、少し不機嫌な顔の緑葉さんだった。
「あの害鳥のことなら、心配するだけ無駄よ」
「心配してたの?」
意外そうにツバメが問いかける。うん、そういう文脈だよな。
指摘された緑葉さんは、非常に苦々しい、心底嫌そうな顔をした。
「その邪推、芸術的だと褒めそやしたくなるほどね。
でも違うわ。ええ、違うの。雛鳥の思い違いよ。だって私、あいつの心配なんてしていないもの。私が心配なのは、あいつを待って予定が狂うことなの」
――と、平静を装いながら、普段よりも早口に言う。
天邪鬼というか、ある意味では素直というか。分かりやすい反応を示した緑葉さんの頭を、隣ののーみんが押さえるような乱暴さで撫でた。
「うむうむ、そういうことにしておこうかにゃー」
唸り声を上げて抵抗する緑葉さんだが、振りほどくには至らない。ステータス的には緑葉さんの方が筋力は上なのだから、なすがままというか、抵抗しているのはポーズなのだろう。
そんな二人に苦笑を見せて、ウードンさんが口を開いた。
「ま、実際あいつのことは考えるだけ無駄だべ。
本当は何をしてるのか知らんが、あいつ一人の手に余るようなことなら、連絡ぐらいするだろ」
「……というか貴様ら、あれがどんな人間か分かって言っているのか?」
話をまとめようとしたウードンさんに対し、妙な方向へと舵を切るロンさん。
「事態がもう解決したも同然と判断して、遊び呆けているだけだと私は睨んでいる。
あれのことだ、せっかくだからと呑み歩きでもしているのではないかね?」
「それは……」
言い過ぎだ、とクラレットが言おうとした。
だが庇おうにも前科があり過ぎて、別に過言ではないと気付いてしまったのか、言葉は尻すぼみになって消えていく。
うん。あいつ、そういうところあるもんな。
ひょっとしたら当初は、本当にジェム狩りをするつもりだったのかもしれない。だが島人組がプレッシャーをかけたせいで拗ねてしまい、開き直って遊び呆けている可能性もかなり高い。
そこまでクズではないかもしれないが、なら他に考えられるのは、
「……あとは、美味しい場面で登場する気だとか?」
別に庇うわけではないが、俺の口にした可能性に皆は「あー」と納得の声を上げる。
この前もなんか、見せ場に恵まれないとか言ってたんだよな、あいつ。それは単独行動の多さや、なんつーか徳の不足が原因なわけだが、活躍を望んでいてもおかしくはない。
「ありそうだねー。兄ちゃんがピンチになったら現れて、武器を渡してくれるとか?」
「となると、是が非でも完勝する必要があるな……」
見せ場をくれてやるつもりはない。
顔剥ぎセーラーに俺が完勝できるのかと言えば、正直かなり怪しくはあるのだが、動きは大体見させてもらった。身体能力に驚くことはもうないし、奥の手だって割れている。欲をかかなければ、互角以上には渡り合えるだろう。
どうあれ、カルガモの未帰還は問題にならない。
場の空気がそうまとまりかけたところで、
「私からもいいか?」
軽く手を挙げて、シャーロットさんがカルガモとは別の懸念を口にする。
「準備の終わった段階で言うのもあれだが……あまりノノカを信用し過ぎるなよ」
元から付き合いのあった俺やクラレット、そしてツバメを見て彼女は言った。
「ああ、疑えと言っているわけじゃないし、今のところ嘘は吐いていないと思うよ。
ただね、あいつはとっくの昔に人間であることを放棄した、古き幻想だ。どんなに人間臭く見えても、人間ではない。魔術が人の形をしている、と言った方が正確なぐらいだろう」
言いながら取り出したパイプを口の端に咥える。
タバコを吸うわけではなく、単に癖としての所作なのだろう。
「嘘は吐いていなくても、本当のことを話しているとは限らないし、隠し事がないとも限らん。もし土壇場で迷うことがあれば、あいつよりも自分の直感を信じなさい。結果として後悔することになるかもしれないが、最悪の事態だけはそれで避けられるよ」
その忠告はノノカという規格外の存在を、俺達よりずっと理解しているからこそだろう。
やっていることのスケールが大き過ぎて実感がないが、あいつはその気になれば簡単に世界を変えられる。もしも敵対すれば、逆立ちしたって敵わない相手だ。
それでも俺達は、個人としてのノノカを信用することを選んだ筈だ。
何故なら、
「けど、皆を救いたいって言葉に、嘘はなかったと思うよ」
信じる決め手となった言葉を、ツバメが口にした。
ツバメにはその願いこそが、最も大切なのだろう。皆が救われて、誰もが幸せになれるのなら、それが一番いい。単純で大雑把な理想だが、ツバメの根底にある衝動のようなものがそれだ。
だからこそ、掲げた理想に嘘がない以上、疑う必要もないと考えるのかもしれない。
しかしシャーロットさんはツバメをたしなめるように、
「馬鹿、君は被害者だぞ。あいつの理想のために、犠牲にされた実例だ」
ノノカの行動は、綺麗事だけではないのだと指摘する。
「あいつはそういう判断もする奴だ。帳尻を合わせる気はあるらしいが――帳尻さえ合えばいい、というものではないだろう。ツバメ、君はもっと残酷な想像もできるようにしなさい」
「う……はい」
反論の余地はないと悟ったか、ツバメは肩を落として返事をした。
その様子を見たシャーロットさんは、言い過ぎたとでも思ったのか、バツが悪そうに頬を掻いて、
「ま、私も君を守るつもりだけど……自衛ぐらいはしなさい、ということだな」
わりとツバメに甘いよなぁ、この人。
ツバメも一転して嬉しそうに頷いてるから、まあいいけど。
けどまあ――シャーロットさんの指摘は、俺にも大切なことだ。
信じると決めた以上、無条件に信用していた面があるけど、もっと警戒はしておくべきだった。
――おそらくノノカは、自らにルールを課して動くタイプだ。
あいつの中には明確な基準があり、それに反するようなことはしない。高次元に至った魔術師として、力の扱い方を厳格に定めているのかもしれないが、情よりも法を優先するということでもある。
ルールを守った結果、目的を果たせなくても構わない。そういった考えの持ち主だと思えば、確かに信用し過ぎてはいけないのだろう。
誰一人救われない結末であっても、あいつは受け入れてしまうだろうから。
「――とりあえず、カモさんはギリギリまで待ちましょうかー」
今更のように姐御が結論を述べる。
思案顔なのは、シャーロットさんの話に何か思うところがあったからだろうか。
それぞれの思惑に関わらず、日はゆっくりと傾いていく。
○
夜、俺達はラシアの片隅で決戦の時を待っていた。
人員はまず俺とツバメ。想定外の事態への備えとして、姐御とクラレット。さらに魔術的な面での備え――と言うよりはノノカへの警戒として、シャーロットさんが参加していた。
他の連中は特に出番があるわけでもないので、拠点で待機してもらっている。戦力にならないわけではないが、今回の計画は俺と顔剥ぎセーラーの対決だ。不純物、不確定要素を混ぜるのはよろしくないだろう、という結論になっている。まあロンさんは実際、戦力にならないけど。
……結局、カルガモとはまだ連絡がついていない。そのことだけは少し気がかりだが、もう気にしても仕方がないだろう。何のつもりかは知らないが、戦場にいない者を思うのはただの余分だ。
「よう、待たせたね兄さんら」
気負った様子もなく、ノノカが姿を現した。……これが路地を歩いてきたとかなら分かるが、風景がマーブル模様になったかと思うと、それを形作っていた色彩が収束して、瞬きすればノノカになっていたのだ。のっけから常識を無視した所業を見せられては、乾いた笑いしか出ない。
二、三度、感触を確かめるように地面を踏んでから、こちらを見たノノカが首を傾げる。
「おや、カルガモの旦那はいないのかい。ありゃあちょっと傑物だ。直接戦うのは兄さんの役割だとはいえ、護衛として置いておいても損はないと思うが」
「そうしたいところだが、遊び歩いてるみたいでな」
俺は肩をすくめて答え、
「つーかお前でも手放しに褒めるレベルなんだな」
「うん? あの旦那の凄さは、兄さんの方が分かってると思うけどね」
まあいいか、と呟いて、ノノカは続ける。
「言っとくけど、私は剣に関しちゃそんなに詳しくないよ。護身術程度に習ったことはあるけどね。
ただ、それでも旦那の凄さは何となく分かる。あれは剣の理を通して、この世の真理に指先を引っかけてる手合だけど……正直な話、敵対したくない相手だね」
両手を上げて大袈裟なポーズを取り、
「斬るべきを斬る。そういう域まで達してるから、凡庸な一太刀でも魔剣に等しい。
百回戦えば百回とも私が勝つだろうけど、旦那の刃は私に届き得る。だから怖いんだ」
手を下ろし、目を細めてノノカは俺を見た。
「その点は兄さんも、似たようなものではあるか。
まだまだ遠いし、生涯を捧げても届かないだろうけど――目指すのはそこなんだろう?」
「そりゃあ、まあ」
曖昧に頷いて、本人がいないのなら言ってもいいかと、俺は言葉を続けた。
「理想を見せられちまったら、目指したくなるってもんだろ」
「普通は心が折れると思うんだけどねぇ」
ノノカは呆れたように嘆息するが、そんなものなのだろうか。
身近な目標として目指したものに届かないのなら、心が折れてしまうのも分かる。努力が無駄になったと嘆くのも、端から見て気持ちいいものではないが、その気持ちだけは理解できる。
だけど、
「届かないと知ってなお目指すから、理想って言うんじゃねぇのか?
どれだけ近付けるかって話じゃなくて、目指してるっていう心構えみたいなもんだろ」
「……なるほど。その在り方も含めて、剣が兄さんらの道ってわけか」
道? と首を傾げたところへ、補足するようにシャーロットさんが口を挟む。
「派閥を問わず、魔術師が真理へ至るための手段のことだ。
思想としては道教の道が近い。その手段を通して宇宙の在り方を、理解するよりも深く体感した時、人は真理に至るとされている」
「分かりやすく言えば、悟りを開くための修行法だねぇ」
ああ――だからノノカは、カルガモを手放しに褒めたのか。
あいつは魔術師でもないのに、ただ剣を極めようとして、真理に届きかけていたのだ。時間さえあれば届くと確信し、しかし寿命が先に尽きると諦めたカルガモだが、ノノカにしてみればまったく想定外の存在だったのだろう。
この時代の人間が才能と鍛錬だけで、真理まであと一歩のところまで到達していた。
あるいは才能よりも、その在り方にこそノノカは驚愕したのではないか。
「ま、こんな話を楽しめるのは、私や同胞だけだろう。
――準備はいいかい? よければ早速、あの子を呼び出すけど」
問われて、俺達は目配せして頷き合った。
どの道にしても、戦うのは俺の役割だ。他の皆にもそれぞれの役割があるとはいえ、何事もなければ見届け人でしかない。俺の準備さえよければ、いつ始めてしまっても構わないのだ。
だから俺はインベントリから、借り受けた剣を抜く。聖属性であるだけでなく、鍛冶屋できっちり強化まで済ませている。どうにかしてパクりたい――いや、俺には勿体ないぐらいの剣だ。
剣を片手で持ったまま、重さを馴染ませるように軽く一振り。
「いいぜ、呼んでくれ」
その声に応えて、ノノカは軽く右腕を上げると、指をパチンと弾いた。
静かに風が吹く。
あの夜と同じように、弱々しい風は黒い靄を運び、靄は人体を形取る。
「ったく――前置きが長ぇんだよ、テメェらは」
スカートの裾を翻して、顔剥ぎセーラーという怪異が顕現する。
彼女は待たされた苛立ちを口にするが、その声色は明るい。闘志がみなぎっているとも、血気に逸っているとも言える。彼女自身、何らかの決着を望んでいるようではあったが、ここまで戦意を充溢させていた印象はない。
やはり物語が彼女を縛り、言動だけではなく心すら歪めているのだろう。シャーロットさんがした忠告は、ノノカだけではなく彼女にも当てはまるのかもしれない。どんなに人間らしく振る舞ってみせても、彼女はまだ都市伝説の怪物なのだと、再確認しておくべきだ。
――だから俺は、前置きなしに顔剥ぎセーラーへと斬りかかった。
「――――ッ!」
踏み込んで袈裟懸けに振り下ろす白刃。顔剥ぎセーラーは流石の反応速度で向き直りながら、右腕を瞬時に肥大化させる。その右腕こそが彼女の武装だが、変化に要した時間は文字通りの刹那。以前よりも洗練されていると、そう感じたのは錯覚だろうか。
迫る刃を、彼女はその右腕で打ち払う。奇襲とはいえ、踏み込みは申し分なかった。そう容易く弾けるものではないのだが、それを為し得たのは単純な膂力だ。ただ不意を突き、ただ鋭いだけの一撃では、ダメージを与える以前の問題だと、彼女の性能に否定された。
「ハ――」
距離を取る俺に対し、笑みと怒気の滲む声で彼女は言う。
「随分とご機嫌じゃねぇかガウス! あたしを殺したくって堪らねぇってか!?」
言葉に失笑する。いや、挑発するつもりではなくて、
「馬鹿かお前。戦場に敵がいたら、声かけてねぇで殺すだろ」
今夜は俺も本気なんだから、手抜きは一切なしで挑めばそうなるってもんだ。
言われた顔剥ぎセーラーは少しの間を置いて、
「いいぜ、そんなら遊びは抜きで――」
言い切らせる前に、俺はその場で左腕を振った。
眼前にインベントリを展開。通過する左手が、消耗品欄のアイテムを適当に弾き飛ばす。
正確に狙ったわけではないのだから、当たることは期待しない。飛んだアイテムは顔剥ぎセーラーの横手に落ち、盛大に火柱を噴き上げた。あれはクラレットお手製のフレイムマインか。本来なら地雷のように設置して使うアイテムだが、投げても効果は発揮される。
横手で上がった火柱に、顔剥ぎセーラーは反射的に目を向ける。その隙に踏み込んだ俺は、倒れるような前傾姿勢を取り、最後の一歩で体勢を支えながら、彼女の脛を狙って剣を横薙ぎした。
作らされた隙で遅れる初動。反射的に頼る右腕では、防ぐのが困難な部位への攻撃。どう対応すべきかと逡巡する思考は体を縛り、妙案を閃いたとしても時間切れ。
左脛を刃が走る。肉を斬ったような手応えはなく、押し固めた砂を斬ったような感触がある。およそ生物を斬ったものとは思えないが、攻撃が通ったという手応えは確かにあった。
「こ、の――!」
痛みを噛み殺し、彼女の右腕がフックとなって襲いかかる。
惚れ惚れする腰の回転。運動エネルギーを存分に乗せた拳は、常人のそれであっても痛打になるだろう。だがフォームが整い過ぎている。しっかりと腰を入れて腕を振るのは間違っていないが、正しくもない。
この間合でそれは悠長に過ぎると、俺は剣先を地面に押し当てて体を支え、彼女の左膝を横から蹴り抜いた。
ダメージの有無とは関係なく、人体はそんな衝撃に耐えられる構造をしていない。強引に踏み止まろうとしても、フックのために腰を回転させたのがいけない。力の流れは体の右側へと向かっている以上、今更それを逆流させることは不可能だ。
顔剥ぎセーラーは横倒しになり、中途半端な形になったフックが空を切る。それでも鉄塊を振り回されたような圧力を感じるのだから、どれほどの威力だったのか想像するだに恐ろしい。
俺は剣先に力を込めて、剣を杖代わりに体を起こすと、顔剥ぎセーラーが立ち上がる前に追い立てろと、叩き割るような勢いで剣を振り下ろした。
その一撃を、彼女は立ち上がることよりも優先して、右の掌で受け止める。
痛みはある筈だ。ダメージが通ることは、もう証明されている。
だが形振り構わず、泥臭く挑むことも必要なのだと、学習されてしまった。
剣を押し込むこともできたが、それはまずい。咄嗟に腕を引こうとしたその瞬間、五指が閉じて剣先を握り砕いてみせた。
……途中まではよかったが、追撃は欲をかいたか。
俺は砕かれた剣を嫌がらせのように投げつけ、後ろに下がって距離を取った。
「今夜は本当にご機嫌じゃねぇかガウス」
立ち上がり、匂い立つほどの殺気を撒き散らして、顔剥ぎセーラーは言う。
「それでこそだ。あたしを殺したお前は、そうでなくっちゃな!」
お褒めに預かり光栄……と言いたいところだが。
戦いの中で成長するとか、洒落になってないからやめてくんない?
ギリギリセーフで年内ラスト。
それもこれも、仕事納めの後に生えてきた仕事が悪いのです。




