第十五話 本当の君と
――気付いた時には、見知った大通りを歩いていた。
もう形を取り繕うつもりもないのか、地面も建物も半ば以上が溶け崩れて、チープな風景は炎天下の飴細工のごとき様相。歩くたびにじゃぶじゃぶと、溶けた世界が音を立てている。
まだ残っているだけで、ここは役目を終えて捨てられた世界だ。
入力された歴史に意味はなく、未来を積み上げることもない。
いつか完全に消えてしまう時まで、永遠に現在を続けるだけの世界はなるほど、そうと知って見れば杜撰で稚拙な綻びだらけの紛い物だった。
ありえたかもしれない可能性の世界は、結局のところ、俺達の世界と繋がるものではない。どんなに眩しいものがこの世界にあったとしても、それはただの偽物だ。
だから許さないし、赦さない。
一つの心残りみたいなものに、そう結論を下して俺は歩き続けた。
いつかは見かけた通行人達も、最早いない。そんな余分に割くリソースがないのだろう。
……ひょっとしたらここも、消滅寸前なのだろうか。
だとしたら、ちょっと困ったな。どうすれば帰れるか分からないのに、また迷子だ。
それでも進むしかないので歩き続けていたら、ようやく人影を見つけた。
「――よ。なんだテメェ、また迷い込んだのか」
顔のないそいつは、誰かに似た顔でけらけらと笑った。
どう返したものか。俺は少し考えてから、
「この世界って、言わばお前の家みたいなもんだよな」
「あぁ? それがどうしたよ」
「女の部屋に無断で上がり込んで見つかったシチュエーションだな、これ……!」
顔剥ぎセーラーは無言で、その辺りに落ちていたものをぶん投げてきた。
ひょいっと避ける。背後でガラーンと派手な音。……マンホールの蓋か何か? 違うかもしれないが、ツッコミに金属の塊を投げるってのは、殺意が高いぜ。
戦慄する俺に対し、彼女はがしがしと頭を掻いて、
「ったく、テメェは……馬鹿言う前に、自分の心配する場面じゃねぇのか?」
「そう言われたって、俺にできることがあるとも思えないしなぁ」
きっとここは、ノノカが顔剥ぎセーラーのために用意したバックアップ世界だろう。完全に崩壊したとか言ってた気がするが、まあ残骸みたいなものか。
どうしてそこへ俺が迷い込むのか分からないし、脱出する方法も分からない。だったら変に悩んだって無駄だし、素直にノノカの助けを待つのが得策ってもんだろう。
それよりも、と俺は彼女へ問いかけてみた。
「お前こそ、なんでここにいるんだよ? 今はツバメに寄生してるって話だろ」
「間借りって言え。寄生とかイメージ悪いだろ、虫みたいで」
「そうか? 寄生虫ってむしろ、わくわくしない?」
「しねぇよ。……おい、しょぼくれた顔すんな。テメェは好きなんだろうけど、あたしは嫌いってだけだ。つーか虫が好きな女なんていねぇだろ」
「うちの妹」
「……ありゃあテメェの悪影響なんじゃねぇか?」
「お前に俺と奈苗の何が分かるってんだ……!」
「知らねぇよ、何にキレてんだよ!?」
キレ気味にツッコミを返して、
「あー、そんであたしがここにいる理由だったか。ンなもん、ツバメのために決まってんだろ」
「ほほう」
「……何笑ってんだ、ムカつく。つーか、テメェもノノカに聞いてんだろ。あたしがツバメの中に入ったまんまだと、クソったれな死の運命とやらが、あいつにも降りかかるってよ」
だから、と彼女は言葉を繋げて、
「もう気休めみたいなもんだけど、ちっとは危険を減らせりゃいいなって。そんだけさ。
つーかな、あいつはもっと普通に、幸せに生きていい筈だ。……いっつも不安を押し隠して、特別な力があるわけでもねぇのに、他人のことばっか構いやがって。あんなお人好しの幸せを、あたしみたいなのが台無しにしちまったら駄目だ」
その声に宿る感情は、一言で言い表せるものではなかった。
自分にもツバメにも苛立っているようでいて、ツバメのことは心底から案じている。だからこそ苛立ちはより強いものになるが、その身勝手さを理解して押し込めているような、そんな雰囲気もあった。
俺が踏み込んでいい部分ではないのだろう。
だから話題を変えるように、俺は口を開いた。
「お前も色々考えてんだなぁ」
「ハ。そりゃ考えることしかできなかったかんな」
皮肉めいた言い回しだが声は明るく、
「自分で言うのも妙ちきりんだが、人間らしくなったと思うぜ?
ま、どうしたってツバメとテメェの影響を、強く受けちまってるけど」
「僕はそういう乱暴な物言いはしないので、ツバメの影響ですね」
「テメェに決まってんだろ。……いや、あたしの個性かもしんねぇけどさ」
「律儀にツッコミ入れるところは、ツバメの影響って気がしなくもねぇな」
「誰のせいだよ!?」
叫んでから、ペースに乗せられていると思ったのか、顔剥ぎセーラーは深呼吸をする。
ちょっと身構えていただけに、肩透かしを食った気分で俺は言う。
「そういやここだと、襲いかかってこないんだな」
「あたしだって好きでやってんじゃねぇぞ。なんつーか、本能的に逆らえねぇんだ。
けど、ここはあれだ。物語の強制力ってのが働かねぇんだとさ」
なるほど。ってことは、あっちの顔剥ぎセーラーは半ば暴走してるようなもんか。
ここで話す彼女こそが、本当の彼女自身なのだろう。
「……あんたにもな、少しは悪いと思ってんだぜ」
沈んだ声で、顔剥ぎセーラーは言った。
「実際、そっちから見りゃ逆恨みだ。何一つ筋が通っちゃいねぇ。
ただまあ――ムカつくのも本当のことだ」
「おうコラ」
「仕方ねぇだろ。もう別人だとは思っちゃいるけど、あたしが殺されたのは事実だ。
どんなに筋違いでも、そこは恨まねぇと。もういないあたしが、ちっと哀れだろ」
「……まあ、それはそうか」
「だろ?」
同意を得られて笑う顔剥ぎセーラー。
彼女の本音を聞いて、ツバメにそっくりだな、と思わせられる。
結局のところ、こいつの動機だって誰かのためだ。傍迷惑だったり、空回りだったりするかもしれないけど、その行動の根底には彼女なりの善性がある。
こいつはちゃんと、ツバメを見て育っているのだ。
「ま、そんなわけでさ」
あえて軽い調子で、顔剥ぎセーラーは言う。
「あたしのために手を尽くしてくれてること、知ってるし、ありがてぇけどさ。
それはそれ、これはこれだ。戦うとなったら、あたしは本気でいくぜ」
だからお前も本気で来いと、言外で語られる。
変に手加減する必要はないのだと――この馬鹿、俺まで気遣いやがった。
「――ああ、本気で来いよ。片手で捻ってやらぁ」
「ハ――負け犬の遠吠えにならなけりゃいいがな」
心配はいらないと伝わっただろうか。
顔剥ぎセーラーは不敵に笑って立ち去ろうと、
「あ、待って待って! 行かないで!
いや行ってもいいけど、ノノカ呼んで!?」
「……首洗って待っとけ。ホント、しっかり洗え。な?」
わけの分からない気遣い方をして、顔剥ぎセーラーは立ち去ってしまう。
く、屈辱……! 最後の最後で憐れまれた……!
でもこんなの、俺悪くないじゃん! 体質か何か知らねぇけど、勝手に迷い込んじまうんだもん! 俺は正しくないかもしれないけど、悪くはないんだぞ……!
ちょっぴり拗ねていたら、洗濯機へ放り込まれたかのように視界が回る。
ノノカも仕事が早いなぁと感心していたら、視界ごと意識はブラックアウトした。
○
意識が戻った時、まずは横顔に温もりを感じることに気がついた。
クラレットがまだ膝枕を許してくれていたのか。ぼんやり目を開けると室内は既に薄暗く、日没が近い。ということは二、三時間ほど眠っていたことになるが、流石に迷惑をかけてしまった。
申し訳ないなと思いながら仰向けになって視線を上げると、――なかった。
いや、違う。確かに俺はまだ、膝枕をされている。だがその相手がクラレットならば、あるべき筈の豊かな双丘がなく、代わりにあるのはおぞましく平坦な大地だ。
俺は受け入れ難い現実を直視して、
「……何やってんだ、ウードンさん」
膝枕の主へと、困惑と怒りを押し込めた声で問いかけた。
視線を下げたウードンさんは悪びれた様子もなく、
「おう、起きたか。クラレットが晩飯作りたいけどお前が起きないって、困ってたんでな。
優しい俺が代役を引き受けてやったわけだが、何か不満か?」
「野郎の膝枕ってだけで気分が悪くなんだよ」
まあ女なら誰でもいいってわけでもないんだけど。
俺は体を起こしてソファーに座り直し、
「んで、そっちの作業はどうよ」
「武器の修理は終わった。保護剤で耐久値も底上げしておいたが、焼け石に水だろうな。
銀のナイフはまだ半分ってところだが、このペースなら余裕だ」
「オッケー。引き続きよろしく」
ウードンさんに頼んでいたのは俺の武器の修理と、投擲用の武器の用意だ。
銀のナイフは攻撃力こそただのナイフと大差ないが、一応は聖属性なので顔剥ぎセーラーにも効果がある。ダメージ源としてはまったく期待できないが、投げれば牽制にはなるだろう。
本音を言えば片手斧の方が個人的には投げやすくていいのだが、ウードンさんのスキルでは作れない。生産系のスキルは、修理スキルなどの前提になるものしか取得していないのだ。
「ってーか作るのはいいが、インベントリに入り切るのか? お前さん、武器だけでかなりの量になるべ」
「そこは平気。どうせ攻撃当たったらアウトだし、防具なしの予定だから」
「ああ、装備重量の分だけ余裕はできるし、ポーションも持たないって計算か」
「そういうこと。MP回復は少し持つけどな」
それも保険みたいなものだ。俺は元からスキルを多用するタイプではないが、顔剥ぎセーラー相手にスキルがどれほど有効なのか、疑問でもある。おそらく出番はないだろう。
ウードンさんと装備関連の話をしばらく続けた後、俺は腰を上げてキッチンに移動した。
ゲームとしては飾りの部分だけあって、キッチンはあまり広くないし、設備も最低限。二人で調理するだけでも手狭に感じてしまうが、今日はクラレットしかいないので問題ないだろう。
俺は声をかけながら竈を見て、
「今夜はシチューか」
正確に言えば、今夜もシチューか。
クラレットも苦笑を浮かべて、
「道具もあんまりないし、火加減も難しいから。炒めものは焦がしちゃいそう」
「仕方ねぇさ。リアルじゃガスコンロだって骨董品なのに、竈だもんな」
一部の飲食店で火力を確保するために、大型のガスコンロを使っていることはあるが、身近な例はそのぐらいだろう。基本的にはどこもクッキングヒーターだから、火の扱いは俺も不慣れだ。
仮に米が手に入ったとしても、ちゃんと美味しく炊けるかはかなり怪しい。鍋でも炊けるってのは知ってるが、火加減がなぁ。いや、そもそも米がないんだけどさ。
「米食いてぇ……」
「……言わないで。言われると、私も食べたくなるから」
若干泣きの入った声は、やっぱ米って俺達の活力だよね、と痛感させる。
だがどんなに渇望しても、ないものはない。
潔く諦めて、俺はサラダでも作ろうかと――
「――なあ。ふと思ったんだけど、ノノカなら米持ってんじゃねぇの」
「ガウス、街までダッシュ」
「行ってきます!」
元気よく飛び出した俺は、まさに一匹の狼だった。
叶わぬものと諦めていた米を、今こそ頬張らんとする餓狼だ。
――そしてノノカの宿に押しかけたら、あいつパン食だとほざきやがった。
とぼとぼと拠点に帰る俺の姿は、まさに負け犬だった。
○
晩飯の後、風呂の順番をリビングで待つ。
一度に全員入れる大きさではあるのだが、まあ同性でも一緒に入るのって抵抗あるよね。そんなことを気にせず、緑葉さんとのーみんは一緒に入ってるけど。
他の連中は順番に一人ずつって形なので、風呂の後はもう寝るだけだし、リビングに残ってくつろいでいる。不在なのはカルガモと、部屋に戻っているロンさんとシャーロットさん達だ。
俺はソファーに寝転がってクラレットの膝を借り、そんな俺の腹には姐御が座っている。食後に何の嫌がらせだよって感じだが、すごく自然に座られてしまったので、ツッコミを入れる隙もなかった。
「――っくぅ」
晩酌をしていたウードンさんが、堪らないといった様子で息を洩らした。
借金から目を逸らせば、冒険者の稼ぎは悪くない。いい酒を好きなだけ飲めると喜んでいたが、姐御やのーみんはビールがないとお嘆きだった。いや、ビールに分類される酒自体はあるらしいが、日本で主流の冷やして飲むラガービールがないんだとか。
なので一人で飲むウードンさんに不満そうな目を向けながら、姐御は口を開いた。
「準備は順調ですし、明日には決行ですかねー」
「上手くいくといいんだけど」
ウードンさんの肴であるナッツをつまみ食いしつつ、ツバメが言う。
「あたしが言い出したことだけど、成功するか分からないしさ」
ナッツをつまみ食いされたウードンさんが、「え? マジで?」みたいな顔をする。
それを気にしていないのか、それとも見ていないのか、同じようにナッツをつまみ食いして、スピカが笑った。
「大丈夫、大丈夫。失敗したら、その時にまた考えればいいじゃん」
ウードンさんが「お前もかブルータス……!」という顔をする。
見なかったことにして、俺は姐御の膝を叩いて合図を送り、ナッツを取ってもらった。
「ま、こいつの言う通りさ。俺が死ななけりゃ何度挑戦したっていい」
そう言ってナッツを口に入れる。ローストしてあるのか、香ばしくて美味い。
ウードンさんが「またお前かブルータス……」みたいな感じの顔をしていた。
そしてナッツに手を伸ばそうとしてその顔を見てしまったのか、手を戻してクラレットが言う。
「私も何度でも付き合うから。ツバメが納得できるようにして」
「……うん。ありがとね、皆」
ツバメが微笑み、ウードンさんもクラレットの対応に微笑んだ。
だがまとめて数を確保しようと、姐御がガバっとナッツを掴み取りした。
その時に見せたウードンさんの表情、あれこそが絶望と呼ぶに相応しいのだろう。
「あとはカモさん次第ですかねー」
姐御はそう言って、ナッツをぽりぽりする。
あいつのやっていることは、まあ必要と言えば必要なんだけど、
「カモっち、やることないからって、ジェム狩りに行ってるんでしょ? ――無理じゃない?」
「ですよねー」
俺の戦力を底上げしようと、カルガモはゴースト特攻のジェムを求めて旅に出た。
それは言い換えれば、ドロップするまで目的のモンスターを狩り続けるという苦行である。俺と同じくカルマ値が劣悪なあいつでは、まさに砂漠で落とした真珠を探すようなものだ。
馬鹿なことはやめろと一度は皆も止めたのだが、でもやることがないと言われてしまったら、確かにいても邪魔なだけなので、快く送り出すことになったのである。
「つーか複数の武器使うんだから、一個だけあっても逆に困るんだよな」
「まあまあ。どうせドロップしませんし」
酷い言い草ではあるが、そのぐらい無駄な努力なのも確かだ。
だからまあ、島人組は何となく察してはいる。ジェム狩りというのはただの方便で、何かあいつにしかできないことをやりに行っているのだろう、と。
成果が得られなかった時、あるいは成果を口にできない時、それを誤魔化すための方便なのだろう。カルガモほどの男が、まさか本当に無駄な努力で時間を浪費するわけがない。
――という話を送り出す前、聞こえるようにしてやったので、帰ってきた時が楽しみだ。
一つ片付けたら二つ増える。
そんな年末の雑用、実に度し難いとは思いませんか。




